[一 華道遊々] 頼んだよ、メイカー
「【軽量の口ずさみ】って、どんなスキル?」
歩きながら、長政が羽瑠に訊いた。その話し方には、遠慮がない。付き合いは長いようだった。
遊々は、まじまじと羽瑠の顔を見た。羽瑠の顔には、まだ安堵したばかりのような表情が残っている。
「えっと、『歌唱中、重力軽減(効果範囲三十センチ)』って書いてあるよ」
口ぶりから察するに、使ったことはなさそうだ。
「三十センチって、どういうことだよ」
「わかんない」
「ちょっと歌えよ」
「え、うん」
どんなゲームでも、新しいスキルを覚えた瞬間は、この上ない至福の一時だ。自分自身が成長したことを、より確かに感じることができる。……のだが、遊々のスキルは、どちらかというと、疎ましがられている。
羽瑠が小声で歌い出す。ラジオ体操の唄だった。同時に、羽瑠の身体をぼやけた光が包み始めた。オーラを纏っているようで、とてもかっこいい。
少し離れた位置で、長政が小さくジャンプを繰り返した。特に変わりはない。
次に、羽瑠に近づいた。三十センチ内なので、羽瑠にかなり近づく形になる。
長政がジャンプをすると、フワッと飛んだ。軽く二倍は跳躍している。
興味を惹かれ、遊々も羽瑠に近づいてみる。それだけで違いがわかった。地に足がついていない感覚だ。歩くだけで、衣服がちょっと浮いている。水の中で立っている感覚に近い。
衣服を押さえて、軽く跳ねてみる。それだけで羽瑠の頭の高さくらいまで跳べた。降りてくる時はゆっくりだった。
わお、心踊るーーー。
と喜んだが、離れると重力が戻り、倒れそうになってしまった。
「新感覚ですげーって思うけど、範囲三十センチって短すぎるだろ」
「実用性がなさそうですね」
そうなのだ。うっかりその効果範囲から離れると、突然重力が戻り、慌てることになってしまう。
「羽瑠ちゃん、仲間だね」
羽瑠の肩に手を置いて、遊々は慰めた。
「ちょっと待て遊々。一緒にするな。少なくとも羽瑠は使ってもいいスキルだ。お前は使用禁止だ。明確な差があるんだよ」
「さっき、助けてあげたのにー。ぷんぷん」
「おう、ありがとうな。マーンと公平が当たったし、壊滅しかけたけれどな」
「手元が狂っただけだよ」
「お前のスキル、手元関係ねーじゃねーか。対象に当たらないって、役立たずにも程があるぞ。大体誰を狙ってたんだよ」
「長政ちゃん」
どうせ当たらないのなら、味方を狙えばいいと思ったのだ。
遊々ちゃん頭良い。
「つまり、俺にだけは当たらないってことだな。よろしい。使用禁止を解除する。どんどん俺を狙いたまえ」
「ちょ、ちょっと待って下さい、ノイアー君。あれ、結構痛いんですよ。知ってるでしょうけれど。やめましょうよ」
「だってよ」
ゲームの創造主様。メイカー。あたしにもっと優しくして下さい。楽しむ余地が失われています。
「そうだ、羽瑠。新しくパーティに加入した君にミッションがある。遊々と、とても仲良くなってくれたまえ」
うわぁ。あたしのスキル対策してるよ。ひどいよ、長政ちゃん。
「あの、美杉君、コメントで駄目って言われてるんだけど……」
「くそ、いらんことを言う奴らだ。あと、ノイアーだ。間違えるな」
こういう時、課金コメントが必ずある。通常のコメントはフィルターをかけ、見えない聞こえないにしている。だから、どうしても自分のコメントを見て聞いてほしい人は、課金してコメントをしてくるのだった。金持ちは発言力がある。そんなイメージだろうか。
お金を払われている以上、無視もしづらい。そのお金は、遊々の懐に入る。
『このクソガキに負けないで、遊々ちゃん!』←五百円。
『俺がついてるよ!』←三千円。
はいはい、ありがとうね。嬉しいよ。
自分の右手と左手で握手つなぎをし、右肩、左肩へと上げ下げする。よいしょの所作で、感謝の気持ちを視聴者に表現するのだ。
よーいしょ、よいしょ。
いちいち感謝の言葉を発するのも、他の人が鬱陶しいだろうと思い、所作だけの感謝を始めたが、これが意外と受け入れられていた。
感謝の気持ちはあるが、この手の気を惹こうとする言葉は、普段から聞き慣れている。無課金コメントに溢れているであろう下卑た内容にも、動じない程度には慣れているが、ゲームを楽しむのに邪魔なコメントが大多数だった。
ゲームを楽しみたい気持ちが一番で、みんなで楽しみたい気持ちもある。ただ、その気持ちに応えてくれるコメントは、極々少数だった。
遊々が嫌がるようなコメントも多く、通常コメントは早々に切ってしまった。課金コメントであれば、いくらか増しである。ついでにお金ももらえる。学生にとって貴重な収入だ。
歩きつつ、長政からスリングの弾を補充した。弾は特殊なもので、遊々が全弾持つには結構重い。そこらに落ちている小石で代用することは、危険だとかでモンから禁止されている。
スリングとは、つまりは弾を飛ばし攻撃する武器だ。グリップを持ち、二股に別れた先をゴムバンドが渡っている。そのゴムバンドで弾を飛ばす。
スキルが使用禁止されると、このスリングを使う以外に、パーティに貢献する手段がない。
せっかくパーティを組んで遊ぶ以上、頼りにされたいものだ。うおー遊々様ー。そんな感じで。
「遊々」
「ん、Aを見てるよ」
長政の左側が定位置になっていた。長政がタグを左のモンスターからふるので、基本的にはAの相手をすることになる。
現れたゴブリンに対し、スリングで先制する。二発撃てば、一発は当たる。それくらいの精度だ。当たったとしても、致命傷にはならない。そのため、牽制の意味合いが強い。接近されないように注意を引く。それで御の字だ。
遊々が牽制し、長政が後衛を守る。その間に、公平がアタッカーの役割を担い、敵の数を減らす。これが主な戦い方となっていた。
初見ではビビッて逃げてしまったゴブリンも、慣れれば逃げずに戦うことが出来た。とは言え、基本的には、長政の影に隠れる戦い方である。それでも、自分がうまく戦えた、と思った時は、長政がさりげなくガッツポーズを見せてくる。素直に嬉しい。
なお、羽瑠は完全に戦力外だ。何もできず、後方で待機している。そのため、ちょっとの優越感がある。
あたしは、何も出来ないわけじゃない。貢献できる。戦える。
「こう動いていると、お腹が減ってくるねぇ」
公平が羽瑠と喋っていたので、自然と長政と会話を始めた。
公平は、社会人らしい気の遣い方をする。新人である羽瑠が、孤立しないよう気を配っている節がある。もしくはそれが勘違いで、ただ羽瑠に気があるだけかもしれないが……。
あるいは、遊々との友好が、変に上がることを恐れている可能性もある。よく考えてみれば、公平とサシで話した記憶がない。
「饅頭ならまだあるぞ」
「うんうん、おいしーよ。シンプルイズベストな饅頭だね」
「だろ。ずっと親しまれてきた味だからな」
「でもこれ、書いてある味名がよくわからないよね。なあにこれ。『あの日の優しさを忘れない味』って」
「ああ、そんな気持ちを込めて作ってるってだけ。隠し味的なものはないし、どの味も食べた味は全く変わらない。でも、味によって売れ行きには差があって、人気なのは『母に伝えたい感謝味』なんだよな。食べた味は変わらないんだが」
「ふーん」
なんだろう。種を明かされても、ちょっと食べてみたい気がする。お母さんに送ってあげるのもいいかもしれない。
「常連のじっちゃんは、いずれ分かるよって言うんだけど、俺にはわからん」
「饅頭だけ売ってるの?」
「そうだよ」
饅頭屋の息子か。
今どき、饅頭だけを売る店で、生計はたてられるのだろうか。
長政は、悪い容姿はしていない。体型なんかはむしろ良い部類だ。何か運動でもやっているのだろう。ここまではモテそうな要素だが、なんとなく酷薄な印象の容貌である。喋り方もどこか威圧する響きがある。他者からは、あまり好まれない要素だ。
ゲーム内では不良上がりの職業だったが、それらしい服装をすれば、不良と言われても違和感はないと思う。
この類の男性を、遊々は知っていた。外見に怖気づかなければ、何も怖くないのだ。実は、普通の人より人情深いこともあるのが、このタイプ。実際にそうなのかは、まだわからないが。
「そういえば、ほら。あたしと喋っていいの? 体力吸い取られるよ」
「ん、ああ。俺はリーダーで騎士だからな。敵に強く、仲間と弱者には優しくするわけ。強気をくじき弱きを助ける、って言うのかな。っていうか使うなよ。使わなければ何も問題ないんだよ。使うなよ。もう一回言うぞ。使うなよ」
あれ、不良上がりの職業を、なかったことにしようとしてるね。
遊々は一瞬、からかおうか迷ったが、結局口をつぐんだ。ノセておいたほうが、頑張ってくれそうだ。
「せっかく覚えたスキルを使えないって、楽しさ半減だよ」
「どうしても使いたいなら、他のパーティでやってくれ。理不尽な崩壊でリタイアとか、俺は嫌だぞ」
他のパーティに行っても、戦力的には、普通に疎ましがられそうである。希望通りヒーラー的なスキルだったら、崇められていたはずなのに。
ゲーム外なら、うまく世渡りしていく自信がある。しかし、ゲーム内ではこの状況だ。遊々のスキルバランスは、かなり悪いと言わざるを得ない。
メイカーは意地悪だ。
「ねぇねぇ。長政ちゃんは、なんでロールクエストをやることにしたの?」
「クリアの名誉を得るため」
「お、いいね。あたしもね、ゲーム大好きでね。クリアしたいんだー。ロールクエストって難しいシステムがあまりないし」
身体で覚える系は、ややこしくなくて良い。その分、リアルに疲れるけど。
「優勝、出来るといいね」
「クリアできりゃ、優勝出来なくてもいい」
「ん、そうなんだ?」
「好きにやりきる。冒険を楽しみたいんだよ」
おや、と思った。意外と淡白である。
こういう時、男の子は良いところを見せようとするあまり、無理をして失敗したり、見苦しくなったりするものだ。と遊々の経験にはあった。結果、仕方ないね、となるのが世の常だ。
仮に物事がうまく運んだとしても、すごいね、と褒めたいわけではない。遊々は自分自身が楽しみたかった。
「ノイアー君。時間的に、そろそろ戻らないと」
公平が地図を見ながら言う。帰るために必要な時間を試算しているようだ。
「うし、帰るか。戦利品も溜まったし」
始まりの広場まで戻り、解散をした。
また明日、という長政の号令があり、かなり胸がホッとした。仲間はずれにされることを、どこかで怖がっている。
他のパーティでも活動はできるだろうが、異性からのアピールが鬱陶しいだろう。それは、ロールクエストを遊ぶ上で、遊々が望むものではない。
視聴者にお別れをし、ロールクエストのシステムを終了すると、やっとプレイベートな時間が返ってきた。
ゲーム中では、下手なことを口走れない緊張感が、ある種ある。プレイヤーがコメントを見聞きしないことは出来ても、視聴者が視界を見れないようにすることは、契約で禁じられていた。着替えなどの一部の時間を除いては、視界公開を止める手段もない。
ロッカールームでセーフティバンドを外し、元の服装に着替えると、身体を伸ばしながら外に出た。羽瑠とは、ロッカールームで別れている。
外はすっかり暗く、夜空である。入場時はまだ明るかった。
電車で移動中、溜まっていた友人達からのメッセージに対し、次々と返事をしていった。多くはロールクエスト参加を応援する内容だったが、告白めいた内容のメッセージも三件あった。それらは定型文で断る。最近では、特段珍しくもない断り方だった。挨拶代わりのように、ライトに告白をするのは流行っていて、どこまで本気かもわからない。本気だとしても興味はない。
「どうだった?」
「んー、不満もあるけれど、プレイは楽しかったよ」
友人である日向典子との視界通話だった。お互いにお互いの視界を見て話す。
遊々は帰宅中だったので、視界の隅に画面をワイプインさせて対応した。典子は、トイレで鏡に向かっているようだ。鏡に写った典子が見える。
「途中見てたけどさ、もうちょっと良いお仲間とは、一緒になれなかったの?」
「え。あれ、駄目だった?」
公平はともかく、長政はロールプレイングしようと、大分楽しんでいたようだけど。
ロールプレイを出来ることは、ゲームを楽しむ上で、大事なエッセンスとなる。それがないと興醒めとなり、何もかもがつまらなくなってしまう。その点では、長政は優良プレイヤーだった。そうは思っても、普通の友達にそれを言っても、理解はされ難い。
「だってほら、他のパーティも見てみたけれどさ、あんたんところ弱すぎるよ。まあ、一番足を引っ張ってたのは遊々だけどさ」
ああ、そういう意味ね。んー。やっぱり、他の人からもそう見えるのか。それに、簡単に言ってくれるなあ。ゲームだけど、ゲームじゃないのよ。身体を張っているのよ。胸を張れる活躍はしていないけど。
今は弱くとも、これから強くなるだろう。今後の自分に期待するしかない。
頼んだよ、メイカー。もうちょっと見せ場を頂戴よ、メイカー。
「あたしは悪くないのよ。メイカーが悪いのよ」
「今からでも別のパーティに行ったら? もうちょっと楽できるでしょ」
「分かってないなあ、典子は。楽をしたいわけじゃないんだよ。楽しみたいんだよー」
「だって給料出るんでしょ? それって仕事っしょ。仕事なら楽したいじゃん」
「仕事で遊んでるんじゃないよ。遊びが仕事になってるんだよ」
「どっちも同じじゃない?」
「フフフ、あたしは選ばれたのだよ、典子君。選ばれし者だけが、この境地に到達できるのだ」
ここはまともに説明するにしても、そういうもの、としか遊々には言いようがない。遊んでお金も貰える仕組みを、遊々は理解していない。
「はいはい。最初からこんな子だって知ってたら、友達にならなかったなー」
「そんなこと言わないでよー」
「そんなことより、今、遊んでるけれど、遊々も来ない?」
「今日はパスー。正直、疲れちゃった」
「そ。じゃ、戻るから、またね」
通話後は、一人で外食をし、フラフラと家に帰った。身体を洗って肌のケアをする。そこまですると、もう眠気に負けそうだった。
まだ寝るわけにはいかない。レトロゲームの続きをしなくては。思ったが、襲い来る睡魔は、ゴブリンよりも強い。
「投げるよ」
宣言すれば、男二人が肩をビクつかせるだろう。そのあとで長政が怒る。公平は呆れた顔を見せる。そんな夢をみた。