[ニ 一枚公平] ご理解頂けておりませんね
公平は遅く家に帰ると、簡単に料理をし、酒のアテにした。
タバコに火をつける。
タバコの価格は高い。他の増税の全てを、タバコ税が一手に引き受けているんじゃないか、と思えてくるくらいに高い。ついには、平均価格が三千円を超えた。日給が一万円だとしたら、三箱しか買えない。一本あたり百円オーバーという高級嗜好品なのだ。
だが、どこぞの他国では、一箱一万円を既に超えているそうなので、日本は遅れているとも考えられる。喫煙家からしたら、遅れてようが進んでようが迷惑な話だ。
タバコと比べ、アルコール類はさほど値段が上がっていない。不公平だ、と思う気持ちもないわけではないが、半分の楽しみは助かった。タバコと同じくらい、酒も好きだ。
もう酒に逃げるしかない。浴びるほどに飲みたいくらいだった。面倒なことになってしまっている。記憶を失うほどに飲めば、全て忘れられるかもしれない。
しかし、酔い潰れるわけにはいかない。寝る前に、報告書の内容をまとめておく。仕事が勤務時間内に終わらない。それを仕事が出来ない証左と言われれば、それはそうかもしれませんね、と返す。そんな議論に時間をかける余裕はない。
それでも、一時期の仕事がない日々に比べれば、今は天国のような仕事の多さだった。仕事がないと、会社が立ち行かない。結果的に辞めることになってしまえば、路頭に迷ってしまう。それでは困る。
名刺も整理しておく。貰うだけで放置していると、あとで訳が分からなくなるのだ。気がつくと数十枚と溜まっている。
家事を済ませ、明日の準備をすると、床についた。
翌日、出社すると、課長も休日出勤していた。
「一枚か。遅いな」
「日曜日ですよ。休日くらいゆっくり出勤させて下さいよ」
「明日に間に合うなら、構わんぞ。遅れると部長がうるさいからな」
そのために、疲れた身体にムチを打ち、昨夜のうちに資料をまとめたのだ。
据え置き型のアイシステムを起動した。
据置型であれば、眼鏡やコンタクトをしなくても、空間ディスプレイが使える。共有をしなくとも、周囲の人が視覚可能でもある。技術的にはホログラムの一種で、企業では多く採用されていた。デスクトップ型パソコンが進化した形、とも言える。
キーボードなどの入力機器は、古いままだった。視界上にキーボードを表示させることも可能だが、物理的に触れる方がやはり扱いやすい。
しばらく、キーボードを打つ音だけが、仕事場に響いた。
課長は、少し離れた窓際の席に座っている。公平は、口を開いた。
「課長。ロールクエストの件ですが」
「ああ、まだ見ていないが、どうだった?」
「ただでさえ忙しいんです。勘弁して欲しいですよ」
「会社の広報が出来て、おまえは名前も売れる。いい機会じゃないか」
「ターゲット層が違うように思いませんか。それに、出るならスポンサー出店じゃないでしょうか?」
「うちに出品する物なんてないだろ。システム開発業なんだから」
「アイシステムのアプリケーションでも出しましょう」
「セキュリティと不正防止の観点から禁止だってよ」
そうだった。
「では、開発規模はでかいでしょうし、何か仕事をもらってきましょう」
「一枚。落ち着け。そもそも目先の受注が目的ではない。取引先を増やす下地作りだ」
「だからって、社員をプレイヤー参加までさせる上司が、どこにいますか」
「広報活動の一環ってやつよ」
「広報って、これ以上忙しくなっても、身が持ちませんよ。しかもあれ、すごい疲れるんですよ。肉体的にも、精神的にも」
それと社会的にも。何かを失い続けてる気がする。
冒険は疲れる。座ってゲームをピコピコやってるのとは、わけが違うのだ。仕事疲れを表に出さず、やる気のなさも表に出さず、自らの身体を酷使して戦い、自分の非が生まれない程度に協力する。……と思っていたのだが、気がつけばエース級の働きをしていた。おかげでクタクタだ。
やる気のなさそうなパーティに、入ったつもりだった。ところが、始まってみれば随分と積極的なリーダーだった。しかも、ゲームを純粋に楽しもうというスタンスなものだから、スポンサーの力を使わず茨の道である。
絶対に他のパーティに行ったほうが楽だった。そうすれば、今頃リタイアして、すでに自由の身となっていた可能性すらある。
適当なところで敵にやられ、リタイアしてしまう腹案があった。しかし、ゲーム参加は、社命のようなものだった。努力する姿勢が必要だ。そこに、良心の葛藤がある。
「もっと言わせてもらえばですね。あのゲーム、前時代的なんですよ。戦うのに剣と盾を持ったりですよ。なんで銃がないんですか。ドラゴンなんて、ミサイルぶっ放せばいいんですよ。衛生からレーザーでも落とせばいいんですよ」
「わかった。鬱憤が溜まっているのは、よく分かった。今夜も頼んだぞ」
見事にご理解頂けておりませんね。
一通り仕事を終わらせて報告すると、陽が沈み始めていた。
「頼んだぞ」
ため息混じりに退社した。向かうはロールクエスト会場だ。
会場へ向けて歩いていると、遊々の背中が前方にあった。歩速を落として距離を開けようとしたが、なぜか振り向かれた。
正直、遊々は苦手だった。どことなく別れた恋人に似ているのだ。声が似ているし、喋り方も似ている。容姿は似ていない。
遊々から手を振られた。
一足早く、公平の営業プレイは始まる。
全てを営業モードに切り替える。表情。視線。発声。身振り手振りや歩き方。思考も切り替える。
「今日も楽しみだねー」
「そうですね」
営業スマイルで応えた。
遊々は、学生だろう。見た雰囲気は、充実した日々を送っていそうで、異性から好まれる容姿だ。公平があと十歳若ければ、三日くらいで告白していたかもしれない。
今は、それほど若くはない。現実を知ってもいる。そして苦手だ。
遊々は、他人との距離感が近く人懐っこい感がある。あまり苦労のある人生は、送っていないのだろうとも推測できた。
普段付き合うタイプの女性ではなかった。ロールクエスト中の付き合いだけとなるだろう。したがって、無難にやり過ごせば、それでいい。
歩いていると、今度はフロートムーバーで移動する羽瑠が、脇を通り過ぎていった。公平はあえて気づかないふりをしたが、遊々が呼び止めた。
羽瑠が控えめな笑顔で振り返る。
まだあまり会話をしていないが、羽瑠のその性質は、なんとなくわかった。遊々のように恵まれすぎた容姿はないが、どこか気を惹く。いじめたくなる、と言ってもいい。
しかし、実際に下手な行動は出来ない。誰が見ているかわからないし、本人の視界ログにも残る。つまり、見られた時点で、録画されているのと変わらない。その視界ログが大衆に拡散されてしまえば、社会的にダメージを受けるきっかけにもなり得る。
アイシステムとは、便利な半面、末恐ろしくもあった。
そもそも、社会人として、子供じみた行動は控えるべきだ。
準備をし、始まりの広場まで辿り着くと、長政は既に待っていた。重そうな盾と饅頭が入ってそうな紙袋を持っている。剣は鞘に納めてあった。
長政については、剛直といった印象で、概ねその通りだろうと思える。見た目にそぐわないが、歳相応に純粋にロールクエストを楽しもうとしている。
始まりの広場は、昨日と違って冒険者はかなり減っていた。待合室では人がそれなりにいたので、別の出口があるのだろう。
企業露店は、それほど減っていない。服を見て回り、時間を潰した。売られている服をプレイヤーが着て、それを見た視聴者が気に入れば即座に注文する。アイシスを介して見れば、通販はすぐに可能なのだ。ロールクエスト内に限った話でもない。
「視聴者には、売れてますか?」
「ええ、お陰様で。こちらなんて、昨日だけで百着以上売れてますよ。良かったらご利用なさいませんか?」
カジュアルシャツだった。百着以上売れたということは、数十万円の売上か。さらにブランド名も売れている。他の服も売れてるだろう。後日もある程度売れ続ける可能性を考えると、ここまで来て売るのも、さほど悪い手間ではない。
しかし公平にとっては、買っても、あまり着る機会はない。どうせ普段は、ほとんどビジネススーツ姿だ。
「こっちの白ワイシャツを、宅配でお願いします」
「ゲーム内で使われるようでしたら、無料でご提供できますが」
「いえ、普通に買います」
日常用に買っておく。
今、上着の下に着ているのもYシャツだ。わざわざ着替える必要はない。スポンサー提供をリーダーの長政が嫌ってもいるので、ゲーム内で装備するにしても、買う必要がある。
他の店舗も見て回っていると、遊々と羽瑠も待合室から出てきた。
「行くか」
長政の歩みについていく。
僕は、何をやってるんだろうなあ。
公平は人知れず、深く溜息をついた。