第十話 旅は道連れ、世は情け
『もう、行くのかい?』
『あぁ、ここはあんたの森だ、スプリンダ。荒らすわけにいかない。これ以上、強くなるには、他の場所に行くべきだ、それに』
『冒険者たちが、鬱陶しいかい?』
クウという男は、それなりの強さだった。アイツの死が知られたのか、なんなのか。今まで、森で見ることのなかった種族である俺が、討伐対象として、狙われているようだった。あんなことがあった後でも、好んで人間を殺す気にはなれない。
俺は元々、人間だし。それに、完全に敵対すれば、俺のほうが確実に殺されるだろう。俺は一人で、向こうはそれこそ、無限とも言える数を誇っている。それに、勇者という俺たち、魔王に対するカウンターも存在すると知った。
スプリンダも、好んで人間と敵対するつもりはない様子だ。
『つまらないなぁ。でも、まぁ、仕方ないか。また、人間たちが代を重ね、あんたを忘れた時にでも、訪ねてきておくれよ』
『あぁ、そうさせてもらう。魔術を教えてくれて、ありがとよ』
『ふふ、人に物を教えるのは、楽しいんだというのは、新たな発見だった。あんたもせっかくの命だ、楽しみな』
スプリンダは、本当に楽しげに笑った。俺は、その言葉に頷き、背を向けた。
『それじゃ』
『あぁ、死ぬんじゃないよ!』
その言葉を最後に、俺は夜の森を疾駆した。
……
森を出て、人間たちが敷いた道を北に辿る。目指すは、ファンタジー世界で最強生物の筆頭とされるあのドラゴンすらも、油断をすれば、命を落とす魔境。
ヘルヘブン大山脈。
そこで採取される物は、どれもが伝説級。ほんの少量を持ち帰るだけで、一生を遊んで暮らす金が手に入る天国であり、苛烈な生存競争が昼夜を問わず、行われているこの世の地獄。
人間たちの知識も持つスプリンダは、そのようにヘルヘブンを紹介した。
とにかく北へ。ただ、それだけでその山脈は見えてくると言う。俺が疾駆するこの地。この大陸の真ん中すべてを横断する大山脈なのだ。
……
森を出て、しばらく。道を外れた広場に、明かりが見えた。野営をしている人間だろうか。【魔獣の感覚】によれば、三人と少数。十中八九、冒険者だろう。
俺は、少し気に掛かることがあり、その野営地へと近づいた。
「ふっ……はっ……おらっ……」
……。男が荒っぽく声を荒げ、拳を振り落とす。その横で、下卑た笑みを浮かべるこれまた、男。
そこにあったのは、強姦の現場だった。
女はなんの反応も示してはいない。諦めているのか、耐えているのか。
俺は、息を吸った。
「ガァアアアア!!!」
【獣魔咆哮】。物理的な衝撃を伴う咆哮が、二人の男を吹き飛ばす。
「「ひっ!?」」
怯えの様子を見せる男たち。
バンッ!と力強く、地面を叩く。
「あぁ!!化け物ぉ!!」
「いやだ、死にたかねぇ!!」
我先にと逃げ出す二人を見届け、女のほうに振り向いた。
未だに、反応はない。よく見れば、狼耳と尻尾が付いている。獣人だ。スプリンダの話では、それはまぁ、あの人が森に住み着く前の話なので、大分、昔の話だが、人間たちから、獣混じりと蔑まれていたと言う。今もそうなのか。
いや、そうでなくとも、彼女は差別の対象なのかもしれない。
白い毛並みに、真っ赤な瞳。肌は透き通るほどに白い。アルビノだ。魔術頼りで、あらゆる分野の学問が未発達の世界だ。当然、医療分野だって、それも遺伝子なんて、言葉すらないかもしれない。
そんな世界で産まれたんだ。不吉な子、忌み子として育っていたって不思議じゃない。
ジッと観察すれば、素っ裸のそれに似つかわしくない物があることに気づく。首輪だ。
『隷属の首輪:隷属の呪いが掛かった首輪』
なるほど。奴隷か。
……。【支配】での上書きを試みる。
バキン……
あっさりと首輪は割れた。
「あっ……」
初めて、女が声を出した。でも、それだけだ。
『今日から自由だ。好きに生きろ』
それだけ言って、背を向ける。
「えっ?」
困惑したような声がした。次の言葉は、予想していなかった。
「待って!」
すべてを諦めていたかのような、あの瞳からすれば、とてもではないが想像できない大きな声だった。
『なんだ?』
振り向いて、問い掛けた。
「私も連れて行って」
はっきりとそう言った。静かな衝撃に、沈黙が広がった。不安になったのか、女が言葉を続ける。
「わ、私と一緒なら、人間の街も利用できるわ。安全な寝床と野生では食べられない美味しい食事だって。その、えっと……」
奴隷として過ごした割には、口が回る。獣との交渉に使えるものなんて、普通の人間でも、彼女が挙げたものですべてではないだろうか?
「なんなら、性処理も……」
?今、何つった。
『クッ……』
「く?」
『クッ、あはははは!獣に対して、性処理!こいつは傑作だ!あはははは!』
「な、なっ!そんなに笑わなくたって良いじゃない!あなたくらい、知能が高ければ、そういうのもあるかと思っただけよ!!」
女は顔を赤くして、そっぽを向いてしまった。
『あぁ、悪かったよ、悪かった。やりたいことも思いつかない可哀想なお前を連れて行ってやる』
「ホント!」
『もちろんだ。だが、獣の世界では、白き子は、基本的には捨てられてしまうんだが、人の世界では違うのか?』
「えっ?」
少し意地悪が過ぎるか?いや、構うまい。
『お前は、さっきお前を連れて行く利点を挙げたが、それはお前が人の街を普通に利用できればの話だろう?それに、獣人は差別されていると聞いているが?』
「……獣人差別は、ひと昔前に消えたわ。そ、それに、大きな街なら、私でも大丈夫よ。運が悪かったの。閉鎖的な村に産まれて、両親を早くに亡くした私は、村が飢饉に見舞われた時、真っ先に売られたわ」
『そうか。じゃあ、そこに転がっている男どもの荷物から使えそうな物を持て、そしたら出発だ』
「えっ?」
『なんだ、付いてくるんじゃなかったのか?』
「い、いえ、もちろん、付いていくわ。待ってて」
女は、慌てた様子で、荷物を纏め始めた。