157.愛した日々
そろそろこの物語も終わりとなります。
最後は納得がいくよう書きたいため、時間がかかってしまうかも知れませんが、どうかご容赦ください。
ただ、冷酷な微笑だけが残る。
血の滴らない鎌を手に、アルテマは空を見上げている。
慎司は何も言えず、ただ立ち尽くすのみだ。
暫くすると、アルテマも自分の中にある感情に折り合いをつけたのか、いつもの無表情に戻ってこちらに歩いてくる。
「アル、テマ……」
「────ありがとうございました、シンジ。貴方のお陰で私は仇討ちを成し遂げることができた」
ここまで来れば、アルテマが一体何者なのか分からない者はいないだろう。
神であるアイテール、テミスを『仇』と呼び、昔話に登場するシルドを『主』と呼ぶ。
「お前は、魔剣……なんだよな?」
「ええ、私は魔剣です。……ただ、少し主の無念と激情を受け継いだだけです」
魔剣とはなんなのか。
神とはなんなのか。
慎司にとって分からないことだらけである。
しかし、一つだけ分かっているのは、このままだと何か良くない事が起きそうだという事だ。
予感とも直感とも言える『それ』を信じ、声をかける。
「それで、アルテマはこの後どうするんだ?」
「それは……」
言い淀むアルテマ。
その瞳には、今まで見たことのない光を反射する煌めきがあった。
「なぁ、仇討ちも終わって、やる事がないんだろ?それならさ……」
「────駄目です」
「え?」
これからも一緒に────そう言いかけた慎司を、アルテマは制する。
流れ続けている涙に気づいていないのか、頬には跡が一筋見える。
拒絶された理由に心当たりがなく、拒絶されないと自惚れていた慎司にとって、泣き顔で否と突きつけてくるアルテマの姿は理解不能だった。
「何がだよ……まだ何も言ってないだろ?」
「言わなくてもわかります。これでも私はシンジと長い間共にいたのですから。だからこそ、駄目です」
「分かっているなら、どうして!」
突然止まった世界。
仇討ちのため神を殺したアルテマ。
そして、拒絶。
理解できても、理解したくないことばかりだ。
「それに、私だって本当は一緒にいたいのです。もっと世界を見ていきたい……貴方の力になりたいです」
「なら、ほら!見ようぜ!」
「それでも、お別れです」
手を広げて叫ぶ。
今の自分の顔を鏡で見れば、相当変な顔になっているだろう。
必死に女の子を説得しようとして、失敗している。
一緒にいれないと言われ、胸がざわつく。
一緒にいたいと言われ、心が泣き出す。
「一緒にいたいって、思ってくれてるんだろ!?だったら、そんな悲しいこと言わないでくれよ……っ!」
「私は、既にやるべき事を終えました。神殺しは大罪ですが、同時に器の昇格でもあります。私は私でなくなり、世界を調停する存在へと変わるでしょう。それでも、シンジは……」
叫び、縋る慎司に、アルテマは優しく言った。
────私を選んでくれるのですか?
その声、その顔は、全てを分かっているような、全てを諦めているように思えた。
救いたいと、何としてでも傍にいて欲しいと。
思っても、願っても、届かないのだと分からされた。
「俺は……お前を……」
「本当に?私を選べば、全てを捨てることになりますよ。ルナも、コルサリアも、アリスも、全て全て……」
その問いは、酷く辛いものだった。
アルテマか、他の全てか。
考えても、考えても、選択肢は非情なまでに二択だ。
抗えない、世界の法則とでもいうべき選択を前に、慎司は目を瞑る。
アルテマを選び、ルナたちを捨てるか。
ルナたちを選び、アルテマを捨てるか。
「はぁ、俺ってこんなに優柔不断だったんだな」
「今更ですか?シンジはいつも悩んでいますよ、どうでもいいことでさえ」
「今回ばかりは、かなり時間がかかりそうだ……」
慎司は苦笑する。
知らず握ったいた拳は、指が白くなるほど力が込められている。
この世界に来てから、希望を掴み取るために色んな事をしてきた。
魔物を倒し、魔族を殺し、家族を救い、国を救った。
英雄だなんだと持て囃され、冒険者の中でも最強と言われてなお、女の子1人救えない。
そんな自分に嫌気がさす。
「さぁ慎司。そろそろ時間ですよ。ルナたちの元へと帰らないとです」
「でも、アルテマは……」
「いいのです。無念を晴らし、すべき事を終えた私は、貴方達と過ごした日々を思い出に……生きていけます」
とうとう時間がやってきたのだろう。アルテマの姿が薄くなっていく。
消える。消える。消える。
いつも一緒にいた相棒が、一番付き合いの長い少女が、目の前から消えていく。
「嫌だ……嫌だっ!消えないでくれ!みんながいてもアルテマがいないんじゃ意味がないだろ!!」
力いっぱい、抱きしめる。
「どうしてアルテマが消えなくちゃならない!誰かを失うのは、嫌なんだよ……!」
「シンジ……」
弱さを曝け出すのは、これが初めてではない。
それでも、大切な者の前で涙を流すのは、男として情けないと思う。
それだけ本気なのだ。
体全体を通して感じるぬくもりは、確かにアルテマのものだ。
それもやがては薄れていく。
この世から、慎司の前から、アルテマという存在が消えようとしている証だった。
「あ、あぁ……」
「泣いても何も変わりませんよ、シンジ。貴方にはやってもらう事があるのですから、泣かないでください」
「やってもらう、事……?」
「ええ」
無表情で告げるアルテマ、抱きしめているから、その視線は見上げるようになる。
緩く腕に力を入れてシンジから離れると、アルテマは目の前に藍色の剣を生み出した。
「これを……」
「この剣で、どうしろと?」
「簡単な話です。世界を守ってください」
「簡単な話って……よく言うよ」
「シンジなら出来るはずですが?」
何も不安に思っていない、信頼しきった瞳に見つめられ、慎司は嘆息すると、大きく頷いた。
「ああ、任せとけ」
目は赤く腫れて、鼻声ではあったが、アルテマも満足そうに頷く。
「それでは、もうお別れですね」
「……そうみたいだな」
「貴方は無防備ですからね、ルナやコルサリアの忠告をよく聞くように」
「ああ」
「アリスはかなり多才なようですから、ちゃんと見守ってあげてください」
「勿論だ」
「私がいなくても、シンジには仲間がいます。彼女達を信じてあげてください」
「わかってるさ」
言葉を紡ぐ度に、姿がぼやける。
足元から光る粒子が立ちのぼり、消失はすぐそこに来ていることが分かる。
目を見れば、アルテマの暖かな眼差しを感じ、消えるというのに、その表情は柔らかかった。
「それでは……」
くるりと背中を向け、1歩だけ遠ざかるアルテマ。
気のせいだろうか、か細い声でしゃくり上げるような音がする。
「アルテマ……」
名前を心に刻みつけるように、呟く。
なぜ背中を向けているのか。
なぜ自分は抱きしめてやれないのか。
もう1度、笑ってほしい。
「俺はな、確かにお前を愛していたよ」
その声に、ピクリと肩が上がった。
もう体の半分ぐらいが消えかかっているアルテマは、深呼吸をして振り返り────
「私も、貴方を愛していましたっ!」
────ぐしゃぐしゃの笑顔でそう言った。
ここでアルテマはお別れです。
思惑というのは、人それぞれにあるものです。