70.鮮血
短めです
フラミレッタは最初、自分の頬にかかった生暖かい液体が何か分からなかった。
ぬるりとした感触が頬を伝い、辛うじて動く眼球が滴る“ソレ”を捉えた。
痺れる体を無視して、なんとか見えたのは、赤い液体。
(……え?これは、血?)
床に落ちていく“ソレ”を流れ出た血だと認識したフラミレッタは、途端に息苦しさを感じた。
初めて見たわけでもなく、トラウマがある訳でもない。
しかし、それは安寧の日々の中で流される怪我としての血に対しての感覚。
今、目の前にあるのは誰かが明確な意思をもって傷つけられて流れた血だ。
(体は痛くない。……いや、麻痺した体が痛みを感じないだけかもしれない。……それなら私は、ここで?)
──死ぬ。そう感じた。
眼下を流れる血は次第に量を増していき、水たまりのようだ。
恐慌状態に陥りつつも視線をあげれば、エイブレットや臣下たちはフラミレッタの方を見ている。
(……違う。見ているのは私じゃなくて──)
「がはっ!──くそ、がぁ……!」
後ろから聞こえる男の声で、フラミレッタは全てを悟った。
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アルバジルを倒したと思い、少し気が緩んだその瞬間。それを好機と見た、アルバジルの仲間らしき男がフラミレッタに剣を突き出した。
慎司にとっては運良く、その男にとっては運悪くその姿を見た慎司は、咄嗟に2人の間に体を滑り込ませた。
──ズブリ、という感触が全身を駆け巡る。
鎧の守っていない脇腹に刺さった長剣が、慎司の体を死へと誘う。
視野狭窄にでも陥ったのか、急速に狭まる視界の中で、慎司はゆっくりと藍色の剣を持ち上げる。
脇腹と左手で男の腕を捕らえ、動きを封じる。
痛みに負けないよう歯を食いしばり、目の前の男に慎司は剣を突き出した。
(首……飛んでる。ちゃんと殺せたか)
やや幅広な刀身を真横にして突き出した剣は、男の首の骨などお構い無しに切り裂く。
頭と首から下を断ち切られた男は、ビクリと体を震わせ、絶命する。
(あとは、キュアを……、いやその前に俺にヒールか……?)
ギリギリのところでフラミレッタを救ったが、慎司の脇腹から流れ出る血は、かなりの量となっており、段々と意識が遠のいていく。
(くそ、もう意識が……)
刺された脇腹は尋常じゃない痛みを発し、同時に灼熱の如き熱さを感じさせる。
「がはっ!──くそ、がぁ……!」
最後に血の塊を吐き出し、慎司は意識を失った。
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慎司が倒れてから5分ほど時間が経つと、謁見の間にいた者達の麻痺が回復した。
動けるようになった兵士は各々の守るべき要人を背に庇い、魔族の3度目の襲撃に備え出す。
しかし、フラミレッタはそれどころでは無かった。
後ろで聞こえた声は、間違いなく慎司のものであり、フラミレッタは僅かに残る痺れなど意に介さず背後を振り返る。
「ああっ!シンジさんが、シンジさんが!」
フラミレッタが振り返ると、そこには血の海に倒れ伏す慎司の姿があった。
ほんの30分前には、罪人として見ていた相手が、今ではフラミレッタの中では自分を救ってくれた英雄へと変わっていた。
しかし、その英雄は今や血を流し倒れている。
未だ12歳の少女に過ぎないフラミレッタの悲痛な叫びは、仕方が無いものだろう。
「誰か!回復魔法を!」
泣き叫ぶしかできないフラミレッタの背後では、エイブレットが鋭く指示を飛ばしていく。
指示を受けた宮廷魔術師の1人が詠唱を始める。
「フラミレッタ様、こちらへ!」
倒れた慎司にすがり付くフラミレッタを、誰かが抱き起こす。
フラミレッタが泣き腫らした目で見れば、それはジスレアであった。
「……ジス、レアさん。シンジさんは、助かりますよね?」
「はい、我が国の誇る最高の回復魔法使いが回復にあたっているのです。ご心配なく」
「そう、ですか……」
ジスレアの言葉で僅かながら安心したフラミレッタは、ジスレアの手を離れてしっかりと立つと、周りを見回した。
周りに注意を払う兵士や、窓を警戒する近衛兵、そして貴族たちを逃がそうとする騎士団。
たくさんの人が、少なくない動揺を与えられてなお、職務を全うすべく動いていた。
(……そう、お父様は大丈夫なのでしょうか?それにお兄様も)
そう思ってフラミレッタがエイブレットたちを見れば、エイブレットはちょうどこちらへやって来るところだった。
走ることはしないが、それでも早足で近づいてきたエイブレットはフラミレッタの体をあちこち眺め、怪我がないのを確認すると深い安堵のため息をついた。
「ああ、よかった。フラミレッタ、怪我はないか?」
「はい、お父様。シンジさんが身を呈して守ってくれましたから」
「そうか、シンジはやはり高潔な魂の持ち主であるな」
フラミレッタはやや頬を赤く染め体を揺らし、エイブレットは自分の目に狂いはなかったと深く頷いている。
「あの、まずはお父様は指示を出してくれますか?」
「そうだな……うん。わかってるわかってる」
そんな2人に冷水を浴びせるような声で、ウェルテッド王子がエイブレットに囁く。
声をかけられたエイブレットは片手をあげてウェルテッドの言葉を遮ると、近衛兵を1人近くに呼ぶ。
「貴族の者達を帰して、その後にシンジを部屋に運べ」
「はっ!」
指示を受けた近衛兵は集まっていた貴族たちに事情を説明し、外へと誘導を始める。
広い謁見の間からぞろぞろと貴族たちが退出すると、後にはエイブレットたちを守る一部の兵士と倒れた慎司と宮廷魔術師だけとなった。
「さて、今回のアルテオの件……どこまで魔族は手を伸ばしている……?」
真剣な顔で呟くエイブレット。
自分だけでなく息子や娘にまで手を出されたエイブレットは、静かに魔族に対して怒りを燃やすのだった。
※一部修正をしました




