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夜散歩  作者: 黒羽カラス
3/5

第3夜 パグ

 夜の大冒険が終わろうとしている。わたしは家に向かう道をゆっくり歩いた。増えた時間で今日の出会いを振り返る。

 インパクトは十分。初めて見たパグ使いに今もにやにやが抑え切れない。

 リードに繋がれた六頭のパグは困ったような顔で、ご主人様の青年をどこかに連れて行こうとする。短い足をちょこちょこ動かす。尻尾はくるんと回ってドーナツのようだった。

 あまりの可愛さにわたしは足を止めた。六頭のパグが押し寄せてくる。その場にしゃがんで両手を広げると見事に避けられた。

 青年は困り顔になって、危ないよ、と声を掛けて笑った。立ち上がったわたしは、ですよね、と照れ笑いを返した。

 素敵な時間はとても短く、別々の方向に歩き出す。


 あのころころしたパグをギュッとしたかった。


 思い出したついでに自分を両腕で抱き締めてみる。肉付きの悪さが災いして素に戻った。幸せな時間がすっかり薄れてしまった。

 取り返す思いで横道に入った。薄暗い民家に挟まれた道を突っ切って二車線の道路に突き当たる。

 目の前を真っ赤なオープンカーが走り抜けた。急ブレーキの音がして横を向くと、さっきの車が停まっていた。


 なんだろう?


 運転手の男性がポーチを歩道に投げ捨てた。助手席にいた女性が慌てて車を降りる。狙っていたかのように車を急発進させた。

 女性は追い掛けて、途中で諦めたみたい。ぺたんと歩道に座り込んで項垂れた。顔は見えないけれど、すすり泣く声が聞こえてくる。

 わたしは落ちていたポーチを拾った。表面を手で払って女性のところにいく。

「あの、落ちていたので」

 女性の顔の下にポーチを差し出す。乱暴な手付きで奪い取り、何なのよ、と声を荒げた。項垂れたまま、手の甲で目を拭った。

 わたしは立ち去ることができなかった。丸まった背中が小さく見える。しゃっくりで肩が震えるように上下した。

 自然にしゃがんでいた。女性の背中にそっと手を当てる。驚きが掌に伝わった。安心させるように撫でる。

「……どうして?」

 掠れた声で聞かれた。わたしは思ったことを口にした。

「見たことを見なかったことにできないし、こうした方がいいと思ったから」

 女性は項垂れた姿で、そう、と息を吐きだすような声で言った。

「これは大きな独り言だから、気にしないで」

 深呼吸のあと、女性は語り始めた。

「さっきの彼氏、もう、元彼なんだけど。私が太ったから嫌いになったんだって。幸せ太りだって言ったんだけど、前のほっそりした私が好きだから無理だって」

「そんなに太いですか?」

 わたしは手を止めた。女性はゆったりしたブラウンのワンピースに白いカーディガンを合わせていた。ふくよかには見えるが太いという印象はなかった。

「ほら、これならどう?」

 女性は顔を上げて前髪を掻き上げた。黒目勝ちの丸い目の周りが落ちた化粧で黒ずんでいた。

「可愛い」

「え、可愛い?」

「あの、ギュってしていいですか」

「私を抱き締めたいってこと、だよね」

 女性はわたしの全身に目を向ける。

「同性でもダメですか」

 目深に被っていた野球帽を脱いだ。ボブの頭を見せてふんぞり返る。

「む、胸は、小さいけど、あ、あります。どう、ですか」

 無理な姿勢で声が途切れがちになった。

「いいけど、なんで私と」

「そんな気分なんです。パグさせてください」

「パグじゃなくてハグだよね」

「そう、それです。ハグでした」

 本音が漏れたことを女性は気にしなかった。ふくよかな胸を見せて、ほら、と両腕を軽く開いた。

 わたしは女性を抱き締めた。胸いっぱいに広がる柔らかい感触に力が抜ける。

「……こんなに、柔らかいなんて……幸せな気分です……」

「大げさなんだから。でも、ありがとう。少し、元気が出たよ」

「わたしは幸せな気分になれました」

 どちらともなく離れて立ち上がる。女性はさっぱりした顔で伸びをした。

「ここでお別れだね。私はタクシーで帰るよ」

「そうですか。また、会えたらいいですね」

「今度は泣き顔じゃなくて、最初から笑顔で」

 最後は笑顔で別れた。姿が見えなくなるまで手を振った。


 帰る足がとても軽い。スキップして調子はずれの鼻歌を披露した。

「パグ、大好き!」

 今日もとても素敵な夜になった。あ、でも目の周りが黒いこと、教えてあげた方が良かったかも。

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