71.舞台の裏で
実は書き溜めなんて存在してないのだ……
謁見の間での一件が起きる直前、ルナは騎士団の詰所で聞いた、とある話の信憑性を確かめるべく走っていた。
とある話とは、『慎司が貴族を殺し、王城へ連行された』というものであり、それを聞いたルナは怒りと諦めの感情を抱いた。
(ご主人様は例え奴隷でも、大切なもののためには容赦ないですからね。独占欲が強いと言いますか、失うのに怖がっているというか……)
そんな事を考えながら、ルナは慎司が購入した、王都の一角にある一軒家に来ていた。
勿論それは慎司の家であり、ルナが帰るべき場所である。
騎士団に伝えられた話の中で、コルサリアについて言及されていなかった事を考えると、恐らくコルサリアは家に帰っているに違いない。
そう考えての行動だった。
(しかし、どうやったらそこまでご主人様を怒らせることができるのでしょうか?)
未だ強く叱られたことの無いルナは、ふとそんなことを考えた。
慎司は基本的に柔らかな物腰で話すし、感情のままに行動することは少ない。
激情に駆られた行動というのを、ルナは見たことがない。
(コルさんにきちんと話を聞かなければ……!)
決意新たにルナは家のドアを開ける。
鍵については門番をしているグランから受け取っている。
そのグランだが、慎司の一件を聞いたところで特に取り乱すこともなく、ただ静かに頷いただけだった。
その様子から受け取れるのは、主である慎司に対する深い忠誠心と、信頼だけだった。
召喚されて日の浅いグランだが、どうやら立派な忠誠心を持っているようだ。
「ただいま帰りました」
ルナがそう言うと、リビングの辺りからパタパタとアリスが走ってくる。
艶やかな黒髪が乱れるが、アリスはそれを一切気にしていない。
しかし、ルナの隣に慎司の姿がないのを見ると、不思議そうな顔をして首をかしげた。
「ルナ姉、パパは?」
「私の方が知りたいかな。王城にいるみたいだけど」
ルナの返事にアリスは分かったような、分からないような顔をするが、ルナに会えたこと自体が嬉しいのか、次第にその表情が綻んでいく。
健やかな笑みを浮かべて抱きついてくるアリスの頭を撫でてから、ルナはリビングへと向かう。
「おかえりなさい、ルナちゃん」
「……はい、ただいまです。コルさん」
コルサリアは思った通りに既に帰っていたらしく、ルナの姿を見ると声をかけてくる。
普段通りの様子のコルサリアを見て、ルナは少し不思議に思う。
(コルさん、なんでいつも通りなんだろう?ご主人様が心配じゃないのかな?)
そんな思いが顔に出ていたのか、コルサリアはルナの目を見て、優しく微笑んだ。
「ルナちゃん。シンジ様なら心配いらないわよ?ステルさんに頼んで様子を見てきて貰ったの」
「えっ?ステルさんに……。それで、ご主人様は!?」
コルサリアが慎司については心配ないと言うが、ルナはどうしても心配してしまう。
ステルに頼んだという話についても、詳しく聞いておきたかった。
コルサリアは顎に手を当てて少し考えると、口を開く。
「えーっと、そうねぇ。まず話は少し前のことなんだけど──」
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慎司から先に帰るように言われたコルサリアは、すぐに慎司が何を思ったのか察した。
だが、察したが故にコルサリアは黙って指示に従って家に帰ったのだ。
家までの帰りの途中、裏道に倒れている男を見かけたが、コルサリアは特に気にしないことにした。
そして、グランにアリスの相手をするよう頼んで家に入るなり、コルサリアはどことも言えない虚空に向かって声を放ったのだ。
「えっと、ステルさん。いますよね?」
「ここに」
その声に呼応するように何処からともなく現れるステル。
コルサリアはいつもの穏やかな笑みを浮かべたままステルに頼みごとをした。
頼みごととは『また何かしている慎司について危険かどうか調べてきて欲しい』というものであり、ステルはその頼みごとを受けてすぐに行動した。
ステルは素早さがとても高く、隠密行動や諜報に長けている。
そのため、主である慎司の魔力を辿り、王城に忍び込むのは簡単であった。
しかし、王城が諜報活動について対策をしていないはずもなく、王族を守るためにもその対策は最上級のものだった。
ステルは限られた時間の中で情報を集めていき、見つかるギリギリのところでコルサリアの元へ戻った。
戻ってきたステルを見ると、コルサリアはすぐに慎司の安否について尋ねた。
「ステルさん。シンジ様は大丈夫でしたか?酷いことされていたりしませんでしたか?」
「はい、我が主は現在王城にいます。しかし、どうやらエイブレット王や上層部の意見としては、今回の件を不問にして仲間に引き込もうとしているようです」
「まぁ、そうなの……よかったわ」
ステルの言葉にコルサリアは胸を撫で下ろす。
幾ら慎司が強いと言っても、王族に刃向かうことはできない。
いや、正確にはできるだろうが、ルナやコルサリア、アリスの事を考えると慎司は黙っているしかないのだ。
そのため、友好的な意見にコルサリアは安堵したのだった。
「でも、なんでそんなに友好的なのかしら?」
抱いて当然の疑問を口にすると、すぐにステルから回答がくる。
「どうやら、我が主の力の一端を感じ取った、ジスレア・オルタンスという騎士団員が進言したようです。ジスレアが味方につけたのはギルドマスターであるカレントのようで、流石に上層部もギルドマスター直々の意見となると、無下にすることもできなかったようです」
短時間でこれほどの情報を集めてきたステルを、素直に凄いと感心しながら、コルサリアは更に問を重ねる。
「そうなのね。……それなら、安心かしら?他になにかあるかしら?」
「そうですね、アルテオ伯爵という人物ですが、ただならぬ気配を纏っておりました。我が主には劣りますが、かなりの強者でしょう。この男からは、魔族のような気配を感じました」
ステルの言葉に、穏やかだったコルサリアの表情が冷たいものへと変わっていく。
ステータスでは圧倒的に上回っているはずのステルでさえ気圧されてしまう、そんな凄まじい迫力を感じて、ステルは身を固くする。
「そう……魔族が」
「いえ、正確には魔族かどうかはわかりません」
「まぁいいわ。シンジ様が負けることはないでしょうし」
「はい、我が主はお強いですから」
内心で冷や汗をダラダラとかきながらステルは返事をしていく。
一つでも間違えたら、コルサリアの冷たい意志がこちらに向かうと思うと、ステルは緊張する。
そんな時、ステルの感覚にルナの存在が引っかかった。
「む、ルナ様が帰られたようです」
「あらあら、ルナちゃんが。ありがとうございました、ステルさん」
「仕事ですので。……では」
ステルの言葉に一気に表情を柔らかくしたコルサリアは、アリスを呼びに行く。
「アリスー?戻ってらっしゃい」
「わかったー!グラン、またねー!」
「はい、姫。また遊びましょうぞ」
グランに挨拶をしてきたアリスをリビングに迎え入れ、コルサリアはその黒髪を整えてやる。
ややお転婆な所があるが、アリスは楚々とした態度を取れば人形のような美しさを持っているのだ。
「アリス、もうすぐルナちゃんが帰ってくるみたいよ。さっきステルさんが言ってたわ」
「おー、ルナ姉!今日は早いんだねー」
そう言うアリスは、部屋の壁にかけられた時計を見る。
最近グランに教えてもらい、時計を見て時間が読めるようになったアリスは、普段より早いルナの帰宅に喜んでいる。
コルサリアはささやかではあるが、アリスの成長を嬉しく思うのだった。
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ステルから聞いた情報をルナに話すと、魔族の辺りでは顔を青くしたものの、最後まで聞き終わったルナの表情は安心しきったものに変わっていた。
「はぁー……よかったです。ご主人様は処刑されたりしないんですね」
「ええ、ステルさんがそう言ってたわ。それに、いざとなったらステルさんかグランさんが何とかしてくれると思うわ」
「ですよね。二人ともかなり強いですし」
ルナは騎士団の訓練に参加するようになってから、グランやステルの異質な強さを感じ取れるようになっていた。
騎士団の隊長たちでは恐らくグラン1人にすら勝てないだろう。
無論、グランとステル二人がかりとなれば、恐らくディランでさえ敵わない。
そんな二人の存在もあってか、ルナとコルサリアは大人しく家で待つことを決めた。
悩みの慎司の安否はステルのお陰で解消されたため、その顔に憂いは特にない。
あるとすれば、慎司と離れている寂寥感だろうか。
いつの間にかコルサリアの膝の上に乗ったアリスだけが、楽しそうに笑っているのだった。




