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闇夜の爪  作者: べこちゃん
永久の樹と白き鬼
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まだ、朝方と呼べる時間。

陽光が新緑の大地を照らし、遠くでは永久の樹の神秘的な姿がよく見える。

空は雲一つ浮かんでいない快晴であり、今日もまた暑くなりそうである。

宿の外では一人の男が煙草を吸いながら、その光景を眺めていた。

この男はモミの父であるザイ・デプロージュ。


「お、こんな所にいたか」


彼の後ろからはジンの気さくな声が聞こえてくる。

彼は既に荷物をまとめており、いつでも出発することが出来る状態でいた。

それを見てザイは微かに笑みを浮かべる。


「早いな。ちゃんと眠れたか?」


そう尋ねながら。遠くにそびえる永久の樹を見つめるザイ。

彼の手に握らている煙草からは絶えず白い煙が空に昇っていた。


「まあな。ちっとばかし、蒸し暑かったけどな」


ジンは苦笑いを浮かべながらザイに近づいていく。

ザイは彼の話を聞き、だろうな、と笑みを浮かべている。

そのままジンはザイの横を通り過ぎていく。

彼の背中を見ながらザイは口を開いた。



「あの馬鹿娘が余計なことを言ったらしいな」


その言葉にジンの足は止まり、後ろを振り返る。

おそらく、モミが話してしまったのだろう。

彼は頬を掻きながら笑った。



「まあな」 彼は端的に答える。


「徒労になるぞ……自称最強」


どうやら、ザイはジンがモミに話した内容をすべて知っているようである。

少しばかりモミの口は軽すぎるのではないかとジンは思った。

ジンを自称最強と呼んだのがいい証拠だ。

馬鹿にする感情がその言葉に混じっていることはジンにもすぐ理解できた。

彼は馬鹿にされることに慣れている。

実際、学がないことを彼自身がよく知っているからだ。

故に慣れ親しんだその言葉に怒りを感じることはない。

だが、彼にも気に食わないことはある。

それは他人に決めつけられることだ。

彼にとってそれは苦痛以外の何ものでもない。


「徒労かどうか、それを決めるのは俺だ。あんたじゃねえよ。まあ、期待して待っときな」 


「……なぜ、お前がそこまでする必要がある?」 怪訝な顔をするザイ。


彼が疑問を覚えるのは無理もない。

見ず知らずの人間にそこまでする必要性は彼にはない。

その行為に利益などない。

得られるものはただの自己満足。

この世界は自己満足だけで生きていけるものではない。

生きるためには金がいる。

自己満足だけを求めて生きる人間の末路をザイはよく知っている。

自分自身がそうであったからだ。

利益にならず、ただ時間だけを空費する。

気がつけば大切なものは手元から消え、虚無だけが心を埋め尽くす。

そこにどれほどの価値があるというのか。

価値などない愚かな行為だ。


「何が目的だ?」


疑いの念がジンにまとわりつく。

ザイには利他心が信じられなかった。

最後まで利他的に生きた人間は結局、不幸にしかならないのだ。



「理由なんかねえさ……そうだな、あえて言うなら、俺がそうしたいと思っただけさ」


ジンにとってその言葉は、なんの偽りもない真実であった。

その姿にザイは妻と昔の自分の影が見えた気がした。

だが、それをすぐ振り払う。

目の前にいるのは愚者だ。

彼は自身にそう言い聞かせる。

すると途端に全てが滑稽に感じ始めた。

ザイは大きな笑い声を発する。

その声は夏の清々しい朝にぴったりの気持ちの良い声であった。


「やりたいからやるか。お前は相当な馬鹿野郎だな」


「何だ? 今気がついたのかよ」 二人はさらに笑いだす。


「なら、好きなだけ無駄なことをしていろ」 そう言い残し、ザイは宿に戻っていく。


「……無駄なんかじゃねえよ」


その場を去っていくザイに向けて、そう呟きながらジンは永久の樹に向け歩き出す。



だが、彼はすぐに違和感を感じた。

後方から気配が漂ってくるのだ。

しばらくは気のせいだ、と自分に言い聞かせていた。

だが、その気配は徐々に強さを増し、それが寒気だと気がついた。

その刹那だった。


「やっと、見つけましたわ」


ジンにとって、最も会いたくない人間の声が聞こえてくる。

声は如月麻耶のものであった。

その声がジンの鼓膜を揺らした途端に、彼は後ろを振り返らず、全速力で逃げ出すのであった。

追い来る寒気はそれに合せて、追いかけてくる。


「何で朝っぱらからこうなるんだ!」


ジンは激しく憤りながら嘆く。

その速さは正に疾風と呼ぶに相応しい。

彼が走るたびに白い髪が空気の抵抗を受け、後ろになびいている。


「なぜ、逃げるのです?」


麻耶の声が先よりも近くで聞こえてくる。

彼は全力で走っている。

にもかかわらず、麻耶との距離は一向に離れず、むしろ縮んでいた。

寒気はいつの間にか殺気に変わっていた。

彼女は下駄で草を踏みしめながら追いかけていた。



「分かりきったことを聞くんじゃねえ!」 ジンは決して振り返らずに叫ぶ。


「そんなに照れなくてもよろしいのに」


いつの間にか、彼の隣にまで追いついた麻耶。

彼女の端正な顔はとても嬉しそうに笑みを浮かべ、走る速度をジンに合わせ始める。

驚異的な身体能力である。

如月麻耶は心も体も尋常ではない。異常だ。

彼はそれを再認識した。


「何でそうなるんだよ!」


「相変わらず、素直じゃありませんわねジン」


相変わらずかみ合わない二人である。

彼女は走りながらゆっくりと腰に差している黒い柄から刀を取り出す。

銀の刃は嬉々としてジンを狙う。

今の彼女はとても生き生きとし、妖艶である。


「……でも私はあなたのそういうところが好きで堪らない」


口元が歪み、目を線にして微笑む。

戦慄がジンの脳裏に過ぎる。

麻耶は最小限の挙動で横から斬りつけようとする。

ジンは素早く間合いから離れ、槍を構える。

追い打ちをかけてくる刀を抑え、上手く巻き込むように回転を加え、遠心力で刀を跳ね上げさせる。


「お前につきあう気はねえっての!」




そう言い放ち、急所を外すように横腹を狙って突く。

しかし、彼女は咄嗟に肘と膝でうまい具合に槍を挟み込み動きを止める。

並大抵の反射神経と筋力では不可能な技だ。

ジンはそれに驚きながらも力尽くで、挟み込まれた槍を引きつける。

しかし、その時には彼女の刃は既に彼の顔面めがけて振り下ろされ始めていた。

ジンは舌打ちをしながら前足を後ろに蹴った。

バイザーと顔面の間を刃が通っていく。

微かに眉間にかすったが、寸でのところで回避に成功する。

バイザーは綺麗に両断され眉間から流れ出る血と共に地面に落ちていく。

振り下ろされた刀が追撃を行おうと切り上げてきた瞬間、刀の鎬をうまい具合に拳で叩き軌道をずらす。

そのまま拳で刀を流し、麻耶をがら空きにさせる。

そしてブーツで刀を踏みつけながら、体を回転させ、遠心力を利用し槍の柄を麻耶の横腹にぶつけた。

鈍い音が響き、麻耶は膝をつく。

痛みのあまり声にならない。

地面に伏した彼女は横腹を抑えながら悶絶し始めた。

その姿にジンは一瞬だけ罪悪感を覚えたが、すぐにそれを振り払う。


「悪いな」 ジンは短くそう、言い捨彼女から背を向けてまた走り出そうとする。


「やっぱり……引っかかりましたわね」


楽しそうなその声がジンの耳元で囁かれるのと同時に、短刀が彼の首もとに押しつけられる。

彼女は演技をしていた。

それは、ジンですら騙される程のものであった。

刃に微量の血が伝わり、彼女の手を濡らしていく。


「痛いのは慣れてますわ。この程度は日常ですもの」


異常なまでの痛みの耐性が彼女には備わっていた。

否、備えつけられたと言う方が正しい。

彼女の異常性は全て後天的に身につけられたもの。

如月の一族に生まれし者は全てその定めにあるのだ。

ジンは諦め混じりのため息を心の内にこぼしながら、槍を地面に落とす。

ようやく念願が叶った。

麻耶はそれを確信した。


「愛してますわ……ジン」


そう囁き、麻耶はジンの喉をかき切ろうとする。

だが、彼女は不用意に近づきすぎた。

ジンの肘打ちが彼女の腹部に突き刺さる。

先の教訓から彼は本気の一撃を放った。

麻耶の目は瞳孔が開き、嗚咽をあげながら後方に吹き飛ばされていく。

そのまま彼女の体はピクリともさせず唾液をだらしなく垂らしながら、口をパクパクとさせながら音のない呟きをしている。

明らかに先の演義とは違う彼女の様にジンは後悔した。

いくら常軌を逸した存在である麻耶であっても自分の本気では内蔵破裂を起こしていても無理はない。

下手をすれば死ぬかもしれない。

そうなれば殺しをしてしまったことになる。

必然的に不殺生の誓いが破れてしまう。

それが恐ろしくなり、彼は麻耶の元に向かう。

近くで見ると、よりそれが明確なビジョンで脳裏を過ぎった。


「……おい!」 ジンの中で不安がさらに膨らんでいく。


だが、その心配はすぐに消えた。

嗚咽を続けていた麻耶は急に静まったかと思うと、すぐさま何事もなかったかのように上半身を起こしたのだ。

ジンは本気だった。

本気の一撃を放ったのだ。

それでもなお、彼女は平然としている。

彼にはそれが信じられなかった。

痛くないわけではない。

激痛であろう。

激痛を叫び声のひとつも上げず、我慢している。

その異常性に彼は驚いたのだ。

否、驚いたというよりも恐怖という言葉の方が近しい。

途端にジンの脳裏には『逃亡』の二文字で覆い尽くされていく。

彼は麻耶の存在から離れようと槍を拾い上げ走り出した。

だが、手遅れであった。

彼女の瞳は既に彼を捉え離さないでいるのだから。


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