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カース・オブ・ビーイング  作者: かたつむり工房
第三章 入れ違いすれ違い
13/36

3-2

 そこに屋上につながる扉があることは知っていた。

 でも、ほとんどの学校がそうであるように、私が通う学校も、当たり前に屋上への扉には鍵がかかっているはず……だった。

 彼女からの手紙は杏子と別れた後、トイレの個室で開封した。今時手紙なんて恥ずかしくて堂々と机の上に広げる気にはならなかったのだ。まあ私にそんなちょっかいを出してくるようなクラスメイトはいないのだけれど。

 とにかく、開けた手紙には、そこにそっけなく呼び出しの時間と場所が書いてあった。

 時間はなんと今すぐで、場所はこの階段の上にある屋上。

 舞ちゃんは別れ際にわざわざ私に「マリヤに呼び出されても行かないように」と釘を刺してくれていた。でも、彼女には申し訳ないけれど、私はその手紙を見てすぐ、行くことに決めた。

 マリヤからもらった手紙の通り、校舎の隅の人気のない階段を昇っていくと、薄暗い踊り場に上階から光が差し込んでいた。薄く開いた金属の扉は私を招き入れるように、線のような隙間から陽光をちらつかせて、屋上への道を指し示す。

 扉を押すと、ぎぃと軋むような音が鳴る。こんなところ、そうそう使われるはずもないから、蝶番が錆びついているのだ。私は音を聞きつけて先生がやってきたりしないか少し後ろを心配しながら、おそるおそる身体を滑り込ませた。

「マリヤ」

 屋上には強く風が吹いていた。

 マリヤの長いブロンドが翻って、大きな風の塊が目に見えるようで、その流れに逆らう柱のように彼女はしっかりと直立して私を振り返る。

 金髪碧眼の留学生の存在は学年が下の私のクラスでも随分騒がれていた。外国人というだけでも目立つのに、それがモデルのような美少女だというのだから、娯楽に飢えた中学生が目をつけないわけがない。男子なんかわざわざ一目見に行く算段を立てていた。

 しかし、その彼女は実際には教会のシスターだかで、舞ちゃんの奇跡を回収しに来ているなんて、誰が考えるだろうか。

 当の彼女は私を認めるとともに顔をしかめた。

「本当に来たのね……」

「マリヤが来いって言ったんでしょ?」

 呆れたように「だからってねぇ」とぶつぶつ言いながら近づいてくるマリヤ。距離が縮まって、その頬が真っ赤に腫れていることに気づく。

「マリヤ、それどうしたの!?」

 私の脳裏に浮かんだのは、あの広場でもう一人の男――イヴァンに頭を殴られていた彼女の姿。

 彼女は、たった今気づいたようにバツの悪そうな顔をする。

「また、殴られたの? あの、一緒にいた男に」

「あなたには関係ないでしょう」

 彼女は威嚇するように冷たい声を返す。でもさすがに殴られた痕を見てしまっては見て見ぬふりは難しくて、私は「大丈夫?」とマリヤに手を伸ばした。しかし、それが届くより前に彼女の手によって振り払われてしまった。

「なにも知らないくせにそんなことしないで」

 まるでこの世のすべてを憎んでいるような黒々とした感情を乗せて私を睨む。

 前にも、彼女のそんな感情を垣間見たことがあった。ファミレスで舞ちゃんと対峙した時のことだ。マリヤは嘘なんかつかないと言った。でも、たぶん彼女は何か大きな気持ちを隠している。

 そして、私はそれがなんなのか今はもう知っていた。

「奇跡が、嫌いなの?」

 マリヤは私の言葉に激しく動揺する。

 セーラー服の裾が握りしめられてくしゃくしゃに皺ができていた。ただでさえ大きな瞳を見開かれて、彼女は三白眼で私をねめつける。まだ出会って二日の相手にこんなことを言ったら、もう仲良くなんてできないかもしれない。でも、ここで聞かなかったらもうタイミングなんてないかもしれない。

「マリヤは自力で魔術――機密が使えないから」

 だから彼女は奇跡が、才能が嫌いで、こんな風に奇跡を摘みとる仕事をしている――とあのよくしゃべる邪神は話した。

 ただの人である私たちは普通、物理法則に従って生きるしかない。科学というのはつまるところそのルールの中で生きるすべのことだ。対して、一般に神と呼ばれる者たちや、この間の天使のようなそれらが生み出した奉仕種族は、簡単に物理法則を飛び越える。彼らは世界(ヨグ)そのものへアクセスして、起き得る現象をちょいちょいといじることができる。

 だから、私たちが魔術を使う、つまりは世界の物理法則を捻じ曲げようと思ったら、彼らの力を借りるしかない。私たち魔法少女は使い魔と呼ばれる奉仕種族と契約して力を得る。そして、彼ら教会の人間は、祈りによって神や天使とのパスを開き、機密を行使するのだという。

 でも、マリヤの祈りは神には届かない。

 〝彼女は祈れないのです。誰よりも敬虔で、誰よりも努力し、誰よりも有能な彼女は、ただ祈れないというだけで誰よりも貶められている。しかし彼女は敬虔であるがゆえに、有能であるがゆえに、それを律することができてしまっているのです〟なんて、覗き見はできないとかのたまっていたくせに彼はまるで見てきたように話した。

 彼女は誰よりも強く、誰よりもうまく機密を扱える。けれど、パスを開くことだけができない。そして、パスをつないでもらうために、自分の努力の結晶である力を振るうために、司祭がどんな仕打ちをしても従わなければならない。

「ええ、そうねぇ。どこでそんな話を聞いたのかは知らないけど、奇跡なんか嫌いだわぁ」

 その心を隠すように目を伏せて、マリヤはまるでひとりごとのように呟いた。けれどそれは、彼女のものだったから。 守るべき内心のために誇りをかざした彼女は、射殺そうとするような眼光を灯して、私を睨みつける。

「でもね、私がこの仕事をしているのは――この世界が主への祈りによって存在し続けているからよ!」

 ダン、とコンクリートの屋上を叩くような音がしたと思ったら、私はついさっき押し開いた扉に叩きつけられていた。勢いのあまり、三つ編みにしたおさげが振り子のように揺れて私の胸を叩いた。

 私は突然の状況変化についていけず、何度も瞬きを繰り返すことで自分の置かれた状況を理解しようとする。

 さっきまで影も形もなかった槍の長い柄が私を押さえつけ、鋭い穂先が首筋を撫でる。そして、その槍を握ったマリヤは顔を伏せたまま、痛みに耐えるように続ける。

「だから、マリヤは舞ちゃんが嫌いなの?」

「殺してしまいたいほどに嫌いよ。信仰心もない異端のくせに神から奇跡を賜って、ましてそれを否定するなんて万死に値するわぁ」

「でもマリヤは殺さない」

「主は殺す勿れとおっしゃったから」

「でも、あなたの上司は違う」

「司祭は敬虔な信徒です」彼女は苦し紛れに言い返す。

「でも、マリヤが私を呼び出したのは司祭に命じられたから、だよね?」

 扉を背にしたままの私が尋ねると、彼女は開き直ったように答える。

「……ええ、そうよ。それなのに、どうしてこんなところに来たわけぇ? こうなるのはわかってたでしょう?」

「それは……」

 わかっていなかった、と言うと嘘になる。舞ちゃんからの忠告は受けていたし、実際のところどうなるかは半々だろうな、と思っていた。私はいまだにペンダントを取られたままで、今も敵対関係にあって、ただ、それでも、私は彼女を信用したかった。

「手紙……」

「え?」

「さっきの手紙。杏子に見つからないようにしてくれたでしょ? だから」

 昨日今日と少なくとも彼女は杏子を巻き込まない姿勢を見せてくれたし(そもそもどういう経緯でホームステイしているのかは不明だけれど)、もし彼女が歩み寄ってくれるなら、私もそれに応えたいと思っていた。

 例えその容姿が異形でも話が通じるなら殺すべきでないと、前回の事件で私は決めた。ましてや相手は人間で、そこに誠実さを感じられるなら、無視するなんてきっと間違っているから。

「ばっかじゃないのぉ……!」

 呆れたような、怒ったような声を絞り出す。

 きっとマリヤは私に来て欲しくはなかったのだろう。でも、彼女は司祭には逆らえない。だから、誰が悪かったと言えば警戒心に乏しかった私だ。

 それでも私は馬鹿だから、別に後悔はしてはいなかった。私はこの街にある脅威がいったいなにで、どうすれば解決できるのかを確かめたいだけなんだから。

「私、戦いは好きじゃないからさ。マリヤと話せればそれでよかったんだ」

「だったら……こうなっても、いいっていうの……!」

 マリヤが槍を握った手に力を籠めるとともに、首筋に刃が食い込んでいく。人間にとって最も脆弱な弱点が今にも切り裂かれようとしていて、私は背筋に冷や汗が垂れる。ペンダントがなく、変身できない以上私は普通の女子中学生だった。表皮に傷がついて、温かな血液が刃を伝って溢れていくことを感じる。

 殺さないはずだ、とは思う。彼女が命じられたことはともかく、彼女自身さっき殺さないと宣言した。それでも、これ以上はまずいと感じた私はポケットに手を差し入れて、そこにあるパスケースを握る。

 その時、この屋上に降り立った影があった。

 今の時刻は八時前。朝日が差す開けた屋上で、それは圧倒的に浮いていた。彼、あるいは彼女は音もなく、マリヤの背後に降り立つ。光を吸い込むような暗黒をしたコート、同色の手袋とブーツで全身を包み、フードの奥には闇が穴をあけていた。立体感が狂ってシルエットだけがそこにあるような気がしてしまって、一瞬それが人間であることには気づかなかった。

 降り立った影は槍が私の頸動脈を割くより前に、素早くマリヤの襟をつかむ。彼女が驚いたように振り向く。

 それから、ぶん投げられた。

「なんっ……!」

 驚きの声と共にマリヤは屋上の向こう側へと放物線を描く。私はそれを呆けたように見送るしかなかった。奇妙な闖入者は無言で私を見上げた。力むこともなく彼女を放り投げたにも関わらず、その影は私よりも小柄で背が低かった。

「あなたは、一体……?」

 影は私の言葉には答えなかった。その代わり屋上の扉を開けて、私を押し込む。抵抗しようにも人一人を片手で投げた膂力には勝てず、半ば放り込まれるように私は階段室に戻される。

「待って!」

 分厚い鉄の扉は向こう側から押さえつけられているようにびくともしなかった。ガチャガチャとドアノブを乱暴に回しても開くことはなく、私は怒りを募らせる。それから、私は半ば自棄になって屋上への扉に体当たりをぶちかます。一回、二回、と体重を乗せた肩がどん、どん、と音を響かせる。

「こんのっ!」

 そして三回目。

「っと、うわ!」

 全体重をかけた体当たりが扉に当たって、私はなんの抵抗もなく屋上に転がり出る。まさか突然扉が開くようになるとはつゆほども思っていなかった私は無様に屋上の床でごろごろと転がった。ざらざらとした床面が半袖セーラー服から出た肌をこすって、さらにいくつかの傷を作った。

 しかし、そんな擦り傷に構うことなく、私は起き上がって屋上を見回したが、私を階段室に押し込めたやつは影も形も見つからなかった。その代わり、屋上の端の方で、先ほど投げられたマリヤが座り込んでいるのが目につく。

「マリヤ!」

 彼女はぺたりとお尻を床につけて座り込んでいて立ち上がらない。腰が抜けているのかと思ったけれど、駆け寄ると、彼女は口をくつわを噛ませられるように、そして胴体をぐるぐる巻きにするように、白い縄のようなもので縛られていた。

「大丈夫!?」

 慌てて、私はそれを落ちていた槍の刃で断ち切る。それと同時に、縄はばらばらと無数の糸に分かれて、彼女の足元に落ちた。口を封じられていたマリヤはけほけほとせき込む。

 糸……?

 だが、わざわざそんなもので彼女を縛ったこと以上に、あの影が、どのようにして投げ飛ばした彼女を立ち上がらせる暇も与えずこれで縛り付け、その上で私をあの扉の向こうに閉じ込めせしめたのか、そしてなぜそんなことをしたのかという疑問が浮かぶ。

 その疑問に答えが出るより前に、束縛から逃れたマリヤが私を見つめた。

「なんで、助けるのよ」

「え?」

 そういえば、なんでだろう。別にわざわざあんな苦労をしてまで私が屋上に戻ってくる意味もなかったはずだ。もう授業も始まるし、あのまま教室に戻ってしまってもよかった。でも、私は戻ってきて、今彼女を拘禁から助けている。さっき私に刃を突きつけた彼女を。

 彼女は真っ青な瞳で私を見上げた。純粋な疑問に満ちたその目がぎゅうっと歪んで、なにも答えない私を睨んだ。とりあえずなんか言わなきゃ、と焦った私は口から出たのは言わないほうがマシな言葉。

「ええと……わかんない」

「はぁ?」

 もうそれ恫喝でしょ……みたいなどすの利いた声でマリヤに疑問を唱えられる。年上だし、私よりも背の高い彼女にそういうことをされると純粋に怖い。ただでさえしゃべるのが得意じゃない私は、パニックになったまま、あわあわと口を動かす。

「ほんとにわかんないんだって! なんとなく閉じ込められたから戻ろうとして、そしたらマリヤが縛られてて、さっきも言ったけどマリヤとはできれば仲良くしたいし……そりゃ利害の問題はあるけど、あ、そう、マリヤのとこの、ほら、ボスも言ってるじゃん。『汝の敵を愛せよ』って」

 もう自分がなにを言ってるのかもわからなかったけれど、マリヤは、目をまんまるにして、きっとまぬけな表情をしているだろう私の顔を見つめた。

 それから、ばつが悪そうに目を伏せて、不機嫌な声音を出す。

「ちょっと、寄りなさいなぁ」

 いきなりそんなことを言う彼女にむしろ私は引き気味だったが少し迷ってから言われた通りに身を寄せる。すると彼女は手を伸ばして私の首筋に触れた。その手にはハンカチが握られていて、傷口にそっと押し当てられる。

「その、血ぃ、結構ひどいことになってるわよぉ」

 言われて自分の身体を見下ろすと、白い夏服セーラーが真っ赤な血糊でまだらになっているのが目に入り、ぎょっとする。傷はそんなに深くなかったはずだけれど、たぶん扉に体当たりとかしていたせいで傷が開いたのだだろう。

「あ、ありがとう……」

 私が拙くお礼を言いながらハンカチを受け取ると、彼女は小声で「まあ私がやったんだけどねぇ……」とつぶやいた。それから、低く重い雰囲気を漂わせて、続けた。

「ごめんなさい。こんなことしかできなくて……」

 罪悪感というよりも無力感にまみれたその言葉は、たぶん、さっきの話の続きだったのだろう。

 機密が扱えない彼女は自分で負わせた傷に対してすら、ハンカチを貸すくらいのことしかできないことがきっと悔しくて仕方がない。しかし、自分の力を持て余してばかりいた私はそれに返す言葉を持っていなかった。それがわかったのか、口を閉ざした私を見下ろすようにマリヤは立ち上がる。

「じゃあ、行きましょ。確か、あるんでしょう? こういう時に行く、保健室とかいう」

 小さな気遣い。それは歩み寄りとしては本当に小さなものだったのかもしれないけれど、今までの敵対関係から考えれば大きな一歩だともいえた。もしもその変化が、私の気持ちが伝わったことによるものなのだとしたら、少しうれしい。

「うん!」

 私はうなずいて、今はまだ敵の転校生が差し出す手を取った。



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