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カース・オブ・ビーイング  作者: かたつむり工房
第一章 コイントス・チェンジ
4/36

1-2

 何人たり得ない境界者は自分の街を背にして、腰に下げた剣柄に手をかけた。

「かさねさん、あれは……!?」

 舞が追いついたのはちょうどその時だった。

 階段を登り切ってかすかに荒い息を吐きながら、彼女は広場に立つ車椅子の怪物に驚きの声を上げる。広場に鎮座する怪物、誰もいないペデストリアンデッキ、私の恰好、手に持ったクレープと彼女の視線はくるくると舞った。

 彼女もまた、私と同じようにこの街を守る一人であり、前回の事件で私を導いてくれた先輩魔法少女なのだった。

 両手に抱えた荷物を持て余しながらどうにかカバンを探ろうとしている舞に私は微笑みかける。

「舞ちゃんは下がってて」

「え……でも、よくわからない相手に一人なんて」

「大丈夫。ショーもミーもいるんだから、わざわざ舞ちゃんに手間をかけさせるほどじゃないよ。行ってくるね」

「かさねさん!」

 呼びかけを背に、私は広場へ向けて一歩で踏み切る。

 流線形に風景が流れる中、放物線を描いて私は頭一つ抜けた時計台の上に飛び乗った。

 斜め上から敵を眺められる位置に立つと、通信機の向こうのミーから声が届く。

『スローネ……ですな。そのものであるかハリボテかはわかりませんが』

 スローネ。

 座天使、あるいは宝座とも呼ばれる神の御使い。

 座する権力の象徴。支配するための権力を運び、その者が身を任せるのを待つ天使(・・)だ。

 近くで見ると背もたれやひじ掛けには凝った衣装が施され、それがただの椅子ではなく王の座るべき玉座であるということがわかる。

 一通り説明を聞いた私はあの車椅子の正体に首をひねった。

「天使……って白い羽根が生えてるイケメンみたいなのじゃないの?」

『そのような姿で現れることもありますが、人間たちに合わせた仮の姿に過ぎません。彼らはそのものヤハウェの奉仕種族。本質からして我々の側の者どもです』

 奉仕種族。

 神に作られた神に連なる生き物ども。

 それ単体で世界を侵食する力を持ち、平常の生き物とは全く違うものであることから基本的に普通の人間には視認することができない。

 見えないのなら、なぜこの広場には人がいない?

 以前駅前に現れた怪鳥はその巨体を憚ることもなく現れ、私たちが殺すまで誰にも気づかれることはなかった。

 もしもスローネだけがそこにいるのなら、人がいなくなる理由なんてどこにもないはず。

 とすれば――

 そこまで考えたとき、どこからか聞こえてくる歌が私の耳を掠めた。それは小さくか細い声だったけれど、静寂が支配する広場では妙に大きく聞こえる。

 ――これは、賛美歌?

 瞬間、私の足を支えていた時計塔が変態する。

「うそっ!」

 硬いコンクリートでできていたはずの塔がサラサラと風に舞う。端から真っ白な粉へと変わっていくそれは一陣ごとに風に削り取られ、氷が溶けていくみたいにみるみると小さくなっていった。

 私は突然の現象に慌てて飛び降りる。飛び乗った時の半分ほどしかない高さから地面に降り立った。

 着地した私が周囲を見渡すより前に、一つの影が豹のように飛び掛かる。

 畳みかけるように行われた攻撃は間違いなく作為的なもので、疑いなく私への害意に満ちていた。

 だから、私も躊躇いなく剣を抜けた。

 しかしそれを振るうために向き直った時、私には迷いが生まれてしまった。

 敵が向かってくるたった数歩の間だけでわかってしまった。それが槍のようなものを握っていること、シスター服を着ていること、私と同じくらいの年頃だということ。そして、剥き出しの生身であること。

 つまり、切れば死ぬ。

 その躊躇いが勝負を分ける。

 次の瞬間には私の手にあった剣は宙を舞っていて、私は石畳に叩きつけられていた。

『主っ!』

『かさね、大丈夫?』

 慌てたような使い魔と平坦だけれどこちらを心配する使い魔の声。

 囁くほどの声でそれに答える。

「ごめん、負けちゃった……」

 それから、私は自分に首に槍を突きつけている相手を見上げた。

 まだあどけなさの残る少女の顔以外すべてすっぽりと黒いシスター服と白いウィンプルに包んだ彼女は品定めをするような目で私を見下ろす。その顔立ちは私たちがよく見るものとは少し違っていて、さらにその瞳は光を内包するような青緑をしていた。

(外国人……?)

 その事実を私が訝しむと同時に、彼女は私の奥底を見透かすように目を細めた。

「オールドローズのアルバ――ジャンヌ・ダルクか」

「え? それってどういう――」

 どんな意味なのか問い返そうとする私の喉に刃が強く押し付けられ、私は口を噤むしかなかった。鈍い痛みとともに血が滲む。

(……っ…………死ぬ…………?)

「《血潮滴る主の御頭。棘に刺されし主の御頭。御傷を仰ぎ、御手によらば、今際の時も安けくあらん》」

 彼女ののどからあふれたのは、歌。

 私ははっと気がつく。

 さっき時計塔が崩れる前に聞こえた歌の正体。それは彼女が力を行使するための手順だったということに。

 そして、それと同時に、異変が起きる。

 私の身を包んでいた鎧が、兜が、そして力が、まるで巻き戻るかのように、元の服装に戻っていく。

 数秒もしないうちに、私はクレープ屋さんに並んでいた時と同じ、近所のショッピングモールで買った服装に戻っていた。

(嘘……でしょ……?)

 カランと耳元でひとりでに落ちた金属音。

 それは私のペルソナのペルソナである十字架のペンダントが現れた音。

 彼女は生身になった私に槍を突きつけたまま屈みこみ、ペンダントを拾い上げようとした。身を畳んだ彼女は私の力に手を伸ばしながら、悪態を囁く。

「十字架を隠れ蓑にするとはなんとも悪魔らしい」

 そのペンダントは私の力の分離された表象であり、発現させるためのトリガーだった。

 つまり、それがなければ――私はもう変身できない。

 望みを絶たれた私の元へ、カツカツと石畳を叩く音が近づく。

「ふん、我輩を待たせないとは異教徒にしては心得ているようだな」

 近づいてきた白髪混じりの長い髪を撫でつけて眉間に皺を寄せた初老の男は、地の底から響くような低い声で蔑むように言った。彼の顔立ちも明らかに日本人とは異なっていて、真っ黒で継ぎ目の少ない一枚布のような衣服を纏っていた。

 こんな純ヨーロッパ系のシスターと神父みたいなのがこんな片田舎の町に何をしに来たっていうの?

 こんな空港はおろか観光地もない町に外国人がやってくることはほとんど皆無と言っていい。出稼ぎにしたってもっと都会に行く。

 その上、彼らはこんな手間のかかる人払いを行い、時計塔を崩し、挙句の果てに私の変身を無理やりに奪った。そんなことのできる人間がこんなところでなにを……

 シスターが彼に呼びかける。

「イヴァン・ミハイロヴィチ・サハロフ司祭。彼女は違います。おそらく報告にあった〝二人目〟でしょう」

 彼女の言葉を聞くと途端に男の機嫌は悪くなり、イライラをぶつけるように持っていたステッキで地面をガンガンと叩く。

「チッ、紛らわしい。そんなもの我輩が来る前に殺しておけ」

「彼女は異端ではありますが、摘み取るべき奇跡を発現しているわけではありません。殺すのは私たちのするべきことではないと思われます」

「口答えするな! 異端を排除することが我が正教の教えを広めることにつながるのだろうが!」

 怒鳴り声とともに凛としていたシスターの覇気が委縮する。さらに激高とともに司祭はステッキを振り上げた。

 見ていられなくて目をつむった私の耳に、ガン! と鈍い音が聞こえ、叩かれるたびに痛みに耐える息づかいも私の聴覚はとらえる。しかし、理不尽な暴力を受けても、ぴたりと首筋にあてられた槍の切っ先が動くことはなかった。

「シスター・アヴェリナ、お前はそれを処理しておけ」

 そんな捨て台詞とともに音がやんで、私はおそるおそる目を開ける。

 シスターは殴られる前と全く変わりのない表情で槍を構えていた。しかし、額には脂汗が浮かび、ずれたウィンプルからは色の薄いブロンドが零れ出ている。

 しかし、それでも彼女は自分を殴った男の言うことに従うように、槍を振り上げ、唇を動かした。

「《我が身に賜いし神の恵み。指折り数えて神を讃えん》」

 今度こそ、殺される。

 ずっと私を守ってくれていた魔法少女の力はなく、ここに横たわっているのはただの体育の苦手な中学二年生だ。

 どうすることもできず、抵抗することを諦めて、目をつむった私は聞き慣れた詠唱文句に気づく。

「《星は流れ、光は闇を払う――ルーチェ・ステラーレ!》」

 たったそれだけの言葉で、ステッキから散り散りに溢れた光が一つの流れになって、標的のシスターを押し流さんと空気を裂く。

 光は夏の煌々たる太陽の下でも輝き、流星のように空から彼女を襲った。

 生身の彼女がそれを受ければただでは済まなかっただろう。

 しかし、彼女が虫でも払うように軽い動作で槍を振るい、その穂先が奔流の端に触れた途端、それはただのトリックだったとでもいうかのように姿を消してしまった。

 あまりの呆気なさに、私は意味のない瞬きを繰り返す。

 もしかして、さっきの歌は私を殺すためではなく、これを察知してのこと?

「ありがとう。舞ちゃん!」

 攻撃は通用しなかったものの、彼女がそちらに気を取られた隙に逃げ出した私は空を見上げてお礼を言う。

「まったく、だから言ったでしょう? 得体のしれない相手に一人は危険だと」

 ふわふわと上空に浮かんでいた舞が私のもとへ降りてくる。

 すでに彼女は赤いヴェネツィアンマスクにピンクを基調としたフリルドレスという魔法少女の姿に変わっており、手にはさっきの魔法を撃ち放ったステッキを携えていた。

「ごめん……」

「今はいいです。それよりもかさねさん、その姿は?」

「よくわかんないんだけど、なんか無理やり変身を解かせられて、ペンダントも……」

 その意味を理解した先輩魔法少女は、驚きに大きな目をまんまるに見開く。それからすぐに険しい顔で敵に視線を向ける。

「かさねさんはひとまず下がって。それから甚だ不本意ですが、タイミングを見て使い魔を使って逃げてください」

「あ、うん。わかった」

 私の使い魔たちをよく思っていない舞ちゃんは不満そうな表情をしながらも、冷静な判断を下した。

 それから、舞は司祭とシスターに向き直る。

「あなたたちはなぜ私たちを襲うんです? 目的は?」

 広場に響いたのはまだ幼い声だったけれど、年齢以上にしっかりとした彼女は突然現れた不審者にも臆せず対話を試みた。

 ここから話し合いで解決できればそれがベストなのだけれど……とは思うもののそんな都合良く物事が進むとは思えない。

 なにせ彼らは明らかに奉仕種族を囮に使って、私たちのような人間を誘い出そうとしている。丹念に行われた人払いと今も沈黙したままのスローネがその証拠だろう。おまけに釣られて現れた相手には問答無用で襲いかかる強引さもそれを証明している。

 予想通り、彼らからの返事はない。しかし、沈黙を守るシスターの視線は私の隣の魔法少女を隅から隅まで見分しているようで、私は不穏な予感に目を眇める。

 彼女は、自分を殴った上司を振り返り、事務的にうなずいた。

「司祭。間違いありません。目標です」

「ふん、ようやく現れたか」

 その言葉が私を助けた彼女について言及していることは明らかで、思わずそちらに視線を向ける。

 そういえば、さっき彼女たちは言っていたような。

 『彼女は違う。〝二人目〟だ』と。

 もしも私が〝二人目〟だとするならば、一人目となるべきはもちろん、

(舞ちゃんだ)

 私より年下だけど私の先輩魔法少女で、つい二月前にそうなった私よりもずっと前からこの町を守っていた、藤砂の最初の魔法少女。

 私は彼女の言葉に警戒心を強めて、腰に手をやり、普段着に戻ってしまっていたことに気がついた。

 今すぐにでも逃げたほうがいいだろうか、と一歩後ずさりしたところで、向こうの二人から動きがある。

 もう夏も近いというのに真っ黒な上着を纏った初老の男。司祭と呼ばれていた彼がずいと前に出て、低く太い声で告げた。

「さて、目的といったな。異教のめくらどもにはわからないのか。幸運にも貴様は主の奇跡に触れたというのに」

「奇跡……?」

 自分に向けられた言葉に、舞は首を傾げる。

 同時に、私も疑問を感じざるを得ない。いきなりこんな宗教団体がやってきただけでも不思議だというのに、主の奇跡?

 そりゃ神さまには出会ったけれど、それも胡散臭い上にただ有害な黒スーツだったし、キリスト教に関係があることなんて……。

 いや、待って。確か、お母さんが起こした〝奇跡〟は…………。

 まさか、ね?

「ふん、蒙昧な人間もどきに説明するような労を割くことこそ背信だったか。シスター・アヴェリナ、回収しろ」

「御心のままに」

 シスターは舞をまっすぐ突き刺すように槍を構えた。一方の舞ちゃんは私を気にするようにこちらを振り向く。

 まずい。

 このまま戦闘が始まれば彼女は私を気にして思うように戦えないだろう。彼らは舞ちゃんを狙っている。もし私が人質に取られるようなことがあれば、ともすれば二人とも捕らえられてしまうかもしれない。

 女子中学生を捕まえるとか犯罪もいいとこだよ! 未成年者略取の疑いで逮捕されるよ!

 二人の少女が睨みあう様を眺めながら、私は額を焦りが伝うのを感じる。

 ひとまず、使い魔にどうにかできるかを尋ねてみようと、なんにもできない私はバッグにぶら下がったパスケースをつかんで、小声で助けを叫んだ。

「ショー、ミー、なんとかして……!」

 返事はノータイムで返ってきた。

『お任せを。主よ』


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