06 生まれ変わったメイド
ピアとヘルドランにかまっているうちに午後になったので、俺は再びセンキネル総合魔法学院へと戻る。
学院は広大な敷地を有しており、集合住宅や公園、森や湖まであった。
寮はてっきり集合住宅のどれかだろうと思ったのだが、集合住宅にはEランクまでしかない。
あたりを見回っていた警備員に尋ねてみると、いぶかしげな顔をされた。
「Fランクの寮? そんなところに何の用なんだ?」
「俺は今日からここに入学した者なんだ。Fランクだって言われたから、寮を探してるんだ」
「ウソをつくな。Fランクの生徒なんて、ここ数十年ひとりもいないぞ
最近、あそこで悪さをしてる生徒もいるっていうから、教えるわけにはいかないな」
俺が魔導スクリーンを開いて『生徒手帳』を見せてやると、用務員は急に態度が変わった。
「かわいそうに……」と俺のことを憐れみながら、寮の場所を教えてくれる。
Fランクの寮は、学院のはずれのほうにあった。
そこは森に囲まれた、明らかなる廃寮。
朽ち果てた看板に、辛うじて読める文字で『センキネル総合魔法学院 Fランク寮』とある。
木造で、ガラスは割れ、壁は落書きだらけ。
中に入ってみると蜘蛛の巣が張り巡らされていて、床はところどころ腐っていた。
ピアは「こ、ここに住むのです……?」と不安そう。
彼女の頭の上にちょこんと乗っているヘルドランも「ここに比べたら、ゴミ捨て場も天国であるな……!」とさんざんな評価だった。
俺はふたりに向かって言った。
「とりあえず掃除をしよう。ピアは床を綺麗に、ヘルドランは天井の蜘蛛の巣を払ってくれるか」
するとふたりは「かしこまりましたです!」「御意」とさっそく行動を始める。
ピアはややドジっ子で、床を掃いている最中に腐った床に脚からはまり込んだり、床を拭いている最中に腐った床に頭から突っ込んだりしていた。
ヘルドランはヘルドランで、蜘蛛の巣を炎のブレスで燃やそうとして危うく火事になるところだった。
俺は魔術を使ってふたりを手伝う。
『念動』で5本のホウキを動かして床を掃き、5本のハタキを動かして天井の蜘蛛の巣を払う。
するとふたりは自分の仕事も忘れ、なぜか俺に見入っていた。
「す、すごいです……!」「う、うむ……!」
「なんだ、どうした?」
「10もの掃除道具を個別に動かすなど、我が力を持ってしても不可能なこと……!」
「なんだ、そんなことか。これくらい、慣れれば誰でもできるようになるさ」
「あ、あの、それ以前に、ご主人様にお掃除をしていただくなど、恐れ多いです!」
「それも気にするな。みんなでやったほうが早く終わるだろう」
俺は至極真っ当なことを言っただけなのに、ピアとヘルドランは顔を見合わせあって感激していた。
「ピアよ、この偉業をよく目に焼きつけ、後世に語り継ぐのだ……! これが神竜を統べる者、ミカ様であると……!」
「はい、ヘルちゃん! ピア、ご主人様にお仕えできて、とっても幸せです!」
「へ、ヘルちゃん……!?」
「漫才はそのくらいにして、お前たちもさっさとやってくれ。明日からは授業があるんだから、今日中に終わらせるぞ」
「はいっ、ご主人様!」「御意……!」
3人がかりでやって、夕方ごろにはなんとか人の住めそうなくらいには綺麗になった。
ここは昔は寮だったので部屋もたくさんあったから、自室も選び放題。
ピアとヘルドランにも好きな部屋を使えと言ったのだが、ふたりとも俺のそばに居たいという。
そして朝からなにも食べていないので腹が減った。
普通の寮なら食堂に行けばなにか食べさせてもらえるものだが、この寮には食堂はあるものの、世話をしてくれるような人は誰もいない。
しょうがないので俺は寮を出て、Eランクの集合住宅のほうを尋ねてみた。
ランク的に近い寮なので、なにか食べさせてもらえると思ったからだ。
しかし、そこにいた寮母さんが、
「ああ、アンタが噂のFランクかい!? 話は聞いてるよ!
食事を出してやりたいんだけど、ヤイミ先生から止められてててねぇ!
家畜に回す余り物ならやってもいいって言われてるから、よかったら持ってきな!」
そして渡されたのは、肉や野菜の切れ端や、パンの耳。
完全に、たかりに来たホームレスのような扱いだったが、俺はしょうがなくそれを受け取る。
そして、自分に言い聞かせた。
今は、今はガマンだ。
ランクを上げさえすれば、まともなものが食べられるようになる、と。
食材の切れっ端を持って帰ると、ピアがそれを使って野菜炒めを作ってくれた。
なんとか腹を落ち着かせたところで、風呂に入ることにする。
ここは風呂だけは良くて、ヒノキづくりだった。
しかし蛇口から水は出るものの、最近では当たり前の『魔導蛇口』ではない。
魔導蛇口ならお湯も出せて便利なのだが、無いものはしょうがない。
浴槽に水を張ったあと、魔術で沸かしてお湯にした。
お湯に浸かると気持ちよくて、思わず声が出てしまう。
そういえば、実家から旅立って長いこと入浴していなかった。
たまりにたまったアカを落さないと、と思っていると、浴場の扉がカラカラと開く。
そこには、バスタオルを身体に巻いたピアがいた。
彼女は浴槽のそばまでおずおずと歩いてくると、床にぺたんと正座して、深々と頭を下げる。
「ご主人様、お背中を流させていただきますです」
「そうか、それじゃ、せっかくだから頼むとしよう」
俺は浴槽から出て、洗い場に腰掛けた。
「失礼しますです」と俺の背中にぴとっと張り付いたピアが、ごしごしと洗ってくれる。
「ああ、気持ちいいな、ありがとう。ピア、今度はお前の番だ」
俺が振り返って言うと、ピアは飛び上がらんばかりに驚く。
「そそっ! そんな!? とんでもないです! ご主人様に洗っていただくなんて、あまりにも怖れ多いです!」
彼女は恐縮して後ずさろうとしたが、床にすべってすってんころりん。
巻いたバスタオルはすっかりはだけ、陶器の肌を露出させていた。
俺は立ち上がると、ピアにゆっくりと近づく。
彼女はとっさに身体をバスタオルで隠そうとしていたが、俺が手で遮った。
「ごっ、ご主人様っ……!?」
「お前……傷だらけじゃないか……!」
ピアの黄ばんだ身体には、全身にわたって傷跡や火傷の跡がついている。
顔だけはなんともなかったので気付かなかった。
彼女は震え声を絞り出す。
「はっ、はい……! ぴ、ピアはダメな子ですから、お仕置きが当たり前の子なんです……!」
通常のゴーレムは痛覚などないから、いくらフィジカル体にダメージを受けても痛みを感じることはない。
そもそも痛みを感じるベースとなる、感情というものがアストラル体に存在しないのだ。
しかしピアは人間のアストラル体なので、感情が存在する。
しかもこの陶器のフィジカル体には、痛覚までもが備わっている。
ということは……!
俺はピアの傷跡から、彼女がこれまでどんな仕打ちを受けてきたのか想像してしまう。
自然と、奥歯を噛みしめていた。
俺はピアの二の腕にあった傷に、そっと手を伸ばす。
「ご主人様……?」
「いいから、じっとしてろ」
俺は詠唱を行なう。
「……」
†少年の詠唱は、またしても、世界の言葉ではなかった……!
そしてこれまでの、地の底から響いてくる『音』でもなかった……!
たったいま少年が紡いだのは、『福音』……!
どこまでもやさしく、安らかな音色……!
さながら天使が舞い降りる、羽音ような……!
次の瞬間っ……!
……ふわぁぁぁぁぁぁっ……!
ピアの全身が、まばゆい光輝に包またっ……!
「えっ……!? ええっ!?」
純白の光のなかで、目を白黒させるピア。
やがてそれがおさまると、まるで夢の中にいるようにキョトンとしていた。
自分の身体を見回しながら、ぼんやりとつぶやく。
「えっ……? 身体の傷が、ぜんぶ、なくなって……?
それどころか新品みたいに、真っ白に……?」
ピアは生まれたてのような、白磁の肌を取り戻していた。
彼女は信じられない様子で俺を見る。
「ご、ご主人様……これは、いったい……?」
「オフクロから教わった法術を使ったんだ。
オフクロからは絶対に使うなって言われてたんだけど……。
だから、誰にも言うなよ」
†そう……!
少年が使ったのは『法術』という、『女神の力』を行使する魔法……!
それは朽ちゆくものを元通りにし、死者をも蘇らせるという、無常を有情に変える力であった……!
オフクロにバレたら怒られるかもしれないけど、わかってくれるだろう。
ピアもきっと喜んでくれるかと思ったんだけど、
「うっ、ううっ……! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーんっ!!」
予想に反し、彼女は泣き出してしまった。
「おい、泣くなよ、俺に触られたのが、そんなに嫌だったのか?」
するとピアは俺の胸に飛び込んできて、さらにわんわん泣いた。
「違うんですっ! 違うんですっ!
ピア、ピアっ……! 誰かにこんなに気づかっていただいたの、初めてですっ!
それが、嬉しくって、嬉しくって……!
ご主人様っ! ピアはご主人様にお仕えできて、本当に、本当に、本当に幸せですっ!
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーんっ!!」