表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

動物企画

動物企画「魔王な私を閉じる檻」@卯堂 成隆

作者: 卯堂 成隆

 自己紹介をしよう――といいたいところだが、実は俺には決まった名前が存在しない。


 というのも、俺が頻繁に転生を繰り返すためにその都度新しい名前を頂戴するから名乗る事に意味が無いからなんだが……それでは流石に不便だな。 まぁ、いい。


 そうだな。

 話さなくちゃいけないことは山のようにあるが、まずは俺の役目あたりから説明するか。

 俺の役目はプロの悪役として、英雄と呼ばれる者を引き立てる事。

 もっと具体的に説明するならば、どこぞのドラゴンに転生し、お姫様をさらって勇者に退治される役割だ。

 え? なんでそんな仕事があるのかって?

 そりゃ、需要があるからだよ。


 世界が平和になって、神様に用がなくなると、人間たちはあっさり神を無視しはじめて、やがて忘れ去る。

 それに神様がブチ切れて、ここは一つ人類に対して災厄を与え、誰が一番偉いのか教育せにゃならんと言う事になるんだが、それを神自身がやると問題が起きる。

 有体に言えば、頭の悪い人間共は自分の所業を棚に上げてこともあろうか神を恨むんだな、これが。


 なので、誰か専門の人類調教係が必要となるわけだが……当然ながら展開においてもぶっちぎりの不人気職で、その不人気な職を専門に行っているのがこの俺様ってわけだよ。

 なんでそんな損な役目を引き受けるかって言うと、理由は簡単。

 俺が人類をイヂメるのが大好きだからさ!


 あいつら、自分がこの世で一番優れていると思っているから、そのプライドをズタズタに引き裂くのが楽しくてしょうがないんだよ。

 特に"王"と呼ばれる奴らを破滅に追い込んだ時の面白さときたら!

 慈悲? 改悛?

 なにそれ、おいしいの? そもそも、罰を受けて悔やむぐらいなら最初から神を敬え下等生物が!!

 神を忘れた不心得者の分際で幸せなのが気に食わないんだよっ!

 神を憶えていながら、自分たちの同胞の傲慢を止める事ができなかった奴らも許せんしな!

 ……おっと、俺様としたことが感情的になっちまったようだ。

 まぁ、それもこれもあの愚かな生き物が全部悪いという事で。


 おお、そうだ。

 "王"で思い出したよ。

 人間は俺のことをこう呼ぶんだ。


 すなわち"魔王"とな。


 さて、そろそろ時間だな。

 まもなく俺は再び地上に生をうける。


 今回はどんな災厄を与えてやろうか……


+++++++++++++++++++++++++++++++++


 ――おっと、どうやら転生が終わったようだな。


 地上の生き物の肉体を乗っ取り、新たな肉体とする作業が終わるまでの退屈な時間がおわり……気が付くと、俺は紫色の液体の中にいた。

 どうやら縦に長いシリンダー状の管の中にいるらしく、透明な壁がぐるりと囲むように立ちはだかっている。

 濁った視界の中で目を凝らすと、毒々しい紫のフィルターの向こうには標本やわけのわからない機材の埋め尽くされていた。

 ――まるで理科室のような光景だな。

 って、理科室って何だったっけ?

 ずいぶん昔に聞いた単語だと思うけど、今はそんなことを考えている場合じゃないな。

 ふむ。 この液体、味と匂いからすると昔開発したホムンクルスの培養液に近い成分のようだが……察するに、今回の俺のポジションは魔導によって作られた人造魔物って役回りか。


 そこまで思いを巡らせた時、不意に激しい揺れが俺を襲い、目の前の光景が大きく歪んだ。

 なにか事件でもおきたのか?

 どこと無く落ち着かない空気とざわめきに、身の震えるような興奮を覚える。

 荒事なら大歓迎! 事故や事件も大好物だ。

 何もなければ、俺自らが事件を起こして引っ掻き回してやろう!

 平穏に死を、騒乱に喜びを!

 まずは俺様をこの世に舞い戻らせてくれた事の礼として、創造主でも縊り殺してやろうかな?


 やがてバタバタとあわただしい足音と共に、骸骨系のモンスターかと思うようなジジイが汗を撒き散らしながら部屋に駆け込んできた。

 ん? もしかしてこいつが創造主かな。

 見た目は残念な感じだが、ちょっと狂った知性を感じる血走った目と、薬物に汚れて斑になった白衣がいかにもマッドな感じで微笑ましいぞ。

 やはり様式美と言うヤツは大事だ。

 ジジイ自体は美しくないがな!


「おぉ、K1066号よ! 今こそ我らの力をあの小癪な勇者のヤツに思い知らせ、公爵様に認められるチャンスであるぞ!」

 だーっ! うるせぇっ!! 人の入ったケースをバンバン叩くな! 響くだろ!!

 つーか、大丈夫か? こいつ。


 そのままイッちまうんじゃないかと思うぐらい興奮したジジイは、血走った目でガシっと俺様の入ったシリンダーに抱きつくと、俺の了承も待たずにそのまま容器を押してをどこかに移動させはじめた。

 あー、そんな無理すんなよ。 腰をグッキリやらかすぞ? つーか、んな興奮したら血管切れるぞ?

 そもそも、この容器から出してくれたら自分で動けるって!


 俺様の心の呟きの聞こえないジジイは、そのまま俺を部屋の外に運び出すと、周囲で慌てふためく奴らを押しのけて唾を飛ばしながらわめき散らす。

「どけ! 邪魔であるぞ、このザコ共がぁっ! この儂の邪魔をするなぁっ!」

 そしてそのまま、その痩躯のどこにこんな力が? と思うぐらいの勢いで、ジジイは俺を運びながら廊下の向こうに突進を開始。

 どうやら賊でも入り込んでいるのか周囲の男たちはえらく殺気だっていたいたが、それ以上の狂気に満ちた老人の姿に気おされたのか、抜き身の剣を手にぶら下げたまま逃げるようにして道を空ける。


「待っておれ、勇者め! 儂の最高傑作たる愛玩用猫耳ホムンクルスのモエニャン2055号に向かって開口一番に『二次元へ返れ! 目玉大きすぎてキモい!』と言った罪は万死に値するぞ! 細切れにした後で貴様の血肉を材料にして、さらなる萌えっ娘を作り上げてくれるっ!」

 勇者なぁ……元気してるかな、あの女たらし。

 ここだけの話だが、ヤツはお姫様と恋愛をしたいがために勇者の役目を引き受けた、筋金入りの変態である。


「ククク……そぅら、自分の新しい姿に驚くがいい! ふはははは、どうだ、このツルン、ストンとした清純なライン! つぶらで零れ落ちそうな瞳のすばらしさを知れ! そして一番最初に検証と称してあんなことやこんなことをするのはこのわしじゃあっ! ほれほれ、ここがいいんか? ん? ん? オジサン、こんなことしちゃうぞぉぉぉぉぉっ! あひゃひゃひゃひゃ! ……へぶっ!?」


 ヤツの長口上を遮ったのは、他でもない通路の曲がり角とその壁であった。

 察するに……俺の入っているシリンダーが邪魔で前が見えないのだろう。

 ようするに、コイツは"傍迷惑なバカ"と言う人種らしい。

 この手のヤツへの対処法はただ一つ。

 ……触らぬ神に祟りなし。

 残念な事に、いまの俺には回避する手段が無いがな。


「うひゃひゃひゃひゃ! 見える! 儂の薔薇色の世界が!!」

 俺の呆れ混じりの感想を他所に、ジジイは不屈の闘志で起き上がると、いきなり奇声を上げ、まるでいまの事故が無かったかのようなテンションで走り出す。

 あー、この生き物は、もしかすると人類ではなくて新種の魔物かもしれない。

 とりあえず喋るなジジイ。

 さっきから唾が飛んできて気持ちが悪い。

 それにお前が見るべきは、薔薇色の世界じゃなくてとりあえず進行方向だろ。

 今すぐそのワニワニといやらしい動きをする【ぴー】臭い手をどけないと呪い殺すぞ!

 あと、言っていることが半分もわからんっ!

 どこの民族の出だ、お前は!!

 とりあえず生理的にダメなので、俺が正式に魔王として名乗りを上げた暁には、この種族はさっさと処分しよう。


 そう考えた次の瞬間、俺の入ったシリンダーは再び壁との対決を迎えた。


+++++++++++++++++++++++++++++++++


 ゴスッ

 ……痛っ!? ん? 揺れが止まったな。

 いつの間にか気絶していた俺は、再びシリンダーの中で目を覚ました。

 気が付くと、内臓をかき乱すような揺れは収まり、体を押し付けるような加速感もすでになりを潜めていた。

 先ほどの痛みは、急に止まったせいでまたシリンダーの壁にぶち当たったせいだろう。


「ひゃーははははは! 観念するがいい、勇者よ!」

 状況を確認しようと周囲を見回す俺の頭上から、耳障りな高笑いが聞こえてくる。

 おお、なんと言う定番な悪役セリフ!

 いまどきそんなセリフを恥ずかしげも無くクチにするとは、ジジイよ、貴様なかなかやりおるな!


「くっ……何ヤツ!」

 ジジイの声に返事をしたのは、やけに張りのある若い女の声だった。


「おお、博士! 待ちかねたぞ!」

 部屋の中から、さらにこれまた定番のセリフが返ってくる。

 体の向きがおかしくなっているせいで前が見えないのだが、セリフだけで現場の光景が見えるようだ。

 さしずめ、ヒロインと悪代官の対決シーンと言ったところだろう。

 しかし、なんか人類もしばらく見ない間にノリがよくなったなぁ。


「お任せください、ユーデッド公爵! わが最高傑作K1066号の前では赤子も同然! 赤子の手を捻るように始末してご覧にいれましょう!!」

 その声と同時に、シリンダーがパリンと音を立てて砕け散り、俺は紫に濁った世界からこの世界に解き放たれた。

 クリアになった視界の向こう、俺の目に最初に映ったものは……


 全員の呆れた生暖かい視線だった。

 なに……この羞恥プレイ?

「……きゅーん?」

 そして、思わず洩れた自分の声に感じるそこはかとない違和感。


「は、博士。 その、なんだ。 これは何かな?」

 痛々しいほどの沈黙を破り、公爵が漏らしたその言葉は、その場にいる人間全ての意見を代弁していた。


「良くぞ聞いてくださいました! これぞ我が最高の殺戮兵器"K-1143号"でございます!!」

 おい、さっきと数字違うだろ!

 実はお前、俺の事どうでもよく思っているな!?


 胸を張るジジイを横目で睨みつけながらも、俺は内心冷や汗をかいていた。

 なにか……とてつも無く悪い予感がする。

 周囲の人間にここまで引きつった顔をさせる今の俺の姿って、どんなんだよ!?


「ふ、ユーデット公爵。 貴様の命運もここまでのようだな」

 勝ち誇った声に目を向けると、そこにいたのは戦装束に身を包んだ目の覚めるような美女。

 切れ長の気の強そうなグリーンの瞳に闘志をみなぎらせ、体が動くたびに金糸鳥のような明るい金髪がサラサラと流れる。

 一見してお姫様……と言った容姿をしているが、部分的とはいえ金属製の鎧を着けて動いているのに汗ひとつかいていないところを見ると、おそらく相当鍛えこんでいるに違いない。

 声からしても、先ほどから勇ましいセリフを放っていた女は、たぶんこいつだろう。

 何気ない動きの中にも全く隙が無く、この俺様から見ても相当な手練れに見えるほどだ。

 さしずめ、女勇者といったところか?

 そういえば、なんとなく雰囲気とか顔立ちもあいつに似ている。

 まぁ……本物の勇者は絶対に女になんか転生しないけどな!


「よ、よもや金貨5000枚を投じた研究の末がこんな代物とは」

 この俺様を横目で見た後、公爵はガックリと膝を落す。


 ――ぷちっ。

 まてや、こんな代物とはご挨拶じゃねぇか!

 俺を一体誰だと思ってる!!


 まぁ、こいつが知っている訳も無いのだが、バカにされればそりゃ腹が立つ。

 思わず脚を踏ん張って吠え掛かろうとした、その瞬間……


 がくっ


 急に両肩の辺りから力の抜ける感覚が広がり、俺は立ちくらみに似た意識の混濁に襲われ、思わず意識を失いそうになった。

 さらに俺の体は何か巨大な手のような物に巻きつかれて上に持ち上げられ、同時に俺の両肩から感じる巨大な力の塊……


「な、なんだこれは!?」

「ばっ、化け物っ!」

 うろたえる男達の声に薄目を開けると、俺はやけに高い視点から周囲の人間を見下ろしていた。

 恐怖に満ちた男達の頭上を、寄り添う巨大な双子の狼の影……否、巨大な双頭の狼の影が覆っている。

 見れば、女勇者の顔もわずかに引きつっていた。

「くっ、双頭魔狼(オルトロス)か!?」

「残念。 三頭魔狼(ケルベロス)じゃよ」

 顔に似合わずドスの聞いた声で女勇者が吐き捨てると、ジジイがすかさず訂正を入れる。

 あれ? 頭二つしか無いみたいだが、なんで三頭魔狼(ケルベロス)なんだ?

 あ、俺の頭が1つくっ付いているから3つになるのか。


「ふひひひひ! こいつをただの魔獣と思ったら大間違い! 自らのエクトプラズムに魔獣の魂を憑依させ、自らの姿とする能力を持っているのじゃよ! その場に応じた魔物の姿に変幻し、エクトプラズムを擬似的な肉体としているため、核以外の部分は何をしてもノーダメージ! まさに最強ぉぉぉぉぉぉぉ!! 勝てるかな? 勝てるかなぁぁぁぁぁっ!?」

 おいっ! こら、ジジイ!

 あっさり人の弱点ばらしてどうする!

 しかも、核ってあからさまに俺のことじゃねぇかっ!!

 それ以前に、この魔物の体、ものすごく動かしにくいぞっ!?


「くっ、よもや神話級の魔物を出してくるとは……」

 ジジイの漏らした弱点に気付かず、冷や汗をかく女勇者。

 そういえば、勇者(あいつ)もクイズとか大の苦手で、人がせっかく用意した弱点何度も聞き逃して痛い目にあっていたなぁ。

 こんなところまでそっくりとは、もしかしてあいつが転生したときに出来た子供の子孫か?

 

「おひょひょひょひょ! さぁ、やってしまえ"L-5536号"よ!」

 勝ち誇ったジジイは、上から目線で俺に命令を下す。

 どうでもいいが、また名前間違えてるぞ。

 だが……

「……わぅ?(なんで?)」

 そもそも、俺がこいつの命令を聞く理由が無い。

 よって、無視だ、無視。

 人間を嬲るのは大好きだが、他人にやれと言われるとやる気しないし。


「こりゃ、さっさと動かぬか、"O-62418号"よ!」

 あーうるさい。

 まずはこのジジイから先に始末するか……さっきから人の名前間違えっぱなしで気分悪いし!

 俺が欠伸をかみ殺しながら、めんどくさそうに前足を上げた瞬間……なに、これ? 体の力が抜けてゆくんだが?


「おおっ!? MP切れか」

 気付いたとき、俺の視点は元の小動物の高さに戻っていた。

 一体何が起きた?


「くっ、博士、何をしている! さっさと姫たちを始末しろ!!」

 何を焦っているのか、公爵が脂ぎったハゲ頭に汗を浮かべてジジイに向き直る。

 だが、ジジイの答えは――


「無理ですじゃ」

「は?」

「そもそも、神話級の魔物を起動させるのには大量の魔力が必要。 これはご理解していただけますな?」

 何を解りきったことをといわんばかりの口調で、ジジイは面倒そうな表情を隠そうともせずに語りだす。


「……つまり?」

「神話級の魔獣憑依の術式はキメラ本体にインストールでは来たのじゃが、変身を維持するだけの魔力が用意できなかったということですじゃよ」

 今度は、どうでもいい事といわんばかりに鼻で笑って肩をすくめるが……

 おいジジイ! それ、欠陥品じゃねぇか!!


「こ、この役立たずがあぁぁぁぁっ!!」

 怒りと共にどこか哀愁を帯びた公爵の声が、すっかり緊張感を失った戦場に木霊する。


 まぁ、この後のことはわざわざ説明をす必要もないだろう。

 かくして悪は潰えた。 めでたし、めでたし。

 って、俺の出番こんだけか!?

 ものすごく寂しいんだけど?


+++++++++++++++++++++++++++++++++


「さて、残されたのはこの変な生き物か。 うーん、国の研究所にサンプルとして引き取ってもらうか?」

「いや、ここはさっさと始末をしたほうがよくないか?」

 へ、変って言ったな、そこの足の臭そうなオッサン!

 それと、この俺を始末するだと? 片腹痛いわ! 300回ほど生まれなおして出直して来い!!


 なんとも微妙な対決が終わった後、残されたのはほとんど廃墟同然となった公爵の屋敷と、この俺だった。

 まぁ、欠陥品とはいえあれだけの力を発現できる俺を放置する馬鹿はいないだろう。

 どうやら小動物の姿をしているらしい俺を、体格のいい騎士4人がぐるりと囲い、処遇をどうするか相談している。

 さて、どうしようかな?

 とりあえず、いざとなったら力づく出逃げよう。

 たぶん、この俺の本来の魔力をつかえば魔獣形態を維持することも可能だろうし。

 そこまで考えた俺は、とりあえず近くにあったソファーの上に上がりこんで体を丸めた。

 あー 眠い。


 だが、眉をしかめた男達を押しのけて、先ほど姫と呼ばれた女勇者がやってきたと思うと、この俺をひょいと腕の中に抱え上げ、こう宣言した。

「この生き物は城につれて帰ります」

 なにぃ? この俺様をお持ち帰りだと?

 ふさげけんな! ……だが、もーちょっとこのままでもいいぞ。

 うん。 俺様は心が広いからな。

 い、意外と胸が大きくて柔らかくて気持ちいいからなんて理由じゃないぞ! そこを間違えるなよ!!


「ひ、姫? このような怪しげな生き物を連れて返るなど……これは城の魔導研究所で解析して……」

 予想通り、周囲の男たちは反論を口にするが、

「なりません。 万が一、公務員の義務感よりも好奇心が確実に上回るあの連中が、この生き物に魔力を供給でもしたら大変な事になるとおもいませんか?」

 姫の一言で男たちは口を閉ざす。

 まぁ、実際にそんなことになったら喜んで街とか城とか更地にするけどな。

 それにしても、擁護の声がまったくでないとは……どんだけ信用無いんだ、魔導研究所。


 心の中でそうぼやいていた俺の頭に、懐かしい声が響いたのはちょうどそんなときだった。

『久しいな、魔王』

『ん? なんだ、お前か勇者よ。 最近姿を見ないけど、先に転生でもしたのか?』

『あぁ、実はいまお前のすぐ近くにいる』

『はぁ? 俺の見る限り、お前の器らしきヤツは一人もいないんだが?』

 そういわれ、周りで事後処理に勤しむ騎士を睨めつけるが、どう考えても勇者の転生先にしては力が弱すぎる。

 あえて可能性があるとすれば……いや、それはないな。


『いるだろ。 お前の一番すぐ近くに』

『一番すぐ近くって……まさか!?』

 嫌な予感と共に顔を上げると、女にあるまじき男臭い笑い方をする金髪の美少女。

 に、にあわねぇっ!


『ゆ、勇者? おまえ、何で女装してるんだ? そんな趣味があったとは初耳なのだが』

 俺の知る限り、勇者が女だったことは無い。

 ちょうど今回が300回目の転生なのだが、過去299回はいずれもが爆死した方がいいと思うぐらいのイケメンだったと記憶している。

 間違っても、こんな俺好みな美女になった事は一度も無い。

 つーか、なにこの罰ゲーム!?

 こんだけ俺の好み直球ストライクなのに、中身が勇者だとぉ!?


『訂正しておくが、女装ではない。 今回は女に転生してしまったようだな。 神も何ゆえに私にこのような試練を与えたもうたかは知らぬが』

『たまには女になって、口説かれて手篭めにされる気分を理解しろって事じゃねぇのか?』

 もう一度説明すると、俺が人類イヂメが趣味ならば、こいつの趣味はお姫様ハント。

 なんでも、深窓の令嬢とかお姫様で無いとビビっとこないらしい。

 どうにも難儀な性癖だ。

 まぁ、一度惚れたら一途な性格なのでさして問題は無いのだが、俺はこいつのために何度お姫様を意味も無く誘拐したことか。

 あ、よく考えたら今までの転生案件全部がそうか。

 おかげで、"魔王はお姫さま好き"が人類の間では定番になっている。

 お姫様が好きなのは俺じゃネェつーの。

 今思い返すと腹立つわ、ほんと。


『おまえこそ、その姿はないだろ。 鏡見はみたか?』

 そう告げると同時に、勇者は壁際にかかっていた鏡の前に俺を突き出した。

『その姿って……どういうことだ?』

 俺は自分の姿に頓着無いから、醜くてもさほど気にしないんだが……

 眉をひそめながらそちらを覗き込むと、銀を磨いた高価な鏡にぼんやりと今の俺の姿が映る。

 なっ、なんじゃこりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!

 そこに映っていたのは、虎でも獅子でも狼ですらもなく、胴長短足のダックスフンド。

 周囲の物の大きさからすると、上に"ミニチュア"と付きそうなソレである。

 醜いのも汚らわしいのも我慢できる。

 だが、可愛いってのは予想外すぎるだろ!!

 これで魔王って名乗っても誰も信じてくれねぇじゃねぇか!!

 却下だ、却下! 大魔王がこんな姿でいいわけないだろ!

 そこのジジィ! 今すぐ俺を、おぞましくて恐るべき姿に変更しろ!!


『まぁ、そんなわけで今回はバトル無しの方向で伝説を作ろう。 それに、その体のことなんだが、よく見ると肉体構成も魔力回路も無茶苦茶だから、お前が自分の魔力使おうとすると負荷に耐えられずアッサリ砕けるな。 それに動物イヂメは俺の醜聞にかかわるから避けたい』

『皆まで言うな! おっ、おのれクソジジイ……』

 気まず気に言葉を濁す勇者を遮り、ギリギリと奥歯を噛み締めながら呪詛をこぼす。


 気になって自分の体をスキャンしてみると、大事な内臓の配置などが出鱈目になっている。

 なるほどこれではほっといても寿命は3年も満たないだろう。

 なんと言う欠陥品!

 まったくもって大きな誤算である。

 つまり、今現在の俺様は……


『ちょっと賢いただのダックスフンドだな』

 言うな、勇者よ! それでも貴様、俺の親友かッ!!

 そんな容赦ないツッコミいらんわっ!!


『いや、魔力も無いダックスフンドは、もはや魔王じゃなくてただのダックスフンドだろう?』

『しつこいっ! 魔力が使えなくてもまだ特殊能力の一つや二つ……うぅっ…… お前、自分が正しければ何言ってもいいと思ってるだろ!? 自分の姿を鏡に映して発情しやがれ、この色ボケ勇者! その姿は天罰だ、ザマぁ見ろ!!』

 この俺様の全力の罵倒に、ヤツは嫌味なぐらい整った愁眉を曇らせ、自分の胸に手を当てた。

『そうだな、これでもっと胸が小さければ完璧なんだが……』

『そこはもっと大きくあるべきだろう!?』

 ちなみにこいつはお姫様スキーな上に貧乳スキーで、巨乳ハンターたるこの俺とは意見が合わない。

 なんでも、風呂に入ったときにぷかっと浮くのが不自然で気持ちが悪いそうな。

 いや、勇者よ、むしろそこがいいところだろ!!


『それよりもだ。いいのか? 勇者よ』

『何がだ?』

 下らない論争に飽きた俺が、一つ忠告をしてやろうと口を開いた瞬間、そのセリフが横から奪われた。

「姫! 犬と見詰め合っている場合ではございませんっ! 公爵が逃げました!!」

 まぁ、そういう事だ。


「なんたることでしょう……ここまで追い詰めたというのに、みすみす取り逃がしてしまうなんて」

『うわっ、キモっ! お前、しゃべるときはすっかり女言葉なのな』

『ほっとけ。 処世術と言うヤツだ』

 臆面も無く完璧に令嬢の言葉遣いをする傍らで、俺と地の性格むき出しで会話を続けるこの演技力。

 あいかわらず器用なヤツだよ……実はお馬鹿のくせに! お馬鹿のくせにぃっ!!


『ちなみに、さっきの変なジジイが隠れて何かしていたようでな。 わずかだが、俺たちが会話している間に魔力の変動があったんだ』

『気付いていたなら教えてくれてもいいだろう? 冷たいヤツだな』

 ここでいっそ怒鳴るぐらいうろたえてくれれば可愛気もあるのだが、こいつはいつもこんな調子だ。

 たまに熱いセリフをはいたりもするのだが、それがすべて演技である事を知っているのは俺と神ぐらいだろう。


『いや、俺って魔王だし。 一応、悪党の親玉な。 あいつらの面倒みる気はさらさら無いけど』

 そもそもこいつは俺が何か手助けをしなくても、一人でなんでも解決するやつだ。

 むしろ突き放すぐらいでちょうどいい。

 ……とは言え、少しぐらいは手伝ってやるか。

 一応は友達だしな。


「勇者よ! 何をしているのですっ!! はやく追わなくては!」

「その必要はありません」

「……は?」

 慌てふためき指示を求める騎士たちに、勇者は冷静なままの口調でキッパリと答えた。


「いますぐ冒険者ギルドに連絡し、賞金をかけなさい。 先日の王宮警備隊の横領事件で徴発したお金の使い道が決まっていなかったでしょう? 孤児院の経営に使うのが嫌だと言うなら、本来の使い道である治安維持で浪費するのが最適だと思いませんか?」

「いや、いくら姫のお言葉とはいえ、我々が無断で使ってよい金では……」

 何を言い出すんだこの女は……と言いたげな騎士の横面に、勇者は優しく微笑みをたたきつけた。


「では、ゴネる方を黙らせるおまじないを教えてあげましょう」

「おまじない?」

 ますます怪訝な顔をする騎士に構わず、勇者は笑みを深めながらこう囁く。


「セサニング商会の会長と仲のよい方がいらっしゃるようですわね。 3日前の晩は大層会話が盛り上がっていたようで。 ところで今年のアミール産のワインの出来はいかがでしたか? ……そう私が話していたと告げなさい」

「――!?」

 騎士の顔が見る見る青ざめ、全身が汗ばむのが見て取れた。

 ちなみに、セサニング商会の会長がアミール地方産のワインにかける関税に関して不正な取引を持ちかけている……という事実をチクったのは俺様である。

 俺の持つ能力として、人の罪を解析して秘密を暴くというものがあり、勇者から邪魔をしそうな奴をピックアップしてもらい、解析をかけた結果がコレだ。

 ちなみにいまの騎士はその敵対勢力の子飼いである。


 ふふふ、恐ろしかろう? 俺の前にプライバシーなど存在しないのだよ!

 魔力を使えないからこの体でも、このぐらいの事はできるということだ。

 問題は、現状で自分の眷属と勇者としか会話出来ないと言う事か。

 ……あんまり役に立たない気がしてきた。


『魔王よ、お前の協力に感謝する』

『別になんでもない。 俺が手伝わなくても、どうせお前ならなんとでも出来ただろ?』


『まぁ、このぐらいならそうだろうがな』

『だったら礼はいらん。 これは俺の気まぐれだ』


『じゃあ、俺一人で出来ないことがあったら、お前は助けてくれるのか?』

『心外だな。 そんな状態のお前など想像できんが、もしもあるなら手伝うに決まってるだろ? 俺はお前の相方だぞ?』


『では、頼みがある』

『なにぃ!? お前がか? いったいどんな難題だよ!!』


『その……なんだ……』

『はっきり言え! 迷うぐらいなら最初から言うな!!』

『では、単刀直入に言おう。 ……俺を攫ってくれないか?』


……は?


+++++++++++++++++++++++++++++++++


 翌日、俺の姿は燦々と朝の光に照り映える白亜の殿堂の中にあった。


 窓の外に広がる空は青々として雲ひとつ無く、窓から忍び込む風が白いレースのカーテンを揺らし、庭に咲く花々の香は小さな蝶を道連れにして広い室内をあてもなく彷徨う。

 ドアの向こうに目をやれば、侍女たちが裾の長いスカートを翻して動き回り、それに目を奪われた兵士が上司に睨まれて姿勢を正していた。


 実に平和な光景だ。

 うん。 ぶっこわそう。

 だって、俺、魔王ですから!


 心の中でキリリと表情を引き締めると、俺は本日の悪事を始めるべく行動を開始する。

 目指すは白いヴェールの奥深く、永遠の謎たる神秘の双丘……


「うぉ……きゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 朝の王宮に、甲高い悲鳴がほとばしる。

 ふっ、まだまだ甘いな勇者よ。

 最初に『うぉぉぉぉぉ』と叫びそうになって訂正しただろ?


『こら、魔王! お前何をしている!?』

『そりゃ、もう、"朝の挨拶"に決まっているだろう? いやぁ、実によい感触でした』

 寝台のシーツから金色の頭が顔を出し、乱れた服を正すのも忘れてこの俺様をつまみ上げる。

 えーやん。 別に減るもんでなし。

 親友だろ?

『その親友の胸を挨拶と称して弄ぶか、この外道!』

『ええ、外道も外道、なにせ魔王さまですから』

 俺は体を揺り動かして勇者の指から逃れると、ニヤリと笑みを浮かべて寝台の下に逃げ込んだ。


「姫様! どうされました!?」

 その時になって、ようやく侍女や護衛の騎士が部屋の中に駆け込んでくる。

 ふっ、おせーよ。 俺が刺客だったら、とっくに仕事を終えて窓からおさらばしてるね!


 そして響き渡る第二の悲鳴。

 そーいえば、いまのあいつって、俺がポロリさせたまんまだっけ。

 よかったな、騎士共。 眼福だったろ?


『この、くされ魔王が』

『お褒めにあずかり恐悦至極』

 俺が念話によりそんな会話をしていると、周囲の空気がどんどん下がり始める。

「少し、下がってなさい」

 あ、やべっ。 勇者のヤツ、マジで怒りやがった。

 同時に、侍女や騎士の気配が遠のいてゆく。


「このくされ畜生! 聖なる裁きを受けるがいい! ――いでよ、魔杖アールエイティン!!」

 その声と共に、虚空からさほど大きくも無い木製の棒が現れる。

 その形状は、二本の棒を束ねて先端をハート型に曲げた代物……有体に言えば"布団叩き"だ。

 だが、こいつを舐めてはいけない。

 魔杖アールエイティン――その多彩な能力の中には、【魔王にのみ絶対命中】【魔王瀕死】の二つが含まれている。

 なにそれ、俺に対するイヂメやーん!


 その日、王城に響いた三度目の悲鳴は、甲高い犬の声だったという。


+++++++++++++++++++++++++++++++++


『……で? なんで俺に攫ってくれなんてことを言ったんだ?』

 所かわって、ここは王宮の庭。

 俺は茶菓子の並んだテーブルを挟んで勇者の悩み事を聞くために向き合っていた。

 未だに尻がヒリヒリと痛むが、そのあたりは水に流そう。


『まぁ、言うまでも無いが、今の自分はこの国の姫という立場になっている』

『そのようだな。 で?』

『姫という立場である以上、誰かと結婚するという義務があるわけなんだが』

 言葉を濁し、茶を少し口に含むと、勇者は忌々しげに溜息をついた。


『なんだ、そんなことか。 なら断ればいいだろ?』

 俺がごく当たり前の感想を述べると、勇者の顔が苦虫を噛み潰したようになる。

 おいおい、中身はともかく見た目は美人なんだからそんな顔すんなよ。

 もったいないだろ?


『相手が国内の貴族ならな。 自分で言うのも何だが、いまの俺はえらく男性の注目を浴びやすい』

『あぁ、そう言うことか』

 つまり、問題の相手は他国の要人というわけだ。

 下手に断れば国際問題につながりかねない。


『なら、そいつら全員始末してやろうか? 俺個人には無理だが、部下の腕の立つ奴らにまかせれば簡単に片付くだろうし』

『やめてくれ。 勇者が暗殺を依頼するなんて洒落にもならん。 そもそも相手は一人や二人では無いし、それで私と結婚しようとすると死ぬなんて噂が流れても困る』

 俺様のナイスアイディアに否を突きつけ、勇者は再び溜息をついた。


『で、脱走までの猶予は?』

『7日だ』

 俺の質問に、勇者は目を逸らしながらそう答えた。


『……短すぎるだろ』

『そこを何とか頼む。 7日後には、候補者の誰かが私の正式な婚約者として決まってしまうから』

『そうなると、結婚を阻止しても禍根が残るというわけか』

 まったく、権力者というものは厄介だ。

 自分が偉いと、特別に扱われて当然と思っている連中ほど鬱陶しい生き物は無い。


『あぁ。 だから、武闘会が終了する前に私を拉致してほしいんだ』

『武闘会って……王家の婚姻をそんな方法で決めていいのか!?』

 返事を聞くまでも無く大問題である。

 王とは単純に強さだけで選んでいい代物ではなく、そんな方法で選んだ人物を王族として迎えれば、厄介な事になるのは目に見えている。


『私が一番強いヤツを婿にすると冗談で言ったら、いつの間にか噂に尾ひれがついて、周辺国家の腕利きの騎士や剣士共から問い合わせが殺到してな。 そのあまりの剣幕に、いまさら冗談ですと言えなくなってしまったんだ。 今でも廷臣たちが頭かかえている』

 おそるべし、脳筋族。

 まぁ、中身はともかく、あの勇者の外面ではやつらが目の色を変えるのも無理は無いか。


『じゃあ、大会参加者に俺の配下を入れるというのは?』

『お前の凶暴な部下に任せたら大惨事になる』

 うぅっ、言い返せない!

 たしかに俺の部下は荒事には向いているが、人間相手に手加減なんて出来るはずも無い。

 それは台所で怪奇昆虫Gと遭遇した主婦に、殺さないように手心を加えろというに等しいだろう。


『じゃあ、お前が正体を隠して参加するというのは?』

『確かにそれは考えた……だが、バレた時のリスクが大きく、成功しても参加者が納得するとは限らない』

 なるほど、つまりそれで憎まれ役の大本命たる俺を頼るわけか。


『わかった。 他ならぬお前の頼みだからに引き受けよう。 だが、その後はどうする気だ?』

『……せいぜいババアになるまでお前のところでお世話になるさ。 いいだろ? 親友』

 憎まれ口を叩く勇者の顔は、性別が変わったというのにまったくもって昔のままだ。

『調子のいい事を言いやがって。 だったら、相方と呼びやがれ、この不良勇者!』

 苦笑をかみ殺して憎まれ口を返すと、勇者はなぜかポンと手を叩いてこんなことを言い出した。


『あぁ、あともう一つだけ策があった』

『ん?』


『お前を人化させて大会に参加させると言う手がな』

 なんですとぉっ!?


+++++++++++++++++++++++++++++++++


 全国10万人の俺様ファンの皆様、こんにちは。

 皆さんの愛してやまない俺様ですが、今現在……非常にピンチです。

 助けてください。 マジで!


「どうした? 脚が震えているぞ?」

 目の前にいる筋骨隆々とした男(推定:30代後半)が、不適な笑みを浮かべながら足蹴にしているのは、先ほどまで俺の手の中にあったナイフだ。

 嫌だとさんざんゴネたにも関わらず、勇者によって大会の受付に引きずり出された俺は、そのまま無理やり予選会場に放り出され……うかつにも予選を突破してしまい、現在に至る。

 何度と無く繰り返した転生によって戦闘スキル的な意味では大きくリードする俺様だが、なにぶんこの体ではそのスキルを活かしきれない。

 と言うのも……ダックスの体でどないせいっちゅーんじゃ! あの腐れアマ!!


 そう、無理な生体実験の末に生まれたこの体は、人化の法に耐えられないことがわかったのだ。

 そんな俺を無理やり大会に放り込んだ時の勇者の顔こそ、まさに悪魔!

 虫も殺さぬ笑顔でこう言いやがったのだ!


「わたくしの夫となる方なら、最低でもわたくしのペットより強くなくては困りますわ。 あら? この子に何か問題でも? まさか、ダックスにも勝てない人がいるとは申しませんよね?」

 なんと言うゴリ押し!

 受付の係員がポカンとクチを開けたままになったのも無理は無い。

 ……どこの世界に武闘会へ自分のペットのダックスを送り込むやつがいる!

 まぁ、ここにいたけどな。


 かくして、口にくわえたナイフ一本で並み居る猛者の相手をしてきたのだが、さすがにいつまでもこんな手が通じるはずも無く……

 先ほど、攻撃を受け損ねた俺は唯一の武器を弾き飛ばされてしまったのだ。

 いや、こいつマジで強いから!

 ――たぶんロリコンだけどな。


「こら、ワンコロ! おまえ、失礼なこと考えただろ!!」

 失礼なことじゃなくて、単なる事実だろ。

 やーい、ロリコン。

 こんなやり取りをしながらも、相手の構えに隙は無い。

 困った事に、向こうは俺様の実力を精確に理解しているようだ。


「残念だな……もしも貴様が人の体であったならおそらくよい勝負が出来たであろうに。 おそらく名のある武人の魂が憑依しているのであろうが、その体ではどうしようもあるまい。 ならば、せめて潔く散れ!!」

 その言葉が終わるなり、男は手にしたブロードソードをすさまじい勢いで繰り出し始める。

 剣筋の速さたるや、もはや見ることも適わず、体の動きから推測して勘で避けるしかない有様だ。


「ほう、今のを避けきるか? 面白い……じつに面白いぞ!!」

 喜悦の声と共に、その猛攻はさらに鋭さを増す。

 改めて評価しよう。

 この男……強い。

 おそらく、この会場にいる選手の誰よりも。


 体中に掠り傷を作りながら考える。

 この男と自分の違いについて。

 はっきりいって、いろいろと有り過ぎるのだが、その中から必要事項を抜き出して、戦術を組み立てる。

 俺にとって不利な点は、体格差と腕力のなさと両腕が使えないこと。

 逆に有利な点は、体が小さいために的として狙いにくいことと機動性。


 よし、ならば見せてやろう!

 ダックスフンドの恐ろしさと言うヤツをな!


 勝負に出た俺は、俊敏さを生かして一気にやつとの距離を詰める。

「――むっ!?」

 不穏なものを感じた男が、迎撃のために剣を横凪ぎに振りかざすが……こちらの重心が低すぎるために、剣の軌道は限られてしまう。


「おのれ、ちょこまかと!」

 急停止と急発進、ジグザグ走法を繰り返し、俺は相手の動きに一瞬の隙で出来るのを待ち続けた。

 さぁ、お前が隙を見せるのが先か、それとも俺の体力が尽きるのが先か、勝負だ!

 ……とはいうものの、こいつ、マジで強いわ。 俺、負けそう。

 やつの鉄壁の防御の前に、俺の体力はすでに尽きかけ。

 先ほどから息が整わない。

 何か……何か一瞬でもヤツの気をそらすことができれば!


 その時、俺の目に入ったのは、貴賓席でこちらの様子を伺う姫(中身は勇者♂)の姿だった。

『おい、勇者』

『なんだ? 降参していいかなんてセリフは聞かないぞ』

『胸元にちっさい蜘蛛がへばりついているぞ』

『うぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!』

 頭の中に、勇者の声がこだまする。

 そう、歴戦のツワモノであるにも関わらず、やつは蜘蛛が大の苦手だった。

 ただし怯えて逃げ惑うのではない。

 即座に狂戦士と化して周囲に破壊を撒き散らすのだ。


 その結果……

「「おぉおぉぉぉぉぉ!?」」

 突然、ドレスの胸元を引きちぎった姫の姿に、周囲の観客が驚きの声を上げる。

 そちらに注目が行くのは、目の前の男も同様で……


「うぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!」

 一気に懐に潜り込んだ俺は、ヤツの急所に牙を立てた。


「はっ、離せ! 離してくれぇっ!」

 離すもんか、ソーセージ。

 いや、やつの名誉のためにフランクフルトと訂正してやろう。


 野太い悲鳴に振り返った観客の見たものは、股間を押さえて涙を流す男と、その男を前足で踏みつけている俺様の姿だった。

 卑怯? 褒め言葉だよ!

 それにしても、またつまらないものを噛んでしまった。

 ぺっぺっ!


 ……さてと。

 とりあえず負けは回避できたものの、このまま悠長に大会に参加していたら体力尽きるな。

 いまの男より強いやつはいないようだが、疲労が溜まれば不覚をとる可能性もある。

 そろそろ始めるか。


+++++++++++++++++++++++++++++++++


「何だ? 空が急に暗くなってきたぞ!」

 ゴロゴロと遠雷を響かせながら、真っ黒な雲が西の空から天を覆い始める。

 やがて、空が雷雲に埋め尽くされて、周囲が真夜中のごとく暗くなった頃を見計らい、突然闘技場の中央に雷が落ちた。


 うん、さすが俺の部下。

 いい演出してやがるぜ。


『聞け! 愚かなる人間共よ!!』

 その場にいる人間全てに向かい、俺様の部下が念話を飛ばす。


『魔王様のおぼめしにより、貴様らの姫は我々魔軍が貰い受ける! 邪魔立てすれば、死あるのみと思え!!』

 その威圧を込めた声に婦人方がバタバタと倒れ、子供は泣き喚き、男たちは頭を抱えて逃げ惑う。

 地上にはただ悲鳴だけが溢れかえり、弱きものを足蹴にして強きものが我先にと安全な場所を求めて走り出す。

 醜い、実に醜い! これぞ、人! これぞ忌まわしき神の家畜!

 ふはははは! 俺様は満足であるぞ!

 醜く愚かなる人々の悲鳴のなんと心地よいことか!


 やがて、分厚い雲を突き破って我が配下たる魔竜が姿を現すと、人々の恐怖は最高潮に達した。

 ただ一人貴賓席で立ちすくむ姫の周囲から、王が、貴族が、兵士が、蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく。

 まぁ、仕方が無い。 誰だって死にたくはなかろう?

 だが、それは神の望む姿ではないのだよ! お分かりか?


 故に俺は部下に向かって一つの命令をくだした。

『目障りだ。 全て始末しろ』

 勇者がギョッとした表情でこちらを見たが、こうなることぐらい予測しろよ。

 俺は魔王なんだぞ?


 何か念話を飛ばして叫んでいるようだが、問答無用で回線を閉じる。

 こんな醜い生き物は、神の僕として相応しくない。

 せいぜい俺の部下のオモチャあたりがお似合いだ。


 風に乗って漂う血の香りに目を細め、俺はゆっくりと勇者のもとへと歩き出す。

 良い、実に気分が良いぞ、ゴミ共よ!

 四方八方から響いてくる悲鳴を極上の音楽として楽しんでいた俺は、ふと悲鳴の中に野獣のような雄たけびが混じっている事に気付いた。


 おや、これは驚いた。

 どうやら、一人だけ例外がいたようだな。

 姫を助けようと、ただ一人雄たけびを上げながら貴賓席に駆け寄ってきたのは、先ほど俺が(男として)瀕死の重傷を与えたはずの男だった。

 痛みを堪えながらも必死で駆け寄る姿は、はたから見ればとても滑稽だったかもしれないが、俺にとってその男の姿は美しく思えた……ま、ロリコンだけはいただけないがな。


『愛情も慈悲も深い羊飼いは、たとえ100匹の羊の群れから1匹が迷いはぐれたときでも、残りの99匹を放っておいて、そのはぐれた1匹を捜しに行くもの……か』

 神が人に与えた聖典の一説を口ずさみ、俺は知らずと笑みを浮かべていた。

 実に残念だ。

 こいつらが全て山羊であったなら楽しめたものを。


『聞け、愚かなる人間共よ。 姫を助けんとする一人の男の行いにより、お前たちの命を我は許そう。 神の御心に適うものがいる限り、我はお前たちを皆殺しには出来ない約束だからだ。 だが、お前たちの悪徳が目に余るなら、我は再びやってくる。 その証として、またお前たちの行いの傷跡として姫の身柄はもらって行くぞ』

「黙れ、魔王! 姫を返せ!!」

 天に向かって叫ぶ男を見つめ、俺は久しぶりに満たされた気分になっていた。

 まったくもって暑苦しいヤツだな。 だが、まだこんなやつが地上に残っていたか。


『眠らせろ』

 俺が配下の夢魔にそう命ずると、やつは悔しげに表情を歪めながらその場に崩れる。

 ……いい男だよ、お前は。 もし、アレの中身が勇者でなかったなら、俺はお前の恋を応援しただろう。

 心の中でそう呟くと、俺は降りてきた魔竜の背中に飛び乗り、その場を後にした。


+++++++++++++++++++++++++++++++++


「よし、出来た!」

 仕口の悪いテーブルの前で、勇者が歓喜の声を上げる。

 やれやれ、何をしているのやら。


 いま俺たちがいるのは魔王城……と思いきや、実は辺境に作った山小屋に滞在中だったりする。

 だって、今頃は魔王城に冒険者と呼ばれる連中が大挙して押しかけていると思うから、煩すぎてお茶を楽しむ時間も無いだろうしな。

 その先頭にあのロリコン騎士がいる事は疑いようも無いが、残念な事に最上階でヤツを待っているのは姫の衣装を身に纏った女リッチのジョセフィーヌちゃんだ。

 あらかじめ勇者と打ち合わせをして、姫の演技を叩き込んでおいたから、今頃は『魔王の手によって不死の魔物と化した悲劇の姫君』として新たな伝説を作っている頃だろう。

 いくらなんでも、骸骨の状態では姫と見分けがつくまい……うん。 たぶん。


 ちなみに俺たちは、このまま僻地で悠々自適の生活を送る予定だ。

 考えてみればこの世界にやってきてから3000年。

 ここらで骨休めをするのも悪くあるまい。

 幸いこの辺りは人里からもかなり離れているし、なによりも良質の温泉が楽しめる。

 家が全てハンドメイドなせいで、雨が降ると天井からしずくが降ってきたりもして大変なのだが、それもまた楽しかったりするから不思議なものだ。


「おい、魔王。 ちょっとこっちに来い」

『どうした、勇者? 何か用か?』

 俺は潜り込んでいたベッドから這い出し、てくてくと勇者の足元に移動する。

 そこには羊皮紙を連ねた巻物を手にし、いままで見たことも無いほどニコニコと上機嫌で笑う勇者の姿。

 うわっ、なんかすげー嫌な予感がする。


「見てくれ。 ついにお前の体にも負担無く使うことの出来る人化の魔法が完成したぞ」

『なんだ、そんなことか。 いや、犬の体も結構気に入ってるし、今生はこのまま暮らすつもりだからパスな』

 溜息をついてベッドの中に潜り込もうとした俺の尻尾を、勇者は容赦なく引っ張って枕の上まで引きずり上げる。

 痛い! 痛いって! そこ、すごい敏感なんだからなっ!


「ダメだ。 お前が嫌といってもこれだけは譲れない」

 なぜか真顔のまま、ベッドの上に上がりこむ勇者。

 なに? この変なテンション。

 お前、なんか変だぞ?


『なんだよ……今日はやけに突っかかるな。 クールなのがウリじゃなかったのか?』

 なんとなくこの奇妙な空気を換えたくて、からかう様に質問を投げてはみたものの、勇者はずいっと体を前に乗り出し、俺の頭上を覆い隠す。

 なに、俺、まさか襲われる? つーか、お前、子犬を襲ってどーするよ!


「お前さ、俺の最初の名前を覚えているか?」

 真顔のまま奴が告げた言葉は、そんな何でも無い質問だった。


『憶えているに決まってるだろ、聯児(れんじ)。 俺とお前がまだ別の世界の住人で、人間だった頃の名前だ』

 そう、俺たちは3000年前にこの世界に異世界トリップでやってきた異邦人だった。

 神と交渉をした結果、条件付でこの世界で生きてゆくことを許され……あれ? そういえば、条件って何だっけ?

 今となってはもう思い出せないほど昔の話だ。

 忘れてしまったところを見ると、きっとたいした内容じゃなかったに違いない。

 つーか、今頃思い出してもたぶん不幸になるだけだ。


「じゃあ、自分の最初の名前は覚えているか?」

『俺の名前……?』

 思い出せない。

 俺が人だった頃の名前……何か……とても大事なことだった気がする。

 でも、なぜだろう? すごく怖い……思い出すのが怖いんだ。


「転生を繰り返す中で、稀に記憶の一部が飛ぶことがあると言うのは知っているな?」

『あぁ、最初にそんな説明受けたな』

 心臓がバクバクと鳴り響き、呼吸が乱れて息が苦しい。

 これ以上ヤツの話を聞くべきでは無い。

 だが、逃げ出そうにも、勇者の体がその隙間をピッチリと埋めていた。


「お前の場合、なぜか最初の転生で一部どころか8割がた記憶が吹っ飛んでしまっていてな」

『げっ、ぜんぜん気付いてなかった。 さ、最初の俺って、どんなやつだった?』

 そ、それはさすがにそれは聞き捨てならないぞ。

 言われてみれば、確かに人であった頃の記憶がまるで思い出せない。

 そう、何か見えないフィルターに遮られているかのように、漠然としたイメージしか思い出せないのだ。

 まるで夢から醒めた瞬間に、足元に何も無かったかのような不安感と恐怖感。

 

 そして、うろたえる俺に向かい、奴はこの3000年で最大の爆弾発言を投げつけた。


「すらりとしたモデル体型で、俺の自慢の彼女だったよ」

『へぇ…………って、彼女ぉっ!? はぁぁっ!?』

 内容を理解するのに、5分ぐらいかかったかもしれない。

 お、おおお、女!? この俺様が女だったって言うのか?

 う、ウソだろ! それは無い! 無いって言ったら無い!


『は、ははは……冗談ならもーちょっとマシなものにしてくれよ。 この自他共に認めるエロ魔王の俺様が、女だと!? さすがにそれは笑えねぇだろ!』

 やだなー いつのまにそんな心臓の凍りつくようなネタ身に着けたんだよ。

 解ったから、早くオチをいれろよ。 なぁ、頼むから早くしてくれ!


 だが、返ってきたのは、奴のしみじみとした溜息だった。

「まったく、自分の性別を忘れた挙句にこんなにエロたくましく育ちやがって」

『えぇぇぇっ、マジで!?』

 しかも、お前の彼女だとぉっ!?

 ありえない! ぜーったいにありえないからっ!


「実感は無いだろう? いくら魂が女でも、趣味や性癖は肉体に強く依存するからな」

 否定を繰り返す俺の心をえぐるかのごとく、勇者はさらに知られざる事実を突きつける。

 そして最後に、奴は俺を殺す必殺の呪文を口にした。


「まったく、神に頼んでお前を女に転生させようとしても、妙な勘を働かせて器用に男の体を選びやがるし。 お前が女に戻るのを、俺が待てなくなったとしても、それは仕方が無いよな? 乙羽(おとは)

 言われて初めて思い出す。

 乙羽(おとは)……なぜ今まで忘れていたのだろう? 間違いなく、それが私の最初の名前。

 そして、いままで自分の行ってきた数々の諸行を思い出す。

『いっ、いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!』

 人を殺すことなんていまさらなんとも思っていない私だが、女性の人格を取り戻したばかりの私にとって、魔王として行ってきた淫行の数々はあまりにも刺激が強すぎた。

 まって、聯児(れんじ)。 それって……あなたが女に転生した理由って、まさ……か……


「逃げるなよ? 逃がさないけど」

 特上の美女として"敢えて"生まれ変わった聯児(れんじ)は、出来上がったばかりの魔法の巻物を広げて私の体に押し付ける。

 巻物から放たれる真っ白な光。

 ま、マズイ!

 このままでは……襲われてしまう!!


 私の体と意識は光に飲み込まれ……気付いたとき、私の体はすでに青年と少年の間ぐらいの姿になっていた。

 細身ではあるものの、綺麗に6つに割れた腹筋や、きゅっと引き締まった針金のような手足からすると、なかなかスタイルはよさそうだ。

 視界に移るのは、目にかかるほどの長さに伸びた銀色の前髪。

 まともな鏡が無いので具体的にどんな姿をしているかまではわからないが、自分を見つめる聯児(れんじ)の顔は、ウットリとしている。

「綺麗だよ、乙羽(おとは)。 3000年待った甲斐があった」

「ま、待って聯児(れんじ)! この体、男なんだけど!?」

「俺の体は女だし、ちょうどいいだろ?」

 顔を赤らめた美女に迫られ、生理的にドキドキするのはたぶんこれが男の体だからなのだろう。

 だが、その衝動をそのまま受け入れるには私の心は初心すぎた。


「いや、そういう問題じゃなくて! 心の問題でしょ、心の!」

「お前と愛し合えるなら……もはや性別さえ違えばそれで構わない。 我慢の限界なんてとっくに超えているから」

 うひぃぃぃぃ! 3000年記憶を失っている間に聯児(れんじ)が変態になったぁ!!


「そっ、そもそも言ってることが全部本当だったとしても、聯児(れんじ)ってさんざん浮気してたでしょ! 何人お姫様を手篭めにしたと思ってるのよ、この女の敵!」

 ちなみにこのセリフ、全て野太い男の声である。

 自分でも気持ちが悪いが、いますぐ変えろと言われて変えられるものでもない。

 だって、心は乙女なんだもん!


「人間の頃のお前って、本当にお姫様って感じだったんだよな。 あいつらの向こうに、ずっとお前の面影だけを見ていた。 俺が勇者なんて役目を引き受けたのは、お前が知らない他の奴の相方になるのが耐えられなかったからだ。 俺が愛しているのは、今も昔もお前だけだよ」

 そんな切ない顔でそんなセリフ言わないで! あと、都合よすぎ! それ、今まで付き合った姫に失礼でしょ!

 そう、思い出したよ。 昔からこういう人だった。

 ほんと……ズルイ。

 そして、怖い。

 さらにその甘い言葉に喜する自分が醜く思えて仕方が無い。

 あぁ、思い出した。

 この世界にくる直前、私と聯児(れんじ)は結婚まで秒読み状態で、私はひどいマリッジブルーにかかっていたのだ。

 この人でいいのだろうか? こんなどうしようもない女たらしに、自分の全てを捧げていいのだろうか?

 迷う。 怖い。 逃げ出したい。

 でも、結局は、いつもこの人は言葉巧みに私を捉えてしまい、決して逃げ出すことは出来なかった。

 それは、私がこの人を愛しているから?

 解らない……ただ騙されているだけかもしれない。

 不安でどうしようもないのに、逃げられない。

 このままではなし崩しにこの人に身も心も奪われてしまいそうな自分が怖くて、神に頼んで自分の性別と記憶を封印してもらったというのに、結局この人からは逃げられなかった。


「もう離さない。 永遠に愛してる」

 それは私を殺す必殺のセリフ。

 それだけで私はこの人を受け入れてしまう。

 なす術もなく彼女(?)の腕に抱かれながら、自分の弱さを噛み締める。

 キスを拒むように背けた視線の先には、斜めに歪んだ窓と抜けるような青空。

 そして窓際に飾られた粗末な花瓶に、活けられた一本の椿。

 その椿の艶やかな赤が気に入らなくて、私はぎゅっと目を閉じた。


「ダメだ。 逃がさないって言っただろ」

 顎をつかまれ、強引に前に向けられた私の耳に、パサリと窓の方から落花の音が触れた。

 ……疲れた。 もう、どうにでもなればいい。


 そして全てを諦めた私は、力を抜いて彼を受け入れた。


+++++++++++++++++++++++++++++++++



「ほら、3000年もの間、男として生きてきた後でも、ちゃんと彼女は俺を受け入れてくれたぞ? 約束どおり、ちゃんと俺たちを元の世界に戻してくれ」

 しくしくと枕を涙で濡らす私の横で、聯児(れんじ)は虚空に向かって話しかけていた。

 相手はおそらく私たちをこの世界に引きずり込んだ張本人……すなわち、神だろう。


「なに? 強引過ぎる? 乙羽(おとは)の気持ちを少しは考えろだと? 結婚間際の俺たちを無理やりこの世界に引きずり込んだ上に、魔王と勇者なんて汚れ仕事を押し付けた奴に言われたくはないな」

 たしかに言われて見ればその通りだが、どっちもやってる事はひどいでしょ!


「とにかく、来世はきっちり向こうの世界に戻してもらうからな」

 神に向かってそう啖呵を切ると、聯児(れんじ)は極上の笑みを浮かべて私に囁く。

「来世が楽しみだな。 今度はちゃんと結婚式を挙げるから。 ……逃げるなよ」

 あぁ、結局魔王(わたし)では勇者(このひと)には勝てない。

 きっと、来世でも、そのまた次の来世でも。

 永遠に私はこの人に囚われ続ける。

 愛情という鎖に縛られて。


 彼は私を閉ざす檻。

 いや、もしかしたら彼こそが私を攫った真の魔王なのかもしれない。

 あぁ、ならばどこかに私を自由にしてくれる勇者はいるのだろうか?

 そんな私に、彼はもう一度キスを落とした。

 まるで、私のわずかな希望さえ、許さないといわんばかりに。

 深く、強く、貪るように。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ