それから千年が経った
かつてビル街であった場所は、いまや鬱蒼とした森のようになっていた。
緑に侵食された古代遺跡だ。
日の光さえ届かない。
神にすべてを奪われて以来、文明はいまだ回復していない。
「ねえ、昔話してよ」
「昔?」
「千年前でも、五百年前でもいいからさ」
「……」
俺は旅をしていた。
いや、旅などとカッコつけるのはよそう。
目的地もない、ただの放浪だ。
つい最近、自分で作った村を追い出されたばかり。
かつて助けた小柄な少女だけが、なぜか一緒についてきた。
俺は「そこに座ろう」と杖で指した。
かつて縁石であったもの。
道の大半は土と草で覆われていたが、縁石だけはしぶとくその場に姿を現していた。きっと手すりもあったはずなのだが、すでに錆びてしまって跡形もない。
「じゃあ、千年前の話をしよう」
「うん」
目のくりくりとした、ショートヘアの少女。
いっぺん貸しただけの俺のミリタリージャケットを、まったく返す気配もなく、自分のもののように着用している。
いちおう男装しているつもりらしいが、どこからどう見ても女だ。
「こういう街には、むかし、人が住んでたんだ。電気があってな。いろんなものが、それで勝手に動いてた」
「うん」
何度もした話だが、それでも彼女は興味津々といった様子でこちらを見つめてくる。
俺は、しかし視線を街へやった。
崩落しているものもあるが、残っているものもある。
かなりの建築技術だ。
あれから幾度となく自然災害が襲ってきたというのに。
「電気で光って、電気で喋って、店に誘導するんだ。店にはいろんな商品が並んでた」
「それも電気で動くんだよね?」
「食べ物以外はな」
「ねえ、村長さんは神の眷属なのに、電気の魔法は使えないの?」
神の眷属――。
神から能力を授かった数名の人間のことだ。
中には天使を自称するものもいた。
俺に言わせれば、過剰な暴力を備えただけの人間でしかないが。
もしまだ生きていれば、この地上のどこかで人間たちを支配していることだろう。
「知ってると思うが、俺の力は、モノを壊す以外に使い道がない」
「ジャマな岩とか壊してたよね? みんな助けてもらってたはずなのにさ」
「彼らにも彼らの考えがあったんだ。俺はそれを理解したから、村を出た。もう村長じゃない」
「そんなことないよ。いまでもボクの村長さんは、村長さんだけだよ」
素直でかわいい子だ。
しかし会ったばかりのころ、彼女は野良犬のように他者を警戒していた。
髪はボサボサで、薄汚れていて、男か女かも分からなかった。
いや、彼女だけじゃない。俺が村に集めたのは、ほとんどがそんな人間ばかりだった。行き場を失い、明日をも知れない人間たち。
皆、どこか遠くから逃れてきたのだろう。
あえて事情は聞かなかった。
俺は安全を提供し、ともに働き、村を大きくしていった。
主食はイモだ。
麦も育てた。
スズメやイナゴ、ネズミ、イノシシなんかと戦ってきた。
水を引き、ニワトリを飼い、誰もが満足に食っていけるようになった。
少女は首をかしげた。
「ね、ほかには? 電気で移動して遠くに行けたんでしょ?」
「まあな。油も燃料に使った。普段料理に使ってるようなのじゃなくて、もっと火力の出るヤツだ」
「空も飛べたんだよね?」
「ああ」
「すごいよ! ボクもいつか乗ってみたいな。ね、村長さん、それ作ってよ。ボク、油集めるからさ」
「ムリ言うなよ。そういうのは、頭のいいヤツじゃないと作れないんだから」
もちろんだが、俺は飛行機を作れるほど賢くない。
村では水力発電も試みたが、うまくいかなかった。小型水車はかろうじて作れたが、磁石が手に入らなかった。そもそも製鉄技術さえ導入できなかった。
たとえ千年生きようが、凡人は凡人のままということが痛いほどよく分かった。
「なあ、キュウ坊。俺についてきて後悔してないか?」
すると彼女は、ぷうと頬を膨らませた。
「その呼び方やめて!」
「悪かった。キュウ太郎だったな」
「キュウ太!」
本名かどうかは知らない。
ただ、彼女が自分で名乗っている以上、それを信じるしかない。
「村にいたら、メシの苦労もなかったし、野宿だってしなくて済んだろう」
「ボク、嫌だよ。あんな村。村長さんのこと追い出すなんて。これって『恩を仇で返す』ってことでしょ?」
「まあそうだな。けど、流れでそうなったんだ」
「なんだよ、流れって。村長さん、お人好しすぎるよ」
きっかけは些細な衝突だった。
我が村から数キロ離れたところに、新しい村ができたのだ。すると縄張りに土足で入り込んできたとかで、その村の連中といさかいになった。
何度も繰り返しているうち、口論から、やがて暴力沙汰に発展した。
抗争は激化した。
俺は何度も仲裁を試みたが、そのたびに破談になった。やがて我が村の住民は、俺を担いで「戦争」しようとし始めた。戦えば勝つことが分かり切っているから、安易な手段に訴えようとしたのだ。
だが俺は、我が村の防衛には参加したが、相手の村に乗り込むことはしなかった。
シビレを切らした男たちが、何度も決闘に出かけて行った。
勝つこともあれば負けることもあった。
被害が深刻になってくると、住民たちは俺に怒りをぶつけ始めた。
「リーダーシップがない」
「肝心なときに役に立たないのになにが村長だ」
しかし俺は反論しなかった。
飽きるほど見た光景だ。
やがてどちらの村も戦いに疲弊し、休戦することになった。
相手の村は、二度と縄張りに入り込まないことを約束した。
その代わり、我が村は、村長の追放を受け入れた。
俺が決めたわけではなく、住民が勝手に約束したことだが……。きっと彼らの総意であろうと判断し、素直に身を引くことにした。
もちろん俺は聖人君子ではないから、その結果どうなるのかをなんとなく察しながらも。
「ねえ、村長さん。ボク、村長さんのことは立派な人だと思ってる。でも、なんで戦わなかったの? 戦えば勝てたのに」
素直でいい子なのは間違いないが、この質問だけはうんざりする。
俺は溜め息をなんとか呼吸で逃しながら、こう応じた。
「巨大な力が、人類を滅ぼすのを見たからだ」
「敵が死ぬのもイヤなの?」
「いいや。誰が死のうが知ったこっちゃない。何度も言ってる通り、俺は善人じゃないからな。それがたとえ仲間であろうと、本人が戦って死にたいと願っているなら、しいて止めるつもりはない。それに、俺を追い出したら、あの村は滅ぶに決まってる。敵のほうが強かったんだから」
俺がそう告げると、彼女はぎょっとした顔になった。
「えっ? でも、もう二度と縄張りに入ってこないって約束じゃ……」
「その約束が本当に守られればいいけどな」
「……」
我が村が負けなかったのは、俺がいたからだ。
敵を片っ端から衝撃波でぶちのめした。
だが、俺がいなくなれば、戦いには勝てなくなるだろう。
千年も生きていると、こんなことは一度や二度ではなかった。
人々は、俺のことを便利な道具みたいに使い始める。
スイッチを入れるだけで、ジャマなモノを破壊する装置のように。
期待通りに駆動しないと怒る。
最初のころは、俺も英雄気取りで「無双」したものだ。
殺せば殺すほど人々から賞賛された。
だが所詮は道具。
権力の象徴に仕立てあげられ、小ずるいヤツばかりがすり寄って来た。中には、俺の名を使って悪さをするヤツまで現れた。
おおもとは俺の善意による無料サービスなのに、勝手にウマい商売にされたのだ。
だから必要なとき以外、俺は手を出さなくなった。
いらないと言われればいつでも去る。
キュウ坊はおびえた顔をしていた。
「あ、あの、ボク、どうすれば……」
「放っておけばいい。彼らは自分たちで決断したんだ。その結果も受け入れるべきだろう」
「助けないの?」
「まだ滅ぶと決まったわけじゃない。約束は守られるかもしれないしな。それに、いま戻っても、きっとイヤな顔をされるだけだろう。サヨナラしたばかりなんだからさ」
いま人類は、弓矢と棒切れで戦っている。
しかし世界のどこかでは、銃が再発明されているかもしれない。
なにせいまを生きる人々は文明のない世界で生まれ育ったが、俺たち神の眷属は文明のもとで教育を受けてきたのだ。知識はある。少なくとも知識の片鱗は。そのうち飛行機が飛んできてもおかしくはない。
村と村との小規模なケンカではなく、大規模な戦争が起きる可能性だってある。
どこかの神の眷属が、銃で武装して乗り込んでくるかもしれない。
俺たちに能力を授けた神は、すでにこの世にいない。
断言できる。
なぜなら俺たちは、死の瞬間を見たのだ。
高い高い鋼鉄の塔の頂上――。
いざ団結して世界を再建しようというとき、それは起きた。
(続く)