第5話(最終話)
最終話は過去未来が書きました。右に左にふらついた内容でしたが最終話でアクアはどうなってしまうのかじっくりご覧下さい。感想、批評お待ちしております。
『あおい・・・葵はそっそこにいるの?』
『ここにはいません。葵さんの事が心配ですか?』
『べっ別に心配じゃないわ。私は事務処理で忙しいの。余計な電話をかけてこないでちょうだい』
『・・・わかりました。でも電話をかけてきたのは店長ですよ』
『そっそうだったかしら。とにかく忙しいから切るわよ』
冴子は電話を切ってからしばらくぼーっとその場で立ちつくしていた。そしてわれに返ってから後悔した。何で一馬になんか電話をしてしまったのだろう。自分から負けを認めてしまっていいのだろうか。私にはまだ考える時間が必要だわ。働いていたみんなはもういない。葵もいない・・・私一人でなんとかしなければいけないわ。せっかく立ち上げたアクアをつぶすわけにはいかないわ。
冴子はいつ再オープンしてもおかしくないくらいに十分に手入れが行き届いた状態までここ一週間で磨き上げていた。あとは私の心も磨き上げないと。冴子は最後の点検をゆっくり行って店を後にした。
翌日 〜 葵と一馬はアクアの前に立っていた。
『都合により、暫く休業致します
お客様にはご迷惑をお掛けしますがどうぞ宜しくお願い致します。 Aqua』
「サエ、どこに行っちゃったんだろう・・・」
葵はまた涙目になってしまい、その場に立っていられない状態になっていた。
「あんなに声の力のない店長は初めてだったなぁ。大丈夫かなぁ・・・」
「ちょっときつすぎる作戦だったんじゃないかな」
「うーん、ここまで追い込むつもりはなかったんだけど、予想以上の結果になってしまったね・・・」
「サエ、戻ってくるよね」
「もちろん。そうじゃないとここまでやった意味がないからね」
「・・・うん。私もサエが帰ってくるのを信じるわ」
二人はお互いの肩を寄せ合ってアクアの前を離れて行った。
一ヵ月後 〜 アクアにて
店内には一ヵ月前まで一緒に働いていたメンバーが揃っていた。葵も一馬もその他キッチンのメンバーも一緒だった。
店は開いていたが『本日貸切』の札が表に掲げてあるため一般のお客様は入っては来ない。
皆仕事で来たわけではないのでラフな格好で思い思いの場所に座っていた。
「いらっしゃいませ。本日はアクアにお越しいただきましてありがとうございます。お時間の許します限りごゆっくりおくつろぎ下さいませ」
とてもやわらかい愛情たっぷりの声が店内に響き渡る。その声が冴子の声であるとわかるには少し時間がかかった。それだから冴子の声とわかった時元アクアのメンバー達は驚きをかくすことができなかった。
奥の扉から冴子はゆっくりと出てきた。その姿は一ヵ月前のそれとは全く違っていた。ランチタイムに追われていた頃の鋭さは消えていてそこに存在しているのかいないのかわからないくらいに透き通っている感じだった。
「サエ!元気にしてたの?大丈夫なの?」
葵は半分泣いていたのでなんとか声を絞り出して冴子に話しかけた。
「私は大丈夫よ。さぁ、食事の準備ができました。席に着いて待っていて下さいね」
そう言うと冴子は次々と食事を運んできた。冴子がここまでの料理の腕があるとは誰も知らなかったので皆びっくりしながら食べていた。
その食事達はめずらしいものではなかったが1品1品の味がしっかりしていた。どれも愛情がたっぷりこめられていて満足のいくものであった。
普段作り慣れているキッチンのメンバーも皆声も出さずに黙々と食べていた。
葵も冴子との付き合いが長いのにこんな特技があるとは知らなかった。ただ驚くばかりだった。
「サエにこんな才能があるなんて知らなかったよ。いつの間にこんなに上手に作れるようになったの?」
「うん、まぁ、少しづつ・・・ね。それよりまだたくさんあるからみんなジャンジャン食べてね」
「店長、ありがとうございます。では遠慮せずにいただきま〜す」
「もうあなたたちの店長じゃないわよ」
そういうと冴子は静かに扉を開けて奥へ行ってしまった。一同はおいしい食事を食べながら近況報告やらくだらない世間話をしていた。そこにはとても穏やかな時間が流れていた。
どれくらい時間がたっただろう。ランチタイムに入店した一同だったが外はすっかり暗くなっていた。
デザートまでたいらげてしまったので皆まったりとしてしまった。
葵はさっきまでみんなと一緒にいた冴子の姿が見えないのが気になっていた。
「サエ、サエ、どこにいるの?」
葵はまるでお母さんからはぐれた子供のようにつぶやいた。おもむろに立ち上がるとバックヤードに入っていった。奥に行くと休憩室がある。たぶんそこにいるに違いない。葵はテーブルでうずくまっている冴子を見つけて声を掛けた。
「お疲れ様。大変だったでしょう。後片付けは手伝うわよ」
しかし冴子はうずくまったまま返事をしなかった。
「サエ、寝ちゃったの?ねえサエってば」
葵は冴子を起こそうとして何度かゆすったがゆすっても抵抗せずにゆすられたままに左右に激しくゆれる様をみてはっとしてゆすっていた手を離した。
「サ・・・エ・・・?・・・いや〜っ!」
元アクアのメンバー達は主のいなくなったアクアに残されて言葉を失っていた。あの鬼店長が死んでしまうなんて、信じられるはずもなかった。最後の表情、愛情のこもった料理たち、透き通るような冴子の存在、まさにアクアのイメージそのものだった。最後の最後で冴子はアクアのイメージを身をもって示してくれたのかもしれない。
元メンバーたちは冴子の残してくれたこのお店を隅から隅までながめていた。きれいに掃除の行き届いた店内。暗い雰囲気の店内ではあるが所々にぬくもりを感じさせる置物が配置されていた。常連さんから初めて来るお客様にもゆっくりくつろいでいただけるように居心地のいい空間を作り上げていた。
冴子は最後まで抜かりはなかった。アクアで働いていた従業員全員の次の再就職先を決めていた。それはどこも一流のお店ばかりだった。冴子が1軒1軒まわって交渉したのだろう。その人脈の広さと行動力にはただただ感心するばかりだった。
ただ葵と一馬の再就職先だけは決まっていなかった。
しかし二人は覚悟を決めていた。冴子の残してくれたこのアクアをしっかり引き継いで行けるのは私たちしかいない。冴子もそれを望んでいるから二人の再就職を決めなかったんだろう。
深海まで落ちていったアクアが再び日の光を浴びるまで少しづつ少しづつゆっくりと上昇を始めた。