天王山の戦い 二
本陣に戻ると、すでに壊滅状態であった。
絶命した総大将が地べたに転がされており、陣地を固めていた精鋭も全滅。
代わりに、見知らぬ男が椅子に腰をおろしていた。
「おい、あんた。武装を解除してこっちに来い。お前たちのボスは討ち取った」
燃えるような赤髭の男。海賊にしか見えない服装をしている。
俺は素直に武装解除し、男の前に立った。
「あんたがやったのか?」
「ミゲルだ。同じ下級クラスだったろ? 記憶にないか?」
「なんだか記憶が曖昧でな。柴三郎だ」
握手はしなかったが、敵意がないことだけは確認できた。
ミゲル――。
その名は思い出せない。
神に選ばれた人間は約百名。分裂騒動ののち、一緒に残ったメンバーはわりと記憶にあるのだが、先に出て行ったメンバーのことはほとんど印象にない。
もしかするとこのミゲルは、初期に出て行った人間かもしれない。
しかし出て行ったのなら、なぜ神の軍勢を名乗っているのだろうか?
塔から来たのではないのか?
ミゲルはシャープな顔立ちでフッと笑った。
「お前の武装、なかなか興味深いな。仲間になれよ。きっと楽しめるぜ」
「裏切れと?」
「そう深刻に受け止めるな。転職だよ。ま、こっちの上層部はイカレたカルトだが、気にすることはねぇ。こうして敵をぶっ飛ばしてりゃウマい思いができる。お前の泥人形も役に立つはずだ」
またカルトか。
うんざりだな。
だが、ここでキッパリ断るのはもったいない。
情報収集のチャンスだ。
俺はできるだけ悩んでいるようなそぶりを見せて、こう尋ねた。
「興味深い話だが、その『カルト』ってのが気になるな。指導してるのは誰なんだ?」
「トップはジョシュア。完全にイカレちまってるが、神の代弁者ってことになってる」
「そいつならおぼえてる」
ジョシュアは中級クラスにいたスキンヘッドの老人だ。
難しい顔で、いつも意味不明なことを言っていた。
神が死んだあと、何人かを連れてまっさきに塔から出て行った。分裂はそこから始まったのだ。
ミゲルは肩をすくめた。
「べつにいいんだぜ。教義なんて無視したって。神の眷属であれば、好きなように生きられる」
「神の眷属でなければ?」
「市民か? あいつらは自由を奪われる。神の教義を徹底的に叩き込まれて、朝から晩まですべての行動を管理されるんだ。まあクソだな。俺たちは運がよかった」
「奴隷みたいにこき使って上前をハネるのか?」
「そう言うなよ。可哀相に思えてくるだろ」
小バカにしたような笑みで返されてしまった。
とんでもないクソ集団だ。
一秒でも早く滅んだほうがいい。
「悪いが、参加する気になれないな」
「だがお前たちのボスは死んだぞ?」
「もっと上のボスがいる」
「そうか。残念だな、話の分かるヤツだと思ってたのに」
交渉は決裂。
で、どうする?
仕掛けてくる気か?
ミゲルは立ち上がると、軽く両手をあげた。
「おっと勘違いするなよ。お前とは戦わない。俺は隠れてコソコソやる主義だからな」
「帰るのか?」
「ああ。ただの偵察だからな」
偵察のついでに部隊を壊滅させたのか。
とんでもない戦力だ。
きっと裏に、もっとヤバいのがいっぱい控えているんだろう。
*
街は、撤退した兵士であふれかえっていた。
おかげで宿は満室。
炊事の煙は、街の外にもあがっていた。かわいそうに、畑は荒らされてしまった。兵士たちが、ついでとばかりに野菜を引っこ抜いているのだ。
負傷者はほとんどいないなかった。
直撃すれば死ぬが、巻き込まれなければ無傷で済む。
運だけで明暗が分かれた。
俺は街を離れ、古代遺跡に入った。
日が暮れてきた。
とんでもない一日だった。
たった一人の人間に、部隊を壊滅させられた。
どんな攻撃だったのか、いまだに分からない。分かっているのは、巨大なエネルギーの塊が飛んできて、直撃されればなにもかもがふっ飛ぶということだけだ。
俺は無人のバーに入り、勝手に酒を拝借した。
例の移動要塞はまだ広島にあるから、岐阜の帝都へはしばらく攻め込んでこないだろう。しかしいずれ来る。来て、すべてを破壊する。
赤ワインの栓を抜き、瓶から直接飲んだ。
銘柄は、ラベルを見てもよく分からない。
俺に区別できるのは、赤か白かだけ。
酔えればなんでもいい。
黒い人影が近づいてきて、俺の隣に腰をおろした。
「もしかすると、ミゲルの誘いに乗るのではないかと思っていました」
庭師だ。
あのやり取りも監視していたらしい。
「カルトは好きじゃない」
「けれども、彼らはとても強い。あなたが勝てるとは思えません」
「俺もそう思う。ただし、それは一人で戦った場合の話だ。仲間がいれば状況も変わる」
「仲間とは?」
「たとえばあんたとか」
酒に酔っていなければ、こんな言葉は出てこなかったかもしれない。
庭師はしかし笑わなかった。
「私?」
「あんたが中立的な立場を貫こうとしてるのは、なんとなく分かる。だがあいつらはどうだ? 世界を征服し、すべてをコントロールしようとしてるぞ。それでもいいのか?」
「それでもなお、私が確固たる意思によって、干渉を拒んでいるのだとしたら?」
象牙の塔にでもこもっているつもりか?
俺は思わず鼻で笑った。
「さっきあいつと話してみて分かったんだが、たぶん塔から来てるんじゃないよな? マイケルとも組んでない。ジョシュア爺さんがどういうつもりかは分からないが。あの調子だと、いずれ塔も手に入れようとするんじゃないのか?」
いま俺たちと組まないと、自分も被害に遭うかもしれないぞ、という揺さぶりだ。
まあたぶん通じないとは思うが。
庭師は数秒考えてから、こう応じた。
「それもまた自然の摂理。結局のところ、人は神に従うのではなく、神の名のもとに自分の意思を押し通そうとするだけ。千年前の世界を知っているあなたにはお分かりでしょう?」
「仮にそれが事実だとして、受け入れるかどうかはまた別の話だ。俺はあんなヤツらに、この世界を支配して欲しくない。あんたはどうなんだ?」
「私の希望など……」
もともとこういう性格なのか?
あるいは、なにか理由があって意見を言えないのか?
俺は肩をすくめ、ワインを一口やった。
「悪いな、俺ばっかり飲んで」
「いえ」
「なあ、あんたまだ塔にいるんだよな? どんな景色だ? きっといい眺めなんだろうな」
「はい。とても美しいですよ。哀しいくらいに」
本当に眩しかった。
そして確かに美しかった。
錆びた金属の床。
流れ落ちる清冽な水。
空と森。
太陽。
玉座には神がいた。
あのとき俺は、新たな世界の始まりに胸おどらせた。
きっと理想的な世界にするんだと思っていた。
だが結局は、些細なことで意見を対立させ、他者へのマウントを始め、序列をつけ、支配と被支配の関係を確立し、すぐさま窮屈になった。
しかもあの小さな集団で起きたいざこざが、そのまま世界にまき散らされてしまった。
世界は、俺の知る千年前よりひどくなった。
インフラも文明もないから、教育もなかった。
俺が常識だと思っていることでさえ、人々は「努力」して「発見」しなければならなかった。
あのとき俺たちは、イヤでも力を合わせて文明を築くべきだったのだ。
なのに妥協できず、バラバラになってしまった。
「なあ、庭師よ。あんた、ホントにあいつらを肯定できるのか? あいつらの支配する世界を、塔から眺めていたいと思うのか? もし違うと思うなら、俺たちに手を貸してくれないか? 立場上、難しいのは理解するが……」
すると彼女は、かすかに溜め息をついた。
「大規模な軍勢ですが、ほとんどが一般市民です。能力者はミゲルとアンナだけ。そしてアンナは、人質をとられてやむをえず協力している」
「ほう。ならその人質ってのを救出できれば、アンナは自由になるんだな?」
「ですがその人質というのが……」
彼女はうつむいたまま、黙り込んでしまった。
言いたくないのか?
それとも通信障害か?
「誰なんだ?」
「スジャータです」
「はい? どういう経緯で?」
スジャータ。人の心を読む女。
塔の地下に幽閉されていたはず。
「まだ塔の地下にいます」
「おいおい。ならあんたの管轄だろ?」
「カギはジョシュアが持ち去りました」
「壊せないのか?」
「塔の機構は、人がどうにかできるものではありません」
あきれた。
つまり庭師は、千年もの間、自宅の地下に住む女を助けられないでいるということだ。
「で、そのジョシュア爺さんはどこにいるんだ?」
「インド北部の神殿に」
「分かってるとは思うが、俺がそこへ行って戻ってくる間に、なにもかもが終わるぞ」
「策はあります。いま塔は閉鎖状態ですので、ジョシュアが侵入することはできません」
「閉鎖?」
俺が疑問を投げかけたが、彼女は無視した。
「ですので、スジャータの身に危険が及ぶことはありません。その事実を伝えれば、アンナは考えを変えるでしょう」
「あんたが伝えてくれたら楽なんだが」
すると彼女は、遠慮もなく大きな溜め息をついた。
「知らないのですか? 私は彼女に嫌われているのです。いつまでもスジャータを閉じ込めている悪人だと……」
「分かった。悪かった。俺が伝える。協力に感謝するよ。本当に助かった」
どいつもこいつも関係がこじれ過ぎている。
いや、打開策が手に入っただけでもよしとしなくては。
問題は、どうやってそのアンナとやらに会うか、だが……。
(続く)




