2-1
月曜日の放課後。
昨日遊んでしまった代わりに、今日の放課後は時間を取って舞ちゃんと宗教色の強い観光客について話そうと思っていたのだけれど。
待ち合わせ場所で先に待っていた舞は、私が引き連れてきた二人の同行者を視界に入れて、責めるような口調で私を詰問する。
「かさねさん。これはどういうことですか」
私に言われても困る……と言いたいところだけど、ここまで連れてきたのは私なのだから、私が受けるしかないんだろう。
にらみつけるような舞の視線の先を追えば、そこに立っているのはセーラー服を着たスラヴ系の女の子。
色の薄いブロンドに青緑の瞳。こうして女子中学生の中に立っていると、遺伝子の違いなのか、すらりと背が高く、随分と発育が進んでいることがわかる。
彼女は一行へ新たに加わった人物に向けて、妙に軽い口調で自己紹介をする。
「マリヤ・ヴィクトロヴナ・アヴェリナでぇす。よろしくね?」
それは、昨日私達を襲ったシスターその人だった。
***
「かさね! 今日時間ある!?」
ホームルームが終わった後、慌ただしく教室に入ってきた女子生徒は、私の机の前にやってきて、挨拶もなく切り出した。
「杏子……いきなり入ってきたから、みんなびっくりしてるよ……」
彼女は私の幼馴染の喜多川杏子。いつも元気で面倒見のいい私のお姉さん的な存在――なのだけれど、今日は元気が良すぎたようだ。いくら放課後とはいえ、上級生が突然教室に入ってくると二年生は萎縮してしまう。その原因はのんきに彼女の部活の後輩からかかる「アンコセンパーイ!」という声に手を振っているのだけれど。
結局彼女は周りの様子は全く気にせず、私の机から離れることなく、それどころかぐいっと顔を近づけて、再び繰り返す。
「それで、かさね。今日暇だったりしない?」
額と額がごっつんこする前に、私はのけぞるように顔を離す。
これをやるときの杏子は大体最終的に頭をぶつけるし、それどころか私のファーストキスはこれで奪われてしまったという過去もあったりする。
「今日はちょっと……」
昨日遊んでしまったツケを払わなくてはいけないのだ。すでに舞ちゃんとの待ち合わせの時間も迫っている。
「まさか、男!?」
「違います。今日は舞ちゃんと約束があるの!」
「舞か~。相変わらずお熱いなあ。やっぱ女子校だしそういうのにも抵抗がないのかな~」
「言っとくけど、そういうんじゃないからね?」
「お風呂とか誘われたら要注意だよ、マジで!」
さすがにそれはないでしょ……。
今さら身体を見られるのはそんなに恥ずかしくはないけれど、実際に彼女の身体を目の当たりにしたらちょっとショックを受けそうだった。絶対舞ちゃん細いし……。
私が益体のない妄想に入りそうになったところで、杏子はさらに都合の悪いことを思いついたようだった。
「そうだな~、舞だったらちょうどいいかもしんない! 実は街を案内してほしいって頼まれてさ、一緒に来てくんないかな?」
「えー……」
「お願い!」
彼女は手を合わせて懇願するが、私にも事情がある。
舞ちゃんは隣町のお嬢様中学に通っていて私たちとは学校が違うのだけれど、杏子には以前紹介して、それからも何度か顔を合わせているため、知り合い同士だ。
とはいえ魔法少女のことなんかは杏子には秘密にしているので、それ関連の時はあんまり居合わせてほしくはない……。
普通に遊ぶだけだったら、舞ちゃんと杏子が仲良くしてくれるのは全然歓迎なんだけどなあ。
どうにも渋る私を見て、杏子は搦め手に出始める。
「かさねが来てくれなかったらうまくいかないかもなあ。そうしたら、気になっちゃって受験勉強が捗らないなあ」
うっ。これを言われると痛いのだ。
杏子はそういう風には思っていないはずなのだけれど、実際問題として彼女の受験勉強が遅れてしまったのは私の責任だった。
前回の事件で彼女は私の不注意によって戦いに巻き込まれ、ひと月もの間意識不明状態だった。幸いにも胡散臭い神からの賞品贈呈によって、彼女は後遺症もなく生活に復帰できたとはいえ、受験生に一カ月を失わせてしまったという罪悪感は残っている。
はぁ、とこれ見よがしにため息をついて、私は本題を聞くことにした。
「……誰を案内するの?」
「え! 来てくれるの!」
「杏子が粘ってしょうがないから! 言っとくけど舞ちゃんとはきちんと用事があるんだからね」
「うんうん、ありがとう!」
わかってるのかなあ。
まあ杏子は無理を言うことはあるけど、配慮を忘れたりはしないのでそういうところは心配していなかった。
「実は昨日からうちにホームステイの子が来ててさ、学校にも今日転校してきたんだけど、ママが街を案内してきなさいって。日本語は喋れるんだけど、なんかロシア人っぽくて、どうしても一人だと不安だからさー」
「……ロシア人?」
こんな片田舎に外国人なんかそうそう来ない。まして、ホームステイなんて、一体何をしに来ているっていうの。
しかも、あの司祭の名前からして――
「てかそこにいるから会ったほうが早いよ! マリヤ~!」
杏子が廊下に向かって大きな声で名前を呼んだ。
「ま、待って――」
それから、あれよあれよといううちに一緒に行くことになって、なんだかよくわからないけど今戦うということはないようです……、とだけ舞ちゃんに報告すると、彼女はもう心底あきれたという風にため息をついた。
「まあ、なんにせよかさねさんが無事でよかったです」
場所は変わって私たちは待ち合わせ場所近くのファミレスに入っていた。
自己紹介を終えたところで件の彼女が「街に出る前に親睦を深めたいなぁ」などと言い出したせいだ。
私は小さな声で隣の舞に謝る。
「誠に申し訳ないです……」
本当はそのホームステイとやらがあのシスターだとわかった時点で、彼らが目的としていた舞ちゃんの元へ連れて行きたくなかったのだけれど、こういうことを秘密にしている杏子に何と言ったらいいかわからなくて、シスター(もうシスターの格好はしていないけど)もイケイケどんどんだったからどうしようもなく……。
私にもっとコミュニケーション能力とか強引にことを進める力とかがあればよかったんだけど……。
「それにしても彼女、なんだか昨日とは感じが違いますね」
「うん、それは私も思った」
昨日の彼女はもっと事務的な感じで、仕事人という様相だったのだけれど、セーラー服を着て今ここにいる彼女はなんだか軽い感じというか、言っちゃなんだけど、任意の男性に媚びを売るタイプの女子っぽい。
「なにを話してるんですかぁ?」
私たちがひそひそ内緒話をしていると噂の人物が口を挟んできた。
まさか、気づかれた? 別に彼女に聞かれる分にはいいのだけれど、内緒話をしていた負い目からつい焦ってしまい、私は口を滑らせてしまう。
「昨日とはキャラが違うなって――あっ」
まずい、と思って口を噤んだ時には案の定杏子が反応した。
「昨日?」
なにやってるんですか、と舞がわき腹を小突く。
それとほぼ同時に、目の前で流星が走った。
「杏子っ!?」
目にもとまらぬ速さで、マリヤの右腕が杏子の顎にパンチを決める。
予備動作のない完璧なフックが彼女の脳を揺らし、瞬く間に私の幼馴染は昏倒し、力なく机に突っ伏した。
一瞬にして一人の人間が気絶させられたことに唖然とする私たちの前で、彼女は颯爽と金髪をかきあげる。
「まったく、これだから素人は嫌なのよぉ」
それでも口調は相変わらずぶりっこ口調だったせいで、違和感で脳内が占められてしまった。
たった今目の前で親友が殴られたというのにそっちが気になってしまうなんて、薄情者もいいところだろう。
「え? そっちが素なんですか?」
と思ったら、舞もそのことが気になっていたらしい。
マリヤも呆れた様子で私たちを睥睨した。
「この状況で聞くのがそれなのぉ?」
「てっきりそれが作りだと思ってたからびっくりしちゃって……」
「あんたもぉ? 杏子のことはいいの? 幼馴染なんでしょ?」
よりによって殴った本人に言われてしまったが、返す言葉もなかった。
彼女はさっきまでの軽薄さからは信じられないような透き通る声音で、ある一節を唱えた。
「『互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです』」
前回の戦闘で彼女がこんな声で賛美歌を歌っていたことを思い出して、私はびくりと肩を震わせたが、なにも起こらない。
そういえば、なぜ彼女は魔術とかそういう方法ではなく殴るという方法で杏子を眠らせたのだろう……。
舞はそれに聞き覚えがあったらしく、納得したように首肯した。
「聖書の一節ですね。嘘を禁じると解釈されている部分です」
だから、わざわざ自分を演じたりはしないと。
しかし私はそれよりも舞ちゃんがどうしてそんなことを知っているのかが気になった。
「なんでそんなこと知ってるの?」
「あ……えっと、たまたまです」
それにしても本当に彼女は昨日のシスターだったわけかあ。ひとまず安心したこととしては、彼女も杏子を巻き込むつもりはないということだった。もう前回のようなことはごめんだから、その点ではほっとした。
まあすでに、いわれのない暴力を受けているけど……。
「ということは、マリヤは質問に答える気があるってこと?」
「ええ。どういうわけか上からは『穏便に』と来たからね。それに私たちの目的は別に暴力じゃないものぉ」
たぶんそれはミーの時間稼ぎの策だろう。彼は向こうが自発的に上へ確認を取ったらばれてしまうと話していたから、こうして早くに話すことができたのは僥倖と言えるかもしれない。
「だったら答えてください。貴方達の目的はなんですか? これはこの街を守る私たちの義務です」
舞ちゃんが毅然とした態度で目の前の彼女を問いただす。
途端にテーブルの雰囲気がパリッと緊張感を帯びて、マリヤは投げかけられた言葉を蔑むように呟いた。
「守る、ねぇ」
舞はむっとしたように眉間に細かな皺を作ったが、十二歳だというのに癇癪を起越すこともなく相手を見つめる。他方は、イライラを表すように天板をカッカッと指で叩いたが、自分を戒めるように深呼吸をして姿勢を正し、まさに昨日あの広場で見たような表情で口を開く。
彼女が事務的な口調で語ったのは、私たちにとっても馴染みのある事柄についてだった。
「一カ月ほど前、この地で大規模な事象変動が観測されました。そこで顕現されたのは、ある一人の少女を核に他九人の少女の魂をセフィラと見立てた『生命の樹』です」