158.神さえ殺して
涙に塗れた視界が止まっていた世界に戻ってきて、ゆっくりと元の姿を取り戻す。
温かな拍手が耳を打ち、現実へと引き戻す。
誰一人何が起こったかを把握しておらず、慎司の心にだけ大きな棘が刺さっていた。
ふと隣を見れば、ルナとコルサリアが微笑んでくれる。
────誰も知らない。
そう、アルテマがいなくなったことに、誰も気づいていない。
国の復興を願い、散っていった仲間を想い、未来を見据えた彼らには、まるでそんな事など些事だと言われたような気がして、慎司は苦しくなる。
だが、それをおくびにも見せないのは、慎司自身が皆の気持ちに水を差すのが嫌だっただけでなく、きっとアルテマも望んでいないと思ったからだ。
「……さぁ、行こう」
「はいっ」
皆にとって慎司は英雄なのだ。
望んでなった訳でもなく、誰かにやれと言われてなった訳でもないが、これまでの過去が今の慎司を作り上げている。
未来を描くには、辛い過去を塗り替えるほどの安心感が必要なのだ。
それに自分がなれるのならば、誰かが英雄を必要として、適役がいないのなら、己がなるしかない。
「これで皆様全員が揃いました。まずは私の方から挨拶をさせて頂きます」
数段高い場所にある空の玉座には、亡きエイブリット王ではなく、幼いフラミレッタ王女の姿があった。
父の死を目の当たりにして尚、国のために自分を律するその姿に、堂々と言葉を並べるその胆力に、その場の全員が感心する。
「この度の騒動は、誠に残念でした。多くの民が尊い命を散らし、我が国の兵士たちもその忠誠に違わぬ働きをすると同時に、帰らぬ人となりました」
フラミレッタの言葉に誰もが悲しみの表情を浮かべる。
ここにいる者たちは、多かれ少なかれ知人や友人を亡くしている。
皆がそれぞれに決別をつけてきたわけでもなく、未だに引きずる者は多い。
「ですがそんな騒動も、皆様全員の働きによって……何より、そこにいらっしゃるシンジ・クロキ様のお陰で終息を迎えました。彼も大切な友人を亡くし、それでも我が国を助けてくださいました。彼や、兵士の皆様には最大の感謝を……そして、我が国民にはこれからの栄光を……」
幼い外見からは想像出来ない、王族としての力強さを目にして、式典に集まっている者達は、フラミレッタこそ女王に相応しいと確信した。
「これからは国の復興のため、あらゆる困難が待っているでしょう。若く、頼りないとは思いますが、こんな私にも、ついてきてくれますでしょうか……?」
ほんの一瞬、少女らしい不安に囚われた顔を見せるフラミレッタ。
儚げで、頼りにならないと思わせる、その姿に兵士たちは────
『この剣に誓って!』
足並みを揃え、剣を構える。
忠誠を誓い、命を国のために使うと決めたその日から、兵士や騎士たちの心は一つであった。
「私はどうやら、良き民を持っている様ですね……この国を愛している者同士、共に頑張って行きましょう」
後の歴史に記される、『忠義に生きた騎士達と女王』────まさにその瞬間であった。
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誰もいない、虚無が広がる空間に彼はいた。
何を目的にするでもなく、海に漂う藻屑のように、ただそこにいるだけ。
多くの魂を弄び、原初から世界に関わってきた男の名は、『アイテール』
神殺しを悲願とした従僕の剣に敗れ、多くの権能を失ってはいるものの、辛うじて自我は保っていた。
「……はぁ、まさか負けるとはね。久しぶりに楽しいと思ってしまったよ。彼……シンジはこの後どうするのかな?まぁ、もうどうでもいいけどさ」
投げやりに呟いた言葉は、本当にただの独り言だ。
いずれ失われるだろう自我に、権能。
既にアイテールの興味はあらゆるものから失われていた。
どうせ消えるのなら、その時まで大人しくしておいてやろうじゃないか。
今までが寧ろ、遊びすぎていたのだ。
神の座に胡座をかき、人間を玩具としてしか見てこなかったツケが回ってきた。
そう考えれば、自分の消失なんて軽いものだ。
「……どうせ、こんなものか」
消えゆく最期に残した言葉は、酷く達観したものだった。
物語も終盤となりました。
一先ずは、決めた最期に繋げそうです。