56.誰かの視線
ルナが訓練を終えるのを待ち、終わり次第慎司はルナを連れて家に帰った。
普段と変わらない風景を保つ家を見て、慎司は自分の足が早足気味になるのを自覚する。
「ルナ、何してるんだ?」
早足になると、歩幅の関係からルナが遅れ出す。
いつもならすぐに駆け寄ってくるルナが、今日は何故か遅れたままなので、慎司は不思議に思って声をかけた。
「……いえ、視線を感じたので」
「視線?」
「はい、ご主人様は感じませんでしたか?」
「いや、俺は特に……ん?」
ルナの言葉を受け慎司が魔力感知の範囲を広げてみたところ、不自然な動きをする人物を見つけた。
その人物は大通りを歩くのではなく、裏道や屋根の上など人目に付きにくい場所を選んで歩いていた。
進行方向は基本的に慎司達と同じのため、尾行でもしているのだろうか。
表面上は普段通りに振る舞い、慎司が家の中に入ろうとすると、その人物は引き返そうとした。
「……怪しすぎる」
「ご主人様?」
「ルナ、先に帰っててくれ。ちょっと用事を済ませてくる」
「はぁ、お気を付けて」
慎司の用事について、ルナはとても聞きたそうな顔をするが、言葉を飲み込み腰を折って見送った。
慎司はルナの複雑そうな表情を横目に、怪しい人物を追うために再び王都に繰り出す。
『シンジ、転移魔法を使うのはどうでしょうか』
「え、俺使ったことほとんどないんだけど。大丈夫か?」
『簡単です。魔力感知で捉えている今なら、そこに飛ぼうと思うだけで事足ります』
「へぇ、それならさっさと行くか」
慎司はアルテマの提案を受け入れ、《転移魔法》を使用する。
自身の体を魔力が包み込み、あたりの景色が一瞬で切り替わる。
尾行をしていたと思われる人物の目の前に転移をした慎司は、取り敢えず怪しい人物を捕らえるべく動き出す。
その人物は黒装束とでも言うべき格好をしており、背格好から男であると思われた。
「なっ……お前どうし──」
「ちょっといいか?」
慎司の目の前の男は、突然現れた慎司に対して驚愕の表情を浮かべるが、すぐに表情を引き締め腰に手を伸ばす。
「アルテマ、魔弾だ」
「わかりました」
腰に何を装備しているのかは分からないため、慎司はアルテマに魔力を送り、魔弾で手を弾いてもらう。
「つ……ッ!」
「なぁ、話を聞くだけだってば」
「ちっ……」
「あ、おい!待てよ!」
手を弾かれて抵抗は無駄だと悟ったのか、男は脱兎のごとく逃げ出す。
余程自分の素早さに自信があるのか、凄まじい逃げっぷりであった。
追いかけようとした慎司であったが、それをアルテマが止める。
「シンジ、追う必要はありません」
「は?逃がすのか?」
「いえ、魔弾を使用した際にあの男に刻印を与えました。これでいつでもあの男の居場所は分かります」
アルテマの言う刻印のお陰で、男を捕らえるよりも泳がせてアジトを突き止める作戦が可能になる。
慎司はそう考えると、体の力を抜く。
「よくやったな、アルテマ」
「私を誰だと思ってるのですか?」
「頼りになる相棒さんってとこだな」
空色の瞳を嵌め込んだアルテマの、揺れない瞳の奥に慎司は微かな偉ぶりを感じたのだった。
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「ただい──ぐほぉ!」
「パパおかえりなさい!」
《転移魔法》で戻ってきて、家の玄関を開けた慎司を出迎えたのは、アリスの強烈な体当たりであった。
鳩尾に綺麗に決まった体当たりのお陰で、慎司は少しの間呼吸困難に陥るが、そんな様子を見せればアリスが心配してしまう。
「お、おう。こひゅ……帰ったぞ」
慎司は気合いで痛みをねじ伏せアリスの頭を一撫ですると、その小さく柔らかな体を抱き抱える。
すると、抱き抱えた瞬間に、花の様な甘い香りが慎司の鼻をくすぐる。
「アリス、もうお風呂には入ったのか?」
「うんー、パパ遅いからルナ姉と先に入っちゃったー」
「まじかよ……」
慎司は落胆する様子を隠さず、アリスを抱えたままリビングに向かう。
リビングには、風呂上りで髪の毛がしっとりと濡れたルナがキッチンで料理をするコルサリアの様子を眺めていた。
「ただいまー」
「おかえりなさい、シンジ様」
「あ、おかえりなさいご主人様。用事は済んだのでしょうか?」
慎司の声に、ルナとコルサリアがおかえりと言う。暖かい家族の団欒の風景にも見えるが、慎司の心中は穏やかではない。
「おう、しっかり済ませてきたぞ。……てかルナ、何アリスと風呂入ってるんだよ!」
憤慨する慎司に、ルナは耳をペタンと折り、尻尾を丸めてしまう。
「え、いや……申し訳ありません」
「俺が一緒に入りたかったのに!」
「……あ、はい」
──が、それも一瞬。ルナは慎司に冷たい目を向け、口を開く。
「普通この年頃の女の子はパパと一緒にお風呂には入りませんよ?」
その言葉は、酷く慎司を傷つける。
「なんだと……?それは本当か!?」
「いや、多分そうだと思いますけど……」
「冗談だと言ってくれ……俺の癒しの時間が……はっ!そうだ!」
情緒不安定にすら思える慎司の態度に、ルナは若干引きながら返事を返す。
慎司は頭を抱えたい気分になるが、生憎とアリスを抱いているためそれは叶わない。
そして、何を思いついたのか、慎司は真剣な顔をして抱いているアリスを見つめ出す。
「アリス……パパとお風呂に入るの嫌いか?」
「ううん、嫌いじゃないよ!」
「ほら見ろルナ!」
「なんで誇らしげなんですか……」
アリスに嫌じゃないと言われ、慎司は相好を崩す。
その様子は、親バカのまさにそれであったが、誰もその事に突っ込むことはなかった。
慎司はルナに対してドヤ顔をする。
アリスは嫌がってないぞ──という意味合いを込めた顔だ。
その表情を向けられたルナは、疲れたような声を出すのだった。
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アリスは既に風呂に入っているため、慎司は一人寂しく風呂に入ることにする。
「んじゃ風呂入ってくる。アリスは……グランとかに遊んでもらってな」
「うん、わかった。……グランー!」
慎司がアリスを床に降ろすと、グランの名を呼びながら走り出す。
グランは、魔法で瞬時に着脱できる鎧のため現在は鎧を脱ぎ、ラフな格好をしている。
そのグランは、暗くなってきた夜空を見上げて庭に立っていた。
「姫、ストップです!庭には出てはダメですぞ!」
「えー、なんでー?」
「既に湯浴みをしたのでしょう?それでしたら、外に出るのは止めた方がよろしいかと」
グランはそう言いながらリビングに戻ってくる。グランは魔力の構成体であるため汚れることはないが、アリスはそうはいかない。
「んじゃ、グラン。頼んだわ」
「かしこまりました」
慎司はリビングから風呂場に向かう直前に、グランに声をかける。
主従の関係だとしても、声ぐらいはかけておくべきかと思ったのだ。
「ご主人様、これが着替えです」
「おう、ありがとな」
「あ、シンジ様ー、ご飯はすぐにできますので長湯は遠慮してくださると助かります。ご飯が冷めちゃいますから……」
「ん、わかった」
ルナから着替えを受け取り、慎司は風呂場へ向かう。
少し熱めの湯は、魔物討伐訓練での疲れを十分に取り去ってくれた。
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風呂からあがり慎司がリビングに戻ると、リビングではグランとアリスがよく分からない遊びをしている。
相変わらずルナはコルサリアの料理風景を眺めており、なぜ飽きないのか不思議だった。
「あ、シンジ様が戻ってきましたね。それではご飯にしましょうか。ルナちゃん、お皿を運んでくれる?」
「任せてください」
リビングに戻った慎司の姿を見ると、コルサリアはルナと一緒に料理を並べていく。
ここで慎司が手伝おうとすると、やらなくていいと言われるため慎司アリスを呼びに行く。
「アリスー、ご飯だぞー」
「ん!ご飯ー!」
「それでは私は庭に出ております」
「ありがとな、グラン」
「勿体ないお言葉です……」
アリスはすぐに食卓に向かい、グランは優しげな目でアリスを見送ると、慎司に一礼して庭に出て門番の役目を再開する。
慎司が食卓につくころには、既に料理は並べ終わっており、食欲をそそるいい匂いが慎司の腹を刺激する。
「うん、今日も美味そうだな。流石コルサリア」
「美味しいと思っていただけるのなら、嬉しい限りです」
「パパはやくー、お腹空いたー」
「アリスちゃん、そんなに急かさなくても料理は逃げないですよ?」
「そう言うルナも耳がピクピクしてるぞ」
「なっ!これはその違くて……」
優しく微笑むコルサリア、唇を突き出して催促するアリス、耳を抑えて真っ赤になるルナを見て、慎司は暖かな気持ちになる。
「んじゃ食べるか。いただきまーす」
「いただきます!」
慎司の声に続いて3人の声が食卓に響く。
今日もコルサリアの料理は美味しく、慎司はついおかわりをしてしまうのだった。
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晩御飯を食べた後は、各々好きな事をする。
ルナはミラージュダガーや他の装備品の手入れを、アリスは再びグランを呼び出し遊んでもらう。
コルサリアは食器を洗っている。
慎司は何をするか迷った挙句に、コルサリアの食器洗いを手伝うことにする。
「コルサリア、手伝うよ」
「え、シンジ様の手を煩わせるわけには……」
「いいからいいから、俺の暇つぶしとでも思えばいいから」
「うーん、それなら……お願いします」
「おう、任された」
渋るコルサリアをやや強引に納得させ、慎司はコルサリアの隣に立ち食器を洗っていく。
2人の間に特に会話はなく、なんとなく安心感とも言える雰囲気だけが漂っている。
食器どうしが当たる金属質な音と、流れる水の音が空間を支配する。
ルナも、アリスもグランも、2人の様子など気にせず好きな事をしている。
そんな風景が、とても大切に思えた慎司は、苦笑する。
なんだか、ゆっくりと流れていくこの時間を手放したくないと思う自分が傲慢に思えたのだ。
ただ傲慢だとしても、慎司はせめて大切な人達のためぐらいには我儘を貫き通そうと思うのだった。
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太陽はとうの前に沈み月が煌々と輝く夜更けに、慎司は自室に置かれた1冊の本を見つけた。
「なんだこれ?本……か?」
本の装丁は質素なもので、高価なものには思えない。
だが、不思議と目を離すことのできない謎の吸引力があった。
「アルテマ、これ安全だと思うか?」
『はい、特に問題はないかと』
「……なら読んでみるか」
本の表紙には小さく《精霊について》と書かれていた。
慎司はベッドに腰掛け手に取った本を開く。
まずは目次、次に著者からの挨拶文が書かれていた。
本の内容は精霊に関することをまとめたもので、精霊がどうやって誕生するか、精霊はどのように生きていくのか、精霊の死が意味することとは何か、等と精霊自体に関すること。
また、精霊魔法についてや、精霊との契約について等、精霊と人間の関わりについても書かれていた。
「ふーん。精霊ってやっぱりいい奴なんだな」
そう呟く慎司は、リーティアの姿を思い浮かべる。
魔法について教えてくれて、更に近くの街まで転移させてくれた心優しき精霊。
自らを精霊王と名乗ったリーティアについての記述は少なく、ただ教会に祀られているとだけ記されていた。
他に気になる情報もなく、慎司は本を閉じた。
機会があれば、精霊と契約を結ぶのもいいかもしれないと慎司は思う。
精霊と契約することで使えるようになる《精霊魔法》はかなり強力らしく、手に入れてみたいと思ったのだ。
ただ、精霊と出会う機会はそうそう無いらしいので、あくまで夢の様なものだが。
「ふぁ……寝るか」
慎司はそこまで考えて、大きくあくびをする。
流石に眠くなってきたため、慎司はベッドに寝転がり今日は寝ることにする。
思ったよりも魔物討伐訓練で疲れていたのか、瞼を閉じてから眠りに落ちるまで、そんなに時間はかからなかった。
活動報告を更新しています。
時間があれば目を通してもらえればと思います。




