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力強い夕陽を見るともう夏だということに気づかされる。真っ赤な西日にじりじりと焼かれるような気分で真っ黒な影法師の前をじっと歩いていくと、なんだか別の世界に迷い込んだような不思議な高揚感に包まれるのだ。
マリヤを連れて一通り街を案内すると、もうすっかり夕方になってしまっていた。街案内はひとまず恙なく終わった。マリヤと舞のギスギスはまだ続いていたけれど、中学生モードのマリヤはきさくだったし、杏子というムードメーカーがいてくれたからだ。
四人が四角形に並んで家路を歩いていく中でふと時計を見る。日が長いからなんとなく勘違いしていたけれど、もう随分遅い時間だった。
私は他の三人に声をかける。
「もうこんな時間だけど、みんな大丈夫?」
最初に返事をしたのは杏子。
「うん。ほんとはママからどっかで夕飯食べてきてもいいって言われてたんだけどね。マリヤが家で食べたいっていうから」
あ、そっか。マリヤはホームステイだって言っていたから、当然杏子の家に滞在していることになるのか。うーん、まあそういう意味では彼女は信用できると思うけど、あの司祭のほうはどうなんだろう?
夕飯の話題が出て、思いついたのか、杏子はパッと顔を輝かせて、こちらを振り向く。
「そうだ! かさねと舞ちゃんも夕飯どう!? せっかくだし!」
「さすがに今からは悪いよ……。もう作っちゃってるでしょ」
「えー、大丈夫だよぅ。それに、かさねはまだお父さん出張で一人でしょ? 作るの大変じゃない?」
「むしろ昨日の残りがあるから食べちゃいたいんだ。だから今日はちょっと行けないかな」
実は昨日の帰り際に三代さんから「一人だと大変でしょ~」とたくさんお惣菜を頂いていて、それがまだ残っているのだ。ひさしぶりに杏奈さんに会いに行くのもいいけれど、そっちを先に食べてしまいたい。
断られた杏子はちぇっ、と残念そうな顔をする。それから声をかけたもう一人に目を向けた。
しかし、舞ちゃんはなんだかまったく別の部分に反応した。
「……もしかして、マリヤは杏子さんの家にいるんですか?」
そういえば、彼女がホームステイということになっているという話は舞ちゃんにはしていなかったかもしれない。苦々しげな表情でこちらに視線を送ってくる舞ちゃんを見るに、たぶんそうなんだろう。
それにしても、私のこともいまだにさんづけと呼んでいる舞ちゃんがマリヤのことは頑なに呼び捨てにするのはたぶん敵意の表れなんだろうけど、少しうらやましい。呼び捨てにされた彼女は特段気にすることもなく応じる。
「そうよぉ。私、杏子の家にホームステイしているから」
告げられた状況を咀嚼するように、ぱちぱちと瞬きを繰り返す舞。
それから、真剣な表情で私に向き直って、まるで友達に時間割の変更を教えるみたいな平坦な口調で、こんなことを言いだした。
「今日からしばらくかさねさんの家に泊まります」
私がその言葉の意味を理解するより先に、杏子から黄色い歓声が上がった。
初めは冗談でも言っているのかと彼女の顔をまじまじと見たけれど、舞ちゃんの表情はやっぱり真剣そのもので、私は余計に首を傾げる。
……え、もしかして本気で言ってる?
まさか杏子が言っていた通り舞ちゃんは私のことそういう目で見てた? いや、まさかそんな私に限ってそんな……。で、でも今家に誰もいないっていう話題が出た直後にこれってそういう……。
尽きない疑問と湧き立つ疑念に、背の低い後輩女子に食ってかかる。
「ちょ、ちょちょちょちょ、ちょっと! 舞ちゃん! どういうこと!?」
「杏子さんとかに聞かれたらまずいので今は言えません」
舞ちゃんの不用意な発言に、さらに盛り上がる杏子。誤解を招くっていうか誤解の手を引いてきてるよそれは!
ただ、理由を聞かないことにはさすがに納得できなかった私は彼女を引っ張って、杏子たちに聞こえないよう小声で叫んだ。
「舞ちゃん、まずいって!」
なんだか友達の前で内緒話というのは罪悪感があるけど、今は理由を聞くのが先決だ。そのようにすれば、彼女も私の耳元に口を近づけてこしょこしょと囁くように話してくれた。
「忘れたんですか? かさねさんは今力を使えないんですよ。そんな状況でマリヤが近所に拠点を構えているなんて危険すぎます」
「た、たしかに……」
マリヤが今も敵だという視点に立てば、確かにそれが正しいことのようにも思えた。
舞ちゃんの鈴の鳴るような声が乗った吐息がくすぐったい。彼女の囁き声はまだ続いて、私の耳を撫でる。
「かさねさんに自衛手段がない以上、少なくとも私とかさねさんは一緒にいる必要があります。その場合、マリヤに近くはなりますが、かさねさんの家のほうがいろいろと都合はいいです」
「ええっと、自衛手段がないわけじゃないけど……」
「あんな奴ら土壇場で頼りにできるわけないでしょう!」
舞ちゃんの彼らに対する態度は相変わらずだ。そういう理由ならうちに泊まるというのも仕方がないのかもしれない。なんて真面目腐った顔をしようとしていたのに、どうにも体の芯を伝うお腹のむずむずに耐えられなくて、舞ちゃんは小声で私の態度を咎める。
「かさねさん! 聞いてるんですか!?」
「ご、ごめん。舞ちゃん……その、息が、くすぐったくて」
な。と思わず声を上げた彼女は慌てて距離を取ろうとしたが、顔を近づけたせいで絡まっていた私と舞の髪がその間をつなぎ留める。不器用な手つきで髪の毛を解こうとする彼女は、顔を伏せて目を合わせてはくれなかったけれど、彼女の耳が真っ赤に染まっていることだけは私の目に入った。
ようやく内緒話が終わって待たせていた二人の元に戻る。杏子はさっきまで俄然盛り上がっていたのに、砂糖菓子をお腹いっぱい食べたみたいなうんざりした顔をして、私の肩を叩く。
「かさね。お泊りの話は聞かせてくれなくていいよ……」