26
「こちらがお部屋になります」
部屋の扉を開けハスキーボイスがそう告げる。
中は六畳一間ほどの質素な造りをした一人部屋だった。
ベットや鏡のついた机に椅子など必要最低限のものしか設置されていない。
ベットの奧には薄緑のカーテンが風で揺らめいており、微かに夕陽が射し込んでいる。
射し込まれた緋色の光がジンのバイザーに反射し、輝く。
彼はバイザーを外し、机にそっと置き、その近くにある椅子に腰を据える。
「こちらが部屋の鍵になります」
少女は手には少し錆び付いている銀色の鍵が握られていた。
この錆びから今までこの鍵がどれだけの人々に触れられてきたのかがよく分かる。
少女からジンの手に鍵が移る。
実際は大した重さではないこの鍵が彼には少し重たく感じるのだった。
「なくさないで下さいね」
「言われなくたって、分かってるよ」 ジンの言葉に少女は口元に手を持っていき、小さく笑みを浮かべる。
「それでは、何かご質問は御座いますか」
「そうだな……お前名前は?」
ジンの質問に少女は呆気にとられる。
予想もしない問いかけであった。
彼女は少し困惑気味に笑みを浮かべる。
自分の名前など聞かれるなんて思いもしなかったのだ。
「えっと、私の名前ですよね?」
「他に誰がいるんだよ」
ジンは膝を机につきながら、当たり前と言わんばかりの顔をしている。
それを見て少女は少し気恥しそうに前髪を弄りながら口を開く。
「あの……笑わないで下さいね。モミっていいます。モミ・デプロージュ」
モミは頬を朱色に染めながら自分の名を名乗った。
モミとは恐らくモミの木のことをさしているのだろう。
よく見れば、彼女の髪の色はファーグリーンであり、モミの葉に近い色をしている。
ジンは実にお似合いな名前だと感じ、同時に良い名前だと思った。
だが、そんなジンとは逆にモミは重い口ぶりで続けた。
「そのまんまなんです。今でも、時々からかわれるんですよ」
自分の髪を触りながら、また自分を嘲笑するモミ。
どうやら、彼女にとって自分の名はコンプレックスになっているようだ。
「モミか……別に、良い名前だと思うけどな」 ジンは正直な思いを述べる。
それを聞き、モミは少し嬉しそうな表情を浮かべる。
はにかむその姿はジンにはとても好感がもてた。
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「お前の名前を考えたのはあの親父さんか?」 ジンがそう、訊くとモミはゆっくりと首を横に振る。
「お母さんです……もう、いませんけど」
一瞬で、彼女の表情が曇り出し、気まずい空気が流れ出す。
ジンは頭を掻きながら失敗した、と言わんばかりに顔を歪めた。
そんな彼の表情を見てか、「あ、気にしないでください!」とモミは彼を気遣う。
すっかり、場の空気が悪くなり、沈黙が部屋を支配する。
それを破るようにモミは重い口を開く。
「……お母さんは学者だったんですよ」
ジンはそれを黙って聞き始める。
モミはさらに言葉を続けた。
「永久の樹は知ってますよね?」
暫しの間、ジンは考え込む。
前提として出てきたその単語に聞き覚えがまるでなかったのだ。
いくら考えても知らないものが出てくるはずがなく、苦笑いを浮かべる。
「……なんだそりゃ?」
その言葉を吐き出した途端、モミは幽霊でも見ているのではないかと言わんばかりの目つきでジンを見つめた。
「ウソですよね?」
そう尋ねてもジンの返答は変わらない。
モミは彼の発言に驚きを隠せないでいた。
無理もない。
この世界において永久の樹は知っていて当然のもの。
所謂、常識である。
むしろ、それを知らないで今まで生きていることの方がおかしいと言われるレベルの話だ。
言うなれば、今までずっとパンを食べ続けていたくせにそれがパンと言う名前だと知らないでいるのと同じくらい可笑しな話である。
「……ジンさんって、今まで一体どこにいたんですか?」
信じられないものを見るような目でジンを見つめる。
彼女の緑の瞳には、ジンの姿がはっきりと映し出される。
彼は困ったような顔で首の後ろを軽く掻きながら、どう答えていいのか考えた。
彼はあまり自分のことは語りたくないのだ。
結局、しぼり出てきた手段は誤魔化すものでしかなかった。
「そうだな……お袋の腹の中かな」
彼にとっては最高の回答。
それを聞いたモミは目が点になってしまう。
「それはギャグですか?」
モミは呆れ顔で訊ねると、ジンは勿論と首を縦に振る。
数秒の間が空き、彼女は愉快そうに嬌笑を浮かべた。
その表情はジンにとって、ほんの数時間前に出会ったばかりの少女が見せたどの表情よりも魅力的に輝いていた。
自然とジンも笑みがこぼれる。
やはり、人は笑顔でいるのが一番だ。
本人も幸せになれるし、周囲も自然とそれにつられてしまう。
ジンにとって幸福とはとても大切なもの。
彼は常にその持論を持って生きてきたのだ。
先までのモミの姿はジンにはあまり好ましいものではなかった。
容易く人に頭を下げ、自身を卑下する態度。
そのような姿を見ていると自分まで惨めに思えてくるからだ。
それはいずれ周囲に感染する。
自然と皆が陰鬱となるのだ。
彼はそれを嫌というほど経験してきた。
戦地では常に誰かが負をまき散らしていた。
不安と恐怖がそれにより成長していく。
気狂いな笑みが日に日にわき上がり、闇へと沈んでいく。
生きているのか死んでいるのかすら覚束無くなり、敵と味方の区別すらつけられない。
そうなった者の行く末は皆、同じであった。
彼はそれを何度も見てきたのだ。
そんな思い出を脳裏の片隅で思い出していると、モミは満足そうな表情で口を開いた。
「四点です」 ジンの発言に対して点数をつけるモミ。
「それは十点満点中か?」
「いいえ、百点満点で四点です」 厳しいなと呟きながら笑うジン。
モミはそんなジンを一瞥しながら窓際まで歩いていく。
そのまま窓を全開すると、草木の匂いを孕んだ風が室内を駆け抜けていく。
外には小高い緑色の丘が広がり、そのさらに先には深緑の森林が海のように世界を覆っていた。
その中でも一際、巨大な樹が見える。
その樹は雲すら突き抜けている。
モミはその樹を優しげな瞳で見つめた。
「あの馬鹿でかい樹が永久の樹か」
部屋の窓から外を眺めるジン。
彼の瞳にも緑の絨毯で敷き詰められた大地と天をも突き抜け雄々しくそびえている樹が映し出されている。
このフォレストライアから永久の樹まで、距離にして約数十キロだが、それでもその樹の全体を見る事は出来ない。
それほどまでにこの樹は大きい。
「話を戻してもいいですか?」
「ああ」 ジンはそう言って、椅子に座り直す。
「お母さんが学者だったのは言いましたよね。昔はカレッジっていう研究機関にいたらしいのですけど」
「いたんですけど?」
ジンはモミの言葉を復唱する。
すると、モミは微笑みながら窓を閉め、振り返る。
茜色の夕陽が窓から射し込み、彼女を照らす。
「永久の樹を調査で此処に訪れた時にお母さんを護衛していた一人にお父さんがいたんです。お母さんそのまま一目惚れしちゃったんですよ」
ジンはふとモミの父親の顔を思い出した。
如何にも堅物そうで、無愛想な男だった記憶しかない。
とても女性に惚れられるような顔というわけでもなかった。
どちらかと言えば、醜男の部類に入りそうだ。
そのような男の娘であるモミであるが、父とはうって変わり端正な顔つきをしている。
あと数年もすれば美女と呼ばれると断言できるほどだ。
よほど、母の血を受け継いだのだろう。
そうなるとモミの母は相当な美女の可能性が高い。
「お前の母親はやっぱお前に似てたのか?」
わき上がった疑問をジンはモミにぶつける。
すると、暫くモミは考えだし、「そこそこには似てるんじゃないかなと」と口にした。
その言葉から彼の予想が当たっていることが裏づけされた。
そうなるとジンには彼女の母親はよほどの物好きであると言わざるを得なかった
彼の表情からモミは思考していることを読み取ったのか苦笑いを浮かべる。
「何でも、紳士的なのにワイルドなところに惚れこんだとか言ってました」
「紳士的でワイルドねえ。言っちゃ悪いが、俺には無愛想なオヤジにしか見えねえな」
「昔はあんな感じじゃなかったんですけどね。お母さんが死んでから魂が抜けたみたいになってしまって」
モミの言葉はどこか諦めの感情が表れていた。
どれほどの悲しみがあったのか容易に想像がつく。
最愛の人を亡くすとは自身の身を削られるように痛いのだ。
ジンにはそれがよく分かっていた。
モミはさらに続ける。
「お父さんは猟師団の団長だったんです。絶滅危惧種の生物保護など献身的に行なっていて、特に減少傾向にあったクレイウルフの保護に力を入れていたんです。お母さんもお父さんのために研究をクレイウルフの繁殖と生息区域の拡大に切り替え、力を尽くしていました」
愛する人のために研究機関を辞めて、このような僻地に根を下ろしたモミの母親。
その生き様は目先の恋いという感情に目がくらみ、自身の望んだものに対する一貫した信念が無いようにも思える。
だが、それは彼女にとって信念よりも大切な存在を見つけた証だ。
もし、研究機関に残っていれば名声を得られたかもしれない。
誰からも羨望の眼差しを向けられたかもしれない。
自身の知識欲が満たされたかもしれない。
沢山のものが得られたかもしれないのだ。
そのために行なってきた努力を彼女はたった一人の男と天秤にかけ、切り捨てたのだ。
その姿にジンは羨んだ。
それは彼がもっとも恋焦がれる生き方。
名声も金も知識も要らない。
ただ、大切と思えた人の傍らに寄り添う。
とても美しい生き方だとジンは思った。
「幸せもんだな……二人とも」
「でも、長くは続かなかった。お母さんたちの努力もあってクレイウルフの数もかなり増え出したんです。そうなると噂があっちこっちに広まり密猟が横行し始めました。私が生まれたのはその頃くらいですね。せっかく増え出したクレイウルフもまた姿を消し始め、保護に協力してくれていた人たちも離れていきました」
彼は静かにモミの話を聞いている。
だが、内心では何とも言えない怒りと虚無感がふつふつと湧き上がっていた。
彼は人の気持ちや思いを無碍にする者が許せなかった。
他人の努力を食いつぶし生きている人間は沢山いる。
彼はそのような人間を目が腐るほど見てきた。
そして、そういう人間に限って愉悦に満ちた人生を送っている。
真面目な人間ばかりが馬鹿をみる。
世界の仕組みはどうあっても変わらない。
仕組みを作る人間が他人の努力を食いつぶす側の人間だからだ。
ジンはそれが許せなかった。
「それでも、お母さんとお父さんは諦めなかったんです。けれどお母さんは体が弱かったんです。それなのに自分の体に鞭を打って体を壊してそれで……」 モミはその後の事は語らなかった。
しばらくの間、無言になり、またモミは口を開く。
「結局、あれからクレイウルフは目撃されていませんし……無駄だったんですよ」
悲しげなに語り出すモミ。
彼女の脳裏には両親の必死に頑張る姿が過ぎっていた。
無駄。
そのふた文字は諦めの言葉だ。
努力を食いつぶされ、疲弊し切った者たちが最後に吐き出す言葉。
何度も耳にした不快な言葉。
目の前の少女はその言葉を吐き出した。
ジンは堪らずの口を開く。
「無駄なんかじゃあねえよ。俺が証明してやる」 いきなりそう言い放つ。
彼には目の前でそのような言葉を吐き出す少女を見逃すわけにはいかなかった。
目の前にいる不幸が許せなかったのだ。
するとモミは顔色が険しくなる。
「どうやって!」 彼女にはジンの言葉が同情からきていると思ったのだろう。
声を荒げ始める。
息は荒れ、怒りの色が見え始める。
同情などされたくない。
ただ惨めになるだけだ。
恥を晒すだけだ。
そのような感情ばかりが頭の中を巡っていく。
彼女には軽々しく希望を見せるジンに怒りを感じざるを得なかった。
踏みにじられ、全てを諦めたのだ。
そこに希望の光を見せられると嫉妬ばかりが心を疼かせる。
「見つけてきてやるよ。お前のお袋と親父さんの大切な犬っころをさ」 何とも、突拍子もない事を簡単に言うジン。
「……そんな事出来っこないですよ」
出来るはずがない。
その言葉がモミの脳裏を埋め尽くす。
しかし、ジンはモミから目をそらさない。
ただ真っ直ぐ見つめる。
「努力が無駄だったなんて言わせない。それは冒涜だ。信じきてきたもの全て裏切ることなんだよ。俺の目の前でその言葉を吐き出すのは許さない。これは俺の我がままだ」
真剣な眼差しはモミだけを捉えている。
差し出がましい行為だ。
自己満足に思われるかもしれない。
だが、それは彼にとって譲れない信念であった。
「本当に……証明してくれますか?」
モミも視線をそらさずに尋ねる。
瞳にはうっすら涙が浮かんでいた。
その姿にジンは笑みを浮かべる。
「任せとけ。何たって俺は世界最強の男だからな」
根拠がないにも関わらずその自信には一片の揺らぎがない言葉だった。
彼の声がモミの心を波紋のように伝わっていく。
何度も何度も繰り返し、響き渡っていく。
もしかしたら、彼なら両親がやってきたことが無駄でなかったと証明してくれるかもしれない。
例えそれが幻想であったとしてもすがりつきたいとモミは思った。
そう思わされてしまった。




