再会 三
俺たちは縁石に腰をおろし、完蔵が落ち着くのを待った。
「分かった。認める。間違いなく殿下だ」
完蔵は自分に言い聞かせるように、そうつぶやいた。
しかし現実を受け入れたくないのか、キュウ坊のほうを見ないようにしている。
ま、この隙をつかせてもらおう。
「領主殿を本気で追及する気になったよな?」
「当然だろう! 殿下は当事者であらせられるんだから」
「お手柄というわけだな」
「お前の手柄じゃない!」
おいおい。
第九皇女の住まわれていた村の元村長に対して、その態度はよろしくないのではないか?
「で、ひとつ頼みがある。俺たちはこれから帝都に入り、観光を満喫したいと思う」
「は?」
「あんたにはその護衛を頼みたい」
「はぁ?」
「あと観光する金もないから、少し貸してくれ」
「ふざけるな! それがどれだけ危険なことか分かっているのか!?」
完蔵はいちど立ち上がり、しかし立ちくらみでもしたのか、力なく腰をおろした。
「そうカッカするなよ」
「お前な……」
まあ怒るのは分かる。
混乱するのも分かる。
しかしこちらにもこちらの事情があるのだ。
俺は遠慮せずにこう告げた。
「あんたが棘氏の居場所を教えてくれないから、俺たちは帝都まで探しに行くんだよ。なのに自分はまったくの無関係で、俺たちばかりが一方的にやらかしてるみたいな言いぐさじゃないか? ちょっとは当事者意識を持って欲しいもんだぜ」
「棘は生きてるんだ! それでいいだろ!」
「ほう。ならそれを皇帝陛下にも言えるはずだよな? 第九皇女は生きてる。それでいいだろ、ってな」
「ぐぎぎぃ……」
いまにも泡を吹きそうな顔だ。
いや、こうして個人を責めるのは俺の趣味じゃない。
しかしお行儀よく頼んでも、こいつは首を縦に振らない。
「完蔵さんよ、俺はあんたという人間を見込んで言ってるんだぜ?」
「お前がカラテのマスターでなけりゃ、いますぐ殺してるところだ」
「俺だってカラテのマスターでなけりゃ、こんな強引な交渉しないよ。しかし残念ながら、カラテのマスターなんだ。つまりあんたは、俺の意見を受け入れるしかない」
「……」
なんとも言えない顔になってこちらを見てきた。
睨むでもなく、怒るでもなく、泣くでもなく。
「悪いとは思ってるよ。余裕ができたら埋め合わせもする。だからそんな顔するなよ」
「いや、そうじゃない。帝都に行ったところで、棘には会えんぞ」
「なぜ?」
俺がそう尋ねると、彼はまず印を結び、それから二本指で「えい! えい!」と空を切り始めた。
壊れたのか?
完蔵は無表情になって、こちらを見た。
「もう隠さずぜんぶ言うぞ。棘は烏賊組で雇ってるんだ。あいつの持ち込んだ作戦は、なかなか見所があったからな」
シンジケートを攻撃した作戦のことか。
「失敗したんじゃなかったのか?」
「それは俺たちの運用がマズかっただけだ。しかし実際のところ、たいした被害も出さず壊滅させることができた。まあ壊滅させたのはやりすぎだったがな」
おかげで柿藤の収入が減ってしまったわけだしな。
すると茨が前に立った。
「お兄ちゃんに会いたい!」
「それはムリだ。ヤツはどこにも存在しないことになってる。烏賊組は、本来なら誰にも知られちゃならない組織なんだ。所属メンバーも秘密。たとえ親兄弟でも会わせることはできない」
「じゃあお兄ちゃんをクビにしてよ!」
交渉が強引すぎる。
完蔵も「えっ?」とリアクションに困ってしまっている。
「お兄ちゃん、いるとウザいんだけど、いないとさみしいの! 分かるでしょ?」
「まあ確かにウザいが……」
さすがに少しは否定しろ。
「クビにしてよ!」
「ムリだ。あきらめて引退する日を待て」
「いつなの?」
「あと三十年くらいか」
「長い!」
長すぎるな。
俺は立ち上がった。
「よし、いったん昼飯にしないか? 朝からなにも食ってないだろ?」
だが返事は、予想外の方向から来た。
「その前に、お話があるのですが」
「む?」
誰だ?
いや、そもそも人なのか?
起伏のないまっくろな人影。
これは悪霊……だよな?
「お久しぶりですね、下級クラスの眷属、柴三郎さん」
女の声だ。
だが、久しぶりもなにも、さすがにこんな知り合いは記憶にない。
みんなも固まってしまっている。
「私は庭師。もちろん本体ではありません。依り代を使って話しかけています」
「庭師……」
それなら分かる。
忘れるわけがない。
だが、なぜ急に?
「あなたの活動は、ずっと塔から監視していました」
「なぜ?」
「あなただけでなく、全員を監視しています。それが庭師の役割のひとつでもありますから」
暇なのか?
いや、そもそも庭師の役割とは?
神はなにも伝えぬまま絶命したはず。
なのに、なぜ彼女は役割を知っている?
俺が混乱しているのにも構わず、庭師はこう言葉を続けた。
「この森は、神の眷属のための安息所。緑で偽装されてはいますが、機能自体は当時のまま保存されています。いわば時間の止まった場所。食品類だって、生ものでなければ口にして問題ないレベルに保たれています」
「当時のまま? どうりで……」
「ただし、あくまで眷属のための場所。みだりに一般人を連れ込むのは感心できません」
感心できません、か。
俺は思わずふっと鼻で笑った。
「そいつを事前に言ってくれりゃ、俺だって少しは配慮できたと思うが?」
「ええ。ですので、これまでの行為は不問にします。しかし今後は気をつけてください。ここに足を踏み入れていいのは、神の眷属だけですから」
この事務的な口調。
きっと用件を伝えたら、一方的に会話を打ち切るつもりだ。
「ちょっと待ってくれ。あんた、まだ塔にいるのか?」
「ええ……」
「状況はどうなってる?」
「あなたが知る必要はありません」
「なんだよそれ。神は、力を合わせて世界を再建しろと言ったんだぞ? 庭師のあんたがそれを否定するのか?」
すると回答の前に、溜め息が聞こえた。
「否定ではありません。世界の再建はすでに始まっています。あなたは余計なことを考えず、いままで通り暮らせばいいでしょう」
「待てよ。待ってくれ。あんた、なにか知ってるんだろ? 世界はこれでいいのか? 本当に俺はこのままで……」
「この世界に、もう神はいません。私からも特に言うことはありません」
「あっ」
人影は、まるで煙のように霧散して消滅してしまった。
最初からなにもなかったかのように。
「神の眷属……? なんだそれは?」
口を開いたのは完蔵だった。
「神から力を授かった人間のことだ」
「神だと!? お前、神に会ったのか?」
「ああ。だがもう死んだ」
「死んだ? いったい、どうして……」
それは俺が知りたいよ。
力が尽きたとか言っていた気はするが。
キュウ坊も両手で胸をおさえている。
「本当だったんだね、あの話……」
「まあな。でもこんなの、信じるほうがどうかしてるし、俺も真面目に話さなかった」
俺は神の眷属だ、なんて、真顔で言えるわけがない。
いや、最初は真顔で力説したものだが、たいてい頭がおかしいと思われるだけだった。そのうち自分でもどうでもよくなった。
茨は「え、冗談よね?」と半信半疑だ。
このリアクションが正しい。
「どうやら食い物は悪くなってないらしいな。どっかにカップ麺があるはずだ。湯を沸かしてみんなで食おう。アレはなかなかイケるぞ」
とはいえあの当時、世界情勢もだいぶ怪しかったし、日本の成長率も頭打ちだったから、カップ麺の質もやや怪しかった気はするが。
もっと大事なことは、酒屋を探索すれば、無料でビールが飲めるってことだ。
神への感謝の気持ちを、久々に思い出した。
しかし庭師のやつ、ずっと俺を監視してやがったのか。
俺だけじゃなく、全員を。
マイケルはどうしているだろう。
いまでも上級天使を気取って、塔を仕切っているのだろうか。
天気のいい日に西を凝視しても、塔は見えない。
地球が丸いから、ではない。
俺の観測によれば、この世界は平面だ。
ヒマラヤ山脈も見える。
塔は細すぎて見えないだけだ。
ここは本当に、俺たちの暮らしていた世界なのだろうか。
古代遺跡にはありし日の痕跡が見られる。
しかし本当に?
ただの思い込みかもしれないが……。この世界は、俺たちの世界をもとに再構成されたレプリカのように思えるときがある。
(続く)




