120.ナイフ
夢を見ているようだった。
自分が自分でないようで、まるで上から俯瞰して全てを見ていた。
明るい声で話すアレンとエリーゼ。
その後ろにいる自分。
手に持ったナイフを無警戒の背中へと突き刺そうとして──
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アレンはガレアスの様子がおかしいことに気づいていた。
エリーゼも違和感を感じたようだったが、話しかければ普通に返事をしてくることから、気のせいだと思うことにしたらしい。
それでも、普段とは明らかに様子の違うガレアスに、何故か不気味な気配を感じる。
どこか遠い場所に行ってしまうような、自分たちから離れていくような、そんな気がした。
「シンジたち、もういるかな?」
なんとなく、間を持たせたくてアレンはエリーゼにそう言った。
既に正門は見えているため、目を凝らせばわかるかもしれないが、近づいていけばわかるようになるだろう。
「シンジがいるのですし、もういるのではないですか?」
即答だった。
多大な信頼を目の当たりにして、少しだけ慎司に嫉妬を覚えてしまう。
だが、どうして嫉妬なんてしたのだろうか。
(……俺も変になってんのかな)
気づきかけた気持ちに蓋をして、さりげなく後ろを見る。
普段なら会話に入ってくるガレアスが、さっきから妙に押し黙っているのだ。
(なにもない、よな……)
服の内側をまさぐっているガレアスに、変な様子はない。
どうせ服装を直しているのだろう。
そう思って視線を外そうとした時、視界の端に銀色が写った。
「……っ!」
前を見て歩くエリーゼ、その背中はがら空きだ。
そして、そのがら空きの背中を狙っていたのは、ガレアス。
服の内側をまさぐっていたのは、ナイフを取り出すため。
後ろを歩くのは背中を狙うため。
様子がおかしかったのは──
「エリーゼッ!」
「え?なんです、きゃあ!」
アレンは隣を歩くエリーゼの腕をつかむと、強引に引き寄せる。
そのまま胸の内に抱くと、体の位置を入れ替えてガレアスとの間に自分を置く。
状況を把握できていないエリーゼと、絶好の機会を逃したガレアス。
アレンは背中にエリーゼを庇うとガレアスに話しかけた。
「ガレアス、お前が何をしてるか分かってんのか……!」
「逃げろ!早く!」
『あーあ、勘がいい野郎だなぁ。あとちょっとだったのによぉ』
「……は?」
目の前にいるガレアスはとても奇妙だった。
顔の右半分は不敵に笑い、左半分は悲痛な表情を浮かべているのだ。
言葉も重なって聞こえてくる。
「操られてる、のか?」
「そうだ!だから早く逃げろ!」
『おおーっと、逃がすわけにはいかないぜぇ?』
聞きなれたガレアスの切羽詰った声と、初めて聞くガレアスの冷たい声。
「ア、アレン……」
「大丈夫だ、俺が何とかするから」
いつもは気の強いエリーゼが、か細い声でアレンに縋る。
信じていた友人に殺されかけたのだ。精神的に参ってしまうのも仕方がない。
勇気づけるように、それこそ自分に対する暗示のようにアレンは「なんとかしてみせる」と言い、腰に佩いている剣を抜いた。
それを見たガレアスが嗤う。
『おいおい、俺達は友達だろ?そんな物騒なものはしまってくれよ』
「うるさい、やめろ」
『あぁ?何言ってんだよ。ゴチャゴチャ言ってないでさっさと俺に殺されてくれよ』
「やめろって言ってるだろ」
友人を汚されていく怒りに震え、信じられないほどに込められた力が奥歯をギリギリと噛み締めさせる。
「その顔で、その声で、その身体で……」
『あぁ?もしかして怒ってんのか?……プププッ、笑わせてくれるぜ。ほら、来いよ。相手してやるからさ』
「それ以上喋るなぁぁぁ!」
プツリと、頭の中で何かが切れる音がした。
アレンは咆哮にも似た声をあげると、両手で構えた剣を大きく振るった。
『あぶねぇあぶねぇ』
右半身は既にどす黒く染まり、左半身にも黒い靄のかかっているガレアスは、軽くバックステップをしてアレンの間合いから離れていく。
剣術なんて習っていないアレンは、昔見た冒険者を真似て斬り掛かるものの、精細さを欠いた攻撃はひとつも当たらない。
ごく稀に良い攻撃があっても、ガレアスが持ったナイフで受け流されてしまう。
「ち、くしょ……!当たらねぇ!」
『そんな雑な振り方じゃ当たる方が難しいぜ?オラオラ、来ねぇならこっちから行くぜ?』
今度はガレアスから仕掛けてくる。
体の大きなガレアスは、武器がナイフだとしてもそれなりにリーチがある。
それに、体が大きいということは力もあるということで、アレンは回避するのに細心の注意を払わなければならない。
下がって魔法を使いたくなるが、後ろに庇ったエリーゼの事を考えるとそれはできない。
それに、この距離では詠唱している間にナイフを一刺しされて終わりだ。
なんとかできないものかと視線を巡らせるが、辺りには瓦礫しかない。
不利な状況にアレンが覚悟を決めた時、後ろから凛とした声が聞こえた。
「……アレン、時間を稼いでくれます?」
「わかった。30秒なら大丈夫だ」
「それだけあれば十分ですわ。お任せ下さい」
自信たっぷりに豪語してみせるエリーゼ。その様子はさっきまでのショックから立ち直っており、平常時のようであった。
時間を稼ぐためには、当たらなくてもいいから攻撃の暇を与えることなく攻撃をしていくのが良いだろう。
「おおおお!」
大振りな横薙ぎでガレアスに距離を取らせる。
この調子なら、時間を稼ぐことも可能だろう。
「我が手に集え、風の力……」
そして、状況を覆すための一手。そのための詠唱が始まった。
アレンくん、喧嘩は強かったりします。