156.神滅
「……え?」
思わず間抜けな声が出る。
隣を歩いていたはずのルナとコルサリアは、彫像のように動かなくなり、列席者たちの息遣いさえ聞こえない。
世界が凍る、比喩表現としては最適だろう。
「なん、で……は?どういう、ことだこれ」
慎司は目の前で起こっている、理解不能な光景に対して酷く狼狽える。
この世界に来てから自分の常識が通じない事がある事実は認識していた。
しかし、今まで普通に動いていた人が文字通り止まったのだ。
これはもう、人間のできることではない。
────それこそ神業だろう。
その考えに至った瞬間、忌まわしい声が響いた。
「いえーい、やっほー!慎司くーん!」
その声の主は、慎司の記憶を奪い取ったアイテールのものだ。
相変わらずの、どこか飄々とした声音に、少なからず苛立ちを覚える。
「何をしに来た……?」
「いやいや、なんか最近刺激が少なくてね?ちょーっとだけ手伝ってもらおうかなって」
悲しそうに、楽しそうに、苛立たしげに、表情をころころと変えるアイテールは、身の毛もよだつような視線を投げかけてくる。
粘ついたその視線は、決して慎司にいい想像をさせることなく、続くアイテールの言葉でその想像が正しかったと思わされた。
「えーとね、僕と戦ってみて欲しいんだ。もしかしたら今の君なら僕を殺せるかもしれないからね」
慎司は、アイテールの顔を訝しげに見やる。
発言の真意が掴めない以上、従う理由はないだろう。
「それで俺になんの得が……?殺してほしい理由は……?」
だが、アイテールの表情は変わらなかった。
ただ粘ついた笑顔を貼り付け、答える。
「ないよ、何にもない。ただ、僕の欲を満たしてほしいだけさ」
「……は?」
ここで、慎司は自分の認識の違いを思い知る。
今までアイテールは、何か目的のために行動をしていると思っていた。
記憶を奪い、嘘の記憶で塗り固めたことも、この世界に呼び寄せたことさえ、なにか理由があるのだと思っていた。
「僕はね、基本的に行動のために理由を伴わないことが多いんだよ。大体、意味もなく、その場の雰囲気で行動しちゃうのさ」
「なら、まさか……俺がこの世界に来たのも……」
「うん、特に意味もないし、理由もない。最初に言ったでしょ?……特に何かをする必要は無いって」
だが、アイテールはなんの意味も理由もないと言い切った。
それは、ここまでこの世界で生きてきた慎司を全否定するものであった。
無作為に選ばれた中の1人であっただけ。
何も求められず、何も成し遂げられない。
「お前は……そんな簡単に人の人生を弄ぶのか……ッ!」
「まぁ、それが許されているからね。だって神だし。そうそう、ガレアスくんだっけ?彼も中々面白かったよ。死んじゃったけど」
死んでしまった友人を悼む場で、嘲笑してみせたアイテールに我慢できるほど、慎司は人を捨ててはいなかった。
「……ォォオオ!!」
言葉にできない、煮え滾る感情のままに咆哮し、右手で握ったアルテマを振り抜く。
瞬時に顕現したアルテマは、蒼色の軌跡を描きながらアイテールの首へと向かい────あっさりと避けられた。
「おぉっと、危ないなぁ。今ので下級の神なら倒せていたかもしれないね」
「……ッ」
「まぁまぁ、そう怒らないでよ。……って、無理か!あはははははは、人間はそういうものだったね」
こちらを馬鹿にするようにして、愉快だと体を揺らす。
そして、気付けば固まったままのルナの近くにアイテールは移動していた。
「うーん、やっぱりこの娘は可愛いねぇ。僕のコレクションに加えたいぐらいだ」
「ふざけるな!ルナは物なんかじゃねぇ!!」
叫び、突貫。
腕を引き絞り、亜音速まで到達する速度で繰り出された刺突は、これまたあっさりと避けられる。
「そんなんじゃ当たらないよぉ?お、こっちの娘も中々じゃないか……」
「俺の家族に触れるなッ!!」
激情のままに繰り出す斬撃を、アイテールはひらりひらりと避けていく。
振り下ろした剣は横に揺れる体を捉えられず、横薙ぎの一撃は距離を取って避けられる。
「これなら、どうだッ!」
範囲の広い魔法は使えない。
移動できる範囲を限定する方法が取れない以上、残るは相手への妨害か、こちらの能力の底上げだ。
相手への妨害は恐らく無理だろう。神というならば、そういったことに対する耐性もかなりついていそうだ。
「見様見真似だが……《ソニック》!」
「……むっ」
以前見た魔法、《ソニック》を発動させた慎司は一瞬で間合いを詰めるとアルテマを振るった。
アイテールといえども音速を超える動きには対応しきれないようで、纏っていた服の切れ端が地面に落ちた。
「……あと少し対応が遅れていたら斬られてたよ。いやあ、危ないなぁ」
「その割には顔色一つ変えないじゃないか。はやく斬られてくれ」
「嫌だよ、それで斬られたら絶対痛いもん。ただ……やっぱり君は見込み通りだ」
嫌らしくアイテールが笑い────刹那、慎司は己の本能に従って体を地面に投げ出した。
「ひゅー、今のを避けるのか。やっぱり凄いねぇ」
「はっ、はっ……」
「酷い汗だね?大丈夫かい?」
嘲るような顔を見て、殴りつけてやりたくなる。
そして、その油断した顔へと雷撃を飛ばす。
「大丈夫じゃねぇよ……喰らえッ」
空気を伝い、確実に直撃すると思われた雷撃だが、信じられないことにアイテールの目の前で霧散してしまった。
「なっ!?」
「いやー、ごめんね?この世界の神である僕には、同じくこの世界で作られた魔法は通じないんだよ」
「斬るしか、ないと?」
「そういうことになるね」
そう易々と斬らせてはくれないだろうが、こうしてルナやコルサリアたちにいつでも干渉してこれるアイテールを野放しにするのは危険だ。
たとえ神であろうと、ここで殺してしまうのが安心できるというものだ。
『そうですシンジ。神はここで殺すべきです』
「ああ、そうだな」
自分の中で、どうしてここまで神であるアイテールを殺したいと思っているか、その理由は定かではない。
ただ、自分の家族に────ルナやコルサリアに手を出そうとした時点で、生かしておく道理はないのだ。
「ほぉ、調子が出てきたかい?」
「ああ、お望み通り殺してやるよ」
お互いが睨み合うこと数秒、動いたのはほぼ同時だった。
慎司が剣────アルテマを使っているからか、アイテールもいつの間にか光を収束させたような剣を握っていた。
金属の擦れ合う音が何度も響き、剣戟を重ねる毎にお互いの顔は獰猛に歪んでいく。
相手の命を欲して振るう剣はとても重く、人の枠から外れた慎司と、神であるアイテールのスピードは常人では目で捉えることすらできない。
「君っ、ほんとに人間やめてるね!」
「神様に言われるとは光栄、だなッ!!」
神にさえ追いつく速さに、防御の姿勢を取らせる攻撃力の高さ。
認めたくはなかったが、慎司は既に人の域を逸脱していた。
「……ッ!ここだ!!」
永遠に続くと思われた攻撃の応酬は、望まぬ侵入者の手によって終わりを迎えた。
突然身を硬直させたアイテール。その隙を見逃すほど慎司は落ちぶれていなかった。
「え、あれ……こんなつもりじゃ、なかったのにな……」
「アハハハハハ!!やったわ、やってやったわ!!」
慎司とアイテール、2人しかいないはずの止まった世界に、彼女が立っていた。
彼女は歪んだ笑顔を浮かべたまま、体を斬られて倒れ伏すアイテールを見下ろしている。
「ふぅ、ここまで来るのにかなりの時間がかかったわ……」
「女神、様……?助けてくれたのか?」
「え、ああ……違うわ、私は私の目的のために貴方を利用したのよ」
髪をかきあげ、妖艶な表情を見せるテミス。
目的とやらが慎司には分からず、先程までの猛烈な戦いに水をかけられ、不完全燃焼な思いであった。
「目的とは……?」
「そこに倒れているアイテール。この世界の神を殺すことよ」
あっさりと明かされる目的に、慎司は驚き目を見張る。
「同じ神ではないのですか?」
「そうね。括りは同じでも、私はこの世界の神になりたかった。そして、そのためにはアイテールを殺すしかなかった。それだけのことよ」
何でもないようにテミスは言うが、神を殺すというのは簡単に出来ることではない。
それが慎司に出来たのは、アルテマという剣のおかげと、テミスの手助けによるものが大きい。
「私はね、だいぶ前からアイテールを殺そうと計画していたのよ。そのために、たくさんの人を利用したわ。長年で最も神に近づけたのは、貴方を除けば……シルドと言ったかしら、あの男ぐらいね」
シルドの名前が出た瞬間、アルテマから濃密な殺気が沸き立つのを感じた。
『そうか、あの人の仇は……』
怨嗟の声と言っても差支えのない程に、恨みがましい声音。
呟かれた言葉を聞いたテミスは、気にもせずに言葉を紡いだ。
「あぁ、仇?あの時代最強と言われたシルドを貶めるための作戦、吹き込んだのは私だしね」
『あぁ、愛しき我が主……私は、私は……!』
アルテマから感じる、深い闇色の気配を感じ取った慎司が何かを言う前に、黒い光が目を焼いた。
「ぐっ!なんだ!?」
光は慎司が握っていたアルテマから発せられており、眩しさのあまり目を覆った直後、慎司の目の前にはいつか見た漆黒の衣装を纏ったアルテマが立っていた。
「仇は、まだいたのですね……。ああ、終われない。まだ終わることはできない」
「アルテマ?」
「シンジはそこで見ていてください。私はあのクズを殺さなくてはいけないので」
神であるテミスをクズと言い放ったアルテマ。その小さな手には纏った服と同じ漆黒に染まった大鎌を持っており、可愛らしい瞳は殺気に彩られ、不穏な色を放っている。
「私をクズ呼ばわりしたことは、後悔してもらわないといけないわね……」
「クズはクズらしく、大人しく殺されてください」
ジリジリと間合いを取り、お互いの命を狙う。殺気溢れる空間に取り残された慎司は、ここに来てアルテマの言う《あの人》、テミスのいう《計画》の関係に気づいた。
簡単に言えば、シルドはテミスの《計画》の被害者なのだ。
仇討ができなかったシルドの未練はアルテマに宿り、こうして神と相対している。
そして、遂に2人が動き出した。
「はあぁぁ!!」
「あら、怖いわね」
大鎌を巧みに操るアルテマと、細身の長剣を操るテミス。
刈り取るような一撃を避け、攻撃の隙間を縫うように突きを放つテミス。
お互いに決定打を与えられないまま戦闘は続いていき、次第に戦い方は激化していく。
「せやああ!!」
「くっ!」
可愛らしい声とはまるで似つかない、凶悪な一撃が放たれ、テミスの握る剣を弾き飛ばした。
神として身体能力はそれなりにあるのだろうが、如何せん、戦闘を行っていないからかその剣の扱いは、アルテマに負けるようだ。
「くふっ!もらいましたァ!!!」
剣を弾かれ泳いだテミスの体に、漆黒の大鎌が突き立てられる。
右から左へ腹を薙ぎ、返す刃は逆袈裟を描き、戻った大鎌は首を刈り取らんと牙を剥く。
「あ、がっ……」
「それじゃあ、さようなら。今日、この瞬間が……神滅の時よ」
そして見るものを魅了する笑みを浮かべたアルテマは、強い達成感に包まれながら、大鎌を振り抜いたのだった。
人であることを辞めれば、神さえ殺せるかもしれません。