50.魔物討伐訓練③
「ファイアボール!」
アレンの放った《ファイアボール》がゴブリンの体を焼く。
断末魔の叫びとも言える、悲痛な叫びを最後にゴブリンは黒焦げになり倒れる。
「よし、これで20体目だな」
アレンは倒れたゴブリンから討伐部位を剥ぎ取ると、小さく呟いた。
「結構順調に進めてますわね」
「ああ、そうだな」
その呟きに、エリーゼとガレアスも同意する。
現在、訓練が始まってから1時間半が経っている。討伐した数はゴブリンが20体、ハウンドウルフとショックスパイダーは未だに0だ。
ここまで順調に来ているのは、ハウンドウルフとショックスパイダーに出会っていないからだろう。
ハウンドウルフに遭遇してしまうと、鼻のいいハウンドウルフはどこまでも追ってくる。
そうなれば戦うか、道具を使うかしかなくなり、どの道時間を浪費してしまう。
これからもそんな幸運が続くとは思えない慎司は、気楽そうなアレン達を見て少し心配になるのだった。
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カレル・ダールズは、苛立っていた。
模擬戦でアレンに負けたことに、それから取り巻きに馬鹿にされた事に、何より自分の実力の無さに。
「ちっ、クソが……」
カレルの班には、カレルを除いてあと3人の仲間がいる。
火属性の使い手が1人と風属性の使い手が2人だ。
カレルが水属性の使い手であるため、バランスは取れていると言えるだろう。
「ダールズ様、前方にゴブリンです」
「よし、お前ら。戦闘準備をしろ」
カレルの前を歩いていた女が、カレルを振り返り報告してくる。
報告を受けたカレルはすぐに周りの生徒に声をかけ、ゴブリンに狙いを定め出す。
「撃て!」
見えるゴブリンの姿は3体。
そのゴブリン達に水球や火球、風の刃が飛んでいく。
「グギャ!」
「グギャギャ!」
「ギャァァ!」
水圧で潰れ、焼け焦げ、切り刻まれて、3体いたゴブリンは絶命した。
「やりましたね、ダールズ様」
「ふん、僕がいるんだから当然だろう。さっさと討伐部位を回収するぞ」
カレルは話しかけてくる女に冷たく返し、足早にゴブリンの死体に近づいていく。
慌てて他の3人もついていき、ゴブリンの討伐部位を剥ぎ取っていく。
────その時だった。
「グルルゥ……」
獣の唸り声がカレル達に聞こえた。
「ハウンドウルフ!?」
唸り声に驚き背中を振り返ると、森の木々の間に隠れるようにしてハウンドウルフが立っていた。
カレルはその姿を見て不敵な笑みを浮かべるが、他の3人はそうはいかない。
震える体を叱咤し、逃げ出す為の道を探していく。
「ダ、ダールズ様……!」
女が震える声でカレルに呼びかけるが、カレルは撤退する気等全く無かった。
「こいつを倒せば……!」
「倒す!?何を仰っているんですか!?」
カレルはハウンドウルフを倒す気だった。
模擬戦での敗退から続き、今やカレルの威信は皆無といっても良いレベルまで落ちている。
だが、ハウンドウルフを倒したとなればどうだろうか。
皆ができないハウンドウルフの討伐を成功したのだから、きっと注目を浴びることだろう。
「ダールズ様!」
「うるさい!僕はアイツを倒さなければいけないんだ!」
女の静止する声を振り切り、カレルはハウンドウルフ目掛けて魔法を放とうと詠唱を始める。
「……っ!あなた達は逃げてください!」
「でも、チェリッサさんは!?」
「私はダールズ様を連れ戻さないといけません!」
叫んだ女────チェリッサはそう言うと駆け出す。
既にハウンドウルフとカレルは戦闘状態に陥っており、逃げ出すのは困難だと言えるだろう。
「ダールズ様を逃がすには……」
チェリッサは駆けながら、状況の打開策を考える。
ハウンドウルフの持ち味である素早さを奪うことができれば逃げることは可能になるだろう。
チェリッサはそう考えると、持ってきていた剣を手に取る。
両刃の片手剣を構え、深呼吸をしてからチェリッサはハウンドウルフに向かって突進を敢行する。
「やぁぁぁ!」
カレルに気を取られていたハウンドウルフは間一髪の所で身をひねり、チェリッサの斬撃を避ける。
「チェリッサ、何故お前が?」
「いえ、私はダールズ様を守るように言われてますので」
「ふん、そうか」
カレルはぶっきらぼうに返すと、詠唱をまた始める。
チェリッサは詠唱を邪魔させまいとカレルとハウンドウルフの間に立ち、片手剣を構える。
「グルルルアア!!」
「くっ!」
ハウンドウルフは一際大きく吠えると、チェリッサに飛びかかる。
鋭い牙が迫るが、チェリッサは片手剣を斜めに当ててハウンドウルフを受け流す。
素早い相手に対して、チェリッサ程度の剣技では捉えることができないだろう。
だから、チェリッサはカレルの詠唱時間を稼ぐことに専念する。
「どけ!チェリッサ!」
「はいっ!」
カレルの声に、チェリッサはハウンドウルフを大きく弾き、その衝撃をもって後ろに飛び退く。
「ウォーターショット!」
飛び退いたチェリッサを追い越し、圧縮された水の塊がハウンドウルフに飛んでいく。
「ギャン!」
水球が当たると、ハウンドウルフは大きな悲鳴をあげる。
「よしっ、いけますよダールズ様!」
「ああ、倒してやるさ!」
チェリッサとカレルはニヤリと笑い合い、手負いのハウンドウルフを睥睨する。
「グル……ルゥ……」
ハウンドウルフは魔法の一撃を無防備に喰らってしまい、かなりのダメージを追っていた。
これなら倒せるだろう。
そうチェリッサが思った瞬間、ハウンドウルフの様子が変わった。
「アオオォォン!!」
顔を上げて、空高くへ遠吠えをしたのだ。
チェリッサには、その遠吠えが何を意味するのかわからなかった。
カレルは、負け犬の遠吠え程度にしか認識しなかった。
手負いの獣というものが1番怖いとはよく言ったもので、ハウンドウルフは遠吠えを終えると、唸り声を上げてチェリッサに突進する。
「なっ、さっきより速い!?」
ハウンドウルフは攻撃を受ける前よりも速く、鋭く突進してきた。
構えを解いていなかったチェリッサはギリギリで防ぐが、大きく体勢が崩れてしまう。
「ガァァァ!!」
泳いだ左手に、ハウンドウルフの爪が振り下ろされる。
「ぐぅっ!」
剣を持っていた手は右手のため、剣を落としてしまうようなことはなかったが、左手に走る痛みにチェリッサは顔を顰める。
「おい、チェリッサ!何してるどけ!」
「えっ、きゃ!」
カレルの怒声にチェリッサが条件反射で右に避けると、今までチェリッサがいた場所を水球が通過してハウンドウルフに向かっていく。
「ガッ……グル……」
ハウンドウルフに水球は当たるものの、あまりダメージが通ったようには見えない。
「くそ、まだ倒れないのか……」
「ダールズ様……最悪な状況になりました」
「は?どういう、こと……だ」
カレルが悪態をつき、詠唱を再び開始しようとするが、それをチェリッサが止める。
チェリッサの言葉にカレルが周りを見ると、そこには10匹近い数のハウンドウルフが立っていた。
「ダールズ様……囲まれました」
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慎司は肩で息をするリプルを見かねて、堪らず声をかける。
「なぁリプル。大丈夫か?」
「だ、大丈夫……ちょっと疲れただけだから」
「そうは言ってもなぁ……」
アレンとガレアス、エリーゼは前を歩いている。
リプルの様子に気づいたのは慎司だけのようだ。
普段ならエリーゼ辺りも気付けるのだろうが、緊張からかエリーゼの視野は狭まっている。
今も目の前の索敵に全神経を集中してしまっている。
それはアレンとガレアスも同じで、3人はひたすら前に進んでいく。
「おい、アレン!ちょっといいか!」
「……ん?なんだよシンジ」
「リプルが限界だ。少し休憩しよう」
そう言うと、アレンはハッとして申し訳なさそうな顔をする。
「すまねぇリプル。気づいてやれなくて……」
「い、いや……アレン君は悪くない、よ」
「まずは休憩しよう、焦らなくても大丈夫だ」
森の中は案外歩きにくい。
大木の根や、土がむき出しの地面の僅かなへこみ、他にもたくさんの要素で体力が削られる。
1番体力がないリプルがバテるのも仕方が無いだろう。
「リプル、大丈夫ですの?」
「うん、もう平気だよエリーゼちゃん」
「リプル、水を飲むといい」
先程まで顔色が悪かったリプルだが、休憩をとりガレアスから渡された水を飲むと、その顔色も良くなり、呼吸も整ってきた。
慎司はこっそりと魔力感知を発動させ、周囲を警戒する。
感知できる範囲には魔物はおらず、安心した瞬間。
「アオオォォン!!」
ハウンドウルフらしき遠吠えが聞こえた。
途端に休憩していた5人の間に緊張が走る。
「な、なぁ……今のって」
「ハウンドウルフの遠吠え、ですわね」
アレンとエリーゼが立ち上がりながらそう言う。既にあらゆる状況に備えて各々の武器を手に取っている。
「ガレ……」
アレンがガレアスの名前を呼ぼうとして、その動きが固まる。
アレンの視線の先には、1匹のハウンドウルフ。
慎司は自分の感知範囲外から一気に迫られた事に少々驚きを覚えていた。
「危ねぇ!」
アレンは叫ぶと、ガレアスの体を押し倒す。
次の瞬間、ガレアスの首があった位置にハウンドウルフの牙が噛み合う。
間一髪でガレアスの窮地を救ったアレンだったが、ハウンドウルフは空中で身をひねり着地すると、倒れ込んでいる二人目掛けて飛びかかる。
「くそっ!」
慎司は小さく舌打ちをし、横からハウンドウルフを蹴り飛ばす。
「ギャン!」
ハウンドウルフは横から無防備に蹴られた衝撃で地面を何度もバウンドしていき、木にぶつかると止まり、そのまま動く事は無かった。
「立てるか……?」
「ああ、ありがとう」
「助かったよ、二人とも」
慎司はハウンドウルフが絶命したのを確認すると、アレンとガレアスに手を貸し立ち上がらせる。
「気にすんなよガレアス。俺が危なくなったら今度は俺を助けてくれればいいさ」
「ああ、その時は任せてくれ」
アレンはニカッと笑うとガレアスの肩を叩く。
アレンはこの状況でも自分らしさを忘れずに、冷静なようだ。
危機をなんとか切り抜けた5人は、遠吠えが発生したと思われる場所に注意を払いながら、ハウンドウルフの死体から討伐部位を剥ぎ取っていく。
「よし、ハウンドウルフ1匹だ」
「やりましたわね。大手柄ですわよ」
アレンとエリーゼが喜んでいるが、慎司は未だに警戒を解いていなかった。
ハウンドウルフは非常に仲間意識が強く、常に群れて行動する。
しかし、ガレアスを襲ったハウンドウルフは1匹だけだった。
となると、どこかから遠吠えのあった場所まで向かっていた所なのだろうか。
「シンジ君?どうかした?」
「ああ、いや……ちょっと考え事をな」
「そう?……それにしても、シンジ君凄いね。ハウンドウルフを蹴っとばして倒しちゃうなんて」
リプルはなんだか熱っぽい瞳で話しかけてくる。
「一応鍛えてるからな。体術には自信があるんだよ」
「そうなんだ……やっぱり冒険者は凄いんだね」
リプルはそう言って薄く笑う。
儚げなその笑みは、なんだか引き込まれるような魅力を持っているが、慎司は顔を逸らして直視しないようにする。
「なんで顔背けるの?」
「べつに?」
「変なシンジ君……」
そのやり取りを、他の3人は生暖かい視線で見ていたのだが、2人が気づくことはなかった。
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森の中を、カレルとチェリッサは疾走する。
「おいチェリッサ!しっかりしろ!」
「申し訳、ございま……ごほっ、ダールズ様……」
チェリッサは左腕に3本の裂傷と、腹部に噛み付かれた跡があり、かなり痛々しい。
カレルも腕や足を擦りむいているが、チェリッサよりは軽傷と言えるだろう。
2人は、ハウンドウルフの群れに包囲された後、なんとか包囲網に穴を作り出しそこから逃走を図ったのだが、逃げ出す時にチェリッサが横腹をハウンドウルフに噛まれ、その動きはかなり緩慢なものになっている。
走っても走っても後ろから迫るハウンドウルフ達の気配は薄れず、しっかりとついてきていることがわかる。
「ダールズ様、このままでは……」
「おいチェリッサ、何を言うつもりかは分からんがお前を置いていくという選択肢は無いからな」
「しかし、ダールズ様……」
「聞こえんな。平民の戯言など」
カレルは自分を置いていけと言おうとしたチェリッサに先んじて釘を刺す。
カレルは平民を虐げる心の持ち主ではない、むしろ平民を先導していくのが貴族である自分の務めだと常に考えている。
少し前まで周りが見えていなかったが、身を呈して守ってくれたチェリッサを、カレルは失いたくはなかった。
そんなカレルが、平民などと言うのは珍しく、ついチェリッサは笑ってしまう。
「ダールズ様、は……そんなことを仰る方では……無かったと思い、ますが?」
「お前を見捨てるぐらいなら、僕はいくらでも自分を変えるぞ」
カレルは、自分を守るべく立ち向かってくれたチェリッサを見捨てる気はない。
他にいた2人の生徒も、撤退したことについては何の恨みも抱いていない。
その選択は決して間違っておらず、間違えているのは分不相応の相手に挑んだカレルの選択だろう。
「くそっ、まだついて来るのか」
ハウンドウルフは速度を一切緩めずにこちらを追ってきている。
カレルはそれを見てつい毒づいてしまう。
満身創痍のチェリッサは戦うことができない。
また、チェリッサを守ってハウンドウルフの群れを殲滅できるほどカレルは強くない。
────力不足。
だからカレルは逃げる。
いつかハウンドウルフを撒くことが出来れば後はチェリッサが回復するまで隠れるだけだ。
「ガァァァ!!」
ふらふらと走るカレルとチェリッサに、ハウンドウルフが迫る。
「ちくしょう!」
カレルは渾身の力で剣を振るい、ハウンドウルフをはじき飛ばす。
なんとか攻撃を凌いだが、既にカレルの体力は尽きかけていた。
「……あいつは!」
その時、霞みだした視界の先にアレンの後ろ姿をカレルは見つけた。
カレルは、アレン達には悪いが巻き込まれてもらうことにした。
それが今出来る最善の選択だと信じて。
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「おい!誰か来るぞ!」
「あれは……カレル・ダールズか?」
「横にいるのは確かチェリッサと言いましたわね」
アレンがいち早く接近してくる人影を見つけ、声を上げる。
ガレアスとエリーゼが人影の正体が誰かを言うが、慎司にとっての問題はそこでは無かった。
『シンジ、ハウンドウルフが……25匹です』
「多いな……あの遠吠えで呼び寄せられたのか」
アルテマが伝えてくるハウンドウルフの数は全部で25匹。
それらは全てカレル達を追ってきていた。
つまり、カレル達は命からがら逃げてきて、ハウンドウルフの群れを慎司達に持ってきてしまったのだ。
「くそったれ……面倒臭いことをしやがる」
『シンジ、どうしますか?』
「どうするもなにも、やるしかないだろ」
アルテマは慎司の声に同意するような気配を見せると、いつもの片手剣の状態で慎司の右手に顕現する。
「アレン、ガレアス、エリーゼ、リプル!カレル達の後ろから多数のハウンドウルフが来ている!ハウンドウルフは俺が何とかするから、4人はカレル達と一緒に身を守っていてくれ!」
慎司はそう叫ぶとアルテマを強く握りしめて駆け出す。
「は!?無茶いうなよシンジ!いくら強いって言っても無理があるだろ!?」
しかし、駆け出したシンジの腕をアレンが引き止める。
アレンからすれば、年も変わらない男が1人でハウンドウルフの群れを相手取るなど、無謀に思える。
「大丈夫だ、Sランク冒険者を甘く見るなって。無理そうなら戻ってくるさ」
「……わかった、無理はするなよ」
慎司の言葉に、アレンは苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、手を離す。
駆け出す瞬間に、リプルと目が合う。
絡まる視線に何を感じたのか、リプルは不安げな顔をする。
慎司は軽く笑いかけると、すぐに前を見つめて表情を引き締めた。
『シンジ、勝率は98%です』
慎司はカレルとすれ違い、目の前に広がるハウンドウルフの群れを睥睨する。
アルテマが勝率を概算するも、ハナから負ける気は無い。
「さて、サクッと終わらせますか」
ゆっくりと慎司はアルテマを構えるのだった。




