02 殴られ屋をワンパンKO
突然の契機ではあったものの、俺は15年ものあいだ暮らしていたボーツラクス王国に別れを告げる。
取り壊された魔法屋の近くの村から、荷馬車を乗り継いで新天地を求めた。
十数日もの漂流のすえ、流れ着いた先は『魔導都市センキネル』。
近隣諸国でもいちばん魔法が発達した都市である。
そこは、俺の魔法屋以外は一切の魔法技術がなかったボーツラクスとは違い、どこもかしこも魔法だらけだった。
大通りを行き交うのは馬車ではなく『魔導車』で、立ち並ぶ店を彩る看板も『魔導スクリーン』で色鮮やかだった。
†『魔導車』というのは、魔法を動力とした乗り物のこと。
別の世界で似たものを挙げるとするならば、『自動車』や『バイク』などが近しいであろう。
そして『魔導スクリーン』というのは魔法伝導率の高い水晶などに映し出される映像のこと。
別の世界では『液晶ディスプレイ』などと呼ばれているものである。
ボーツラクスしか知らない俺にとっては珍しいものだらけで、思わずあたりを見回しながら歩いてしまう。
道行く人々も建物も、どこかオシャレだ。
繁華街では『魔導チキン』なる魔法の火力で焼いたチキンの店に行列ができていた。
肉の焼けるいい匂いが漂ってきて、俺は空腹であったことを思い出す。
そして、無一文であることも。
ここに来るまでに、『クレジット』は全部使い切ってしまった。
この国で何をするかはこれから考えるとして、今は先立つものがほしい。
できれば簡単に、手っ取り早く。
なんてことを考えながら繁華街をブラついていると、広場に人だかりができているのを見つけた。
覗き込んでみると、そこには『殴られ屋』の魔導スクリーンが浮かび上がっていた。
広場の中央では、オグル族の男と、木製の魔導人形が戦っていた。
†オグル族というのは、この世界の種族のひとつ。
大柄で筋骨隆々とした身体つきが特徴である。
そしてゴーレムというのは、魔法で動くロボットのようなものである。
戦っているといっても、ゴーレムが一方的に男に殴りかかっているだけだった。
しかし男はゴーレムのパンチをうまく捌いている。
たまにパンチをもらうことはあっても、たいして効いていないようだった。
たぶんこのオグル族の男が『殴られ屋』なんだろう。
ゴーレムの後ろには挑戦者らしき男がいて、ゴーレムを制御する魔法を唱えていた。
「我が偉大なる魂において命ずる! 木の木偶の右の腕よ! 唸りをあげてあやつを打ちすえよ!」
その詠唱に反応し、ゴーレムは右のストレートを繰り出す。
しかし殴られ屋は巧みな動きでかわしていた。
しばらくすると、時間切れを示すベルが鳴り響く。
ゴーレムを操っていた男はがっくりと肩を落し、殴られ屋にクレジットを払っていた。
ひと仕事終えた殴られ屋は、観客たちに向かって叫ぶ。
「さぁさぁ、他に挑戦するヤツはいねぇのか!?
このゴーレムを使って、好きなだけ俺様を殴っていいんだぜ!?
お前らみたいなモヤシどもじゃ、束になっても相手にならねぇ、オグルのこの俺様を!
2千クレジットで1分間! 5千クレジットで3分間、殴り放題だ!
もし時間内にこの俺様をノックアウトできたら、10万クレジットの賞金をやるぞっ!
さぁさぁどうした!?
ここにいるのは腰抜けの、フニャフニャのモヤシばかりか!?
俺様はまだピンピンしてるぞっ!?」
しかしいくら挑発されても、観客たちは誰も名乗り出ようとはしなかった。
悔しさを滲ませながらも、口々にぼやくばかり。
「くそ、ムカつくな」
「おい、お前やってみたらどうだ? ゴーレムを操るのは得意なんだろう?」
「いや、そう思って何度も挑戦したけど駄目だった。あの殴られ屋、タフすぎるよ」
「今まで多くのゴーレム使いが挑戦したらしいけど、誰もノックアウトできないらしいぞ」
「ああ……一度でいいから、あのオグルが地に這いつくばるところを見てみたいぜ」
俺はオヤジに教わった魔術で、子供の頃からゴーレムを動かして遊んでいた。
なんとなく興味が出てきたので、人混みをかきわけて前に出る。
「俺に挑戦させてくれ」
すると殴られ屋は、鷲の翼のように両手を広げて俺を歓迎してくれた。
「おおっ! もちろんだとも!
1分コースと5分コース、どっちに挑戦する!?」
「いや、それがいま持ち合わせがなくて……
100クレジットで10秒ってのじゃダメかな?」
すると俺は、どっとした笑いに包まれた。
「あっはっはっはっ! こりゃ傑作だ!」
「あのガキ、たったの10秒でなにしようってんだ!」
「10秒なら、撫でることもできずに終わっちまうだろうな!」
「100クレジットとはいえ、ドブに捨てるようなもんだぜ!」
「いやそれどころか、わざわざ100クレジット払って笑い者になりたがるなんてな!」
殴られ屋は少し思案したあと、
「うーん、他に挑戦者もいないようだから特別だ!
いいだろう、100クレジット10秒間、やらせてやるよ!
でもたったの10秒じゃ、どんなに詠唱の速いやつでもパンチ2発がせいぜいだろうけどな!」
俺は「そうかな」応じながら、ゴーレムの所に向かう。
木製のゴーレムにはタトゥーのような紋様が彫り込まれている。
たぶん、オグルが好む『呪術』で作られたゴーレムなんだろう。
手で触れて性能を確かめてみるが、悪くはない。
殴られ屋はもう準備完了しているようで、ゴーレムの真正面に立ち、手に嵌めたグローブをボスンボスンと打ち合わせていた。
「さぁ、こっちはいつでもいいぜ! お前さんが詠唱を開始した時点で、自動的にカウントダウンが始まるからな!」
俺はさっそく、ゴーレムを動かす呪文を唱える。
「……!」
†少年の詠唱は、この世界の言葉ではなかった……!
まるで蛇が威嚇するときのような、『音』……!
どこまでも短く、そして鋭かった……!
さながら、獲物に襲いかかる『蛇』のように……!
次の瞬間っ……!
……ズドォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
脱輪した暴走特急のような右ストレートが、殴られ屋のどてっ腹に突っ込んでいたっ……!
「ぐっ……!? はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ!?!?」
身体をくの字に曲げて吹っ飛ぶ殴られ屋。
観客の中に突っ込んで、周囲の者たちをなぎ倒しつつ、地面を滑っていく。
仰向けにブッ倒れた殴られ屋は、白目を剥いて口から泡を吹いていた。
俺は、「しまった」と思った。
様子見として最小限の出力にとどめておいたから、軽くかわされるだろうと思ってたのに……。
まさか、ここまでキレイに入るだなんて……。
気がつくと、観客たちは口から心臓が飛び出してしまったような顔をしていた。
「う……うそ、だろ……?」
「ぱ、パンチが、見えなかった……」
「し、しかもワンパンで、のしちまうだなんて……」
「すっ……すげえぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーっ!」
しかし誰かがそう叫んだとたん、俺は観客たちにもみくちゃにされていた。
「すげえすげえ、すげえよっ、お前っ!」
「そんな速くて強ぇパンチ、どうやって打ったんだよっ!?」
「いったい、どんな魔法を使ったんだよっ!?」
「お前なら、ゴーレムファイトの世界チャンピオンにも勝てるんじゃねぇかっ!?」
「俺は胸がスーッとしたぜぇ!」
「おいっ、俺たちのヒーローを胴上げだっ!」
「そぉーれ! わーっしょい! わーっしょい!」
俺はあれよあれよという間に観客たちに持ち上げられ、宙を舞うハメになってしまった。