閉所恐怖症の金持ちと、紳士的な初老の男との、電話越しの物語
依頼です、物書きさん。(http://shindanmaker.com/a/151526)よりお借りしました。
とある平日の昼下がり、これまたとある大きな屋敷の玄関ホールに置かれた古ぼけた黒電話が、突然沈黙を破ってけたたましく鳴り響く。次いで一人の男がその黒電話に近づいていき、受話器を取って耳に押し当てた。
「はい、遠矢でございます」
『その声……じぃやか!』
電話の相手の若く切羽詰まった物言いに、じぃやと呼ばれた男ははいと返事をする。それだけで声の主はほっと一息をつき、しかしそれも束の間さらに慌てた様子で大声をあげた。
『助けてくれ、誘拐された! 今は犯人の目を盗んで電話してるけど、いつ見つかるか分からないんだ……!』
その言葉を聞き――男はやれやれと息を吐いた。そして至って冷静に、電話向こうの相手に淡々と告げる。
「坊ちゃん、またいつもの狂言誘拐ですかな?」
男に坊ちゃんと呼ばれた青年、名を遠矢蓮二といい、近年急速な成長を遂げた遠矢グループ社長の跡取りと名高い一人息子である。幼い頃から蝶よ花よと両親に甘やかされて育てられた蓮二は、中学生の頃に身代金目的で誘拐されて以来彼の友人数人を巻き込んで狂言誘拐を計画し、その度に両親や彼の世話係であるじぃやと呼ぶにはまだ若い初老の男の手を焼いていたのだ。
『は……?』
「もう騙されませんよ。お小遣いが欲しいのなら、ちゃんと旦那様や奥様に面と向かってお話しなさい」
『なっ、本当だって! 嘘じゃねぇよ!!』
蓮二の恐怖に怯えた必死な声を、男はただ冷静に聞いていた。それが蓮二の不安を煽ったのか、奥歯をカチカチと鳴らしながら今にも泣きそうな声で口早に言葉を紡いだ。
『い、今……どこか分かんない部屋に、閉じ込められてて……!』
「……部屋に?」
『狭い……怖いよ、じぃや……!』
幼い頃より閉所恐怖症を抱え、最近ようやっと一人で個室のトイレに行けるようになった蓮二が、見知らぬ部屋に一人で居られるわけがない。しかしそれだけで狂言だと確信するのはいささか安直すぎると考えた男は、自分なりに答えを出して口を開いた。
「申し訳ないのですが、坊ちゃん」
『……じぃや?』
「場所が分からないようでは、我々は助けに行くことはできません」
『そんな……じぃや……!!』
「それに、私は坊ちゃんがまた嘘をついておいでになるのではと疑っております。自業自得でございますよ」
『…………』
黙りこくってしまった蓮二に、男は安心させるように優しい口調で諭した。
「これ以上お話しして、誘拐犯に携帯を持っていると知られては大変でございます。逆探知して場所をお調べ致しますので、しばらくそのままでお待ちください。それでは……」
受話器を置き、静かに息を吐く。内心は大事に育ててきた坊ちゃんが酷い目に遭っていないかとかなり心配しているのだが、執事たるものそれを表に出してはいけない――謎のプライドを胸に抱え、男は踵を返してその場を去っていった。
無慈悲に響く電話の切れた音を耳にしながら、青年・遠矢蓮二は小さく舌打ちをした。
「さすがに、もう通用しなくなったか……」
呟かれた声音には、先ほどまでの恐怖に怯えた色は見えない。そのことが、今回もまた狂言誘拐であることを暗に示していた。
「あーあ、つまんねーの。余計な知識ばっかり増やしやがって、あのジジイ……」
それにしてもと、蓮二は自分のいる部屋全体を見回す。高い位置にある窓から差し込む日光でぼんやりと照らされた室内の出入り口は――鉄パイプやドラム缶や、彼一人では到底どかすことのできない瓦礫で塞がれている。
現在彼は、廃屋の一角にある密室に一人取り残されている状況である。つまり、先ほど男に話したことは半分嘘で半分本当なのだ。
「……さすがに、こればかりは仕方ないか」
今電話をしたら、きっと両親やじぃやと呼んでいる世話係にこっぴどく叱られることだろう。それでもここから出られるのならと覚悟を決めて、蓮二は再び自宅に電話を入れたのだった。