145.思い出
慎司の過去話です。
どうして仲間に固執するのか、その理由の一端が覗けるかもしれません。
その日は、頭上に浮かぶ太陽がやけに頑張っていたと記憶している。
慎司が立っているのは、薄いクリーム色が敷き詰められた砂漠のど真ん中。敵国への反攻作戦として命令に従い、行軍している時であった。
「暑い……」
ジリジリと焼けるような日差しが降り注ぐ中、それ以上の不満を漏らすことなく慎司率いる《第一小隊》は黙々と指定されたポイントまで足を勧めていた。
敵軍の反応はまだ遠く──自軍の情報ではそうなっている──最低限の警戒はしているものの、その歩みには暑さにやられながらも、未だ少し余裕が残っていた。
防弾性に優れた分厚いベストはやたらと蒸れるし、長袖長ズボンという戦闘服を着るには、正直この暑さを前にすれば正気を疑うまである。
それでも、慎司たちは歩いていた。
ガチャガチャと装備の音を不愉快げに鳴らしながら、いつか現れる仮装の敵目掛けて弾丸の嵐を浴びせてみたりする。
別に気が狂ったわけではなく、単にイメージトレーニングをしているだけだ。
「……中佐、そろそろ目的地付近です」
「ん、ああ。わかった、この暑さにもそろそろ嫌気がさしてきたところだったんだ。もう少ししたら休憩をとろう」
「この暑い中行軍せよとは、上もなかなか酷なことをおっしゃいますね……」
声をかけてきたのは、《第一小隊》の副隊長である楠木悠人中尉だ。
慎司が軽いジョークを飛ばせば、楠木もニヤリと笑って返してくる。
長い間共に戦ってきた2人だからこその会話であった。
「それにしても、ほんと……今日は嫌な予感がするぜ」
肌を焼く日差しに、照り返る日光により暖められた空気、純粋に不快であるだけの戦場であったが、どうにも慎司は大きな事が起こる予感がしていたのだった。
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それを見つけたのは、ポイントD──作戦区域手前の小さな廃村であった。
砂漠にしては珍しく、民家や倉庫らしきものが何棟か見つかり、事前に受け取った情報からすれば、恐らく10年以上前に廃棄された村の残骸であろうと判断された。
「……生きてる、みたいだな」
「ええ、ただかなりギリギリの状態ですが」
慎司と楠木が見つけたのは、ボロボロになった民家の中に横たわっていた、痩せ細り衰弱した少女の姿であった。
「さて、生存者だ。どうするべきだ、楠木中尉」
慎司はわざとらしく大仰にして、楠木に質問を投げかける。
すると、楠木は心得たとばかりに敬礼し、やけに畏まって言葉を返してくる。
「ハッ!我々の任務は敵国への反攻作戦での安全確保及び有益な物資、人材の確保であります!」
「そうかそうか、俺としてはこの少女は使えないと思うんだが、どうかね?」
肩をすくめて、やれやれと言わんばかりに首を振れば、他の隊員もよく分かっているようで──
「隊長、発言の許可を!」
「ああ、なんだ?言ってみろ」
「私個人の意見としては、この少女を保護すべきであるかと!」
「メリットは?」
「幼い少女であれば、教育することで我が軍の貴重なオペレーターとして、また最悪事務員として働かせることができます。そしてなにより……この子はまだ幼いのです!」
隊員の最後の一言に、小隊全員が驚いた振りをする。
「なに!?それはいいな!」
「妙案ではないか!」
「恩を売るのか、なかなかやるな!」
これ見よがしに大きな声をあげては、チラチラと慎司を見る隊員たち。その心は、子どもを助けてやりたい、その一心であった。
「……諸君らがそこまで言うのなら仕方ない。軍事的利益があることも、諸君らの提案で充分見込めるだろう」
仕方ないとは言うものの、慎司だって心は同じであった。
日本軍特別戦闘部隊《第一小隊》──またの名を《お人好し小隊》。
その所以たる一幕が少女の運命を変え、慎司の価値観を変えたのだった。
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少女を保護してから1年、衰弱していた体はなんとか持ち直し、アリサと名乗った少女は小隊のマスコット的存在になっていた。
「おーいアリサー!マガジンどこやったっけ?」
「たしか小隊部屋のダンボールの上です」
「アリサー、今日の飯なに?」
「カレーですよ!」
「アリサー、シャンプーきれたんだけど……」
「キャアアアア!裸で出てこないでください!シャンプーは詰め替え用の物が買ってあります!!」
男だらけの小隊に放り込まれ、すくすくと育っていく彼女は、おっさんたちのセクハラまがいの行為も穏やかに受け止め、まるで母親のような立ち位置にまでなっていた。
雑な料理しかできない小隊員に変わり、幼い頃から手伝っていたらしい手料理を振る舞い、銃のマガジンからシャンプーまでの管理を一手に引き受ける。
正直ただのお人好しで助けただけであったのだが、いつの間にかアリサは小隊にとってなくてはならない存在になっていた。
彼女の口癖は『恩返し』──衰弱していた所を助けてもらったことに、いつまでも恩を感じているらしく、大抵の事は引き受ける。
亜麻色の髪の毛は従来の艶やかさを取り戻し、可愛らしさを発揮する彼女隊員たちの娘として愛される。
「隊長さん、お話があります」
そんな彼女が真剣な顔をして慎司に話しかけてきたのは、保護してから2年と3ヶ月の頃だった。
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「それで、話って?」
慎司が隊長にだけ与えられている私室に通すなり、要件を問う。
単刀直入すぎる聞き方にアリサは少々面食らったようだが、椅子に座る慎司にならって、自身も腰掛けると、口を開いた。
「どうして隊長さんは、みんなを避けるんですか?」
その質問に、慎司の心臓は凍りつく。
窓から差し込む光が、机の上の書類を照らす。
その一枚目には、次の作戦目標が書かれている。
「さて、なんのことか分からんな。俺は別に小隊のみんなを避けて等いないが?」
さり気なく書類で顔の動揺を隠しつつ、そう質問すれば、アリサは何を言ってるんだとばかりに首を傾げる。
「……え?でも隊長さんはみんなのことを信頼していませんよね?」
「何をばかなことを……信頼しているさ、ずっと戦ってきたんだからな」
「でもそれは、あくまで戦う道具として……銃と同じ程度の気持ちですよね?」
アリサの言葉が、慎司の心に突き刺さる。
まさにその通りであったのだ。仲間とは言っても、慎司からすればそれは銃と同じ。命令という引き金を引いて暴力を与えることができても、戦友のように背中は託せない。
それはなぜか?──簡単な話で、いつも仲間は自分を先に置いていくからだ。
一生付いていくと言った隊員が、次の日に頭を撃ち抜かれた。
憧れなんです!と息巻いていた隊員が、空爆に巻き込まれた。
いつだって死ぬのは仲間の方であり、置いていかれるのは慎司だけだった。
信頼していた仲間が消えていく、託した背中ががら空きになる。
常にそうだというのなら、初めから慎司は誰にも背中を預けず、誰にも心を許さないことにしたのだ。
「いいじゃないか、銃は裏切らない」
「ダメですよ、銃は裏切らないかも知れませんが、背中は託せません」
「背中を託しても、またがら空きに戻るだけさ」
必死に何かを訴えようとするアリサ、その様子を酷く冷めた目で慎司は見ていた。
分かっているのだ、アリサの言い分は。
それでも、理性が許しても感情が許してくれない。また同じ痛みを背負うのか?どうせ置いていくんだぞ?そう思う度に、心は冷えきっていく。
「……結局、怖がりなだけじゃないですか」
「あぁ?……アリサ、言っていいことと悪いことがあるぞ?」
「っ……で、でも!事実です!隊長さんは、みんなを失うのが嫌で、背中を託すのが怖くて強がっているだけです!」
その言葉を聞いて、気づけば慎司は机に拳を叩きつけると、アリサに向かって怒鳴り散らしていた。
「お前に何がわかる!?憧憬の目で見てくれていた者が虚ろになった目をするのを見たことがあるか!?笑いあっていた仲間がたった1秒でそれっきり何も話さくなったのを経験したか!?」
それはこれまで抱いてきた怒りと、悲しみであり……虚しさだった。
「例え手に入れても!全部零れ落ちていくんだ……掴めない、掴めないんだ。分かってくれとは言わない、でも分からないなら口を出さないでくれ!」
溜め込んでいた、先に逝った仲間たちへの不満をぶちまけると、慎司は背中を向けて窓の外を見た。
青い空が広がり、所々に雲が散りばめられている。広大な空の前で人間が無力なように、今の慎司はとってもちっぽけな存在だという自覚があった。
「……隊長さん、それじゃあ1つだけ、私と約束しましょう」
ぽつりと呟いた言葉と、背中に感じる暖かさ。
いつの間にか近づいていたアリサが背後から抱きしめてきたのだ。
「私に背中を守らせてください。戦場には出れなくても、私はいつも隊長さんを後ろから見守っているんです」
「それが、約束か?」
「はい、どうせ私は戦場に出ても役立てません。だから、隊長さんは背後への警戒を私に任せて思う存分暴れてください」
身長が足りなくて腰に抱きつく形になってはいるが、それでもその暖かさと言葉の重みは慎司に伝わった。
「お前は、置いていったりしないのか?」
「私が死ぬ時は、隊長さんがヘマした時ですよ」
「ああ、そいつは任務をパーフェクトにこなさないとな……」
置いていかないと言うのならば、自分の頑張り次第で守れるのならば、もう1度だけ、背中を預けてみるのもいいのかもしれない。
「俺、頑張るよ」
「はい、それでこそ隊長さんです」
──なんて、思ってみるのだった。