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空に浮かぶ雨雲から小粒の雨が降り出し始める。
それは森一面に降り注ぎ、土を湿らせていく。
雨の音だけが森に響き渡り、その音は何とも心地良い音色を奏でている。
そんな中、クロウとセシリーは永久の樹の真下で雨宿りをしていた。
枝と葉の合間から雨粒が零れ落ち、セシリーの肩に当たる。
「しばらく止みそうにないわね」 木の幹にもたれかかりながらセシリーはため息混じりに呟く。
「……もう、帰っていいか?」
クロウは本音をセシリーにぶつける。
すると目くじらを立てながら彼女は口を開いた。
「あんたねえ、此処まで来て手ぶらで帰れる訳ないでしょう!」
彼女の叫びは雨の空間に吸い込まれていく。
最早、意地を張っているようにしか見えない。
呆れながらもクロウは反論はしなかった。
「いい? 勝負は奴らが動き出す夜よ」
そう言いながら、電子図鑑に映し出されているクレイウルフの画像をクロウに見せつける。
クレイウルフの説明にはしっかりと夜行性と書かれている。
果たしてその情報が役に立つのか、クロウには疑問でしかなかった。
そんな二人の気配につられたのかユラユラと近づいてくる人影があった。
すぐさま、二人はその人影に気がつき警戒心を強める。
やがて、人影は女性であることが分かる。
セシリーはその女性に見覚えがあった。
本人としてはそれは気のせいであって欲しいのが本音であった。
だが、近づいてくるにつれてそれは確信に変わり始め、失意に落ちていくのを感じた。
そう、其処にいたのは紛れもなく如月 麻耶であった。
「ああ、お久しぶりですねセシリー」
麻耶もセシリーの存在に気がついたのか声をかけてくる。
その声色はどこか懐かしそうである。
すっかり濡れた黒髪を彼女はかき分けている。
警戒を緩めずにセシリーは彼女を問い詰める。
「……何で、如月のお嬢さんがこんな所にいるのよ」
すると、麻耶はさも楽しげな表情を浮かべ、下駄についた泥と水滴を飛ばしながら近づいてくる。
彼女からは異様な殺気がにじみ出ているのを彼らは見逃さない。
クロウは戦闘体勢をとる。
それでも構わず、彼女は彼らの目の前にまで迫ってくると、おもむろに口を開きだした。
「何か拭くものを貸してくれません?」
この一言でこの空間にあった緊張の糸がプツリと切れるのであった。
セシリーは呆れ顔で鞄からタオルを取り出し、麻耶に向けて放り投げる。
彼女はそれを片手でキャッチし、礼を言いながらもう片方の手で後ろ髪を縛っていた髪留めをほどく。
その際、濡れた黒い髪が艶やかに舞い、水滴が飛び散っていき、彼女の美しさをさらに際立たせている。
麻耶は受け取ったタオルで髪を重点的に拭き始め、体を少し震わせる。
和服が水分を含んで重くなってきており、また彼女の体温を奪っていく。
「服も脱いだ方が良いわね」
「殿方の前で脱ぐだなんて……そんなはしたない事出来ませんわ」乙女心丸出しの理由にセシリーは面倒くさそうに頭を掻き始める。
「しょうがないわね。クロウ?」
セシリーはクロウの方に目をやり、「あんた、この幹一周してきなさい」と続ける。
「……良いのか、ソイツと二人きりで?」
クロウは未だに麻耶への警戒を解いていない。
もし、自分がいなくなった途端、麻耶はセシリーに襲いかかってこないとも限らない。
それこそ取り返しがつかない事になる危険性がある。
そんな彼の心配を気にする事なくセシリ―はクロウの背中を軽く押し、早く行けと伝える。
彼はしぶしぶそれに了承し、歩き出すのであった。
クロウが去った後、セシリーは麻耶に事の説明を述べさせた訳だが、支離滅裂な会話であまりにも見苦しいためここでは割愛させてもらう。
「……つまり、たまたまウォータービレイで出会った男に一目惚れして、その愛しの王子様に求婚するも断られ、それでも諦めきれず追っかけ回した挙げ句こんな辺鄙な場所にたどり着いたと」
麻耶からの長ったらしい説明を呆れ顔で簡潔にまとめるセシリー。
だが、麻耶はそんな彼女のまとめ方に不服があるのか切れ長な眉をひそめた。
「あなたの説明ではまるで私が一方的にせまっているように聞こえてくるのですが?」
「聞いている限り、そう思えるんだから仕方ないでしょ」
セシリーがそう言うと、麻耶は血相を変えて彼女に詰め寄る。
因みに彼女は全裸である。
「いいですか!私とジンは相思相愛で」
「はい、ストップ」
セシリーは人差し指を立て麻耶の口元によせ、それは何回も聞いたわと続ける。
それでも、麻耶は不服なようで頬を膨らませていた。
雨音は未だに静まる気配はなく、森を濡らしていく。
大樹はまるで傘のように二人を守り、雨の雫はカーテンのように周辺を囲んでいる。
「だいたい、野郎の前じゃ、はしたなくて脱げねえとかぬかしといて裸で迫ってこないでよね」
「それはそれ、これはこれですわ」
「とりあえず、私の鞄に服があるから着ときなさいよ」
そう言い、自分の鞄を麻耶に突きつける。
彼女はそれをしぶしぶ受け取り、服を取り出し着替え始めた。
麻耶のまるで雪のような白い肌にはまだ湿った髪がまとわりついていおり、しなやかな手がその髪を払い美しい体のラインが露わになる。
そのプロモーションは素晴らしいものであった。
そんな彼女の姿を見ているセシリーは羨ましさのあまり憤りを感じずにはいられなかった。
「……気に入らない」本当に消え入るような小さな声で愚痴をこぼす。
「何か言いました?」
黒い膝丈スカートにデニムシャツ、そしてファッションベルトもつけ着替え終わる麻耶。
スカートから伸びる足は細く美しい。
「……別に」舌打ちをし、不機嫌にそっぽを向くセシリー。
「何を怒ってらっしゃるの?」
「自覚無いから余計にムカつく」麻耶の問いかけに泣きそうな顔で答えた。
雨音はまだ続く。
一定のリズムで空から落ちていく雫。
大地を湿らせ、植物の根に浸透していく。
「ところで、千歳はどうしてますの?」ふと思い出したかのように麻耶は口を開いた。
「……あの子なら留守番してるわよ」
セシリーはぶっきらぼうにそう答える。
麻耶の前ではあまり千歳の話をしたくないのが本音だった。
より厳密に述べれば如月の性を持つ者全てに対してである。
麻耶は少し残念そうな顔をする。
「そうですか、久しぶりに会いたかったのですが」
そう呟く麻耶にセシリーがピクリと反応する。
「あの子が『あんたら』に会いたいとでも思ってるわけ?」
麻耶は肩をすくめる。
「少なくともお姉さまはそう思っているかと」わずかに微笑を浮かべる麻耶
その笑みは苦笑いの部類に入るものであった。
「……なら、あんたからあの馬鹿姉に言っといてよ。二度と面見せるなって」
「私が何を言おうとお姉さまは変わりませんわ……」
それを聞き、セシリーはさらに大きなため息をつく。
先から、彼女はため息をつきっぱなしである。
セシリーは脳裏に麻耶の姉である如月 真緒の高笑いしている姿を想像するのであった。
「あ、そう言えば」
セシリーはふと思いついたように口を開く。
「あんたは例の王子様を追って此処に来たのよね?」
「ええ」
「なら、その王子様は何しに此処に来たわけ?」
セシリーの疑問はもっともである。
彼女のように何らかの理由がない限り、一人でこの様な危険な地に訪れる者などいるはずがない。
その問いかけに麻耶は眉間に手をやり考え始める。
「……確か、犬がどうのって言っていた気がしますわ」
麻耶はあまり、自信がないのか曖昧にそう答える。
「犬って言ったの?」セシリーは彼女の発した『犬』と言う言葉に引っかかりを覚えた。
「ええ……多分」
確証がないのか段々と声が小さくなっていく。
考え込むようにセシリ―は一人でブツブツと呟き始める。
そんな彼女の行動に対して麻耶は疑問符を浮かべてた。




