64.豚さん
王城の一室で、フラミレッタは今日も溜息をつく。
柔らかいベッドに腰掛けながら見つめる窓の先には、青い空が広がっている。
綿菓子をちぎった様に並べられた雲は、青色の空間に自由に遊んでいる。
「空は、広いのですね」
小さな呟きに反して、その大きな空は鷹揚に手を広げる。
フラミレッタは王女という立場にある。
束縛という言葉には無縁だけれども、自由という言葉にもまた無縁だ。
美しい体を包む布も、体を柔らかく受け止めるベッドも、心を縛り付ける生まれも、全て与えられたものに過ぎない。
自分で手に入れたものは何一つなく、ただ日々を惰性で過ごす。
コンコン──と扉を誰かがノックする。
「フラミレッタ様、オルネリアです」
「入ってください」
いつもの聞き慣れた声にフラミレッタは返事をする。
扉を殆ど音も立てずに開けたオルネリアが部屋に入ってくる。オルネリアはエプロンドレスを着て頭にホワイトブリムを乗せた、所謂ヴィクトリアンメイドと言われる格好だ。
「フラミレッタ様、お勉強の時間です」
「……わかりました」
オルネリアは無表情にそう告げると、ドアの付近に立つ。
フラミレッタは1度だけ視線を窓の外に逃がすが、諦めたような顔をしてベッドから立ち上がる。
その拍子にスカートが乱れそうになるが、そんな事があれば礼儀作法の稽古の時間に何を言われるか分からないため、手で優しく押さえて乱れないようにする。
「それでは行きましょう、フラミレッタ様」
「はい、わかりました」
立ち上がるなりオルネリアがドアを開いてそう言った。
オルネリアが手で押さえる重厚で豪華なドアを通して部屋から廊下へ出る。
後ろでドアの閉まる音が聞こえ、二歩程後ろにオルネリアが立つ。
赤い絨毯の敷かれた廊下を歩いていき、勉強をするために用意された部屋に足を運ぶ。
ドアの前に立ち、軽くノックする。
「アルテオ伯爵様、フラミレッタです」
今日も王女の退屈な1日が始まる。
フラミレッタは小さく、誰にも咎められないように溜息をつくのだった。
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昼食を食べ終えた慎司はコルサリアを連れて適当に王都をぶらついていた。
特に目的地もなくふらふらと歩く。
「お、なんだあれ?」
興味を惹かれるものがあれば近づき、目新しい物を見つければ手に取る。
好奇心旺盛な子どものようなその姿に、コルサリアは後ろを歩きながら苦笑する。
「シンジ様、楽しそうですね」
「おう、王都はまだゆっくり見てなかったからな」
王都はかなり広い。王城を中心に発展しているこの都は、多くの商店や宿屋、あらゆるギルドの本部が置かれている。
広すぎるために、端から端まで歩くのにはかなりの時間を要する程だ。
歩く人の顔は活気に溢れ、圧政が敷かれているわけでもないようだ。
そうやって人々の顔を呑気に観察していると、道の向こう側から大きな馬車がやってくるのが見えた。
「お、馬車か?随分とデカイ馬車もあったもんだな」
「あれは貴族の馬車ですね。貴族はその財力を誇示するために乗り物はかなり豪華な造りにするそうですよ」
「へー、なるほどな」
2頭の馬に引かれた馬車はゆるやかに道を走っている。それを見た人達は何故か一斉に頭を下げる。
「あれは?」
「それはもう貴族様ですから、失礼のないようにするのが当たり前……らしいです」
「下げとくべきかな?」
「その方が面倒事にならないと思います」
頭を下げる人々を見習って取り敢えず慎司も頭を下げておく。
隣ではコルサリアも同じように頭を下げていた。
避けれるなら面倒事は避けるべきだ。
慎司はさっさと通り過ぎてくれ、とおざなりに頭を下げ続ける。
しかし、面倒事に巻き込まれる体質なのだろうか。馬車は慎司とコルサリアの目の前で止まってしまう。
「おい、なんか止まったぞ?」
「私にもよくわかりません」
何故止まったのかもわからず小声でコルサリアに尋ねるも、コルサリアもよく分からないと言う。
どうしたものかと慎司が悩んでいると、馬車から1人の男が現れた。
「なんか出てきたぞ……」
「誰でしょうか?」
「俺に聞くなよ……知らんぞ」
尚も小声で話す二人、やがて馬車から降りてきた男がこちらを向くと、明らかにコルサリアに視線を向けていた。
頭を下げながらチラリと見たその男は鎧を着ており、腰には両刃の剣が吊るされている。
その姿を見て、慎司は貴族とやらの護衛辺りだと考える。
その考えはどうやら当たりだったようで、男が降りてきた馬車からもう一人、今度は太った体に装飾の施された服を着た人物が現れた。
「おい豚がでてきたぞ、どういうことだ」
「シンジ様、あれが貴族だと思われます」
「……豚じゃん」
馬車から降りた豚のような男は、いやらしい目つきでコルサリアを舐めまわすように見る。
まるでこれから自分の物にでもするかのような思いを抱いているのだろうか。その顔は元が醜悪なのにも関わらずさらに気持ちが悪い。
しばらくコルサリアに視線を這わせた貴族は、護衛らしき男に頷いてみせる。
すると、護衛の男がこちらに歩み寄ってくる。
「そこの銀髪の獣人、頭を上げろ」
随分と高圧的な言葉を放つ男に、慎司は嫌悪感を抱く。それと同時にどこかの銀髪の獣人には同情してしまう。
(可哀想に、貴族の慰み物にでもされるのだろうか)
そう慎司が悲しく思っていると、いつまで経っても頭を上げない獣人に業を煮やした護衛の男は、剣を抜く。
そしてその白銀に輝く剣をコルサリアに突きつけた。
「何をしている、お前だ!さっさと顔を見せろ!」
「えっ、私ですか?」
どうやらコルサリアも自分ではないと思っていたらしく、驚いて下げていた頭を上げた。
すると、貴族の男が満足そうに頷く。
一体何を満足そうにしているのかよく分からない慎司だったが、次の護衛の言葉で全てを理解した。
「喜べ獣人、アルシェ様がお前を所望している」
どうやら目の前にいる貴族の男はコルサリアの美貌に見とれて、無理やり自分の女にしようとしているようだ。
そこまで考えて慎司は凄まじい吐き気を覚えた。
(コルサリアがこの豚みたいなのに取られる?……考えられるかそんなこと)
苛立ちと同時に怒りを感じ、慎司は酷薄な笑みを浮かべて護衛の男を見た。
「なんだお前、無礼だぞ!さっさと頭を下げ……」
そこまで言って、護衛の男は言葉を失った。
溢れ出す慎司の殺気に何も言えなくなってしまったのだ。
圧倒的な強者を目の前にした男の手は震え、剣がカタカタと音を立てる。
なんとか踏ん張ろうとしている様だがその膝はガクガクと笑い、腰が引けているのだから顔面蒼白で剣を構える姿はかなり無様である。
「あ、あっ……おま、お前!」
「なんだよ?」
「うぁ、あああ、ひっ、ひゅー……ひゅー」
虚勢を張る男に一言声をかけただけで、護衛の男は酸素を求めて不規則な呼吸をし始める。
流石に可哀想なのでそこまでにしておいて、今度はアルシェと呼ばれた貴族を見やる。
「な、なんだお前は?その女の恋人か?」
「……違いますが?」
「ふん!それなら引っ込んでいろ。そこの女は私がもらう、構わないだろう?」
何故そんな理不尽が通ると思っているのか、アルシェはその汚い手でコルサリアに触れようとした。
その瞬間、貴族の顔の横を何かが飛んでいった。
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アルシェはその日、馬車から見つけた1人の獣人の女に目を奪われていた。
太陽の光を受けて煌めく銀髪、毛並みの整えられた触り心地の良さそうな耳や尻尾。
そして男の視線を欲しいがままにする豊満な胸。
その女を見てアルシェは酷く気持ちの悪い笑顔を浮かべた。
「おい、止めろ」
「はっ!どうかしましたか?」
「ああ、あの女を私の物にする」
「はっ!直ちに」
いつも護衛を頼んでいるクレイズという男は一瞬でアルシェの考えを読み取り馬車を降りる。
クレイズが顔を上げさせた女は、ただただ美しかった。
スッと通った鼻梁に、柔らかそうな唇、宝石でも嵌め込んだのかと思うほど綺麗な真紅の瞳を見て、アルシェの中の欲望が肥大化していく。
あの女を好きにできたらどれ程の快楽を得られるだろうか。可愛らしい顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃに歪め、豊満なその体を弄びたい。
気の向くままに犯し、壊したい。
そんな下卑た感情を隠すことなく女を見つめていたアルシェだが、驚くことに隣の男が顔を上げた。
「なんだお前!無礼だぞ!」
クレイズがそれを咎めようと男と向き合ったその瞬間、クレイズの体に異変が起こった。
あれほど勇敢だったクレイズの全身がガタガタと震えていたのだ。
どうしたのかと思ったが、その男がこちらを向いた時にはそれ程驚異を感じることもなかったため、更に困惑してしまう。
「なんだお前は?その女の恋人か?」
そう聞いてみるものの、違うという。
別に恋人であったところで楽しみが増えるだけなのだが、違うというのなら何の憂いもなく女を自分のものに出来る。
そう思って手を伸ばした時だった。
(……これは、血?)
頬に何かが付着したと思い手で拭ってみると、人差し指には赤い血が付いていた。
嫌な予感と共に伸ばしていた手を見ると、特に変わった点はない。
(驚かしおって……)
アルシェは目の前の無礼な男を無視して女を手に入れるべくクレイズに命令しようとし、クレイズの姿を見た。
だが、さっきまで震えていたクレイズは今やジッとして動かなくなっていた。
そして、それと同時に──首から上が無くなっていた。
「クレイズ!?」
そう叫んだ瞬間に、アルシェの目の前でクレイズの首からは血が噴水のように噴き出した。
(どうなっている!?何が起こった!?)
アルシェには何が起こったのか分からなかった。気づけば信頼していたクレイズの頭が消えて、死体となってしまった。
「……何を、した?」
「見せしめ、ってところかな?次はお前を殺すからな」
「ふ、ふん!何を言うかと思えば平民が調子に乗るなよ!」
目の前の男がやったに違いないと思い、アルシェは鼻を鳴らす。
平民が貴族に逆らうなど何を考えているのだろうか。必ず一族路頭に迷わせてやる。
そう思い、アルシェは不機嫌そうな顔をして男を睨みつける。
すると、男もこちらを睨みつけてくる。しかも、殺気を濃密に漂わせて。
(……なんだこいつは!?視線だけで人を殺せるんじゃないのか!?)
アルシェは戦闘に関して特に技能はない。だが、向けられた濃密な殺気は素人でも感じ取れる程剥き出しのものだった。
だが、その程度の威圧に負ける程度では貴族はやっていけない。
「なんだその目は?とにかくそこの女を寄越せ。何が欲しいんだ?金か?」
「さっさと目の前から消えてくれるのが1番嬉しいんだがな」
男はそう言うと、女を連れて立ち去ろうとした。
(なんだこの男は!?私を誰だと思っているんだ!!)
怒りが頂点に達し、アルシェは立ち去る男を追いかけようとした。
それなのに、踏み出そうとした足が一切動かない。見れば、お気に入りの靴が凍りつき地面とくっついていた。
「ひっ!なんだこれは!おいっ貴様!何をした!」
慌てて男に叫ぶも、男はまったく意に介さずそのまま立ち去ってしまった。
靴を凍らせていた白い霧は、徐々に足首を凍らせていく。
段々と凍りついていく自分の体を見下ろして、アルシェはみっともなく涙と鼻水を零すのだった。
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豚を冷凍保存してから15分後、慎司は荒れ狂う心を沈めるべく適当な焼き菓子を購入した。
二つ買ったうちの一つをコルサリアに渡し、焼き菓子を一つ口にする。
「お、うまいなこれ」
「はい、美味しいです」
記憶に残すのすら嫌な豚は即座に忘れ去り、慎司は焼き菓子を食べながらコルサリアを連れ回していく。
そのコルサリアといえば、何故か妙にニコニコして尻尾なんかメトロノームよろしく凄まじい勢いで左右に振られている。
何が嬉しいのかよくわからないが、コルサリアが嬉しいならそれでいいだろう。
慎司はそう思い何気なく路地裏を見てみた。
「ん?あれは先生か?」
「シンジ様、知り合いでもいたのですか?」
「ああ、魔法学校で闇魔法を担当していた先生がいてな。確か……ギルテ先生だ」
コルサリアの問に慎司は答えてやる。
しかし、どうして魔法学校の先生が王都の路地裏にいるのだろうか。
(箱?……を受け取ってるのか?)
暫く眺めていると、ギルテはローブで顔がわからない何者かから箱を受け取る。
箱の中身がなんなのかは分からないが、ギルテ先生も男だ。路地裏で貰う必要があるブツなのかもしれない。
慎司は生暖かい視線を一瞬向けて、すぐにその場を後にしたのだった。
迷惑な貴族ってテンプレですよね




