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カース・オブ・ビーイング  作者: かたつむり工房
第一章 コイントス・チェンジ
1/36

承前

あらすじにもある通り「ブラック・ゴート・チャイルド」の続編です。ここから読んでも楽しめるように書いたつもりではありますのでよろしくお願いします。


 どぽん、と汚れた水音を立てて、かさねの身体は日戸川に落ちる。

 水柱が立って、白い細かな泡が水面に広がった。

 いくらかの水飛沫を浴びた舞の影は、確実に敵を死神の鎌にかけたことを確認して、セフィラから力の発露を止める。

 それから、守護者の役割を終えた彼女は、産みの親であるセフィロトの樹に還ろうと浮かび上がり、かさねの死体が作った波紋に背を向けた。

 ふわふわと彼女が空中を泳ぎ始めたその時。

 神が行う奇跡のように、川が割れた。

 突然の異変に、川岸で戦闘を見守っていた神話生物たちは、興奮したようにめまぐるしく色を変える頭の触角を逆立たせ、足並みをそろえて空へ飛び上がる。

 予想外の状況に、樹の守護者も、振り返り、その異変の中心を見つめる。

 壁を作るように水が割れ、露わになった川底の泥に半ば埋まるように倒れたかさねの死体は、不自然に口を開けたまま空を見つめていた。

 魔法少女と神話生物は一緒になって固唾を飲み、それを見守った。

 唐突に、その身体が、なにものかに吊られた傀儡のように、不自然な動きで立ち上がる。両足が柔らかな泥を踏むと、芯が入れられたように、自分の力で死体は地を踏んだ。

 それを見た蟹の神話生物たちは、沸き立つように、一斉に耳障りな声を上げる。

『……来るぞ……!』

 泥だらけになって汚れた純白の鎧は、動物が成長する際に行う脱皮のように、自然と、当たり前のこととして、剥がれ落ちる。

 一糸まとわぬ姿になった彼女の白肌のいたるところから浸み出るように、てらてらと黒く光る触手が肌を突き破って身体を覆う。全身の触手は織り込まれ、一着のロングドレスのように彼女を包んだ。

 最後まで頭に残っていた彼女のペルソナは姿を変貌させ、山羊のような角となって天を衝く。


 夜――それは、最も世界の闇が濃くなる時間。

 生命の具現者が大地に立つと、すべての存在が崇敬の眼差しを向ける。

 姿を隠していたものども。

 存在が消えようとしてた者ども。

 この地を離れようとしていた者ども。

 すべてが彼女の顕現に、驚嘆し、励起され、嗚咽と信仰の声を上げる。

 彼女こそが万物の母。

 黒き豊穣の女神。

 そして――『千の仔を孕みし黒山羊』。

 真の神の降臨に細々と聞こえていたざわめきは徐々に大きさを増し、数多の存在たちは一つの存在のためにたった一つの言葉を斉唱する――!


『『『――! ――! ――――――――!』』』


 なんの変哲もない片田舎の川べりは、外なる神の顕現によって、彼女を信仰する神話生物たちの礼賛の声で溢れ、轟音にも近い叫びたちが包んだ。

 ――――――と化したかさねは、急ぐ必要もないとばかりにゆっくりと、セフィロトの樹へと歩いていく。

 例え相手が外なる神であろうと守護者の役目を果たそうとする真面目な魔法少女は、果敢に彼女へ杖を向けた。

「《星は流れ、光は闇を払う――ルーチェ・ステラーレ》!」

 ちらりと自分の前を阻む存在を視線でとらえた彼女は、ただ右手を伸ばす。

 闇を払う星屑の奔流が彼女のたおやかな指先に触れると、飛び散るように光は空に消えて、そのまま戻ってくることはなかった。

 舞が赤のセフィラを灯らせると、空いていた左手に槍が現れる。

 空を蹴って、魔法少女は携えた槍で神の心臓を貫かんと飛翔するが、その穂先が彼女の胸に触れると、槍は紙細工でできていたかのようにぐしゃぐしゃにその形を潰した。

 星の魔法少女の影は、そのあどけない顔を驚愕に歪ませた。

 そして、彼女はおもむろに自分の頭に生える湾曲した山羊の角に手をかけたかと思えば、ぱきん、と音を立てて片角を折り取った。

 ざらざらと年月の積み重ねを感じさせる鋭い角は、彼女の手の中で、かすかに蠢く。

 そして、――――――は、自分の角を握った手を振り上げる。

 避けることもできず、迎撃もできず、ただ無抵抗に、魔法少女は神の角を突き立てられた。

「……ぁ……!」

 先端を彼女の胸に埋めた角は、ずぶずぶとひとりでに身体の中へ入り込んでいき、角の断面までもが舞の中に消えた時、呆けたように目と口を大きく開いたまま、生命の樹の守護者はすべての動作を停止した。



 角を身体に埋め込まれた舞の姿が消え、彼女を樹と繋げていた糸も消えていく。

 銀色の幹は光を失い、金色の枝葉は色褪せる。

 木肌はひび割れ、十のセフィラは熟しすぎたようにぼとぼとと川面に落ちていく。

 いくつかは大きな水柱を上げ、またいくつかは川底で泥に塗れた。

 急速に力を失いつつあるセフィロトの樹は、色とりどりの輝く球が完全に自分から離れてしまうと、うって変わって小さな一つの実をつけた。

 眩いほどに真っ白で、夜闇の中に姿を浮かび上がらせる石にも似た実。

 片角になった――――――は、川底から姿を消すと、道程を無視するように、いつの間にかその実を手に取っていた。

 金色の枝から彼女がそれを捥ぐと、同時に割れていた川は閉じ、枯れ果てた生命の樹は不死の源を失って、その水勢にすら耐えられないかのように巨体を傾かせていく。

 実を捥いだ彼女は、また一瞬にして、川岸に立っていた。

 そして、それを丸のみにする。

 林檎ほどもある実にもかかわらず、苦しそうなそぶりも見せずにそれを一息に飲み込んだ。

 すると、その実が生命であったかのように、かさねの下腹部はまるで妊娠したように膨らむ。

 彼女が膨らみきったお腹を愛おしそうに撫でると、その部分を覆っていた触手が隙間を開くが、少女の肌があるはずのそこには黒々と見通すことのできない産道が開いていた。

 ばしゃり、と濡れた音を立てて、かさねの身体に開いた穴から、彼女と同じくらいの大きさの人間が産み落とされる。

 羊水とともに誕生を迎えたのは、制服に身を包んだ舞。

 舞は、産声を上げる代わりに、安らかな寝息を立てていた。

 かさねは、出産した友人の頭を優しく撫でると、角も消え、女子中学生の姿に戻って、意識を失った。

 誰にも顧みられることなく、孤独に崩れていくセフィロトの樹は、バキバキと倒壊する音を静かな夜に響かせながらその角度を増していき、金色の枝葉が水面にぶつかると、波も立たせることなく光の粒となって、消えていった。

 そうして、すべてが終わった日戸川には妙齢の金髪の女性が浮かぶだけ。

「かさねを立派に育ててくれてありがとう、真二さん」

 雲が霧散し、晴れた夜空に浮かぶ月を眺めて、一人の魔女は呟くように敗北を宣言した。




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