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カース・オブ・ビーイング  作者: かたつむり工房
第四章 祝祷の聖歌
21/36

4-5


 ゼロ、という声が聞こえることはなかった。


 分厚い教会の扉が開き、壁とぶつかって、バタン! という音を立てる。光が差し込み、薄暗かった教会がにわかに明るくなる。

 光を背負って入ってきた人間は、闇に慣れた目ではすぐには顔を見分けることはできなかったけれど、それが誰なのか、私にはその姿を一目見れば十分だった。

 そして、聞こえてくるはずのない声が、聞こえる。

「――舞ちゃん」

 彼女はTシャツにパーカーを羽織っただけのラフな格好で、いつもの三つ編みも少し崩れている。スニーカーを突っかけたまま走ってきたせいで踝から微かに血が滲んでいた。

 そして、この教会は聖別され、権限を奪われた私は痛みにまともに動くこともできなくて、敵はマリヤと無数の天使とそれを操る司祭。さらに、当然、かさねさんは、変身することもできない。こんな状態でやってくるなんて、命を捨てに来ているようなものだ。

 たった今、私はそれを避けるために、覚悟を決めたところだったというのに。

 けれど、私は、嬉しかったのだ。

 そんなにまでして、かさねさんが私を心配してくれて、私を助けに来てくれたと考えると頭の芯がじんわりと、溶けるように嬉しくって、まるでおんぼろの教会がきらきらと祝福してくれているようにすら感じた。お腹の奥がぎゅうっとなるくらい感動して、思わず涙なんか流してしまうかもしれなかった。

 だから、彼女が妙に冷たい声でこんなことを言い放つなんて、思いもしなかった。

「ねえ、一人で危ないことはしないって、約束したよね?」

 息せき切って走ってきたように、かさねさんは荒い息を吐きながら柱に手をついて、この状況に動じることもなく、開口一番そんな文句を言った。

 それが、私が彼女を責めたことをあげつらっているのはすぐにわかって、私はびくりと身体が震えた。すうっと嬉しかった気持ちが血の気と一緒に引いていった。

 どうして、こんなところまで来て、そんなことを言うんだ。

 まるでおとぎ話の王子様のように、私を助けてくれればそれでいいのに。

 あなたは、こんな私に、そんな追い打ちをかけるのか。

 そして、私も売り言葉に買い言葉とでもいうように、嬉しかった気持ちを飲み込んで、彼女を責める。

「なんで……来たんですか……! 私は、かさねさんを守るために――」

 教会の床には赤黒い血だまりが広がり、生臭さと鉄臭さを混ぜたような異様な臭気が充満していた。私は傷こそすべて治っているものの、血液でぐっしょりと濡れた制服は重く張りつき、めった刺しにされた穴からは肌が覗いている。私の後ろには私をこうした敵二人が佇んでいるはずだ。

 しかし、まるでそんなものすべて見えていないかのように、ただ彼女は、約束を破った友人を咎めるように、ぴしゃりと冷たく私を見下ろした。

「あのさ、私、守って、なんて言った?」

 ひときわ大きな鼓動とともに、私は濁った疼きが心臓から上っていくのを感じた。ばくばくと突然がなりだした拍動が気持ち悪くて、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 かさねさんが、私を咎めて、私を詰って、私を責めた。

 本当はそこまではしていないのだけれど、私にはそんな風に感じられて仕方なかった。だって、今まで、直接的に対立したときですら、彼女がこんなにも冷たい声音を私に向けることはなかった。それなのに、私は、今、かさねさんを守りたくてマリヤと戦って、全身をトラクターに田植えをされるみたいにされて、死んでもいいかと思って、それで。

 その仕打ちが、これなの?

 もうずっと、さっきまでのさっぱりしたような気持ちは失せて、死を覚悟したときすら味合わなかった絶望を感じていた。

 でも、その失望こそが自分の思想を露呈している。彼女は私のことを大切に思っていて、絶対にそんなことは言わないんだと思っていた、という希望が、私をまんべんなく説明していた。

 なんだかもう、なにもかもおしまい、という気持ちで、ぽかんと口を開けて、やってきたかさねさんを見つめる。

 もうなにも、いわないで。

 気が遠くなって、マリヤもイヴァンも天使もなにもかもどうでもよくなって、ただそう心の中で繰り返す。

 けれど、私の想いに反して、さらに彼女は続けた。

「言ってないことで先走ったってわかるはずないじゃん」

 彼女は私に言う。私の気持ちなんてわからないと。わかるはずがないと。むかむかと私の胸を刺激するこの想いすら、あなたが作ったのに。

 私を作ったあなたは、この胸にわだかまる黒とオレンジの病巣を、見てすらもくれないのか。

 失望し、途方に暮れ、空白になった心を怒りが舐める。理屈なんてない、単なる思いの奔流が私の中で渦巻いた。

 私は、かさねさんの役に立てればって……かさねさんに好きになって欲しくて……頑張ったのに……!

 つーんとした痛みが鼻の奥を劈いて、視界がぼんやりと滲む。それでもなんとか口を動かすと、嗚咽混じりの声が、大粒の涙とともに零れた。

「……かさねさん……私が、どれだけ……!」

 あなたのためだけに、そのためだけに、ここにいるのに、なんで。

 どうして、あなたは、私を、見てくれない。

 私はそれだけを想っていたのに……!

 叫び出そうとして、でもお腹に力が入らなくて、痛みに咳き込んで、赤い床に突っ伏した。それを見てか、扉の前に立っていた彼女は、迷うことなく教会の中に足を踏み入れる。私は身体を捻じって逃げようとして、それもできなくて、尻もちをついたまま、まっすぐに私に近づいてくるかさねさんを、睨みつけた。

 来ないで。

 私が何度頭の中で唱えても、彼女は歩みを止めない。

 彼女がぴちゃん、と音を立てて血だまりを踏んで、私のそばで、立ち止まった。

「舞ちゃん」

 かさねさんが、手を差し伸べる。

 けれど、そんなの自分勝手だ、と私の中で私が叫ぶ。

 だって、私はいま、こんなにも苦しいのだから。

 それが素晴らしいものなら、私は苦しくなんてないはずだから。

 自分が受け容れられないのに、彼女を受け容れることなんかできない。そんな幼い感情の表出。

 頭が沸騰するようにカッと熱くなる。受けた痛みを押し付けたいと願って、ただ駄々をこねて八つ当たりする幼子のように、私は、腕を振り回した。

 パシッ、と乾いた音がして、私の手が彼女の手を、払い除ける。

 青色のパーカーの袖から伸びる白い手のひらだけが、この陰惨な教会の中で、ぼうっと浮かび上がっているように見えていたのに。

 それは、それこそが、きっと求めていたものだったはずなのに。

 私はたった今身体を動かしている感情に飲まれる。のどに詰まっていた栓が抜けたように、さっきまでの鬱憤を籠めて、私は叫んだ。

「今更どの口で私を助けるんですか!? わかんない、なんて、私のことなんかわかろうともしてないくせに! そんなことができるなら、最初から――」

 こんなことを言って、どうして欲しいのかなんてわからない。

 そもそも、なにを言っているのかもわかっていない。

 ただ、私はわかってほしいだけで、どうにもならない今を思い通りにしたいだけだった。

 でも私は結局なにも言えなくて、いつも通り、馬鹿みたいに声を上げるだけ。

「戦えもしないくせに、なにもできないくせに! 私の邪魔ばっかして……!」

 ああ、なんて醜いのか。

 他人が思い通りにならないなんて理由で、ただ傷つけるために言葉を尽くす。あんなに、自分の思っていることを伝えることができなくてもどかしかったのに、彼女を貶めるためなら、思ってもいないことが簡単に口をつく。

 こんな私が、私は嫌い。

 その私が、私であるかすらわからなくした、この世界が嫌い!

 そんな世界を作り出した、いるのかもわからない神さまが嫌い……!

 もう、ぜんぶぜんぶ、いや――!

「――でも、私は、舞ちゃんのために、ここへ来たよ」

 私の身体が、温かい感触に包まれる。

 暴れる私を抑えるように、かさねさんはそっと腕を回して、私を抱きしめていた。

 じんわりと彼女の体温が伝わって、尖った私がふわふわとしたなにかに拭い去られる。弛緩した喉から、行き場をなくした声が漏れる。

「……かさね、さん…………」

「舞ちゃんのことはわかんない。私は冷たい人間だから、わかろうともしていないのかもしれない。でも、ここに来たのも、こうしているのも、私がやりたいからやるだけだよ」

 この人の、こういうところが……!

 やることもなすことも普通と言えば普通で、ともすればおとなしいくらいなのに、どうして彼女はこんなに圧倒的で、私を打ちのめすことが、簡単にできるのか。

 思えば、あの時も、あの時も、あの時も、私は、できることを、ただできるだけやるという彼女に、ずっと、やられてしまってきたのだった。

 ほんとうに、もう…………。

「……っ………!」

 言葉にならない嗚咽とともに、私は、彼女に身体を預ける。

 かさねさんは、まるで母親が我が子にするように、優しく私の頭を撫でた。

「頑張ったね。こんなに待たせて、ごめんね」

 最後に彼女がかけてくれた言葉は、私が欲しかったそのものだった。

 かさねさんに褒めてもらえたことが嬉しくて、私のことが分かってもらえたようで安心して、私はぎゅっと彼女の服の裾を掴む。安堵と喜びとそれらの感情の高まりが私を襲って、もう我慢できなくなった私は、わぁっ、と声を上げて泣き出してしまう。

 そんな子供みたいな私を、彼女は慰めるように、ずっと抱きしめていてくれた。

 たったそれだけでさっきまで私を突き動かしていた怒りは涙としてすっかり流れてしまったようだった。

 まったく、笑ってしまうほど単純な私。

「さて、お涙頂戴の再会はそれで終いかね?」

 イヴァンの低い声が響き渡り、私たちの注意はそちらへ向いた。

 祭壇の上に立ち、黒いリヤサに身を包んだ彼は、ただそうしているだけならば、まっとうな聖職者に見えなくもなかった。しかし、彼の背後には何匹もの異形をした天使が控えていて、やはり狂気の世界の住人であることを示していた。

「待っててくれたの?」かさねさんは柔らかな声で問いかける。

「我らとて神に仕える身だ。これから共に冥府に行く二人の挨拶を急かすほどせっかちではないつもりだよ」

「神って、つまりイエス・キリスト?」

「イエスであり、精霊であり、父だ。それらは一体であり、決して分かれてはいない。しかしそれらはただ同じものというわけでもない」

「なんか、神父さんみたいだね」

「紛れもなくその通りだ」

「じゃあ、優しい神父さんは、無力でか弱い少女を見逃してくれたりはしないかなー、なんて……」

 なにを目的に話しているのかと思ったら、ただの雑談のような会話の後、かさねさんは、あの、私に対してノータイムで死を突きつけた司祭に対して命乞いを始めていた。

 それから、私は一つ大変なことに気がついて、冷や汗を垂らしながら、彼女の顔を見上げる。

「か、かさねさん! まさかとは思いますが、なにも……!」

「ああ、うん。いや、来たときはショーもいるし逃げるくらいはできるかなって思ったんだけど、教会にどうしても入りたくないっぽくてね……」

「それはここが〝聖別〟されてるからです! なんでそんなので来ちゃったんですか……!」

「だ、だって、舞ちゃんが心配だったから……」

「ばか! やっぱりだめじゃないですか!」

 私たちの馬鹿丸出しのやり取りにイヴァンは「くっくっく」と、愉快そうに笑う。私とかさねさんはおそるおそる彼の方に顔を向けた。

「無論、我輩は聖職者だ。無力でか弱い少女であれば命を取るわけもない」

「じゃ、じゃあ……」彼女は少し期待を込めた声を上げる。

「しかし、貴様らは無力でか弱い少女ではなく、悪魔の手先だ。そして、悪魔は滅ぼされなければならない」

 つまり、殺される。

 かさねさんは慌てて扉に振り返るが、いつの間にか背後に回っていた四つ足の蜘蛛のような天使がぎぃーという音を立てて、扉を閉じていた。

 彼は携えた杖をまるで軍配のように、私たちに向ける。

「なに、恐れることはない。冥府においても、貴様らに回心の機会は与えられる。信じる者は、たとえそれが死後であれ、悪魔の手先であれ、救われるのだ。おお、神のなんと慈悲深きことか」

 彼が一声かければ、私たちはたちまち天使に襲われるだろう。

 身廊の真ん中に座り込む私とかさねさんはなにか助けになるものがないかと、教会中を見回した。

 知らないうちに壁際には、ずらりと天使が並んでいて、私たちを――ほとんどは目があるのかもわからなかったけれど――睨んでいた。蹴り飛ばされて、椅子の間に転がっていたマリヤは立ち上がって、少しだけ申し訳なさそうな表情で、かさねさんを見ていた。教会中の窓のほとんどははめ殺しのステンドグラスで、外に出るなんてことはかなわなかった。

 やっぱりなにも見つけられなくて、私は顔を伏せる。

 かさねさんも、天井を見上げたまま目をつむって、最後のあがきをやめる。

 ただ一つ、あれらが恐らくはなんの欲求もなく、苦しませることなく殺すであろうということだけが、救いかもしれなかった。

 せめてかさねさんが来なければ、と思うものの、彼女が私の死の前にここに来てくれたことが嬉しくなかったとは言えなかった。

 私がそんな諦めと悲嘆に暮れた時、かさねさんは腕に力を入れて、私を抱き寄せる。

「ねえ、最後に一つ聞いてもいい?」彼女はまた問いを投げる。

「手短であるならば」

「あなた、神さまには会ったことある?」

 彼女がどうしてそんなことを聞くのか、私にはわからなかった。

 せめて最期に彼らを困らせてやろうとしているのか、遺言でも伝えようとしているのか、それとも、なにか助かる糸口を探しているのか。

 彼はかさねさんの問いに事務的に答える。

「神は我々に対して簡単に姿をお見せになることはない」

「そう。じゃあ教えてあげる」

 彼女は、なぜか天井に向けて、私を抱いていない右手を伸ばした。

 まるで蜘蛛の糸を掴むように。

 まるで降りてくるはずの救いを待つように。

 そして、不敵な笑みを浮かべて、世にも珍しい本物の体験者としての言葉を語る。

「神さまっていうのはね、半分くらいは、クソ野郎よ」

 そう言い切るのと同時に、どこからともなく、放物線を描いて、彼女の右手に革張りの本が収まった。

 その本は彼女を持ち主だと認めるように、ぼんやりと光を発して、手のひらの上に浮かび上がり、からくりでも仕掛けられているかのように自力で表紙を開く。

「なんだと!?」

 イヴァンが驚きの声を上げる。

 私もまったく同じ心境だった。いったいどこから、と天井を見上げても、そこにはなにもない。きょろきょろとさらに視線をさまよわせれば、二階部に設えられた回廊に、人影を見つける。

「あれは――」

 ふわふわの長い金髪にひらひらとした長丈の上着を羽織り、まるでここにいるとは思えないような、どこか現実離れした美しい女性がこちらに手を振っている。

 彼女は――上岡あさみ。

 前回の事件の首謀者にして、私を殺し、奇跡へと組み込んだ女。

 邪神に魂を売り、かさねさんと同じように、大切な人を救うために奇跡を起こした魔女。

 そして――かさねさんの母親。

 なぜ彼女が、こんなところに……!?

「だが、〝聖別〟されたこの場所ではなにもできはしない! 殺せ!」

 イヴァンが焦りとともに天使への命令を叫ぶ。その言葉に反応して、彼らは私たちに向かってじりじりと包囲網を狭めていく。

 かさねはそれを見ることすらせず、まっすぐに彼を見つめ、胸の前にその魔導書を掲げた。

 それは、前回の事件において、たった今現れたあの魔女を破ることによって手に入れた勝利の証。

 人の持ちうるすべてが記されているという、神に授けられた人類の叡智の結集。

「ふぅん。あなたたちの〝聖別〟とやらがどれだけ強いかは知らないけど――」

 彼女の手の上で、魔導書はバラバラとひとりでにページがめくられていく。

 その魔導書の名は――ネクロノミコン。

 邪神ナイアルラトホテプが管理する『命と魂についてのすべて』の魔導書。

 それは同時に、ナイアルラの名において、ほぼ無制限の現象改変を可能とするショートカット集。

 ネクロノミコンを授けられたものは、その無限のページに書かれた無限の魔術を思いのままに操ることが約束される。

 それはつまり、あらゆる時代の魔術師たちが書き記してきた魔術、そのすべてを実現し、外なる神の権限により世界を改変する最速最強の実行コマンド――!

「――もし、あのクソ神より強いって言うんなら、倒して来て欲しいものね?」

 光。

 冷たく、青白い、決してこの世のものではない光がネクロノミコンから放たれ、私たちを包む。ぞっとするような感覚がして、私は全身に感じられる温かい感触に縋りつく。

 強まり続ける光に、私からあらゆる感覚を失われていって――。

 すべてが消え去った時、私たちはもう、教会の中からはいなくなっていた。


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