65.発覚
頭上に振り上げた短剣を少女が振る。密着した状態からの攻撃に、敵は回避を選択する。
敵の髪の毛を数ミリ切り裂いた短剣は、目のいい者なら一目でマジックウェポンだとわかる。
「はぁ!」
下げた切っ先を跳ねあげ、今度は腹への刺突を少女が狙うが、バックステップで避けられる。
何度目かわからない程の攻防を繰り返し、お互いに当たらない攻撃をすること15分。既に限界は近づいていた。
額に流れる汗を拭い、距離を測る。
そして瞬きの瞬間、眼前で剣を構える敵は一気に加速した。
鋭い踏み込みと共に振り下ろされる大剣。それが頭をかち割らんとした時、少女はつい口元がニヤけてしまう。
「なに!?」
大剣を紙一重でかわし、避ける前に左手に持ち替えておいた短剣で敵を切り上げる。
敵の横腹から左肩へと抜けた逆袈裟の一撃は、十分に致命傷であった。
「そこまで!」
訓練場に教官の声が響き渡る。
切られた胸を抑えて膝をつく騎士鎧の男に、狐耳が目を引く少女が歩み寄る。
手に持った短剣から、赤い鮮血が滴るため、少女が騎士をくだしたのだとわかる。
「シルヴァンさん、お疲れ様でした」
シルヴァンと呼ばれた男は今年で25になる。騎士団の中でも中堅ほどの強さを持っていた。
しかし、シルヴァンの目の前で晴れやかに笑う少女に1歩及ばなかった。
「ああ、嬢ちゃんに負けちまうとはなぁ」
「いえいえ、ほんとに偶然ですよ」
シルヴァンの得意な武器は大剣、その大きな刀身と重さを利用して押しつぶすように戦うのが基本となる。
そのため、シルヴァンの体は筋肉がかなりついている。膂力では間違いなく少女に勝っているだろう。
それなら敗因は何か。──それは速さだろう。
「嬢ちゃんまた速くなってないか?最後の一撃はマジで見えなかったぜ」
「そうでしょうか?うーん、でもまだ教官さんには勝てませんからね……努力は必要です」
最後にシルヴァンが大剣を振り下ろした瞬間、シルヴァンは勝ちを確信した。
剣の軌道上には少女がおり、短剣では受け止めることはほぼ不可能だ。
だが、実際には少女が残像を残すほどの速さで1歩左に動き、気づけば胸を深く斬られていた。
「あー、教官はだめだ。はっきり言って人外だよありゃ……っと、もう平気だな」
「人外って……」
シルヴァンは話しているうちに傷が塞がったのか、ゆっくりと立ち上がる。
少女は人外と呼ばれた教官をチラリと見ると、気の毒そうな顔をする。
(……それより強いご主人様はどうなるのでしょうか?)
少女は小さく笑うのだった。
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ルナは騎士団の訓練に参加することで自分を鍛えている。
奴隷であるルナが何故そんなことをするのかと言うと、簡単な話主人である慎司のためである。
慎司は現在魔法学校に通っているが、休みの日や以前は冒険者をやっていた。
出鱈目な力を持つ慎司であるが、その心は不安定だとルナは知っている。
いつだっただろうか、ルナは慎司にこう尋ねた。
「ご主人様は、寂しくはないのですか?」
すると、慎司は影のある笑みを浮かべてルナの頭を撫でた。
そして、いつものようにルナの耳や尻尾を弄りながらか細い声でルナに言ったのだ。
「ルナがいてくれるなら寂しくないよ」
記憶が無くなって縋るように体を求めてきた慎司を受け入れてから──いや、もっと前からルナは慎司を愛していた。
初めて買われた時は、どうして喋れない奴隷を買ったかのかと思った。
喉を治してくれた時は、どうしてここまでしてくれるのだろうと思った。
1人で悲しげに空を見ていた姿を見た時は、どうして頼ってくれないのかと思った。
たくさんの思いが、短い間に積もりに積もってルナは自分の心を自覚した。
主人のことが好きだし、好いて欲しいし、支えたいし、引っ張って欲しいと。
(だから私は、ご主人様のためにも強くならなきゃいけないんです)
思いは確かに一瞬で募るが、思い出は長い時間をかけて作られる。
記憶を──思い出を無くした主人の支えになるには、同じ時を過ごして寂しさを埋める他ない。
それなら、誰にも負けない強さが必要だった。
死んでしまえばそこまでだ。暗く冷たい死の果てに待つものは現世との別離。
そうなってしまえば思い出なんて作れないのだ。
(死ぬわけにはいかない。私を守ってご主人様が傷つくのも嫌だ)
過酷な訓練のなかでルナを突き動かす衝動は、まさしく愛だった。
『全てを捧げる』──その言葉に嘘はなく、この力も、この体も、この心も、全ては主人である慎司のために存在するのだ。
力をもって主人の不安を取り除き、体をもって主人を災厄から守り抜き、心をもって主人を癒す。
(それが私に出来ること、やらなければいけないこと)
無心になって素振りを続けていたルナは、そこまで思考して手を止めた。
ちょうど500回。キリのいい回数ではあるが、まだ腕は限界ではない。
(私は、強くなれてるのでしょうか?)
主人を思って行動をしているが、これは無駄な行為なのかもしれない。
実は全然強くなっていなくて、主人をおいて先に野垂れ死ぬかもしれない。
そんな不安が心に影を落とす。
今日の模擬戦ではシルヴァンに勝てたが、次も勝てるとは限らない。
未だに教官にはかすり傷すら負わせることが出来ていないほどなのだ。
「……いいえ、確かに強くなっているはず」
昔のルナはただの子供だった。
力も弱く、ただ繰り返される暴力の嵐に耐え忍ぶだけ。
声を上げたくても喉を潰され、涙を流そうならば顔を踏みつけられた。
だが、それでも生き残った。
生きて主人に出会うことが出来たのだ。ルナという金狐族の女の人生は、そこから始まったのだ。
「もう弱かった頃とは違う。ただ耐えるだけじゃない」
理不尽な暴力があるなら、押し潰す。
声を封じられても喉笛を噛みちぎる。
踏みつけられても、跳ね除ける。
(そう、シルヴァンさんにも勝てた。絶対に昔より強くなってる)
かつての目標だったシルヴァンは既に通過点となり、ルナは700回を越えても勢いの落ちない素振りをしながら、次の目標を探す。
(次はあの人にしよう……)
全ては主人のために。
ルナは妥協を許さずに今日も訓練に励むのだった。
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訓練もほとんどのメニューが終わり、団員たちの中にも弛緩した空気が流れ始めた頃。
「訓練中失礼します!ディラン様はいらっしゃいますか?」
1人の騎士団員が訓練場に駆け込んでくるなりそう叫んだ。
その声に教官のディランはややうんざりとした顔で前に出る。
「なんだ?魔族でも出たか?」
ディランは冗談めかして慌てた様子の騎士団員に話しかけるが、その騎士団員の顔は真っ青だ。
「……ま、落ち着け。えっとジャイルズだったな。それで何があったんだ?」
「は、はい。昼の巡回で第五部隊の騎士が氷漬けになっているぶ……アルシェ男爵を発見しました」
「ぶ……アルシェ男爵が?」
ルナはその言葉にピンときた。
人間を氷漬けにするなんて、そんな人物がうじゃうじゃいるはずがない。
(絶対ご主人様だ……)
「ぶ、アルシェ男爵が発見されたのは第五区画です。現在は第五部隊が住民を遠ざけています。オルタンス隊長が現場には向かっていますが、一応ディラン様にもご報告をと」
「ふーむ。そうかわかった。ありがとう」
「それでは私はこれで失礼します!」
ディランが顎に手をやり頷くと、報告にきたと言うジャイルズは走り去っていった。
すると、ジャイルズが報告をしている間は静まり返っていた訓練場は、一気に話し声で埋め尽くされる。
口々に思ったことを喋る騎士たちは、アルシェ男爵をあまりよく思っていないようで、同情するような声はなく、殆どが侮蔑の声だった。
「やっと豚が成敗されたな」
「あの豚は色狂いって話だったからな」
「まず見た目が気持ちわりぃんだよな」
「豚の冷凍保存だな」
「おまっ……天才かよ」
「ぶはっ!それいいな、冷凍保存!」
「解凍はゴメンだけどな」
「「そりゃそうだ!」」
あまりの言われようにルナはアルシェ男爵に同情しそうになる。
仮にも貴族が死んだというのに、この反応はどうなのだろうか。
(アルシェ男爵……そんなに嫌われてたのですね)
ただ、そんなことよりルナは主人である慎司のことが気になった。
人間を氷漬けにするなど、どう考えても慎司が絡んでいる。
大方そのアルシェ男爵がコルサリアに手を出した等であろう。そして、それに怒った慎司が手を出してしまった。そこまで考えてルナは頭を抱える。
(貴族は殺しちゃ不味いです……)
これが平民ならここまで大事にはならないのだろうが、相手が悪い。
貴族を殺したなど、最善でも犯罪奴隷に落とされるし、最悪の場合は即刻処刑だ。
(ご主人様を助けるにはどうしたら……!)
「うーうー」
ルナはひたすら頭を抱えて呻くのだった。
平民どうしの諍いならば両者の言い分を聞くのでしょうが、貴族と平民の諍いともなると、圧倒的に平民が不利ですね。




