147.導き
生い茂る緑が眼前に広がる。
草木の香りが慎司の鼻腔をくすぐり、心を落ち着かせる。
「……また来たんだな。ここへ」
少し柔らかな地面に立つ慎司が、確信を持って精霊王のいる森だと言えるのは先ほどから近づいてくる精霊たちの反応を捉えているからだ。
この森でリーティアに魔力回路を矯正され、アルテマと契約を交わしたことによって慎司は魔力の流れを意識して知覚することができる。
そのお陰なのか、以前はそこにいることしか分からなかった精霊たちの存在が、はっきりと視えている。
「ニンゲン」
「また来た、ニンゲンだ!」
「いらっしゃい、いらっしゃい」
「歓迎する、歓迎する!」
慎司の周りに集まった精霊たちは、ふわりと浮かんでおり、色とりどりの粒子が零れ落ちている。
赤や青、緑に黄色など魔法を扱う者であればすぐに分かるであろう色だ。
「なぁ、リーティア──精霊王がいる場所に案内してくれないか?」
慎司がそう言うと、精霊たちは楽しそうにクルクルと回りながら一斉に森の奥へと飛んでいってしまう。
その速さは追いつけない程ではないため、着いてこいという事だと思えた。
「ははは!」
「精霊王様!」
「ニンゲン、ニンゲン!」
断片的に聞こえてくる、会話とも独り言とも判断できない声と精霊の姿に導かれるまま歩く。
歩いていくうちに段々と周りの気配が変化してきたことに気付き、少し身構えた慎司。
「ニンゲン!ここ!」
「ここ、ここ!」
慎司が誘われるまま辿り着いたのは、見覚えのある場所だった。
「水の音……?って、これは前にも言ったな」
慎司の独り言に精霊たちは言葉を返さないどころか、いつのまにか姿を消していた。
気取らせること無く姿を消したその手腕は、賞賛に値する能力だ。
密かに慎司が驚いていると、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「ええ、貴方が彼と戦った場所ですね。久しぶりです、シンジ」
「……リーティア、久しぶり」
彼──というのが慎司にはわからないが、ここで戦ったという口ぶりから推測すると、恐らくは鎧の事だろう。
何故それを知っているのか、という問いよりも鎧の事を彼と呼んだのが気がかりであった。
「ところで、リーティア。彼ってのは……?」
「ああ、シンジは知らないのですか?貴方が戦った鎧は昔、友人を助けるためにこの地を訪れた1人の青年のものなのですよ」
「……なぁ、もしかしてそれって」
慎司は、その話に聞き覚えがあった。
精霊王の下へ、友を助けるために動いた青年の話を聞いたことがあったのだ。
記憶を掘り返し、青年の名前を思い出す。
「確か……シルド様だったか?」
「あら、知っていたのですね。シルドは友人──ブレドを助ける際に私の涙が必要だと訪れたのですよ」
懐かしそうに語るリーティアは、そこで言葉を止めるとスッと目を細めて慎司の目を見つめてくる。
その眼差しは強く、これから発する言葉が重要であることを示唆しているようである。
「……さて、シルドは何者かにその存在全てを弄ばれました。友を思う心を利用され、過酷な道のりを歩まされました。では弄んだのは誰なのでしょうか?」
リーティアの色を変える虹色の髪の毛が、今だけは輝きを損なっているのではないかと錯覚する程の雰囲気。
突然の問いかけに慎司は思考を巡らせ、考えられる可能性を選んでいく。
そして、1つのありえない可能性に思い至る。
「神様……だろう?」
半ば確信を持って答えた慎司。その顔は自嘲を含んだ半笑いだ。
テミスから記憶を正常に戻された慎司。それはつまり神様の1人であるアイテールが記憶を改竄したということ。
そうとしか考えられなかった。
「……はい、その通りです。シルド、ブレド、キュール。この国での英雄たちは皆、神であるアイテールに玩具のように扱われ、そして朽ちていきました」
「奇遇だな。俺もアイテールって神様には用があるんだ」
「ええ、これもまた運命なのかもしれませんね。貴方がこの森を訪れたのも、その魔剣を携えていることも……全て、全て……」
悲しげに目を伏せるリーティア。
その言葉が終わると同時に、慎司の隣にはアルテマが静かに立っていた。
「シンジ、貴方は憎いですか?」
「憎い……?何がだ?」
こちらを見上げてくる空色の瞳。
その奥には、燃え上がる激情と狂気的なまでの想いが覗けて見える。
「……無論、神という存在です」
淡々とした口調で告げるアルテマ。その瞳は慎司を捉えて離さない。
神に対して憎悪が無いと言えば嘘になる。しかし、今は神への反逆よりも大事なことがある。
「ああ、憎いさ」
「……!それなら、貴方は……!」
「でも今はだめだ」
空色の双眸を緩ませ、粘つくような笑みを浮かべるアルテマに、慎司は毅然と否定を押し付ける。
「アルテマも分かるだろう?先にやるべき事はルナを取り戻すことだ。これは誰がなんと言おうと俺の中での最優先事項だ」
敵の手中にあるルナが何をされるか、想像はできない。痛めつけられるのか、その身の清さを奪われるのか、心を穢されるのか、わからない。
分からないからこそ、不安にもなる。
愛した者がいないというのは、酷く心をすり減らしていく。
だからこそ慎司は、自分が自分であるためにルナを取り戻さなければいけない。
「……まぁ、そう言うと思っていました。神が憎いと貴方の口から聞けただけで良いでしょう」
どこか恐ろしい台詞を放つアルテマ。
彼女に対しての謎が深まるばかりであったが、次のリーティアの言葉を聞いて、すぐにその思いは思考の底に押し込められた。
「あ、シンジ。ルナという少女を助けたいのならば私が案内しますが?」
「……本当か?」
「ええ、場所も対処法も理解していますが?」
そういえば、と言った風に話しかけてくるリーティア。その顔は自信に溢れており、とても嘘を言っている様には見えない。
突然差した光明に、慎司は自分の顔が綻ぶのを感じた。
見れば隣にいるアルテマも口の端を少し上げている。
「ルナは、どこにいるんだ!?」
慎司はリーティアに詰め寄る。一刻も早くルナを助けたいのだ。その情報が目の前にあるというのに、我慢ができるはずがなかった。
リーティアは必死な様子の慎司を見て微笑むと、フードの男の潜伏場所──ルナの居場所を教える。
「間違いなく、ルナという少女はそこにいます。良かったですねシンジ、貴方の魔力が異質なおかげですよ」
「異質……?よくわからないが、情報に感謝する。それで、助けるためにはどうすればいいんだ!?」
「簡単です、魔眼の男を殺せばいいのですよ」
さらりと言うリーティアに、慎司は酷く驚く。自分は殺すことに躊躇いを覚えていた。その理由は男の死がトリガーになるかもしれないと危惧していたからだ。
だが、もう遠慮はいらない。
殺せば、ルナが帰ってくるのだ。
「戦いで一番必要なことは情報……か」
「戦場をよく分かっている人の言葉ですか?」
「ああ、俺の元上司だよ」
尋ねてくるアルテマの頭に手を置き、藍色の髪の毛を撫でてやる。くすぐったそうに目を細める表情が、慎司は好きだった。
「まぁ、いい人だったよ。……よし、いっちょやりますか!」
懐古趣味は持ち合わせていない慎司は、掌に拳を打ち付け気合いを入れる。
テミスの導きでリーティアに出会ったわけだが、今の慎司は感謝の念と燃えたぎる意欲だけが心を占めているのだった。