もはや保健室の主
「つくづく保健室に縁のある連中だなお前らは……。いっそ保健室同好会でも作ってみるか?いや、保健部のほうがなんか響きがいいな」
呆れた声が僕の上から聞こえる。
「その顧問は先生ですか……。で、毎日僕らは担ぎ込まれないといけないんでしょうか?」
「お前らならやりかねんな……。なあ、そこのお嬢ちゃん?」
「それはその変輩しだいです」
そして前からはベッドの上で膨れっ面で後頭部を冷やす優季ちゃんが冷ややかな視線と声を惜しみなく注いでおります。で、僕は床にてまたしても土下座。いやまあ、仕方がないけど。
「それで、どうして僕の背中に先生が座っていらっしゃるのでしょうか?」
「いやなに、ちょうどいい椅子があったのでな。━━というのは半分冗談だが」
「半分は違うんですかい!?」
「一応の罰だ。女の子にケガ━━しかも後頭部はさすがに危険だ。そこの子も少しでも気分が悪くなったら言うように」
「はい……」
「どうぞお好きなだけお座り下さい!」
と、背中の重さが消えた。
「あれ?」
「少し外に出て煙草でも吸ってくる。その間にキッチリ謝っておけよ」
「あ、はい。あぁ……重かっ━━」
「女の子を傷物にしたと親御さんに報告しておくか……」
「羽毛布団のような軽さでした、sir!!」
「冗談だ。━━たぶんな」
そう言うと保健医は出ていった。
「これが女性には言ってはいけない恐怖のワードか……」
「…………先輩」
「ハ、ハイ!」
「何で布団なんですか?」
「……僕にも分からん」
「まあいいです。もういいですから座って下さい」
「では、失礼して」
ようやく椅子に座って顔を会わせたものの。
「…………」
「…………」
何を話せばいいんだ?
そもそもどうして優季ちゃんは教室に来たのか?ケンカってどういう事?いやその前に━━。
「先輩、ごめんなさい」
「え?」
逡巡していると、先に優季ちゃんの方から何だか胸にチクリとくる台詞が発せられた。
「ちょっと待ってくれ。まずは僕が謝らないと。だいぶひどい目に遭わせてしまったし」
何しろ床とオデコのサンドイッチになったのだからダメージは大きい。
「それはあたしも原因のひとつですし、さっき散々土下座しながら謝ってもらいましたから。……まあ、確かにあちこちぶつけましたけど」
そう言いながら優季ちゃんは気になるのか口許を触っている。
「もしかして切った?」
「いいえ、先輩の方が少し切れています」
「あれ?そうか?」
なんか痛いような気はしていたが、慌てていたからほっといていた……って。
僕の唇が切れている→優季ちゃんが口許を気にしている→???
「とりあえず!それは置いておいて下さい」
優季ちゃんが赤くなった顔で制する。でも置いておいていいのかなぁ……?
「おほん。それで本題なんですが、この間の件で先輩に言いたい事があります」
この間というと、やっぱり━━。
「告白(そして玉砕)の件?」
「はい。それで、先輩はあたしの事をどう思っていますか?」
「━━??。好きだよ」
「じゃなかった、間違い!間違いです!あたしが言った『ごめんなさい』を聞いてどう思ったかでした!」
「落ち着け優季ちゃん。ほら、深呼吸して。ひっひっふー」
「あ、はい。ひっひっふー…………はっ!」
「本当にやるとは思わなかっ━━」
どすぅ!
「ぐふっ!上半身だけでこの威力……」
「死に物狂いのリハビリは伊達じゃありません。……それよりいい加減にしないと本当に嫌いになりますよ」
「海より深く反省……ん?『本当に嫌いに』??」
「あ……」
それって、かなーり都合のいい解釈をすれば。
「それならこちらから質問。優季ちゃんは僕の事をどう思っていますか?」
居住まいを正して、今度こそ真面目に優季ちゃんと向き合う。
さすがに僕の本気を感じ取ったのか、優季ちゃんは手をぎゅっと握りしめてしばらく俯いてから決心したように顔を上げる。
「━━好き……………………だと、思います」
「そうか……って、うわぁ!」
途端に優季ちゃんがポロポロ涙を溢し出した。
「ど、どうしたの?」
嬉し涙には見えない。むしろ何かすごい悔しそう!?
「だって……先輩がちゃんと好きって言ってくれたのに、あたしは自分の気持ちもはっきりしなくて……。この間もなんて言ったらいいか分からなくてあんな事を…………」
「…………」
この娘は。
とても不器用。そしてびっくりするほど純情で真っ直ぐなんだ。
そして、初めての気持ちにぶつかってぶつかって、それでも正面からぶつかって。泣いても転んでも前に進もうとしている、根っからの熱血スポーツ少女か。
「優季ちゃん」
「……はい」
「僕はここしばらく優季ちゃんに会えなくて、まあ、フラれたと思っていたのもあって脱け殻みたいになっていた。優季ちゃんはどうだった?」
「……最初はまだ混乱していていっぱいいっぱいになっていて……。でも何日も先輩に会わないうちに何だか自分の中が空っぽになるみたいな……以前のあたしに戻ったみたいになりました」
「そりゃ、好きな人に会えなかったら元気も無くすよ。それじゃ、実際に会えてどうだった?」
「もうびっくりでした。思い切って会いに行ったらいきなり抱きしめられて心臓がドキドキしっぱなしでした」
「うんうん、好きな人に会えたらドキドキするよね。僕も同じ。優季ちゃんに会えてすごく嬉しかった。膨れっ面も可愛いと思った」
「もう……」
優季ちゃんが少しだけ笑ってくれた。
「そして、好きだからキスを意識した。優季ちゃんは?」
「!?」
見る間に優季ちゃんが真っ赤になる。
「好きでもない人とキスしてしまったかもしれないと思ったらそんな顔にはならないんじゃないかな」
「今はひどい顔になっていると思いますから、見せないで下さいね?」
「惜しい!写真に撮っておこうと思ったのに」
「イ・ヤ・で・す」
あかんべーをされた。
「後は……相手が笑ってくれたらすごく嬉しくなったりするのも好きな証拠だよ」
「なら……あたしは先輩を好きだって自信を持てそうです。今、先輩のレアな笑った顔を見ていて嬉しくなりましたから」
「レアって……僕はゲームのレアカードか何かかい」
「それも普段はすっとぼけた顔で人をからかってばかりだからSR以上です」
「否定できんのがなんとも……。ほら、これ使って」
僕はハンカチとティッシュを取り出して優季ちゃんに渡す。またジャージになるのもアレなので。
「……すいません」
優季ちゃんも思い出したのか、少し恥ずかしそうに後ろを向いて鼻をかんだ。
「そういえば、鷹子とケンカしていた、とか斥候から聞いたんだけど」
晴れて両思いとなり(ぶいっ!)、落ち着いたところで。
「あ~~、あれですか。あれは実はケンカじゃなくて、鷹子ちゃんに怒られたんです」
「怒られた?鷹子に?」
それこそレアな状況ではないだろうか?
「その、先輩に『ごめんなさい』って言った事を怒られてました。あれじゃ絶対に誤解されたから、ちゃんと話をしてきなさいって言われて」
「……と、いう事は」
「はい。それで先輩の教室に行ったんです」
「今度、鷹子にもお礼を言っておくよ」
本当に世話焼きなやつめ。
「そうして下さい。色々痛い思いもしましたけど、ね」
そう言って優季ちゃんは自分の唇に手を当てた。
いやいや、そんな仕草をされたらなんというか。あ、優季ちゃんもちょっと顔が赤くなっている。
「……優季ちゃん。もしも、だよ。好きじゃないヤツからキスとかされたらどうする?」
「えっと、100万回くらい殴って殺すかな?」
わあ恐い。
「じゃ、僕は殺されないですむかな」
「……試してみますか?」
おーい、その上目遣いはヤバイですよ?
「ファーストキスが事故でしかも本当かどうかも分からない、なんていうのも嫌ですし……」
「あ~~と。実際僕もどうだったのかあやふやなんだけど……」
逃げ腰の僕に、つつ……と優季ちゃんが迫ってくる。
ちなみに今は二人でベッドに横並びで座っている。僕の手に優季ちゃんが自分の手を重ねてきて……これ以上は逃げられない。
いや、想いが通じたのはいいけどいきなり?いやいや事故を含めればすでに今さらなのか。いやしかしだかしかし!
「先輩……」
でもやっぱり。
━━可愛い。
そっと優季ちゃんが眼を閉じた。
(愛美先輩!押さないで下さい!バランスが━━)
(あ、こら!堪えて鷹子ちゃん)
(お前ら……何をしている?)
(しーっ、先生、良いところなんですから!)
(ここは保健医の職場なんだが?)
(ボクが言うのもなんですが、そう言いながらしっかり覗いていませんか?)
「…………」
「…………」
…………………………………………………………………………お約束な連中め。
すると、優季ちゃんが無表情ですっとベッドから降りて。
すたすた、ガラッ。
「あ」
「あれ?」
「や、お嬢ちゃん。お楽しみの最中に失礼」
「ここで皆して何をやっているのかな?」
『ずごごごご……』という音が聞こえそうな迫力。さすがは「あの」親父さんの娘である。
「あはは~、真一が慌てて優季ちゃんを担いでいったあと、どうなったかなーって心配で。先輩として当然の行動だよ!」
「私はさっきも言った通りに戻ってきただけだ。ついでに青少年の生態を観察できればよかったのだが」
「ボ……ボクは……」
「た・か・こ・ちゃん?」
「な、なんでしょうか?」
「あたしが先輩の教室に行く前に、『ボクはここで待っているから、しっかりね!』とか言って送り出されたような気がするんだけれど?」
「ええと……そんなことも……言った、かな?」
「鷹子ちゃん!!」
「ごめんなさ~~い!」
まったくコイツらときたら。
「あれれ、優季ちゃんと鷹子ちゃん、本当にケンカになっちゃったねー」
「愛美は何を他人事のように振る舞っているんだ?」
「あは、ばれたか。まあとりあえずね、真一?」
「何だよ」
「おめでとう」
「……どういたしまして」
なおもぎゃいぎゃいと騒いでいる二人を見ながら僕は、保健室同好会を作るのも案外悪くないかな?なんて考えていた。
がんばれ。




