116.分断
時計の針が『16:00』を示している。
職員室に逃げ込むことに成功した慎司たちは、その場にいた教師たちと原因についての議論と、状況を打破する案の模索をしていた。
職員室に逃げ込んでから30分経ったわけだが、未だに議論は終わらず、依然として影の正体は不明なままであった。
「ほんと、あの黒い影はなんなんだろうな?」
「見た限り、人型ではあっても魔族じゃない。魔族から感じる禍々しい魔力を感じないからな」
ふと漏らしたアレンの声に反応し、自信たっぷりに言い切ったのは光魔法の教師を担当するセルン・カーリーであった。
セルンは光魔法が専門ということで、魔族を毛嫌いしている。
そのことは、今の刺々しい言葉からも理解できる。
「じゃあ、新種の魔物ってことですか?」
魔族ではないなら、新種の魔物なのか。そう考えるのは当然である。
しかし、セルンは首を振って否定する。
「一概にはそうとは言えないぞ、アレン君。可能性としては、何らかの魔物が突然変異した場合や、異常な進化を遂げた場合も考えられる」
「突然変異、ですの?」
セルンの言葉に引っ掛かりを覚えたのか、エリーゼが疑問を口にする。
「いい着眼点だ、シュテルン君。……そう、魔物の突然変異の可能性はあるにはあるが、限りなく0に近いだろう。なにせ、教会からは何の報告も受けていないのだからね」
セルンの言う報告とは、教会から世界の異常を感知した際にされる物のことだ。
教会にはそれぞれ《巫女》あるいは《聖女》と呼ばれる人物がいる。
その人物には、世界が変遷を迎える時、または異常が起こった時に天啓として、神からのお告げがくるのだ。
魔物が突然変異をした場合にも、お告げがくるため、教会からなんの連絡もない以上魔物の突然変異の可能性は無いに等しい。
「──となると、やはり魔物の異常進化か、新種の出現が妥当だろう」
その言葉に、全員が納得する。
セルンの話以外には、納得できるような原因が考えられなかったというのもあるし、学者でもない慎司たちでは、専門的なことはまるっきりわからない。
原因の解明についてはそこで終わり、次は状況の打開策についての議論となった。
ここは、ガレアスが話を切り出した。
「原因についてはこれ以上はわからないだろう。次は影への対処法や、脱出についての話をしないか?」
ガレアスの言う通り、現在は影の侵攻を凌いでるものの、ずっと職員室に立てこもるわけにもいかないだろう。
そのために、影に有効な手段の確保や、脱出を想定した作戦の確立が必要であった。
「影だけど、慎司の攻撃はたしかに当たったのに、ダメージを与えられた様子はなかったよな?」
「ああ、確かに斬ったんだが、普通に襲いかかってきたな」
今まで、魔剣アルテマで倒すことができなかった相手はいない。
皆が恐れる魔族も、ドラゴンも、魔物の大群でさえ切り抜けることができた。
しかし、手応えのなさすぎる影は別であった。
斬っても意味が無いのであれば、他の方法を考えなければならない。
そこで、アレンの使った結界のことに慎司は思い当たった。
「そういえばアレンの使った結界の魔法石は効果があったな」
「あっ、確かにそうですわね」
「……物理攻撃が効かないってことかな?」
慎司たちが影から逃げる際に、アレンが使った結界の魔法石はその効果を十分に発揮していた。
影は結界に阻まれ、通り抜けてくるようなことは無かったことから、恐らく物理に対する耐性はあっても、魔法に対する耐性は備えていないのだろう。
(次に遭遇した時は、魔力を使った攻撃を試さないとな……)
『シンジ、上から何かが来ます。注意してください』
影に対する議論の途中、突然アルテマが警告をしてくる。
弾かれるように天井を見れば、そこにはまるで雨漏りのようにポタポタと染み出してくる影がいた。
少しずつ天井から染み出す影は、ある程度経つと、初めて見た時と同じ人型を取る。
「クケケケケ!」
奇妙な声のようなものをあげる影。
その姿を見て、素早く行動をしたのはセルンであった。
得意としている光魔法を影目掛けて放ったのだ。
光で構成された鋭い槍は勢いよく影に向かい、その腹を抉るように貫いた。
「ふっ、所詮はこの程度か……」
長いわけでもない髪の毛を跳ね除ける鬱陶しいこと極まりない仕草をするセルン、その顔は徐々に驚愕へと変わっていく。
動きを止めていた影だが、ボコボコと傷口が泡立つと時間を巻き戻すように傷口がふさがり、何事も無かったかのように立ち上がったのだ。
影を手早く仕留めたと自信に満ち溢れていたセルンだが、再び立ち上がり襲いかかろうとしてくる影を見て、その顔がひきつる。
「ちくしょう、ここにも出やがった!」
「逃げよう……ってリプル!後ろ!」
「え?きゃあ!」
一斉に逃げ出す慎司たちだったが、影は少しだけ遅れたリプルに狙いをつけた。
恐怖に身を縮こまらせたリプルは硬直して避けることができない。
(くそ!間に合うか!?)
既に駆け出している体勢から、強引に体を向き直して慎司はリプルを押し倒す。
咄嗟の行動であったが、ぎりぎりの所で影の攻撃を避けることには成功する。
「おいシンジ、リプル!」
「早くこっちへ!」
先を走るアレンたちが急かしてくるが、慎司たちが立ち上がってアレンたちに合流することは叶わなかった。
「ケケックケケケ!」
「もう一体!?」
もつれ合うように倒れている慎司たちとアレンたちの間に現れたのはもう一体の影。
その位置関係から、合流するためには後ろの影を警戒しながら新たに現れた影を退けなければならない。
ただ、それを実行するよりは近くにあるドアから出てあとから合流するほうがリスクも少ない。
そう考えると、わざわざ危険を冒してまで合流を急ぐ必要はないだろう。
「アレン、外だ!外で合流しよう!」
「……わかった!絶対だぞ!」
慎司の声に、アレンも同じことを考えたのだろう。チラリと影に視線を向けた後に、力強く頷いた。
「正門で待ってるからな!」
「ああ、正門だな!」
大雑把に集合場所だけを決めると、アレンは振り返ることなく走った。
同じようにエリーゼとガレアスもついていくが、その顔には僅かに憂いが見えた。
(まぁ、そりゃ心配にもなるか)
いくら慎司が強いといっても、その力がどれほどなのかは完全に知らないのだ。
天井のわからない力では、限界がいつ来るのかもわからない。
アレンは信頼してくれていたようだが、エリーゼとガレアスは信頼よりも心配のほうが勝ったらしい。
それでも、慎司は少なくともリプル1人ぐらいなら守り切る自信があった。
無茶なことをするまでもなく、片手間に相手できる程度の敵なのだ。女の子1人ぐらいなら余裕で守ることは出来る。
「リプル、行こう」
「う、うん!」
押し倒すような形のまま耳元で囁くと、何故か顔を赤くしてどもるリプル。
不思議そうな顔をしながら立ち上がらせ、2人は近くにある扉から飛び出ると正門を目指すべく走り出すのだった。