35.一緒の理由
アリスちゃんにまつわる話です。
話が分からなくなるようなことはありませんので、飛ばしていただいても大丈夫です。
昔、1人の奴隷商人の元にとある貴族がやって来た。
商人と貴族は幼少の頃から付き合いのある、いわば親友と言ってもいい程の仲であった。
貴族は、青年時代に築いた功績を称えられ、爵位を賜った、純粋な貴族ではなかった。
そのため、貴族に付き物の権力闘争等には積極的ではなく、むしろ苦手であった。
そんな貴族にも、妻が一人いた。
今回、商人の所へやって来た理由には、その妻が関わっているそうだ。
曰く、信じていた妻が実は金の亡者であり、夜更けに殺されそうになったのだとか。
貴族は言う。
裏切らない家族が欲しいと。
商人は言った。
それならうちの奴隷を格安で譲ろう、人格にも問題は無い。きっとお前を癒してくれると。
そして、貴族は黒髪の美しい、澄んだ瞳をした女を買い、その日は去っていった。
────数日後。
また貴族が商人のもとを訪れた。
貴族は、女をとても気に入ったようで、その日は商人に礼を言うと、すぐに家に帰っていった。
商人は、古くからの友人が、傷心から立ち直れたようで嬉しく思った。
ただ、この時は貴族も商人も、1番最初に起こった事件の事など、すっかり忘れていたのだ。
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それから1年が経った。
貴族と奴隷は可愛らしい子を成し、生まれてきた女の子に、『アリス』と名付けた。
貴族はまず、真っ先に商人にアリスを見せた。貴族はどうしても親友である商人に見せたかったと言う。
この時ばかりは、二人とも立場を忘れて童心に返り、酒を酌み交わした。
アリスと名付けられた少女は、母親譲りの黒髪に、父親のブロンドを混ぜたような不思議な色の髪の毛に、ダークブラウンの瞳をしていた。
これには貴族も商人も笑ってしまった。
まるで2人を足して半分に割ったかの様な容姿なのだ。
まさにその時が幸せの絶頂だった。
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その日は月が赤く輝いていた。
実際にはそんなことはないのだが、商人には何故だかそう見えた。
何だか胸騒ぎがして、商人はその日の商売を早めに終わると、護身用のナイフを懐に入れて貴族の家を訪ねた。
大きな門を押すと、鍵が外れているのか、すんなりと開いた。
心のざわつきが大きくなる。
いつもは立っている門番も、今日は見当たらない。何かあったのだろうか?そんな疑念が拭えないまま、商人は遂に家の中へと足を踏み入れた。
ガタガタと物音がする。
音の発生源は2階だろうか。
商人は焦った様子で階段を駆け上がる。
2階に上がると、奥の部屋から何やら怒鳴り声と悲鳴が聞こえる。
────やがて、悲鳴が止んだ。
今度こそ商人は手にナイフを持ち、部屋のドアを蹴り開けた。
そこに広がっていたのは、地獄。
ナイフを持ち髪を振り乱して暴れる女と、その足元で血だまりの中に倒れ伏す奴隷の女。
貴族の後ろには、アリスが眠るベッドがある。
守るように立ち塞がる貴族に、叫び声を上げながら女が突進していく。
丸腰の貴族は、こちらを一瞥すると小さく頷き、女の突進を体を張って止める。
その際に、突き出されたナイフが貴族の腹に深々と突き刺さった。
呻き声を上げる貴族が女を止めている。
商人は護身用に持ってきていたナイフを、がら空きの背中に突き立てた。
勢い良くこちらを振り向く女の顔を殴り飛ばす。
吹き飛び、壁に勢いよく打ち付けられた女は、それきり動かなくなった。
それを確認して、商人は貴族のもとへ駆け寄る。貴族は刺された腹を抑え荒い息を吐いている。
大丈夫か?とは問わなかった。
既に流れ出た血が、大きな水たまりを作り始めている。貴族が死ぬのは確定だろう。
商人は痛む心を無視して、貴族に遺言を聞く。
残されてしまったアリスはどうするのか?アテがないなら俺が引き取ろう、と商人は言う。
貴族は掠れた声で一言だけ、頼んだと言うと、ゆっくりと目を閉じた。
商人は貴族と奴隷を運び、手を重ね合わせた状態で寝かせてやる。
それがせめてもの手向けだと思った。
親友を殺され、商人の心は荒み出していた。
長い付き合いの中でも、貴族はかなり気の合う友人であった。
そんな友人を殺した女は、執念からか、ずるずると体を引きずって外へと逃げ出そうとしていた。
────商人の中で何かが壊れた。
這って移動する女より、商人の方が当然早い。
商人は女に追いつくと、血に濡れたナイフを振り上げる。
グサ、と音がする。
肉を抉り、内蔵を掻き回し、恨みをぶつける。
何度も何度も何度も何度も、ナイフを突き刺した。
やがてビクビクとしていた体が反応を示さなくなり、商人は最後に顔を蹴りつけると、アリスを抱えて家に帰った。
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血に濡れた服は夜の闇が隠してくれた。
幸い誰にも見つからず、商人は家に帰ることが出来た。
家に帰るなり、商人は服を着替え、アリスをベッドに寝かせてやる。
友人の最後の頼み事を、疎かにするわけにはいかない。
商人はその日を境に、商品である奴隷達をも使ってアリスを育て始めた。
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────それから4年。
商人はやがて大きな金を持つようになる。
そして、そのお金をもって王都へ行こうと思い立ったのだった。
王都でならば、様々な物が揃うし、アリスの将来のためにも、王都に移るのは良いことだろう。
奴隷達は、アリスを可愛がってくれる。
食事を一緒に取り、外へは出れないが共に遊び、夜はみんなで仲良く眠る。
そうしてアリスは奴隷達を姉のように慕い、また奴隷達もアリスを妹の様に思っていた。
王都への馬車に揺られながら、アリスはいつもしている質問をする。
────パパとママはどこ?
奴隷達はそれに困ったような笑顔を浮かべて、いつか会えるよ、と答えるのだ。
アリスには、パパとママはアリスと同じ髪の色をして、同じ目の色をしていると伝えている。
実際には父親はブロンド、母親は濡れ羽色の黒髪なのだが、奴隷達はそう伝えていた。
馬車はガタゴトと揺れながら道を走る。
馬を走らせるのは御者台に座った商人だ。
その目はチラチラとアリスのいる馬車に向けられているし、手元にはナイフが置かれている。
アリスを何が何でも守らなければならない。
危険はできるだけ排除してきた。
現在通っている道も、魔物や盗賊が少ないと商売仲間に教えてもらった。
気を張っていたからだろうか。
商人は森の隙間から覗く双眸に気づくことができた。
魔物である。
商人が注意をする暇もなく、魔物は飛び出してきた。
商人はすぐに馬を止め、ナイフを片手に魔物に挑みかかる。
こんな事態のために、商人は鍛錬をしていた。
ナイフは抵抗なく魔物に刺さり、暴れる魔物を押さえつけながら数回ナイフを刺すと、魔物は絶命した。
当面の危機は去ったと商人が振り向くと、馬車の周りに魔物が集まっていた。
魔物は次々と馬車の中から奴隷達を引きずり出し、その肢体に齧り付き、食い破っていく。
────やめろ。
手に持ったナイフは余りにもちっぽけで、商売はただそう呟いた。
────やめろ。
魔物達はそれに一切気にした様子もなく、奴隷達を食い漁っていく。
血、肉片、千切れた髪の毛、悲鳴、それらが商人の心を抉る。
────やめてくれ!
商人は魔物を吹き飛ばそうと蹴りを繰り出す。ただ、数が多い魔物達は、蹴っても殴っても斬っても叩いても、奴隷達を殺していく。
遂に、残りは1人の奴隷とアリスだけが残ってしまった。
守らなければ。
親友に託された小さな生命を守るべく、商人は立ち上がろうとした。
しかし、幾ら力を込めても足は動かず、突いた腕がぷるぷると震えるだけ。
商人が焦りと共に目を向けると、足は両足とも根元から喰いちぎられていた。
傷口から血が流れていく。
薄くなっていく意識の中で、商人は自分の腕や腹が食われていくのを感じる。
自分の事はどうでも良かった。
アリスを────託された命を失いたくはなかった。
狭まる視界の中で、商人が見たのは魔物の牙と一つの馬車から出てくる男の姿だった。
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アリスは恐怖から、いつも優しいコルサリアに抱きついていた。
先程から聞こえていた悲鳴も、すすり泣く声も、今は聞こえない。
コルサリアがすぐに目を塞いで、血を見ないようにしてくれているが、音は聞こえる。
アリスは、聞こえてくる音から、何か悲しいことがあったのだろうと思った。
「ねぇ、コル姉……」
「アリス、今は静かにするのよ。私が良いって言うまで目を開けたりしちゃダメよ」
「うん……」
不安になってコルサリアに尋ねてみるも、アリスの求める答えは得られなかった。
やがて、馬車の扉が開く音がする。
「ウルフは追い払いましたし、もう大丈夫ですよ」
男の声だ。奴隷商人の声ではない、他の誰か。
アリスは目を開けたい衝動に駆られるが、コルサリアから良いと言われてないので、まだ目を閉じておく。
そしてコルサリアが何かを話し、閉ざされた視界の中、どこかへと向かう。
アリスはコルサリアを信じて、体を預ける。
「アリス、もう大丈夫だから目を開けていいわよ」
コルサリアにそう言われ、アリスが目を開けるとそこには狐耳の尻尾を持つとても可愛らしい少女と黒髪黒目の少年がいた。
アリスは挨拶をする様に言われて、まずは狐族の少女に挨拶をした。
少女の名前はルナというらしいので、アリスはいつものように、ルナ姉と呼ぶことにする。
「ルナ姉って呼んでもいい?」
そう聞くと、ルナは何やら顔を赤くし鼻を抑え出す。
どうしてそうなったのかアリスにはよくわからなかったが、少し怖かったので触れないことにする。
次は、黒髪黒目の少年の方を向く。
すると、少年は頭を下げて来る。
「アリスです、よろしくお願いします」
アリスがそう挨拶をすると、少年も名乗ってくれる。
「ああ、シンジだ。よろしくな、アリス」
アリスはどうしても気になることがあった。
「うん、えーっと……髪の毛の色、一緒!」
そう、アリスは一目見た時から、シンジの黒髪に目を引かれていた。
アリスのパパは、アリスと同じ黒髪黒目だと聞いている。
「そうだなぁ、目も一緒だな」
「おおー一緒!」
だから、目も同じ色だと言われて、心が高ぶっていく。
今までどこにいるかわからなかったのに、やっと会えたのだ。
一緒ということは、つまり────
「一緒!一緒だから、パパ!」
アリスはとびきりの笑顔で、そう言うのだった。
アリスちゃんのパパ発言の裏は、こうなっていた訳ですね。
次回からは、魔法学校編です。




