広島防衛戦 二
ミゲルを仲間に引き込めた。
きっと頼もしい戦力になってくれるだろう。
未来は安泰。
そう思いたかった。
だが、仲間のほうを振り返ると、予想もしていなかった光景に直面した。
移動要塞が、撤退を始めている。
まだたくさんの兵士が地上で戦っているにもかかわらず!
アンナの一存ではあるまい。
死者の軍勢に恐れをなし、諸将が現場を放棄したのだ。
「あいつら……」
このままだと、兵の士気も低下し、みんな逃げ出すことになる。
だが撤退は簡単ではない。
敵に背を見せることにならから、背後から一方的な攻撃にさらされる。
さいわい死者どもは足が遅いから、逃げ切れるかもしれないが……。
いや、問題はそれだけではない。
敵には死霊術師がいる。
そいつは倒れた兵たちを蘇生させ、さらに勢いを増して東へ攻め込んでくるだろう。だから一人でも倒れれば、味方が一人減るだけでなく、敵が一人増える。
ミゲルが血を吐きながら笑った。
「おいおい、俺の雇い主はどこへ行っちまう気だ?」
「待ってくれ。あんたには俺が払う。だから敵にならないでくれ」
「あんたの部下になれっていうのか?」
「部下じゃない。上の代わりに、臨時で立て替えるだけだ」
とはいえ不安だ。
帝国からは、俺にもまったく支払いがない。「東国の統治」とかいう意味不明な約束でチャラにするつもりだろうか?
俺は土偶でミゲルを抱え、兵たちのもとへ戻った。
「おお! 柴殿だ!」
「生きていたぞ!」
土偶は見た目にもデカいから、少しはやる気を取り戻してくれたかもしれない。
俺は大きく声を張った。
「総員、退避せよ! しんがりは俺がつとめる!」
「おお!」
ここで兵を死なせるわけにはいかない。
一人でも多く生還させる。
俺は手近な兵にミゲルを託した。
「すまないが、この男を頼む」
「誰です?」
「大事な仲間だ。帝都まで運んでやって欲しい」
「お任せあれ!」
さて、あとは戦うだけだ。
死者どもは、単体ではたいして強くない。
ろくに相手も見ずに、遠心力で剣を振り回すだけ。ただし数が多いから、乱戦では誰かに当たる。死者には急所がないから、少し傷ついたくらいでは倒れない。
ただただ厄介な相手だ。
だが、土偶なら体当たりで一掃できる。
それに、ここはかつて都だった場所。
だいぶ破壊されてはいるが、木材は転がっている。
火をつければ燃える。
「よし、行くぞ!」
俺は土偶を急発進させ、死者の群れへ突入した。
ガン、ガン、と、ぶつかる音がして、体液がびちゃびちゃと飛散する。
精神衛生上、非常によろしくない体験だ。
味方が逃げやすいよう、なるべく手前から削ってゆく。
土偶のエネルギーは無尽蔵ではないから、いずれ動けなくなるだろう。だが、動けるうちはこれでいく。
死者どもは、うつろな表情で剣をぶんぶん振っている。しかし、かつてはごく普通に暮らしていた人間たちだったのであろう。
自分の意思とは無関係に、戦いに駆り出されている。
いや、すでに意思さえないのに、体だけ使われている。
移動要塞はすでに広島を去ったから、都は炎天下にさらされている。
陽炎のせいで遠方がゆらめいて見える。
兵が逃げる。
死者が散る。
いまやここは死都と呼ぶにふさわしい。
大部分の兵が都を脱したところで、俺も敷地外へ出た。
死者はのたのたと追ってくる。
そろそろこちらもガス欠だが、撤退する前にやることがある。
太陽はやや傾いている。
千年以上前、まだ自分が小学生だったころ、このくらいの時間に放課後を迎えていた。
あるいは夏休みを満喫していたか。
家で絵を描いたり、ゲームをしたり、友達とプールに行ったり、冷蔵庫のジュースを飲んだり、あとは宿題をしたり……。本当に無邪気だった。
家には電気が来ていて、電化製品に囲まれて、未来はもっと便利になるんだろうなぁと信じていた。
エーテルを凝縮させ、狙いをつける。
標的は都。
エネルギーを解き放つと、熱線は大気を焼き、死者を焼き、街をも焼いた。
おそらく熱の影響だろう、光が消えたあと、風が巻き起こった。
そして火の手があがり、一帯はすぐさま火の海と化した。
帝国には悪いが、ここでヤツらを焼いておかないと、きっと帝都へ乗り込んでくる。死者は兵だろうと市民だろうと無関係に襲いかかるだろう。
この選択が正しかったかは分からない。
もし正しくないのであれば、のちの歴史が裁くだろう。
エネルギーを使い果たしたので、俺は土偶を回収した。
表面の汚れはまあ……多分その辺に落ちたことだろう。
さて、ここからは徒歩だ。
撤退した兵士たちに追いつかなくては。
いちおう仕込み杖はあるが、防具がない。
*
ほぼ手つかずの原野だから、歩きづらい。
虫もいる。
俺の足では、一日で岐阜まで帰れるがもない。
というわけで、手近な古代遺跡に入った。
わりとどこにでもあるから助かる。
自分だけ便利なサービスを受けている気がしてならないが。
木陰になっているおかげで、とても涼しかった。風も吹き込んでくる。湿度だけは鬱陶しいが、それでも外よりは断然マシだ。
道路で大の字になっていると、黒い影が近づいてきた。
「いちおうお伝えしておきますが、アンナはあなたを裏切ったわけではありません。総大将に脅されて撤退しただけです」
「分かってるよ」
気を遣ってくれているらしい。
「ところで、あの土偶はどれくらいで動けるようになるんだ?」
「きっと明日になれば回復しますよ。あなたがちゃんと栄養をとって、ぐっすり眠れば」
「なるほど。じゃあ酒を控える必要はなさそうだ」
「あきれますね……」
そうは言うものの、彼女はあきらかに協力的だ。
いや、きっと、最初から俺に協力するつもりだったのだろう。だからポンと簡単に土偶を寄こした。西からジョシュア軍が攻めてくると知っていたから。
「庭師、いろいろありがとう。ホントに助かってるよ」
「……」
黒い影は、困惑したようにそわそわし始めた。
顔は見えないが、照れているのかもしれない。
「あんたが手を回してくれなかったら、きっと俺は大事な仲間さえ守れず、いまごろ自己嫌悪で森にこもっていたところだ」
「何十年もこもっていたことがありましたね」
「見てたのかよ……」
あのときは飲まず食わずで、動けないくらい衰弱していた。
そういえば酒屋に入って酒を飲んで、吐いた気がする。
だから、ここの食べ物は手をつけちゃダメなんだと思い込んでいた。実のところ、俺の体調が悪かっただけだったみたいだが。
「庭師、このあとどうすればいい?」
「分かりません。本音を言えば、第一波さえしのげないと思っていました。ところが、あなたはやり遂げた。事態はすでに私の予想をこえています」
「状況を変えたのは俺じゃない。あんたの意思だ」
「私の……」
釈然としない様子だ。
彼女は、自分の力を信じていないのだろうか。
神の後継者に指名されたときも、泣き崩れていた気がする。
「前も話したと思うが、たしかに俺だけが戦っても勝てない。だがあんたのおかげで、いまのところなんとかなってる。アンナもミゲルも仲間になった。勝機はあるぜ」
「私はもう、中立的な立場とは言えませんね……」
「その理念は尊重する。ただ、いまだけは目をつむってくれ。俺はあんたほどの情報を持ってないから、正しいことを言ってるか分からないが……」
まあ分からないが、それは庭師が情報を伏せているせいなので、正しく理解して欲しいなら情報をよこせということでもあるが。
庭師はかすかに笑った。
「いえ、いいのです。すでに天秤が傾いている以上、私が重心を動かすことこそ、中立的な態度と言えなくもありません」
「いい発想だ」
「ではひとつ情報を提供しましょう。いいニュースとは言えませんが」
「なんだ?」
たとえ悪いニュースでもいい。
事前に知らなければ準備さえできない。
庭師はいちど呼吸をし、静かにこう告げた。
「すでに敵の第三波が動き始めました」
「えっ? 早くも全面戦争に……」
「いいえ、そういうわけではりません。ジョシュア軍は、部隊を三つに分けています。対ヨーロッパ、対アジア、そして対アメリカ。今回来るのは、あくまで対アジア軍の第三波です」
そんなに多方面へ展開して、しかも勝利を続けているとは。さすがの規模だ。
うんざりする。
「じゃあ、主力が攻めてくるわけじゃないんだな?」
「そもそもジョシュア軍の興味はアメリカに向けられていますから。すでに東アジアの大部分は征服済みですし、この日本はあくまでオマケですので」
「ナメられてんな。で、どのくらいの規模なんだ?」
「三名です」
ナメられてんな!
まあ、きっと神の眷属だから、とんでもなく強いんだろうけど。
「どんなヤツらなんだ?」
「特徴だけ簡単に言えば、真空波、炎、それにクラーケンです」
「クラーケン? タコか?」
焼きダコが食えそうだな。
いや、正しく警戒すべきだ。日本は海洋に囲まれている。タコならどこから攻め込んできてもおかしくはない。
「クラーケンは能力ではなく神器ですが。かなり強大ですよ」
「この島国を攻めるのにはうってつけの逸材だな。最後まで出し渋ってた理由は?」
「第一波でカタがつくはずでしたから。それに、三名は高い身分を与えられているので、あくまで征服の最終段階にならないと登場しないのです」
高い身分、か。
結局、上位や下位の身分を設けているらしい。だから第一波には、非協力的なアンナや、報酬目当てのミゲルが使われた。
次の攻撃に、おいでやすの連中は耐えられるだろうか?
敵が強すぎるというのもあるが、これまでの戦いを見る限り、ほとんど安心できる要素がない。
人材だけでなく、物資まで不足している。
本音を言えば、帝都がどうなろうと知ったことじゃない。
しかし帝都を守れなければ、キュウ坊たちを危険にさらすことになる。
絶対に止めなくては。
(続く)




