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カース・オブ・ビーイング  作者: かたつむり工房
第一章 コイントス・チェンジ
3/36

1-1

 夏の朝。

 梅雨明け後の暑気に、いい加減クーラーをかけてもいいような気もしてきたけれど、私は扇風機の風にひらひらと飛んでいこうとするプリントを、手で押さえる。

 今日はテスト明けの土曜日。

 もしかしたら、私はとてもえらい子なのかもしれない。

「よし」と出来上がった宿題をじっくりと見直して、最後まで目を通したのち、シャーペンを置いた。遊びに行く前に宿題をやっつけてしまった今くらいは、自分を手放しに誉めてあげてもいいと思う。

 そして、さっさっとプリントの上に乗った消しゴムのカスを払い落としてから、私は時計を見る。

「十時十分前! ちょっとギリギリかも!」

 バタバタと机から立ち上がり、部屋のウォークインクローゼットの扉を開けた。慌ただしく昨日選んでおいた服に着替えて、鏡の前でなんとか三つ編みを編んで、それからバッグの中身をチェックして、それから戸締りを確認してそれからそれから。

『かさね! 僕のことも忘れないで!』と男の子のような声が部屋の中から響く。

「わかってるってば!」

 玄関に向かおうとしていた私は、言い訳をするように廊下を戻り、机の脇に置かれた黒い革のパスケースをひっつかんだ。

 靴を履いてから、ガラガラと音を立てて玄関の扉を開く。鍵をかけると私は携帯の画面を点けて、時間を確認する。

「うわ、バス間に合うかな」

 やや駆け足になりながら私がつぶやくと、

『僕たちを忘れなければ絶対に間に合ったと思う』

『主は最近我々を忘れていきがちです。注意力散漫になる原因でも?』

 なんだかだんだん口うるさくなってきた気がする二匹の使い魔が文句を言い始めた。

 まだたった一月の付き合いだって言うのに、この黒のパスケースとその中に入っているカード型通信端末の向こう側にいるモノは、やかましい。

 基本的には私の言うことに従うからこうして少々おしゃべりが過ぎるくらいまあいいのだけれど。

「でも、向こうついたらもう黙っててね。舞ちゃんはまだあなたたちのこと、認めてないんだから」

『でもまいには聞こえてないでしょ?』

『あんな娘に認められなくとも我々は困りませんが』

 口々に文句を言う彼ら。

 別に聞こえないんだからしゃべっていてもいいといえばいいのだけれど、私が声に反応するだけで彼女は気づいてしまうだろう。認める認めないとは別に、私が困るのだ。

 それに、彼女はむしろ声が聞こえないから認められないんだと思う。言葉が通じない相手にはどうしても辛辣になってしまうものだ。

「ショーもミーも口ごたえしない! 私の言うことは聞くって約束でしょ!」

『はい』

『了解した』

 ほうっと息を吐く。普通の女子中学生である私はこの命令というのが何度やっても性に合わない。終わっただけでつい安心してしまうほどだ。

 そんな風に安心して足を緩めてしまったところで、私の横をお目当ての路線バスが追い越していく。

 それが自分の乗るべきバスだと気づいた私は慌てて駆け出した。

「あっ、あっ、待って! 待ってくださーい!」


 私の名前は上岡かさね。

 少し勉強ができるだけの普通の中学生二年生――と名乗れたのは一月前までだ。それ以来私は自分を普通の中学生と呼ぶのを躊躇わざるを得なくなってしまった。

 一月前の事件。

 とびきりの個性を手に入れたというかそれに気づいてしまったというか。

 毎日はなにも変わらず過ぎていて、自分の中身もそんなに変わっていないのに、見方だけが変わって、どういう立ち位置で生きていけばいいのかわからなくなったというのが正しいのだろう。自分になにができるのかというところには一つの答えが出て、少しだけ自信がついた(と自分では思っているのだけれど)その一方で、変わっていく環境に適応しきれていないのかもしれない。

 ただ、少なくとも、一月前の事件で確かに得られたものがあった。

 バスが目的地に着くとそこから待ち合わせ場所まで視線が通る。そこにはすでに銀色のミニバンが止まっていて、小柄なツーサイドアップの少女がスライドドアを閉じているところだった。

「舞ちゃーん!」

 私が手を振ると彼女もこちらに気づいてペコリと会釈をした。

 彼女は平須舞。お嬢様校に通っている正真正銘のお嬢様で、私よりもずっとしっかりしている中学一年生だ。

 彼女は一月前の事件で私が出会った友人で、もしもあの事件が避けられる出来事だったとしても、彼女と出会えたことだけで私は後悔しないと言い切れる。出会ったのはたったの二月前だけれど、ある事情から彼女と私はお互いに誰よりもよく知りあっていて、なんだか十年来の親友のような気すらしてしまう。

 バスの乗降口横で大声を上げた私の横をくすくすと笑いながら大学生くらいのカップルが通り過ぎて行って、私は赤面するしかなかった。恥ずかしさにひょこひょこと舞ちゃんのもとへ歩いていくと、彼女は開口一番こんなことを言い始める。

「なんですか? その恥ずかしい歩き方」

「は、恥ずかしさを体現した歩きだよ!」

 舞ちゃんひどい! と苦情を言う私とそれに笑顔で応える舞。

「改めて、おはようございます。かさねさん」

「うん。おはよう。舞ちゃん」

 挨拶とともに彼女の琥珀色の瞳を見つめれば、ほっこりと安心したような気持ちが湧いてきて、安心できたことよりもそう思えることがうれしい。

 私たちがあいさつを終えるとミニバンの窓が開いてにょきっと女性の顔が伸びてくる。

「かさねちゃん、おはよう~」

「おはようございます。三代さん」

 彼女は舞ちゃんの家のお手伝いさんの三代さんだ。ここまでの送迎に車を出していたのだろう。ニコニコと笑顔を振りまきつつ、「帰りは連絡してくださいね~」と言ってミニバンを発信させていった。

 お手伝いさんが去っていくのを見届けると、舞ちゃんは一人でとてとてと歩き始めていて、私はあわててその横に並んだ。


 ちなみに私たちの今日の目的はクレープで、待ち合わせ場所からのんびり歩いてお目当ての店へと向かう。

 道中、舞ちゃんが丁寧な口調で疑問を呈した。

「ところで、なんでクレープなんですか?」

「なんでって言うほどの理由があるわけじゃないけど……」

 彼女は学年的には中学一年生なのだけれど、だからと言って学校の先輩後輩というわけでもないのに丁寧語を使われるのはどうにもくすぐったい。

「でもクレープってあれですよね? 生地を薄く延ばして鉄板で焼いてサンドイッチみたいに具を包むっていう」

「え! もしかして舞ちゃんクレープ食べたことないの?」

「はい。確かフランスのお菓子ですよね? なかなか食べる機会はなかったです」

 こんなおあつらえ向きのお嬢様シチュエーションに遭遇するとは思わなかった……。

 でも確かに舞ちゃんは登下校も三代さんの車らしいし、休日に友達と遊びに行くこともあまりないといっていたから、知る機会がないのも仕方ないのかもしれない。

「そっかーないのかー、……っていうほど私もよく食べるわけじゃないんだけどね。たまに杏子に連れてきてもらって食べることがあるくらいでさ」

 杏子というのは私の一つ上の幼馴染だ。交友関係の狭い私は昔から彼女にべったりで私が遊びを覚えるという場合大方彼女からだったりする。

「でも、だからかな、クレープって言えば友達と食べるものっていう勝手なイメージがあって。だから、落ち着いたら舞ちゃんとクレープ食べに行こうってずっと思ってたの。なんでっていうならそれが理由。これで答えになるかな?」

 甘いものは好きだけど、一人で来るほどクレープに対する情熱があるわけじゃない。それでも、そこに思い出があるからまた来たいと思えるんだと思う。

 舞ちゃんは私の言葉を反芻するように目を伏せて、小さく微笑んだ。

「クレープは友達と食べるもの……ですか。それは、少し、楽しみです」


「ご注文はいかがなさいますか?」

「じゃあー、私、チョコバナナカスタードで」「この、ブルーベリーアイスチーズケーキ、お願いします」

 私たちは思い思いの好みを告げる。

 クレープ屋っていうのは結構システムが複雑だと思うのに、舞ちゃんはメニューを見てすぐに「ベースを決めてそこにクリーム、アイス、ケーキ等トッピングを追加していくんですね」と理解してしまって、私の説明する幕がなかったのが少し残念だった。

 ラッピング越しにほんのり温かいクレープを携えた私たちはどちらからともなく顔を見合わせた。

「どこで食べましょうか」

「んーじゃあ向こうの広場のベンチとかにしよっか」

 私が指さしたのは階段を昇った上にあるペデストリアンデッキの広場。舞ちゃんも異論はないようでこくりと頷いて歩きだす。

 私と杏子が一緒にこの店に来たときはこの階段を昇ってベンチで食べるというのがお決まりだった。

 しかし、階段の麓に着いて上を見上げた時、私はなにか、妙な感覚を覚える。

 どこか懐かしい、けれど決定的に異なるものの感覚。

 一歩、また一歩、階段を昇っていくごとに、まるで空気が塗り替えられていくかのようにそれは濃くなっていく。

 誘いに応えるように、私の感覚器官が向こう側の存在にアラートを鳴らす。

 確信した私は舞ちゃんにクレープを押し付け、一人走り出した。

「かさねさん? どうしたんですか!?」

 突然階段を駆け上がり始めた私に驚きの声がかかる。

 こんな休日の昼日中に、こんな人の多い場所でこんなものを垂れ流しているモノがいることが許せなかった。

 ここは――

『主よ! 今そちらに強力な事象変動が……!』

「遅い! もう向かってる!」

 今更な使い魔の入電におざなりに返答して、私は階段の上に立ち、目前を見据えた。

 ペデストリアンデッキに上がるとすぐに広場があって、様々な人間が各々の目的に従ってめいめい動き回っている様子が見られるはずだった。

 しかし、そこに人々はおらず、広場の中央に車輪のついた椅子(・・・・・・・・)が鎮座するのみだった。

『あれは敵だよ。かさね』

「わかってる。ショー」

 カバンにぶら下がるパスケースの声が告げる通り、あれは敵なのだろう。

 胸元から十字架のペンダントを取り出す。

 あの事件で私は奇跡に触れて、力を手に入れたけれど、私はまだ自分になにができるのかなんてわからない。

 この力の正しい使い方も、私が生きるべき道も、この先にどんなものが待っているのかも、なにもわかったものじゃない。

 でも、ひとつだけわかることがある。

 私にはいくつも守りたいものがあって、私の手にはそれらを守れる力がある。

 だからするべきことはひとつ。

「ここは――私が守る街よ!」

 叫びと共に、胸に下がる十字架を引いた。

 ペンダントトップは外れるとともに、瞬く間にサークレットへと姿を変える。

 ――これが私の仮面。

 手に持ったそれを装着すれば、一瞬のうちに白と銀で構成された鎧が私の身を包む。

 ――これが私の衣。

 〝仮面〟と〝衣〟によって力を得るのが私たち〝魔法少女〟であり、その力はある超越者に連なる者たちに与えられる武器だった。

 身体を包む現象の変動は流れ星が輝くほどの間に爪先まで届き、私は女子中学生にはあるまじき力に充溢する。

 物理法則を飛び越えて、世界は神の思うように変容する。

 四歳のころに生き別れた母親から私が教わったことはたったそれくらいのものだった。


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