国王の無念
大事に育ていた人参を畑から引き抜いてしまわれた国王は、事の真相を確かめようと第二王女エレーヌの話を聞く。
「わたしは、第二王女だわ」とエレーヌ第二王女のそれは始まった。アンドーラの最高権力者国王ジュルジス三世も「そうだな」と同意した。犯人に自供をさせるコツは相手の話の腰を折らないことである。告白者は続けた「でも、お母さまは、子爵の娘だわ、だから、王女がどうものかわからないのよ。だから、変なことをわたしにさせるの」ここで、国王は、事件の主犯が王妃かと少し疑った。そうだとしたら、事は深刻である。国王は、王妃のいわば、出過ぎない性分が、気に入っていた。何かと口を挟む王太后と違って、国王に非難がましい事は口に出した事はこれまでなかった。それが、今回に限ってと、国王は眉をひそめた。
エレーヌ王女の告白は続いた。いや、正確には告発かもしれない。第二王女は、王妃を弾劾しにやってきたのである「わたしにお部屋を片付けなさいというの、王女のわたしによ」
国王は、昨夜の王妃の愚痴を思い出した。なんだそのことかと思いながら、国王は、この人参引っこ抜き事件の判決文を頭の中で草案に着手した。裁判において難しいのは量刑である。重すぎてもいけなし、軽すぎてもいけない。無論、死罪は考えていない。父親のジュルジス二世は死刑は慎重にといっていた。ジュルジス三世も同意見である。軽々しく死罪を連発したら、恐怖政治を生む。この場合妥当なのは、説諭であろうか、それとも、お尻をぶつ程度が妥当であろうか。やはり、裁判において大事なのは、再犯防止である。罪を犯したものが、反省し、罪を償い、そして、二度と罪を犯すまいと誓わせる。それにと思った、勝手に人参を引っこ抜いてはいけないと注意してなかった。やはり、説諭が妥当であろうと判断したと当時に、この第二王女の告白というか、告発が長引くのを直感した。これは、国王としてよりも、父親としての経験によるものだった。大体、子供の話は、論旨がめちゃくちゃである。主旨が相手に伝わるのは、かなり時間がかかる。そう判断した国王は、場所を移動することにした。
王宮の庭には庭を散歩する人々が、体を休めるため、あるいは庭をゆっくり眺めるためにベンチが随所に設置されていた。そこへ国王はエレーヌを手招きして腰掛ける。エレーヌも隣に腰掛ける。彼女は、自分の待遇改善の話を国王が聞いてくれると内心、自分の思いきった行動にほくそ笑んでいた。その間、お供の移動もあった。ベンチの国王側には、国王付の近衛小隊長が国王のやや後ろの立ち、彼は油断なく目を光らせながら手を後ろに回し、待機の姿勢をとった。部下たちは、適度な距離を置いて、やはり、油断なく部署についている。第二王女付けのパティス夫人はエレーネ王女の斜め後ろに控えた。彼女は、王女の告発が、何であるか推察して検討がついていた。しかし、止めるべきかどうか迷ったが、ここは国王陛下の御前である。口を挟むのは差し控えた。第二王女付けの近衛兵たちは国王に背を向けるべきか迷ったが、結局、国王の御前で直立不動の姿勢を保った。そして、園丁頭のバルカンはやはり、事の責任を感じて、やはり国王のやや斜め前に控えた。
エレーヌ王女の告発は続いた。それは、随所に「変よ」とか「変だわ」という言葉が挟まれていた。国王は辛抱強く娘の話を聞いていた。国王は、人の意見は聞くものだと父親から、あるいは、母親からもいわれていた。まあ、王太后の場合は自分の意見という場合が多かったが。
王女の話を国王は、頭の中で要点を整理した。つまり、まずは、自分は第二王女なのに部屋の片づけをしなくてはいけない。次に、第二王女なのに妹と同室である。そして、第二王女なのに侍女たちは自分をエレーヌと呼ぶ。そして、第二王女なのに王妃はお尻をぶつと脅かした。ざっとこんなところである。肝心の人参については、言及しなかった。
アンドーラは、論議の好きな国である。国王自身も閣僚たちには十分意見を戦わせて、お互い納得する手段をとっていた。意見を持たない人間は侮られる。ただ、人の命に従っているだけではと国王は思っている。頭ごなしに命令するより、相手を説得し、納得させる手段を好んだ。当然、国王は、説得術にも長けていた。そこで、穏やかに、王女の告発には、欠点があるのを指摘し始めた。その前に、話はそれでお終いかと確認した。
「エレーヌ、これは、大事なことだが」とこの話が王女付きのパティス夫人の耳にも届くように「そろそろ、わかっても、いい頃だが、王女という身分は、人に色々命じたり、えばったりするのが王女ではない。王女だからといって好き勝手していてもいいと訳ではない」と諭すように国王はいった。当然である、王女だからといって、勝手に国王の大事な人参を引っこ抜いていい訳がない。
そして、国王は、第二王女を論破し始めた「まず、部屋を片づける件だが、やはり、自分でやった方がいいと思うね。大事なものがどこにしまってあるかわからないと困るだろう、わたしだってそうしているよ」
「さて、部屋の件だが、当分は、リディアと同じ部屋を使いなさい。姉妹仲良くしなさい。いいね。二人分は十分ある広さだ」
「でも、わたしは、第二王女なのよ、そんなの変よ」
「エレーヌ、第二王女というのは、宣誓式をすんでから正式呼ばれるようになるんだ。まだ、エレーヌは第二王女の見習というところだ。まずは、王妃やその他の人のいうことをよく聞かなきゃダメだ。お前より色んな事を知っているんだからな、ちゃんと、お母さまのいうことをまず聞く、それが、大事だ。いいね。それより」と国王は事件の現場の方を指さした。
「あそこに植えていた人参を知らないか。エレーヌ」と国王は事件の真相解明に乗り出した。
「ああ、それなら、ちゃんと育っているか確かめようと、思って、抜いて確かめたの。人参だなんて知らなかったわ、がっかりしちゃった。わたし、人参なんて大嫌い」
と無造作な王女の口調に、国王は、思わず、自分が、カッーとなるのを覚えた。冷静沈着を心がけていた国王にはかつてないことである。頭の中が熱くなったのは、初夏の日差しのせいばかりではなかった。やはり、犯人は、この娘だったのかと、怒鳴りたい自分を押さえ、国王は、落ち着けと自分に言い聞かせた。国王は、人参に関して、自分自身も、引っこ抜いてその成育振りを確かめたいという自己の欲求と戦いながら、その収穫を日々数えてその日を楽しみにしていた。それを何だってこの娘はと思った。しかし、事件の全容解明も大事である。
「それを抜いて、どうしたんだ」と国王の語気は鋭くなかった。むしろ、がっかりした口調である。
「バケット少尉にあげたの、見たくもないからと思って」と王女の口調は、国王の心理とは逆にどうでもそんなことはどうでもいいだろうといった風である。それもそうである第二王女には罪の意識が欠如していた。
国王は前にやや所在なげに立っている王女付けの近衛兵に鋭い目を向けた。最初は、直立不動の姿勢を保っていた彼らも、王女の話が長引き、少しだらけた姿勢になっていたが、国王の視線にあわてて姿勢を正した。「バケット少尉はどいつだ」と今度は少し怒鳴り声である。人参の行方はいずこに?その行方を知っているのはパケット少尉である。
「あの、陛下、パケット少尉の勤務は午後からで」とパティス夫人が、口を挟んだ。国王は声の方を振り返った。犯人は、犯行を自供した。ヒョッとしてパティス夫人も共犯者かもしれない。
「パティス夫人、君もその時、そこにいたのか。つまり、エレーヌが、人参を抜いた時」
パティス夫人はアリバイを立証し始めた。彼女は、「人参引っこ抜き事件」の事は今初めて聞かれたが、何となく、王女が、まあ、いたずらというか、何かしでかしたのは察しがついていた。「陛下、わたくしは、午後、王女さまの海洋大会のご衣装の手直しで、メレディス王女さまのお部屋にいっておりました。その間、王女さまのことはバケット少尉にお願いして算数と馬のお稽古をお願いしておきましたが」
「君、ジャンク」と国王は自分付の近衛小隊長を肩越しに呼んだ。
「バケット少尉にエレーヌに渡された人参をどうしたのか、報告にさせに来なさい。そうだな、午前中にでも、執務室に来たら、通すように。直に話が聞きたい」
「ハッ」とジャンク小隊長は姿勢を正し敬礼した。
エレーヌはまだ、事の重大さを認識していなかった。彼女は直訴の失敗で頭が混乱していた。宣誓式かと口をすぼめ、リンゲート王子がそれを待ち望んだように、彼女もそれまで待遇改善はないのだろうかとまだ、不服だった。そんなの変よ、気はそっちにいって、事件を起こしたことの反省の色はなかった。国王は、実行犯の説諭に取りかかった。彼女は誰かに教唆されその犯行を犯したのではない。自らの意志でその犯行に着手した事が判明している。
「エレーヌ、勝手に人参を抜いたりしたらダメだ。いいか、勝手に草を抜くのもダメだ。わたしか、バルカンに聞いてから、やりなさい」
と、ここで、自分の名前がでたことでバルカンは口を挟んだ。彼は、国王の気持ちを察していた。「殿、よろしいでしょうか」とまず、国王の許可を求めた。彼は自分の失態を認識していた。
「何だ、バルカン」と説諭を中断された国王は、バルカンが、犯人を庇うのではないかと思った。しかし、それは違った、再犯防止策を奏上したのである。だてに、王家の園丁頭ではない。
「やはり、菜園の周りには、柵をこしらえた方がいいと思います。こういったらなんですが、リンゲィ若のところの悪ガキどもが、いたずらでもしたら、困りますから、年がら年中、見張っている訳もいかないですから、何、今日中にやっておきます」
国王はこの再犯防止策を検討し始めた「そうだな、そうしてくれるか。それと、立て札を立てなさい」と国王の癖である、臣下の提言にもう一工夫する癖がでた。国王であるためには、臣下よりも優れているところを見せなくてならない。
「立て札でございますか」
「そうだ、国王の許可なく立ち入ったものは厳罰に処すと書いておきなさい」とここで、国王は少し考慮した「紋章を入れるまでには、及ばないと思うが」と、しかし、終始徹底させるのは、その方がいいだろうか、まぁ、そこまではいきすぎだろう。最初はその程度でいいと判断した。「じゃ、そうしておいてくれ」
「へい、わかりました。あと、あの茄子なんですが、聞いてみたら、花を間引いた方が実が大きくなるということですが」
国王は立ち上がった。それは、まだ、見回ってないところだった。足早に、バルカンが指摘した場所に移動する。無論、身辺警護の近衛兵も移動する。そこで、まだ、事件の反省が足りなかったエレーヌ王女は、また「変」なところを発見した。国王を追いかけながら「ねえ、お父さま、なんで、わたしの護衛は重騎兵じゃないの、変だわ」
茄子の件に気をとられていた国王は立ち止まらず「それは、宣誓式が済んでからだ」とだけ言った。国王というのも楽ではない。王妃の愚痴や王女の文句も聞かなくてならない。だが、ここは有能な臣下が揃っているアンドーラである、王女付のパティス夫人が王女を「さあ、王女さま、まいりましょう、陛下のお邪魔になりますから」と日課をきちんと過ごさせようと引き戻した。おかげで、国王は、茄子の件に集中出来た。
第二王女が自分の待遇改善を国王に直訴という手段をとったのとは違い、第一王女は、自身の待遇改善より、救貧院にいる《治療師》の見習の待遇改善に乗り出そうとしていた。無論、自身の力ではどの程度出来るのかは疑問だったが、提案ぐらいは出来るだろう。昨夜、思いついた海洋大会とは別な案が、寝起きのセシーネの頭の中に浮かんだ。検討してみるとなかなか妙案にも思えた。寝台から起きあがり、伸びをした。寝台から、でると、侍女たちがやってきた。挨拶がすむと、セシーネは、朝の身支度を始めた。セシーネが選んだのは作朝、選んだのと同じズボンであった。その間、メリメがカーテンを引き、ナーシャとタチアナが寝台を整える。このことも、タチアナは不満だった。子爵令嬢の自分が第一王女の部屋の掃除を手伝わなければならなかった。エレーヌの言葉を借りれば「変よ」といった心境である。だが、口には出したことはなかった。救いは、王太子の存在だけだった。
部屋の後かたづけが今一つの第二王女とちがい、第一王女はきれい好きだった。侍女の不満などセシーネは関心がなかった。それより、今朝思いついた事についてやはり情報が必要であろうと判断した。
「ナーシャ、図書室に行って、王都近辺の地図を探してきて頂戴。多分、図書室にあると思うわ」
「それなら、わたしがいってまいります。図書室ですね」とタチアナは箒を放りだした。図書室?そこは昨夜、王太子と直接ではないが、言葉を交わしたというか、声を聞けた場所である。ナーシャにその機会を奪われてたまるかと、タチアナは、大慌てで高位に対する礼をすると王女の部屋を飛び出していった。
その様子を見ていたメリメが「よほど、掃除が嫌いと見えますね」と皮肉った。メリメの目には雑用をいやがらないナーシャと違い、タチアナは、今一つだと映っていた。ここでも、タチアナ嬢の評判は今一つよくないようである。
セシーネは、黙っていた。ここで何かいえば、タチアナの立場が悪くなる。
「後、ここは、お願いね」といって、愛馬フィードの世話をしにズボン姿の第一王女は自分の部屋を出ていった。
ナーシャは、珍しく自分から王女の用を引き受けたタチアナの真意を測るどころではなかった。ナーシャも自分の事で精一杯だった。夜遅く、女官長のメレディス第四王女から、ようやく開放されたナーシャにタチアナは海洋大会の席次の変更だけしか話さなかった。それについてナーシャは、取り立て不満はなかった。ナーシャは、それよりも別な事に気をとられていた。伯母の侯爵夫人の好みは地味で、どちらかというと実用一点張りだった。それに引き替え、何と違うのだろう。伯母が見たら、昨夜の自分を何というのだろうとナーシャは、少しぼんやりとしていた。
タチアナは、王宮の廊下を図書室に向かいながら、何となく髪に手をやり、はやる気持ちを押さえかねていた。朝,起きてから、化粧もそこそこに第一王女の部屋へ伺候しなければならなかった。しかし、今のタチアナの胸は弾でいた。王太子にどういえばいいのかしらと色々考えていた。タチアナは、王太子の日課など知らなかった。王太子の姿を見たかったら、別な場所へ行くべきだった。
図書室の前には、タチアナの期待に反して、護衛の近衛兵の姿はなかった。廊下の端に歩哨の近衛兵が立っているだけだった。期待が大きかった分、失望も大きかった。タチアナは半分がっかりしながら図書室の扉を開いて中に入った。そこには、夕べとは違い、誰もいなかった。そして、第一王女の用はなんだったっけと思い出そうとしていた。そう地図だっけ、えーっと王都近辺の地図、王太子にいうはずだった言葉を思い出しながら、タチアナは立ちすくんだ。そこには、実家の子爵家とは比べようがないほど膨大な書籍が書棚に並んでいた。どこをどう探していいのかタチアナには検討がつかなかった。結局、ナーシャが探しに来るまで、タチアナはそこで呆然としていた。
夕べ、国王と同様、自分の妃から、子育てについての愚痴ともとれる話を聞かされたヘンダース第二王子は、やたら寂しがる妻に、そうなったらもう一人、作ればいいじゃないかと持ちかけてみた。アンジェラ妃も、その点は、異存はなかった。そういう訳で、ヘンダースは、充実した夜を過ごし、その後、満足な気分で熟睡出来た。熟睡すれば、快適な目覚めが、やって来る。体調は悪くなかったが、やはり、色々、算段しければならないこともある。朝の身支度を整えると、その算段を胸に王宮の厩舎へ向かった。そこには、自分の愛馬が待っているはずであった。
王宮の朝は、早い。あちこちにそれぞれ用をこなすために、廊下を忙しそうに行き交う人々の姿があった。それでも、護衛を引き連れた第二王子に足を止め、高位に対する礼をする。返礼はしない。いちいち立ち止まり声を掛けては、目的地へたどり着くのに、一時間はかかるかもしれない。第二王子が厩舎にたどり着くと、そこには、すでに国王の愛馬にかいがいしく馬櫛で毛並みを整えている馬丁頭ホルカットの姿があった。「おはよう」と声を掛けると、ホルカットは手を休めずに「おはようございます」とだけ答えた。大体は、いつも通りである。ヘンダースも自分の馬の世話に取りかかった。
「なあ、ホルカット、この馬も大分くたびれてきたと思わないか」
「なあに、まだ、大丈夫でございますよ」と見もせずにホルカットはいった。
「そうかな」とヘンダースはいった。第二王子の算段とは、この馬を自分の馬を欲しがっている息子のリンゲート王子に与え、新しい馬を購入するべきかどうかである。少し、息子に甘いかなと思ったりもするが、王太子主催の鹿狩りには、いい馬で行きたかった。
そこへ、ズボン姿の第一王女が、到着した。別に式典ではないので、式部官が、その到着を告げることはない。「おはよう」といいながら、セシーネは厩舎に入ってきた。第二王子の姿をみると「おはよう、叔父さま」と第一王女はいった。ヘンダースは、ズボン姿のセシーネに少し批判がましい目をむけてから「おはよう、セシーネ」と答えた。セシーネも自分の馬の世話に取りかかった。それを横目でみながら、そういえば、リンゲートも馬の世話をするはずじゃなかったかとヘンダースは思い出した。
「なあ、ホルカット、この馬だって、陛下に売りつけられたんだぞ」と第二王子の口調は少し愚痴ぽっかった。
「へえ、そんなんで」とホルカットは、特に第二王子に同情は見せなかった。
「つまり、財布は別ってやつさ」とヘンダースは馬丁頭にうち明けた。第二王子は結婚を機に侯爵位を授けられていた。ただ、これは、位だけで、侯爵領はなく、いわば年金のような形で手当がでることになっていた。その他に収入は海軍からの大佐としての給料である。兄の国王からは、これで、各種の費用を賄うように申し渡されていた。いわゆる食費まで請求はされなかったが、それは、アンジェラの衣服から始まり、自分たちの世話をする侍従や侍女たちの手当など、それまで、金銭に無頓着だったヘンダースの意識を変えた。第二王子は家計のやりくりを自然と覚えざるえなかった。なお、護衛の近衛兵の費用もその中には、含まれていなかった。そこまで、請求されたら、第二王子は自分の地位を投げ出したかもしれない。家族が増えるたびにヘンダースが自分の自由に出来るお金は少なくなっていった。いい馬は欲しかったが、やはり、そう簡単に手にはいりそうにもない。世間の人々と同じで財布と相談である。無論、馬泥棒まで、第二王子は考えてはいない。ふと、自分の馬が牡馬であり、セシーネの馬が牝馬であることに気がついた。手を休め、そちらに近づいた。
「いい、馬だな、セシーネ」
第二王子の目論見に第一王女は気がつかず勘違いの返事をした「だめよ、叔父さま、フィードは気にいっているの、貸さないわよ」
「そうじゃなくて、牝馬だろう、その馬は」と第二王子はいった。第二王子の遠大な計画に馬丁頭のホルカットは気がついた。王宮の馬の管理は彼の責任だった。それは、馬同士を掛け合わせて、子馬を誕生させる事も彼の仕事の一つだった。
「まだ、早いですよ。」とホルカットは、季節的にも、馬齢的にも早い事を指摘した。そんな訳で、リンゲート王子が自分の馬を手に入れる日は、再び遠のきそうである。
「それより、殿下。ちょっといいたくはないいですがね」とホルカットは、苦情を言い始めた。
「リンゲート殿下のお相手の方々の事なんですが、勝手に馬を持ち込んで、世話はしないわ。飼い葉料は払わないわ。よっぽど、追い出してしまうかと思っていたりするんですがね」
馬丁頭の飼い葉料という言葉にヘンダースは、少したじろぎ、家計のやりくりに再び、頭を悩ませた。しかし、ホルカットの主張は違っていた。馬の持ち主が、その費用を負担すべきだと。なるほどと思いながら、馬丁頭の言葉に第二王子は耳を傾けた。
そこへ国王から、馬の世話を命じられていたリンゲート王子が姿を現した。勅命を無視するほど第四王子は愚かではなかったし、それに気になることもあった。挨拶もそこそこに「ねえ、姉上」とリンゲートはセシーネに「今日も、フィードに乗っていくの」と尋ねた。
「そうね、悪いけど、そうするわ」とリンゲートの期待に反してセシーネは無情にいった。リンゲートは、ため息をついた。
さて、父親になったばかりのランセル王子は、乳飲み子を抱える暮らしに少しずつなれてきた。無論、大変なのは母親のネリア妃である。夜明け近くに授乳のため、侍女に起こされた。当然、寝台を共にしているランセル王子も目が覚めた。ネリアが、授乳のため寝台からでて、王女の部屋へ行くのを見送った後、自分は、もう一寝入りしようかと思ったが、あまり寝坊しては、ネリアに文句を言われるかもしれないと思い、起きることにした。しかし、赤ん坊というのは、泣いているか、眠っているかどっちかだなと思いながら、呼び鈴のひもを引っ張った。
古株の侍従が入ってきて「今朝は、お早いですね」といった。
「おちおち、寝てられるか」といいながら、ランセルも朝の支度に取りかかった。昨夜は、盛り上がったなとランセルは思った。陸軍元帥の提案の一部は王太子を喜ばせた。しばらくは「軍」の勉強をしようと思っていると王太子はいっていた。王位を継ぐのは楽そうではないなとランセルは思った。しかし、学位を修得したらという陸軍元帥の助言は、少し気が重かった。いったい、どこから手をつけていいのやら。しかし、兄貴の鼻をあかしたいしとランセルは思った。兄貴とはヘンダース第二王子である。国王は、陛下か、精々兄上である。国王より十二才年下の第三王子は、国王より、エドワーズ王太子の方が年が近かった。国王は王太子時代からランセルの目には大人びて見えた。いわゆる兄弟げんかは国王とはなかった。その点、第二王子とは、子供時代、とっくみあいのケンカをしたこともある。もちろん、体の大きいヘンダースが勝ったが、ランセルは、悔しがり、泣きながら、父のジュルジス二世に訴えた。第二王女が国王に直訴しように、彼もその手にでたのである。温厚なジュルジス二世は、両方の言い分を聞き、第二王子に少し手加減をするようにといった。それは、第三王子には侮辱だった。どうしても、兄貴に勝ちたいと子供心に誓ったのである。しかし、年齢の差は大きかった。なかなか、勝てない。それで、熱心に武術に取り組んだ。その差は縮まったように思えた。しかし、学位とは。なんとなく、畜生めと思う。今度は、学問で張り合わなくてはならないのか。まあ、国王も大変なら、王子も大変である。
しかし、鹿狩りも大切であるランセルは思った。愛用の弓を手に部屋を出て王宮で弓術の稽古に充てられている場所へ向かった。そこには誰の姿もなかった。少し、早かったなと思いながらランセルは、的に向かい矢を射り始めた。矢筒の矢が空になると、護衛に命じて回収させる。もう一度矢を射る。それを何回か繰り返しているうちに、軽騎甲冑の王太子やリンゲート王子、そしてリンゲート王子のお相手役の少年たちもやってきた。鹿狩りのうわさを聞きつけてどうやら、王宮は弓術ばやりのようである。リンゲート王子の使っている弓は、子供でも引けるように小振りに出来ていた。それは、かつては、リンゲートの父親のヘンダース第二王子が使い、ランセルが使い、幼かったエドワーズが使っていたものだった。王家は、服でも、様々な身の回りの品は、使い回しである。特に、子供時代はその傾向が顕著である。
ランセルは、弓術の色んな技術を確かめようと、姿勢を変え、色々試してみる。多少は、王太子を始めとする年少者に見せつけてやれという気もある。武術の好きなランセルは、無心に矢を射り続けた。そこで、護衛の近衛隊長が咳払いをした。振り向くと「そろそろお時間では」といった。ランセルの朝の日程は他にもあった。肯くと、「じゃあな。エドワーズ」と王太子にいって、その場をでた。
ランセルのその予定とは、国王の剣術の稽古相手である。だが、約束の場に国王はいなかった。大概は、少し待たされる。国王を待たすほど第三王子は、尊大ではなかった。
そこでは、馬の世話を終えた第一王女がすでに剣術の稽古に取り組んでいた。武官でもあるランセル王子の目にはセシーネの剣術は初心者の域を出ていない。しかし、剣捌きは、妙な癖がなくていいのではないかと護衛の隊長と論評しながら、国王をランセルは待った。「何しろ、女王の国だからな。アンドーラは」とランセルは自分の護衛隊長にいった。剣術に熱中しているセシーネを眺めながら「だから、女でも武術をするのさ」と肩をすくめた。
第一王女は、頬を紅潮させている。姉のメレディス王女が、気がついたように、ランセルも第一王女の容貌には気がついていた。しかし、姉と同様に、男など何するものぞ、の気迫である。やれやれ、思いやれるなとランセルは、気の強い王家の女性たちを思った。
その朝、いつも、規則正しい国王はなかなか姿を見せなかった。その時、国王は人参引っこ抜き事件の真相解明と、第二王女の弾劾の処理におわれていた。多忙な国王である。
さて、一件落着とはいかなった国王の胸の中には、菜園から、剣術の稽古に充てる場所に移動する間、再び、人参の収穫を第二王女に横取りされた無念さが甦っていた。人の計画を台無しにしてと国王は思った。その時、国王は知らなかった。アンドーラよりも、厳罰主義の国があることを、いや、正確に言えば、罰則規定が、少し異なっていた。それは、鞭打ち刑の多用という、アンドーラでは、あまり例がないやり方である。国が違えば、法に違ってくる。第二王女は運がよかったかもしれない。そのことをその時知っていれば、鞭打ちの刑をジュルジス三世は採用してかもしれない。茄子の件も第二王女を救った。
国王の登場にそれぞれが、その場で、アンドーラの最高権力者にふさわしい、高位に対する礼をした。陸軍武官であるランセルは陸軍式の敬礼をした。ランセルは、ズボン姿のセシーネの礼がなんだか少し、滑稽に見えた。しかし、口には出さない。国王は、足早にランセルに近づくと「おはよう、ランセル、今朝、わたしは機嫌が悪いんだ」と正直にいった。ランセルは、一瞬、自分が何か、国王の叱責をかうようなことをしたのかと不安になった。確かに国王は、機嫌がよさそうには思えなかった。夏の暑さのせいか、少し、紅潮して見えた。
「君のせいではない」と公明正大な国王は、末弟に彼には何の咎がないこと告げた。ランセルは、幾分ホッとした。国王は第一王女が不満のはけ口に剣術に求めたの同様、人参引っこ抜き事件のやり場のない気持ちを剣術の稽古にぶつけることにした。「だが、ランセル、今のわたしの気分は攻撃あるのみだ」といいながら国王は剣を抜いた。第三王子の顔に緊張が走った。普段、国王との剣術の稽古は、攻撃はランセルの方がもっぱらで、国王は受けるだけだった。ランセルが使う剣も国王にケガを負わせないように少し、刃先をなまくらにさせている。しかし、国王の今、抜いた剣は、研ぎすまされていることをランセルは知っていた。まあ、いいかとランセルは思った。多少の切り傷ぐらい、セシーネに頼めば、あっという間に治るんだしとランセルも稽古用の剣を抜いて構えた。
剣術の稽古に費やした時間は、国王よりランセルの方が多かったかもしれない。しかし、腕前も稽古量に比例するか定かではないが、今朝の国王の剣には気迫が籠もっていた。受けに回りながら、ランセルはたじたじとなっていた。ついに、庭の植込みの際までランセルは追いつめられていた。「ちょっと、待って下さい。息が切れた」
「体が鈍っているんじゃないか。だらしないぞ」という国王も息が弾んでいた。汗を拭いながらランセルは、場所を国王と入れ替えた。再び、国王の攻撃が始まった。ランセルは、防戦一方である。これは、侍従長が、朝食の用意が出来たと知らせに来るまで、続いた。国王の機嫌を知ってか知らずか、侍従長は「陛下、お召し替えなされますか」といつものように尋ねた。国王は、汗びっしょりだった。「そうだな」といって剣を鞘に戻すと足早にその場を離れた。ランセルも稽古用の剣を鞘に戻し、去っていく国王に敬礼をした。しかし、国王の機嫌を損ねるとは、何であろうかとランセルは、思った。まさか人参ごときに、冷徹な国王がむきになっているとは、第三王子もその時は知らなかった。国王がその話を末弟にしたら、第三王子は、吹き出してしまったかもしれない。まあ、国王も、その時はランセルにうち明けなくてよかったのである。やはり、国王にも面子というものがある。十二才年下の弟に自分の失敗というか、失策を笑われたくはなかった。まあ、この事件は、アンドーラの安泰を揺るがすような大事件ではなかったが、それにしても、国王にとっては癪にさわる事件であった。それに、まだ、真相解明まで、もう少し時間を要したのである。
汗を拭い、着換えても、国王の気分はさっぱりしなかった。自分でも未練がましいと思うので、侍従長にも、人参の件は話さなかった。広い王宮を食堂に向かった国王を途中の廊下で王妃が、待っていた。これもいつも通りであった。食堂には、王家の六才以上のものが国王夫妻を待っていた。食堂にはいると、声をそろえて「おはようございます、陛下」とこれも、いつも通りの習慣である。国王はただ肯いただけだった。機嫌が今一つなのは、王妃には何となくわかった。軽騎甲冑の王太子が「陛下、よろしいでしょうか」といった。不機嫌そうに「何だ」と国王はいった。「ちょっと、席を替わりたいので」と王太子はいった。王太子の席は国王の右隣である。まさか、機嫌の悪い国王を避けた訳ではあるまい。「ちょっと、ランセル叔父上と話がしたいので、ネリア、悪いけど席を替わってくれないか」と王太子はいった。「よかろう」とおもむろに国王は許可を与えた。席を替わってくれといわれたランセル王子の妃ネリアは、躊躇した。「いいから、替わってやれよ」と夫は無造作にいった。王家に嫁いだネリアにとって、国王と食事の席を同じにするのは気が張ることだった。なるべく、目立たないようにしていた。それが、国王の隣の席とは、気が重たいことである。国王はすでに着席していた。ネリアと王太子以外、それぞれ、自分の席に着いた。食卓を回りながらすれ違う時、王太子は「悪いな。ネリア」と謝った。「いえ」とだけネリアは小声で答えた。王太子とネリアが席に着くのを待って国王は「いただこう」といってスプーンを手にした。思わず目の前の皿の上に人参があるかどうか確認していた。幸か不幸か人参はなかった。
国王を始め、王家の人々はいつものように朝食に取りかかった。王妃は機嫌の悪そうな国王に話しかけずに「ねえ、メレディス、馬に乗るのは、やはり、ズボンじゃなくて何か、いい方法はないかしら」と第四王女に話題を振った。
「そうねえ、女乗りという乗り方があるの。鞍が違うけど、結構、難しいのよ」と武術好きなメレディス王女は、話題に乗った。王太子とランセルはひそひそと話し込んでいる。それを横目でみながら、第二王子は息子の様子を探った。国王の機嫌は、ランセルから、国王が食堂に現れる前に警告されていた。その原因が何であるか第二王子は、検討もつかなかった。自分や自分の妻子に非があれば、叱責は覚悟しなければならない。兄の国王は、公明正大あると思っていたし、そう心がけているのは、第二王子もよく理解していた。リンゲートのいたずらでなければいいがとヘンダースは、思った。
しかし、第二王子の息子は、しょげていた。リンゲート第四王子は、馬の件でも、そして、鹿狩りの件でも、がっかりの連続だった。エドワーズから、騎射も出来ないのに鹿狩りなんてとんでもないと、はっきりいわれてしまった。まぁ、出来るようになったら連れて行ってもいいが、兵役の年齢まで待つんだなと釘を差されてしまった。宣誓式が十二才なら、兵役は志願兵でも十六才である。まだ、七才のリンゲートには気が遠いほどの歳月である。幸いに嫌いなほうれん草はその日の朝食にはでなかった。無論、おねだりの時間でもないのは、リンゲートにはわかっていた。
不機嫌な国王をおいて、朝食の話題は馬術とそれにふさわしい服はどうあるべきかと話と、いささか、密談じみた王太子と第三王子の会話に終始した。国王は不機嫌な眼差しをその原因を作った第二王女に向けた。人参引っこ抜き事件の首謀者は、改悛の情を見せることもなく、犯罪者がよくあるように、まるで自分が悪いことをするのは世間が悪いのだといった風にふてくされていた。それまで、黙々と食事をしていた国王は「エレーヌ、その顔は変だよ。ちょっとも可愛くない。後で、鏡を見てごらん」とチクリといった。エレーヌは、びっくりした顔をした。愛情はあったが、それにしても、子育ての難しさよ。それは、順番というものだと、国王は思った。自分は、手のかかる子供だったのか、記憶をたどって見た。そういったことは、あまり言われた覚えが国王にはなかった。母はすでにこの世になく、温厚な父は、依然その消息がつかめなかった。そして、気になるのはやはり、人参の行方である。もし、昨日の夕食にそれが出ていたらと、国王は考えた。知らずに食べていたらやはり、それはそれで癪である。それで、王妃にもその時は、国王は尋ねなかった。国王がエレーヌを見たのは、一言いった時だけだった。朝食の場にいわせた人たちには、国王の不機嫌な理由が、何一つつかめなかった。こういう時は、話しかけない方がいいに決まっている。食事をしながら、お叱りを賜るのは、誰でも、避けたいものだ。食欲が減退する。国王は、大方、食事をすませ、お茶のお代わりを茶碗をスプーンでチンと叩いて、給仕役の侍従に知らせた。侍従がすり寄って茶碗にお茶をついだ。空腹は満たされたが、やはり、満たされないのは、人参の行方に対する国王の探求心である。やはり、この件は、人参がどうなったのか気になる。子供たちにも、愛情はあったが、人参にも愛着心が余計募っていた。お茶をゆっくりと飲みながら、国王は、食卓を見回した。何となく、皆が目を合わせようとしないのには気がついていた。この場で、第二王女を叱責して、不機嫌な理由を何となく、知られたくはなかった。自分でも、大人げないと思ったり、いや、一時が万事だと、珍しく、国王の心境は千々に乱れていた。いつの間にか、会話は、エドワーズとランセルのひそひそ声だけになった。国王は、懐中時計を取り出し、時刻を確かめた。国王が、朝食の席をすぐ立たないのは、その間、それぞれ、お付きの侍従や侍女・近衛兵たちが別室で食事をしているからである。いつまでもくよくよしている自分が国王は少し情けなかった。王太子は、鹿狩りしか眼中にないようだし、ここで、ふと国王はちょっとひらめいた。
「なぁ、エドワーズ。どうせなら、鹿狩りの後、祝宴を開くなら、君の手で鹿を料理して見たらどうだ、鹿肉はなかなか美味だしな、検討してみたらどうだ」
「そついは、いいや。なかなか、妙案だな」と少し、国王に迎合気味の第三王子である。国王の提案にやや戸惑い気味の王太子は、「料理なんてやってみたことはありませんよ」
「この際、何事も経験だ。無理にとはいわんがね」と国王の口調は、平坦だった。
「なかなか、面白そうじゃないか」とやはり、第二王子も賛同した。「どんな料理があるのかな」とエドワーズは何となく、嫌とはいえなかったし、そう嫌でもなかった。
「多分、あぶり肉あたりが妥当じゃないか」とランセル王子は提案した。エレーヌはここでまた国王の怒りを買う発言をした。「そんなの変よ」
「少しも変じゃないさ。男の料理の方がうまいんだぞ」とランセル王子は、国王の提案に異議を唱える第二王女の意見をきって捨てた。ランセルは、軍学校時代に皿洗いはしたことがあるが、料理はしたことがない。やはり、なにやら、面白そうだった。「なあ、やろうぜ、エドワーズ。お前がやらないなら、俺がやる」とランセル王子は大乗気である。やはり、何事も経験だとランセルは思った。
「肉を焼くぐらいなら、君たちにも出来そうだな。ただ、目を離したりせずに見張っていればいいのだからな。まあ、生焼けと焦がしすぎないようにな」と第二王子は少し助言じみた発言をした。第二王子も料理経験は皆無だった。しかし、弟のように無造作に料理をしたいとはいえなかった。しかし、国王の機嫌はいいのか悪いのか、まあ、それは計りかねたが、少なくとも、ひどく悪い訳ではなさそうだ。国王は再び懐中時計を見ていた。
そろそろ、お供が戻ってくる時間だと判断した国王はようやく、席を立った。他の者たちも一斉に立ち上がった。食堂の前には、国王付のジャンク少尉に率いられた近衛騎兵が待ちかまえていた。王妃といつものように腕を組み、国王は食堂をでた。廊下を歩きながら、王宮から、新宮殿と呼ばれる方に向かってゆっくりと歩き出す。口をつぐんでいた国王が、王妃に事の真相の一部を話したのは幾つか廊下を曲がった時だった。「エレーヌにも困ったものだ。王女というのは、好き勝手していいものだと勘違いしている。子供じみたわがままは、許さぬ方がいい」
「まあ、そうですの」と王妃は、朝食の前にエレーヌ王女たちの部屋を見に行った事で、多少は検討がついていた。部屋に戻ってきた第二王女付けのパティス夫人から、王女の行動についてそれとなく聞かされていた。王妃は、戻ってきた第二王女に部屋の掃除を命じた。第二王女は不服を申し立てたが、王妃は「セシーネだって、あなたの年頃には、ちゃんとお部屋のお掃除を上手にしていましたよ」といってエレーヌの申し立てを却下した。やはり、夫の不機嫌は、エレーヌのわがままにあると王妃は推測した。しかし、国王を不機嫌にさせているのが、そのほとんどが、人参を勝手に引き抜いたエレーヌの行動にあるとは、王妃も予想が出来なかった。
「エレーヌは、人参が嫌いだそうだ」とここで、国王はクスクスと笑った「リンゲートはほうれん草が嫌いだというし、食べ物の好き嫌いは、感心しないが、料理法を少し工夫してみてはどうだね」と国王は王妃に持ちかけてみた。王妃は「それも、そうですわね」とだけいった。王妃の趣味は料理でもあった。王妃の趣味としては無難な方であろう。
「ところで、昨日、菜園で何が起こったか、パティス夫人に、聞いてみたかな」とさりげなく国王は尋ねた。
「いえ、伺っていませんけど」
「後で、聞いてみるといい」と国王はここで、組んでいた王妃の腕をそっと引き抜いた。いつも、王妃と別れる場所にでたからである。王妃は「いってらしゃいませ」と新宮殿に向かう国王に立ち止まりいつものようにそこで見送った。手を挙げそれに答えた国王は、国政が待っている自分の執務室へ向かった。
国王は回廊を歩きながら、「ジャンク、人参の件は、パケット少尉に報告するように伝えたかな」と確認した。
「はあ、伝えましたが」と油断なく目を配りながら、ジャンク少尉は答えた。パケット少尉は昇進したばかりで、国王の命に少しばかり、驚いていた。ともかく報告に来いと古参のジャンク少尉はそう命じた。
「たかが、人参ごときにむきになっていると思うか」と国王はさりげなくジャンク少尉に尋ねた。国王付けという任務上、国王が熱心に菜園に取り組んでいるのをジャンク少尉は知り得る立場にいた。それは、芝生が植えてあった場所を菜園に変える作業から、始まった。芝を剥がし、土を掘り返す作業を見守っていた国王は「ちょっと、貸しなさい」といって、園丁の一人から、鍬を取り上げ、自ら耕し始めたのである。無論、諫める立場にはジャンク少尉はなかった。諫める事とも思えなかった。
「なかなか、難しいものだな」といって国王は手を休めた。
「やはり、コツがあるんでさあ」と園丁頭のバルカンはいった。国王の何にでも手を出す性分は知り抜いていた。鍛冶場仕事に手を出して、鍛冶頭から、たしなめられたことすらある。まあ、何にでも手を出すといっても、女性に関しては二人の王妃だけである。
ともかく、菜園の形が整うとあれこれ指示を出したり、バルカンの意見を聞いたり、土をわざわざ入れ替えさせたり、野菜類の種をまくのも国王が自分でやった。その後も、毎日、菜園を熱心に見回り、今日という日まで特に問題はなかった。まあ、大きな声ではいえないが、国王の菜園に対する取り組みようは、熱心を通り越し、些か、熱中振りといった方が、適切な表現といってよかった。それでも、国政をおろそかにはしていないのだから、誰が諫めるというのか。ジャンク少尉には思い当たらなかった。
「君は、土地持ちか」と国王はジャンク少尉に尋ねた。
「はあ、祖父が多少は手に入れました」と仕立て職人の孫であるジャンク少尉はそう答えた。ジャンク少尉の祖父は店を弟子に譲ったお金で王都近郊に農地を購入していた。
「農民の楽しみは何だと思う?それは、作物を育て、収穫することだろう。不作ならがっかりするだろうが、それでも、やはり、何も採れにないよりはましだろう。それをあの子は」といって国王は言葉を切った。
「はあ」とだけジャンク少尉は答えた。彼にはこの人参引っこ抜き事件の責任は、当然無かった。新米少尉であるパケット少尉は、多分事件の責任を国王から追求されるだろう。少し、パケット少尉がジャンク少尉は気の毒になった。
そうこうしているうちに執務室の前の廊下に到着した。執務室の前で国王付の秘書官スーバスが出迎えた。スーバスはいつものように「陛下、おはようございます」といって軽く頭を下げ、「今日のご日程は」と言いかけた彼を国王は押しとどめ「ジャンク、パケット少尉が報告に来たら、すぐ通しなさい」といって国王は足早に執務室に入っていった。その間にジャンク少尉はかすかに首を振った。スーバスに対する合図である。陛下は、機嫌が悪いという合図である。スーバスは黙って国王の後から、執務室に入った。スーバスが扉を閉めると、国王は、剣帯を腰から外し、いつも掛けている場所に掛けてから、執務室のいつもの椅子に腰掛けた。
「スーバス、今日の日程は」と平坦な声で尋ねた。いつもの国王の日程が始まった。
第一王女もいつもの日程が始まろうとしていた。国王の機嫌がよかろうが、悪かろうが、それが自分のズボン姿のせいかしらと思いつつも、セシーネは、食堂から、自分の部屋に戻った。ナーシャとタチアナが待ち受けていた。「タチアナ、地図は、見つかった」とセシーネは尋ねた。タチアナは顔を赤らめ「いえ」とだけ答えて俯いた。
「そう、わたしはこれから、救貧院へいくけど、その間、探してみて頂戴。多分図書室にあると思うのだけど、後、あなた達も読みたい本があれば、図書室の本を借りて読んでもいいのよ」とセシーネはまあ、簡単にいった。
「はい」とタチアナは答えた。しかし、地図が見つかるどうかタチアナには自信がなかった。フェードに跨った第一王女を見送った後、タチアナは、ナーシャに「地図はわたしが探すわ」といった。ナーシャも自分のことで頭が一杯だったからタチアナが積極的に第一王女の用を引き受けてくれるのを別に不審に思わなかった。
タチアナは何となく、勘が働いたのである。もう一度、図書室に行けば、王太子に会えるのではないかと漠然と思っていた。そして、その予想は見事に当たった。
図書室の前には、重騎装束に身を固めた近衛兵が立っていた。昨夜と同様である。タチアナは厳かに告げた「第一王女さまに頼まれて捜し物をしているの。通して頂戴」
「ここで、待ってろ」と横柄に近衛兵はタチアナにいった。タチアナは、兵士の階級がどんなものか詳しくは、知らなかった。重騎兵というのは、士官以上で、かなり、気位が高かった。過酷な訓練や厳しい審査をくぐり抜けてきたという自負が彼らにはあった。その点、武官の娘であるナーシャはそのあたり、よく知っていた。そして、近衛師団にもやはり、それなりの自負はあった。兵卒でも各地から選抜されたという意識が当然あった。子爵家の令嬢などという肩書きは彼らには通用しなかった。ガチャガチャと音立て近衛重騎兵は図書室から出てくると「入ってもいいぞ」と彼は、タチアナにいった。タチアナが、図書室にはいると、昨夜と同じように真正面に王太子の顔がちらりと見えた。あわてて高位に対する礼をしながら、タチアナは、どう振る舞っていいのか混乱していた。入り口近くに座っていた武官が「捜し物は何だね」と尋ねた。上気した頬でタチアナは小声で「第一王女さまが、地図を探してこいと」
「どんな地図だね」と再び、武官が尋ねた
「あの、王都の、王都近辺の地図を」とようやく消え入りそうな声でいった。武官が声を張り上げ「第一王女さまが王都近辺の地図を探しているんだそうです」
「王都近辺の地図?」と王太子は聞き返した。「何を考えているんだか、まったく、セシーネのやることはなあ」といった。その時、王太子と目があったタチアナは、胸が高鳴るの覚えた。そんなタチアナの気配にも気がつかず王太子は「君、理由は?理由もなしに地図なんか見せられないと、セシーネにそういい給え」とそういうと机の上に広がった地図に視線を戻した。タチアナは、ボーっとしていた。先ほどの武官が「君、もういっていいよ、第一王女さまにはそうお伝えして」とタチアナに退出するよう促した。軍隊式に「いってよし」と彼はいわなかった。タチアナはハッとして高位に対する礼をして図書室を渋々と退出した。タチアナの高位に対する礼は、王太子は見もしなかった。妹の侍女の心中には彼には、興味がなかった。鹿狩りとそれに先立つ駐屯地の視察と王太子の興味は、王位を継ぐ日のために何を学ぶべきか、その点が中心であった。まあ、アンドーラのためにも健全な興味の持ち方であった。しかし、料理の話は側近の武官たちの笑いを誘った。国王と違って王太子は上機嫌であった。そして、退出したタチアナは、上機嫌というより、浮かれていたという方が適切な表現であろう。その後、はたとタチアナは気がついた。第一王女に何といえばいいのだろう。機嫌をそこねるだろうか。地図が見つからなかったいい訳をどういえばいいのかタチアナには見当がつかなかった。浮かれた気分は消し飛んでいた。
フィードに跨った第一王女は、護衛のビラン中尉と会話しながら、救貧院へ向かう道のりを急ぐこともなく順調にすすんでいた。セシーネからみれば、頭が空っぽな子爵令嬢との会話より、実りある会話をもたらしていた。救貧院にいる見習の子たちと薬草狩りにいってみたらどうなのだろうかというのが、セシーネの見習たちの待遇改善案の一つだった。タチアナに地図を探すように命じたのも、その計画のためだった。その計画をビランにいうと、あっさりと「爺さまに聞いてみましょうか」とビランは、いった。ビランのいう爺さまというのが園丁頭のバルカンだとセシーネは思い当たった。「そうね、そうしてくれる」といいながら、地図に薬草の生えている場所が記されているかは、疑問だとふと気がついた。それより、そういったことに詳しい人物を捜し出す方が、簡単だとセシーネは思った。後は、ケンナスやキルマがどう話すかだけであった。自分の権限がどの程度なのか、セシーネは、検討もつかなかったが、発言権というか提案権ぐらいはあると思っていた。第二王女と違って、第一王女は、身分だけで人を判断出来ない事ぐらいわかっていた。
「少し、急ごうよ」とセシーネはビランに催促した。良馬を手に入れた人の心理がわかっていたビランは「全速力」と護衛の近衛師団第一連隊第二大隊第四中隊第一騎兵隊に号令をかけた。そこから、救貧院までセシーネは再び、フィードの脚の良さを味わっていた。さすがに国王の贈った馬である。それに重騎装束に身を固めた第一騎兵たちと違って、王女は軽装である。フィードは、かなり護衛たちを引き離して救貧院に到着した。
時刻を計って迎えにでた救貧院院長のキルマ・パラボン侯爵夫人は、セシーネのお転婆振りをたしなめようと、フィードから降りたセシーネに近づいた。高位に対する礼をしたキルマに「お小言はなしよ、キルマ」とまず、第一王女は気勢をそいだ。「そんなことより、ちょっと話があるの、ケンナス先生はどこかしら」というセシーネの言葉にキルマは益々、気難しい顔つきになった。護衛たちが次々と到着した。「おはようございます。キルマ夫人」とビラン中尉は馬をおりながら、挨拶をした。
「おはようじゃありませんよ」とキルマはビランを睨みつけた。
「いいじゃない、わたしが、ちょっと急いで来たかっただけなの、いいことを思いついたものだから」と第一王女。
「何ですか」とキルマはセシーネがそんなに急ぐ理由を尋ねた
「大した事じゃないの、あさっては、海洋大会でしょう」と建物の中に入りながらセシーネは「ビラン、ちょっとケンナス先生を呼んできて頂戴、わたしは、院長室にいるから」
「海洋大会がどうしましたか」とキルマは、第一王女の真意が計りかねた。キルマは人に主導権を握られるのは好きではなかった。やはり、第一王女は苦手だと思った。第一王女は、儀式用の顔を造った。キルマは、それ以上追求をするのは、やめにした。ケンナスが来るまで第一王女は口を開かないと思った。院長室でしばらく向き合って、ケンナスの来るのを待ちながら、第一王女のいう、いいことがキルマは海洋大会となんの関係があるのかさっぱり、思いつかなかった。ビランがケンナスを院長室に連れてくるとセシーネは「おはようございます。先生」とにこやかにいった。「おはようございます、王女さま」と軽く頭を下げケンナスも答えた。
「先生も、掛けてください」とセシーネはケンナスに椅子を勧めた。これも、キルマは内心不愉快だった。
ケンナスが椅子に腰掛けるのを待って、セシーネは、再び「海洋大会は、あさってでしょう」といった。「そうでしたっけ」とケンナスは、アンドーラの国家行事に無関心さを示した。「それでね、先生」とセシーネは、切り出した。キルマは、内心緊張した。何を言い出すのだろうか第一王女はとキルマは、内心びくついている自分が情けなかった。
セシーネのいいこととは、《治療師》見習の子供たちを海洋大会に連れて行ってはどうかという他愛のないものだった。
「気がつかなかったな」とケンナスはいった。
「ただし、先生から見て、いい子にしている子だけよ」とセシーネは儀式用の顔でいった。
「ここからじゃ、会場まで大分ありますよ」とキルマはセシーネの計画の欠点を指摘した。
「それなのよね」と第一王女はあっさり、認めた。「何か、良い案がないかしら」と眉を寄せた。
「それだったら、自分に任せてください」と院長室の扉の横に待機の姿勢でいたビランが助け船を出した。口を挟んだビランをキルマは、何となく睨んだ。やんちゃ盛りの子供たちを救貧院の外に出すのは、キルマは内心反対だった。
だてにこの若さで中尉に昇進した訳でない。すでに、昨夜、第一王女からこの話を聞かされたビラン中尉殿はすでに手を打っていた。
「非番の騎兵の奴らに頼めば、わけないですよ。馬の後ろにのっけりゃぁ、すぐですから」
「そう、お願い出来るかしら」とセシーネ。
「わたしは、反対ですよ」とキルマはいった。
「大丈夫ですよ。あいつらが、勝手に見にいくよりいいでしょう」とビラン。
「それも、そうだな」とケンナスも同意した。どのみち見習いの子供たちの行動の責任は自分でなく、ケンナスにあると思ったキルマも渋々、同意した。会話の主導権は、いつの間にかビランが握っていた。後は、誰を連れて行くとか、お昼の弁当をどうするのかという話になった。キルマは、内心、また、手間がかかると半分あきらめ顔で話を聞いていた。
「悪いわね、パラボン侯爵夫人、色々手間を掛けて」といって、第一王女が立ち上がった。
「ところで、ペトールの様子はどうですか、先生」とセシーネはケンナスに尋ねた。
「今朝も、従医長が、いらして、異常なしだ」とケンナスも立ち上がり、この計画の話が終了したことをキルマは、悟った。セシーネとケンナスが並んで、院長室を出ていった。扉の横に陣取りその二人の通過を確認したビラン中尉殿は「すいませんね、キルマ夫人、出しゃばって」といいながら、院長室を出てその扉を閉めた。一人、院長室に残されたキルマは、他にも第一王女が計画を立てている事に気がつきもしなかった。
そして、アンドーラの国王陛下ジュルジス三世は、無論、第一王女の計画に気がついてもいなかったし、また、その計画が国家を揺るがす大陰謀でもなかったので、国王はいつもの安泰な執務室の椅子に腰掛け、政務に精を出していた。
「すると、国王が多少留守をしても、メエーネは大丈夫なんだな」と国王はメエーネから帰ったばかりの外務卿のハッパード・サンバース子爵に確認をした。
「はい、国内は、多少、兵役制度で、貴族たちに不満があるようですが、それでも、国王は、次々と平民たちを弓兵に取り立てています。大部分は歩兵ですが、それでも、かなり戦力になるでしょう。宰相もしっかりした人物ですし、特に、問題ないでしょう。国王が特に興味を持ったのは、我が国の航海術のようです」
「航海術な」といいながら、ジュルジス三世はメエーネの国王の真意を推し量った。アンドーラの王太子とメエーネ国王の姪のイザベル王女との縁組みの話から、メエーネ国王ロバーツ二世はアンドーラの船の購入を打診してきた。
王太子時代を経て、いわば満を持して戴冠式を執り行ったジュルジス三世と違って、ロバーツ二世は王太子と国王の相次ぐ急病死という形で国王の座に急遽ついたという人物だった。それはそれで苦労があったのだろうとジュルジス三世は推察出来た。父のジュルジス二世が、メエーネに赴いたのは、丁度そんな時だった。息子に国王の座を譲ったばかりのジュルジス二世が、メエーネの先王と王太子の死に悔やみの言葉を述べると、ロバーツ二世は涙を流したという。ジュルジス三世は、その母の死でも涙を見せなかった。ましてや、行方不明の父に関して、ジュルジス三世はいつ涙を流していいのかわからなかった。
「海軍の設立を考えているのかな」とアンドーラの国王は自分の外務卿に尋ねた。
「そこまでは。むしろ、交易のようです」
「それで、船を欲しがったのか」
「なにしろ、船足が違いますから」とアンドーラの戦船に何度も乗った経験がある外務卿は少し、自慢げだった。そこへ、ジャンク少尉が執務室に入ってきた。彼は国王に敬礼をすると
「パケット少尉が出頭してまいりました、いかが致しましょうか」と国王の指示を仰いだ。国王は思わず顔をしかめた。今朝の事件というか、昨日の午後の事件というか、国王の折角の楽しみを奪うという由々しき事態を思い出した。思い出した以上、気になって、悶々とするのも嫌だった。そして、誰かに愚痴を聞いて欲しかった。国王としての愚痴は、臣下に話しても、致したかたないが、その相手は、精々、同じ立場のロバーツ二世ぐらいだろう。これは、むしろ、父親としての愚痴になりそうである。国王は「取り敢えず、これに目を通してくれ」と外務卿に文書を手渡した。
「ジャンク、パケット少尉をここに通せ」
ハッといってジャンク少尉は敬礼をして国王の執務室を一旦退出した。外務卿は自分との対談を中断してまで、国王が優先させた事項が気になって「陛下、何かあったんですか」とそれとなく、探りを入れた。
「ハップ、ここだけの話にしておいてくれ」と国王は機密事項であることを匂わせた。やはり、人参ごときにむきになるのは、外交上、まずいかもしれない。しかし、国王の愚痴の聞き役は、閣僚最年長者の外務卿なら、適任であった。これが、新任の大蔵卿か、工部尚書だったら、席を外させたかもしれない。王妃にこの件で愚痴をこぼすのは、子育てで悩んでいる王妃の悩みを深くするぐらいなのは国王にはわかっていた。
緊張してパケット少尉が入ってきた。ジャンク少尉も同行している。普段は、そんなことはしなかった。秘書官のスーバスは席を外させてある。気を利かせて外務卿が腰掛けている椅子を少しずらした。こうしないと机を挟んで国王の真正面に座っている自分が邪魔のなると気がついたのである。外務卿は渡された文書を読む振りをして耳を澄ませた。このぐらいの芸当が出来ないとアンドーラで外務卿は務まらない。
外務卿が脇にどいたおかげで国王と真正面から向き合う形になったパケット少尉は膝がガクガクとしていた。何か不祥事を起こしたのはわかっていたが、直属の上官から叱責を受けるのではなく、国王自ら、乗り出すとはどんな重大な不祥事を起こしたのであろうかと不安だった。それに剣を外せと入室前にいわれたのもパケット少尉には不安だった。これは、ただの習慣だった。執務室に入る時、剣の携帯を許されるのは国王付の近衛兵だけだった。
国王は珍しく、パケット少尉の敬礼にたち上がって、返礼をした。普段は横着に椅子に腰掛けたままの方が多かった。ゆっくりと椅子に再び、腰掛ける。国王は例によって冷然と微笑んでいた。しかし、この時は冷然というより、自嘲気味という方が正確だろう。
いよいよ、人参引っこ抜き事件の真相解明である。主犯の自供はすでに国王は事情調書こそ書き取っていなかったが、直にこの耳で聞いてある。後は、この目の前のうら若いパケット少尉が共犯かあるいは、目撃者かどうかだ。直立不動の姿勢を保っているパケット少尉と比べて、ジャンク少尉はくつろいでいた。
パケット少尉の視線は腰掛けた国王の頭上三十センチぐらいをさまよっていた。犯罪者にありがちな視線というより国王陛下の御前であるという意識の方が、パケット少尉は強かった。彼は昇進して近衛師団には属されたばかりだった。それまで、平民である彼には国王は遠い存在であった。軍学校時代は、何かというと国王陛下から下賜されたものであるとか、国王陛下のお情けでとか、国王の軍隊ということを徹底的に叩き込まされた。軍学校卒業以来こんなに緊張するのは初めてだった。
「昨日の午後、エレーヌは、何をしていた?ん?君はエレーヌ王女付きのパティス夫人から、君は何を頼まれた。正直に言いなさい」と椅子の背にもたれた国王の口調は、淡々としていた。しかし、初めて国王から、声を掛けられたパケット少尉はすぐに答えられなかった。左斜め後ろに立ったジャンク少尉が指でパケット少尉の背中を突っついた。パケット少尉は飛び上がりそうになった。
「ささっと、お答えしろ」とジャンク少尉は急かせた。パケット少尉は大きく息を吸うと
「はい、第二王女さまの算術のお勉強を見るようにと、その後、馬術の訓練をするようにとのことでした」
「それで、エレーヌはちゃんという通りにしたかな」と国王はパティス夫人の供述と合致する事に肯きながら、実際はどうだったか、確かめ始めた。
驚くべき事が判明した。何と、エレーヌはまず、算術の勉強は少しすると「飽きちゃった」といって、お人形遊びを始め、その後、パティス夫人が指示した時間が来たので厩舎に連れて行くと今度は、エレーヌは「お馬は好きじゃない、それよりお散歩しましょう、いいところへ連れっていってあげる」と言い出し、パケット少尉他、彼の部下の近衛兵を連れて菜園の方に足を向けたという。菜園を案内しながら、これは、葉っぱを食べるのとか、これは、実が食べられるとか、説明しながら歩きまわり、問題の人参のところで、これは根っこの方だって。そして、「どうなっているか見たい」といって、人参を引っこ抜いたという。国王だって見たかったのである。国王は半分唖然としてした。驚くべきわがまま振りだった。
「君は、止めなかったのか」と国王の冷然とした微笑みは消え失せ、真剣そのままで聞いた「エレーヌが人参を引っこ抜くのを止めなかったのか」
「はい、そうであります。陛下」とパケット少尉は答えた。パケット少尉の返事はなぜか、力強い口調に国王には思えた。ため息をつくと国王は「それで、その人参をエレーヌはどうしたんだ」と再び、先を促した。
「自分も人参だとは知りませんでした。それで、バルカンを探すということになりました。菜園の世話をしているから、知っているはずだとおっしゃったんで」
「それで、バルカンに見せたのだな」と国王はおもわず、にが笑いをした。もし、パケット少尉が、エレーヌが引っこ抜いたそれが人参と知っていたら、人参引っこ抜き事件ではなく、人参行方不明事件になるところだった。
「その後、その人参はどうした」と国王はため息つきながら、質問した。
「はい、第二王女さまが、いらない、自分にくださるとおっしゃるので、ナーカル一等兵に渡しました」
「それで、渡したナーカル一等兵がそれをどうしたのか君は知っているのかね」
「多分食事当番に渡したかと」
「多分」と国王は鋭い目つきでパケット少尉を見た。
「あの、陛下、食べ物だと伺ったので、それで、ナーカルにいって食事当番に持っていくよう命じました。それから、海洋大会の衣装を見たいとおっしゃったので」
「もう、いい。それより人参は、どうなった?つまりだ」とエレーヌのわがまま振りより、人参の行方が気になる国王であった。
国王は、エレーヌ王女には、一言「お前は自由でいいな」と皮肉ってやりたかった。ある意味で日程が予め決まっており、なるべく規則正しい生活をするように従医長のベンダーからも進言を受けていた国王は、エレーヌのように、わがままというか好き勝手な生活は望めなかったし、また、周りのことを考えるとそれも当然出来なかった。
国王は、少し緊張の緩んだそれでも、直立不動の姿勢を保っているパケット少尉に「君、休みなさい」と声を掛けた。パケット少尉は、はあという声は出さなかったが、そういう怪訝な顔とした。
「軍隊式の休めの姿勢をとりなさい。そう、しゃっちょこ張っていては、話がしづらい。ジャンク少尉のようにな、休め」と国王はそう命じた。ジャンク少尉はすでに、「休め」の姿勢、両足を肩幅に開き、両手を後ろの回し、組んでいる。あごは引き、背筋はピンと伸びている。パケット少尉は肩越しに振り向き、ジャンク少尉が軽く肯くと、彼も「休め」の姿勢になった。
「うん、それで、いい」と国王は軽く肯き、人参の行方が気になってつい身を乗り出した自分の体をもう一度背もたれに寄りかけた。
「いいか、エレーヌは王女だといってもまだ、子供だ。悪いことをしたり、危ない真似をしたら、注意してやめさせなければいけない」
「陛下、よろしいでしょうか」とジャンク少尉が口を挟んだ。
「何だ、ジャンク」
「パケット少尉はまだ、近衛に来てから、日が浅いのです」
「それで、益々、訳がわかった。ともかく、エレーヌは王女だなんて思うな。ただのわがままな子供だと思え。いいか、君には、子供がいるか?パケット少尉」
「いえ、おりません」という返事には一瞬、間があった。
「そうか、それでは、まだわからんだろうが、子供を育てるのは親だけじゃない。周りの大人たちにも責任がある。悪いことをしたら、叱り、危ないことをしそうになったら、やめさせる。それが、周りの大人たちの責任だ。そうしないといい大人には育っていかない。むろん、いいことをしたら褒めてやることも大切だ。しかし、今のところ、エレーヌは褒められそうなことは、何にもしてないな。呆れて、ものがいえない。王女さまなんて呼ばなくていい。ただのエレーヌで十分だ。王女だといってえらそうなことをいったら、いってやれ、王女の称号は余が剥奪したとな。まず、エレーヌには、王妃のいうことをきちんときく、次にパティス夫人のいうことも同様だ。君は軍学校か、パケット少尉」
「そうであります」と今度は間がなかった。
「じゃあ、エレーヌの教官殿になったつもりで、厳しくやってくれ。お尻を叩いてもかまわない。わたしが許可する」
「しかし、陛下、自分は平民でありますから」とおずおずとパケット少尉がいった。
「それが、どうかしたのか。子供を育てるのは平民も貴族も王家も同じだ。悪い大人に育たないように、周りの大人が気を配る、当然じゃないか。悪い大人になったら、王女なら、なお、始末が悪い。好き勝手させるな。周りが迷惑する。自分のこともきちんと出来ないくせに。何が、第二王女だ。笑わすな。エレーヌと呼んだり、お尻を叩いたりしても、君を不敬罪で逮捕させたりしないから、安心し給え。これは、身分というより、子供のしつけの問題だ。わかったか、パケット少尉」
「はい、わかりました」と自信なさそうなパケット少尉。国王はここで、外務卿をチラッと見た。文書を読んでいる振りをしているが、もちろん、耳に入っているだろうし、もう、とっくに読み終わっているはずだった。それほど長い文章ではない。人参の行方も気になったが、外交も気になった。
「ともかく、第二王女付けの近衛には、身辺警護も大事だが、エレーヌのしつけも大事だと終始徹底させなさい。勅命だと思ってかまわない。いい加減うんざりだ」そして、人参も大事と思いながら「ともかく、部下たちにもそう伝えなさい。エレーヌは、階級でいえば、新兵だ。一番下だ。そういうことだ、当分は、その扱いでかまわない。いってよし」と最後は大声になった。二人の武官が「休め」から敬礼の姿勢なった。
「ジャンク、君は、もう少し、残りなさい」
パケット少尉が敬礼して国王の執務室を出ていくのを見届けた国王は「ハップ、聞いていただろう。まったく、ひどい有様だ。もう少し待ってくれ。ジャンク、ちょっと、こっちへこい」と国王は立ち上がりジャンク少尉を手招きした。ジャンク少尉がどっしりとした国王にふさわしい机をまわり、国王の隣にやって来た。
「ジャンク、ちょっと耳を貸せ」といった国王にジャンク少尉は上半身を傾けた。外務卿には、ひそひそとジャンク少尉に指示を出す国王の声は届かなかった。従って、その指示が人参の行方を確かめることだとは、勘のいい外務卿もとんと検討がつかなかった。
外交上の大事な話が終わり、国王が二人の新兵はどうだと新しい閣僚の仕事振りを尋ね、外務卿は「まあ、大蔵卿は、新兵とは、呼べないでしょう。ブルックナー伯が、みっちり、仕込んでありますから、今もブルックナー伯の館におるとか」とそつなく答えた後、問題児だと国務卿が称した工部尚書については口を閉ざした。それは工部尚書が新兵だと言外に匂わせていた。
そして、国王は、外務卿に愚痴をこぼし始めた「まあ、いい。それより、うちの新兵はひどいぞ。折角の人参を引っこ抜きやがって、それもあの若造に、ぽいとやってしまうのだからな。人の苦労を何だと思っているんだ、あの、娘は」
国王の愚痴はしばらく続いた。王太子がもうすぐ結婚を控えているとはいえ、まだ若い国王と親子といってもいいほど年の離れた外務卿は、しきりにうなずいたり、慰めの言葉をいったり、しばらく、国王の愚痴に付きあった。国王の愚痴は、次第に菜園で作物を育てる苦労話になった。外務卿は、国務卿から国王が菜園を造らせたことは聞いていたが、それを国王自らの手で世話をしていると聞いて、多少、驚き、そして感服した。年長の外務卿には、相変わらず、陛下はそつのない方だと思った。まあ、農作業も、ある意味で国王の道楽のようにも思えるが、農業の振興という意味では、アンドーラ王国に不可欠な作業でも、あった。
肝心の人参の行方は外務卿が執務室を退出してから、ジャンク少尉の立ち会いの元、パケット少尉から報告された。結局、人参は、近衛師団の昨夜の夕食となって、兵士の口に入ったことが判明した。そして、国王の質問が人参の形状をこと細かく報告させることに及んで、パケット少尉は、冷や汗をかき通しだった。国王は聞きながら記録に名残惜しそうに「未成熟」と書き加えた。国王は、菜園の作物の記録をとっていた。まあ、道楽も極めると学問になるというが、大学もあるアンドーラである、それはそれで、博物学部の植物学という立派な学問である。
まさに根ほり葉ほり国王に尋ねられたパケット少尉は、そのことを知らなかった。そして彼の処遇が替わらなかったのは、食べ物を粗末にするなと教えた王立陸軍士官学校の教官が教えた通り、彼が行動したからである。さまなくば、彼は、最悪で降格処分もあり得たかもしれない。食べ物の恨みは怖い。
国王はその人参を食べられなかったのは、よかったのか、悪かったのかは、しばらく判断が付かなかった。その判断は、もう一度人参の種をまき、それを念いりに育て、それを収穫し、それを口にして、やはり、食べたかったと思った。惜しいことしたとエレーヌにチクリといいたかったが、それは宣誓式前の第二王女が同席しない夕食の席だったので、その機会も逸してしまった。やはり、少し無念な思いがその時には国王にはあった。