160.エピローグ
アリスの相手も程々に、慎司は色とりどりの花畑の中心へとやって来ていた。
ここが楽園だと言われても、思わず信じてしまいそうな程の光景。
鼻腔をくすぐる花の香りに目を細めながら、右手を前に突き出す。
この場には似つかわしくない、戦いを象徴する物。
────即ち、『剣』が現れる。
暖かな日差しを反射して、微かな煌めきを返すそれは、この世界にきてから慎司と共に在った蒼色の魔剣だった。
魔力を吸い、魔力を纏う魔剣は、今までのように語りかけてくることは無い。
あるのは剣としての形だけであり、そこに宿っていた『アルテマ』たる『魂』は残っていない。
何故、剣を取り出したのか、それは慎司の呟きによって分かる。
「お前にも、見せたかったよ」
それは、未練とも後悔とも取れる。
しかし、表情は晴れ晴れとしている。
離別したアルテマと慎司であったが、守りたかった世界はこうして目の前に広がっている。
柔らかな土の感触、頬を撫でる穏やかな風、澄んだ青色を落とす天蓋。
そのどれもが美しかった。
「どうしようもなくても、どうにかしたかったよ……俺は」
強いて言うなら憤りなのだろうか。
あの場面で何も出来なかった自分への思いや、そうせざるを得なかった状況への思い。
心の片隅を常に刺激するチリチリとした思いは、愛する者と触れ合っても、贅沢な景色を眺めても癒されない。
胸の中に、ただひたすらに残る苦さをこれからも慎司は味わうのだろう。
時に顔を顰めても、苦しさに押し潰されても、決して消えることは無い。
「なにか違えば、失わずに済んだのかな」
誰にも聞こえない、聞かせる気もない独白。
雲の欠片すら見えない空はただ黙って言葉を吸い込み、風に揺られた草や花だけが微かに返事を返す。
まるで懺悔のように。
慎司は手に剣を持ったままじっとしている。
これが教会の中で膝をついていれば、祈りとすら取られても驚かない。
それぐらい、彼の顔は真剣だった。
神さえ殺して、全てを────文字通り世界を救った英雄は、返しのついた抜けない棘を心に抱えたまま、花畑に背を向ける。
その手にはもう蒼色に輝いていた剣はない。
「約束するよ、俺は……」
小さく呟いた言葉は、一瞬だけ強くざわめいた風にかき消される。
悪戯な風がただ本当に偶発的に起きたものなのか。
聞きたくなかった世界の意思なのかは、誰にもわからない。
「さようなら、アルテマ……楽しかったぜ」
振り返ることなく、歩き出す慎司。
その肩に、青い花びらが1枚だけ乗っている。
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後に、『クロキ・シンジ』の名は語り継がれていくことになる。
『救世の英雄』や『蒼剣』、他にも様々な二つ名が横行したが、本人は全てを否定していたそうだ。
曰く、自分の力ではない。
曰く、自分は酷く弱い。
曰く、自分は咎人である。
誰がなんと言おうと、本人を取り巻く人物から見れば『偉人』であったが、当の本人が否定するのだ。
面と向かって言うものはいなかったが、噂や吟遊詩人の歌、昔話として彼の存在は語り継がれていく。
望んだかどうかは重要ではなく、そこにあるのは希望を求めた人々の確かな願いがあった。
人々は明日を夢見て仕事をこなし、未来を願って眠りにつく。
その心の片隅に、象徴たる英雄と、その相棒の存在を宿しながら。
これにて『気ままに異世界無双』は終わりとなります。
慎司たちの世界はこれからも続きますが、描くのはここまでとなります。
ここまでの応援、ありがとうございました。
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新作「リワインド・ワールド」を書き始めましたので、よろしければそちらの方も宜しくお願いします。