表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
癒しの手  作者: 双葉 司
それぞれの道
17/18

王太子の許嫁

アンドーラのチェンバース王家の秘密《治療の技》のことを知ったメエーネの国王ロバーツ二世は、それをいわば黙殺する形で、姪のイザベル王女をアンドーラの王太子と結婚のためにアンドーラへ向かわせる。

イザベルの目下の関心はアンドーラで開催される「御前馬上試合」のことだった。そこで、優勝者の腕にリボンを結ぶという行為を行うことを夢見ていた。

しかし、実際にその役目を担うアンドーラの第一王女の頭の中は《治療の技》の普及のことでいっぱいだった。

 メエーネの国王ロバーツ二世は、アンドーラに滞在している弟のランガルク公爵からの書簡に戸惑いを隠せなかった。だが、その表情を見る事が出来たのは、その書簡を運んで来たアンドーラ駐在大使のスラード伯爵だけだった。

「スラード伯爵、一体これはどういう事だね」とロバーツ二世は、アンドーラ駐在大使に問いただした。

「どうやら、アンドーラの王太子と第一王女は、何ともいえない不思議な《力》を持っているようで」

「何ともいえない?魔法なのか」

「いえ、それとは、少し違うそうで、何でも切り傷をあっという間に治してしまうとか」とスラード伯爵の説明もあやふやだった。

「それなら、いいが」とロバーツ二世は、アンドーラのメレディス女王が「魔法」は、人に害を与えなければ合法(・・)と認めた布告を出した事があるのを思い出していた。傷の治療なら、人に害を与える訳ではない。むしろ、有益な技術(・・)ともいえるとロバーツ二世は、幾分アンドーラに好意的に判断した。

 メエーネのパルッツエ王家にとってアンドーラのチェンバース王家は、その圧倒的な軍事力で頼りになる友好国であった。かつてのカメルニア帝国の血筋を引くパルッツエ王家と違って、大陸側に国境を接するドーサムやハンロイドといった国々は「簒奪者」といっていいものが国王の座についていた。そのような経緯もあって国境付近には友好とはいえない状況が続いていた。その事態を打破すべくロバーツ二世は、アンドーラのチェンバース王家と同じ手を打ったのである。つまり、跡継ぎのクリソフ王太子の結婚相手にドーサムの王家の王女をと申し込んだのである。しかし、ドーサムに年齢的に相応しい相手が見当たらず、続いて申し込んだハンロイドにも同様な事情で、結局、婚姻関係を結ぶには至っていない。だが、両国とも駐在大使を派遣させるという幾分友好な関係を保つ事が出来たという外交上の成果をあげるが、その状態がいつまで続くかは油断できない状況だった。そのような国情を(かんが)みて、ロバーツ二世は《治療の技》の件は、国家的な問題としてではなく、家庭の事情として処理をする事にした。アンドーラ駐在大使のスラード伯爵には、この件には口止めと内密な調査を命じた。そして、宰相のプルッチェル侯爵には、打ち明けず、王太子のクリソフにだけ事情を打ち明けることにした。アンドーラへ出発するイザベル王女とその母のメリッサ・ランガルク公爵夫人には、向こうに到着した後にチェンバース王家の国王ジュルジス三世なり王太子エドワーズなりが、説明すればいいだろうと決断をした。

 だが、ロバーツ二世は、その時アンドーラの第一王女セシーネの技術(・・)について正確なところは、わかってなかったのである。セシーネは傷を治す事も出来たが、ナイフを使わずに切り傷を与える事が出来るという《力》も持っていたのである。それは、十分凶器となる《力》といえよう。この事実を知っていたら、ロバーツ二世の判断は違っていただろうか。それは仮定の問題に過ぎず、メエーネとアンドーラの友好関係は、さらに深く結びつくのである。



 その年の「御前馬上試合」の優勝者は、個人参加のハンサエル伯爵家の甲冑をまとった陸軍第十一師団の中尉に決まった。それは、対戦相手の降参という半ば疑惑の勝敗であった。アンドーラの馬上試合では、持っている槍を地面に投げ出せば、負けを認める事になる。ただ一度、槍を交えただけの「降参」は、はなはだ怪しい事情を感じさせたが、馬上試合の規則は規則である。それでも観衆は、両者に惜しみない拍手を贈った。準優勝でも、陸軍では階級を昇進できる事になっていた。

 優勝者が、個人参加であることに優勝者を讃える役目をする第一王女セシーネは、心の中でため息をついた。優勝者が「赤」のリボンの軍での二階級特進と第一等の勲章を選択せず「青」のリボンの「国王への誓願」を選ぶのは、目に見えていた。

 優勝者が、作法通り、国王をはじめとする王家に人々が腰掛けている壇上に上がると、セシーネは席から立ち上がり、優勝者に近づき小声で「跪いて」と指示をした。甲冑の優勝者がぎくしゃくと跪くとセシーネは「勝者よ、赤を選びますか。それとも青を選びますか」と尋ねた。優勝者は案の定「青」を選択した。やはりと思いながらセシーネは、陪席のナーシャ・ルンバートン嬢が、掲げた台から「青」のリボンをとり優勝者の甲冑の上腕にリボンを結びつけると、セシーネは出来るだけの大声で、しかし、怒鳴り声にはならないように気をつけながら「馬上試合の勝者に誉れあれ」と祝福の言葉を唱えた。観衆は、拍手と歓声に沸いた。

 その後、セシーネは自分の席に戻り、ナーシャに小声で「よく出来たわ、ナーシャ」と初役で緊張をしていたナーシャにねぎらいの言葉をかけた。前日に聞いた話によるとナーシャの兄も婚約者も重騎兵で師団選抜として今年の「御前馬上試合」に参加していた。だが、女官長のメレディス王女に参加者に公平を保つという注意を受けていた以上、ナーシャはどちらにも声援をおくる事は出来なかった。

 壇上では、儀式が続いていた。セシーネとナーシャの役目はもう終わり、後は、式部官と国王と「誓願」を望んだ優勝者のやり取りになる。その誓願は、どうやら、土地争いのようだった。セシーネは、今年も「青」の誓願で、父の国王の頭を悩ますような事にならなければいいがと思った。規則で、その「誓願」を国王が拒否する場合には優勝者は、前年の優勝者と再び、馬上試合をする事になる。だが、今年の「誓願」を国王は、優勝者に「もう少し、詳しい話が聞きたいが、今は、優勝を祝して宴を開こう」とどうやら、取り上げる事にしたようである。この後、優勝を祝って、優勝者を主客に祝宴が、開かれる。だが、国王の考えで十六歳に満たないセシーネはその席には、同席しない事になっていた。国王が席を立つと「御前馬上試合」の終了である。


 メエーネからの賓客、ランガルク公爵は「馬上試合」を十分に堪能した。甲冑を着込んだ騎兵が、長い槍を構え、全速力で馬を走らせ、ぶつかりあう様は、見応えがあった。説明役の話では、王家からはランセル王子が参加をしているということだった。チェンバース王家は、国王はともかく、王太子は普段は甲冑姿で過ごしているというし、国王の二人の弟はそれぞれ海軍と陸軍に所属していた。メエーネでは兄の国王も即位してから、甲冑を身につける事はなかった。ある意味では、メエーネも平和といってよかった。

 この「馬上試合」でのランガルク公爵の観覧席の回りは華やかだった。辺りのご婦人方が精一杯に着飾っているのは、男のランガルク公爵にも、わかった。式部官が「御前馬上試合」の終了を告げると、それぞれに観覧席から、今度は宮殿での祝宴へと席を移動する。ご婦人方の話題はもっぱら、第一王女の衣装の事とその陪席を務めた侍女の話であった。

「今年は、一段と華やかでしたわね。あの色もよくお似合いで。そういえば、今年の第一王女さまの陪席は、ルンバートン侯爵家の出身ですとか」

「ルンバートン侯爵夫人も鼻が高いでしょうに。あの衣装もなかなかでしたわ」

 ランガルク公爵は、聞くともなく聞こえてくる話にご婦人方の関心がやはり衣装にあるのは、メエーネでも変わらないと思った。そして、殿方の関心は、優勝者の「誓願」の土地争いだった。疑問だったのは、優勝者の中尉が身につけていたハンサエル伯爵家の紋章のある甲冑であるのに優勝者の中尉が名をあげて非難したのは、ハンサエル伯爵でその横暴さを訴えていた事である。中尉は当事者のハンサエル伯爵から,どのような手段でその甲冑を手に入れたのであろうか。ランガルク公爵の説明役も、どういう事なのかその辺の事情がよくわからないと首を傾げていた。まあ、ランガルク公爵は、その土地争いの当事者でも仲裁者でもないので、関心はあまりなかった。それより、郷にいれば、郷に従えとばかりに昼食の時に、賭けた掛け金の事が気になっていた。ランガルク公爵が、賭けたのは師団毎の午前中の勝ち残りの数である。あまり、アンドーラの各師団の事情はわからないので、かつてのゲンガルス戦役で強力な重騎兵で勇名をはせた第十二師団に賭けてみたのだが、その結果を聞いてくるようにと説明役に頼んで祝宴の会場へと移動を急いだ。


 こうして、その年の「御前馬上試合」は、政治の場へと舞台を移した。セシーネの関心は、ケガ人の様子である。今年は気のせいか、ケガ人の人数が少ないように思えた。そして、後日判明した事であったが、軽騎兵である優勝者のハンサエル伯爵家の甲冑を来た中尉が「馬上試合」に参加したのは「誓願」のためであると聞いたランセル王子が、彼に勝ちを譲るようにと根回しをした結果だった。これは、後に兄の国王ジュルジス三世に叱られるはめになるのだが、ランセル王子は、自分の思い通りの結果となって至極ご満悦であった。

 一方、祝宴に出席をしないセシーネ王女は、自室に戻り、衣装を着替えていた。セシーネの衣装は、例年だと解体され、来年の陪席をする第一王女付の侍女の衣装に縫い直す事に決まっていたが、今年はメエーネのイザベル王女が、その衣装を見たいといっていたので、まだ、解体作業は延期ということになっている。ナーシャは結婚を控えているので第一王女の陪席は今年限りで、誂えてもらった衣装は、侍女を務めた手当としてそのまま貰える事になっていた。この、ナーシャから見たら、贅沢な衣装をナーシャは自分の花嫁衣装にすることを決めていた。それを知ったセシーネ王女が、念入りに仕立てるようにと女官長のメレディス王女や副女官長のミルブル夫人に頼んでくれていた。それを聞いたもう一人の侍女タチアナ・プルグース子爵令嬢は、来年は自分がその陪席を務めるのだと思い、最近は、乗馬の稽古や乗馬用スカートの仕立てに忙しいナーシャに変わって雑用をなるべく引き受けるようにしていた。タチアナにとって脅威なのは、名門ブライトン侯爵家の出身であるアリシアが、来年の「御前馬上試合」の時には「喪」が明ける事であった。「行儀見習い」という侍女になったのは、タチアナの方が早いが、家柄を考えるとアリシアの方に()がある。おまけにタチアナには考えもつかない「医学」という第一王女との共通項があった。だが、タチアナが願っていたその席を狙っていた「行儀見習い」の侍女がいた。アリシアではない。近衛兵に「おっぱいちゃん」というあまり貴族の娘にとって有り難くないあだ名を付けられたシルビナ・カウネルズ伯爵令嬢であった。

 シルビナは、ようやく末席で「御前馬上試合」を見ることを許されたが、第一王女にリボンを渡すという役目は貴族の娘にとっての「花形」な役であることをなおさら実感した。シルビナは、来年あの席に座るのは、容姿に磨きをかけた自分こそ相応しいと考えた。そのためには、父親の従妹が嫁いだブライトン侯爵家のアリシアを第一王女の侍女から追い出し、その代わりに自分がその座に座ることを考えていた。しかし、他にも第一王女自身の席を狙っているものがいるとは、シルビナはもちろん「御前馬上試合」を観戦した人々には、想像もつかなかったのである。



「御前馬上試合」でのセシーネ王女の役を狙っているメエーネのイザベル王女は、アンドーラへ向かう船上にいた。母親のメリッサ・ランガルク公爵夫人も同行したが、船旅は多少苦手で船が外洋に出ると船室にこもってしまった。メエーネの一行が乗っているのは、メエーネの船だが、護衛としてアンドーラ海軍の一艦隊が付き従っていた。

「エドワーズってどんな感じなの、スラード伯爵」とやはり同行した、アンドーラ駐在大使のスラード伯爵にイザベルは、婚約者への興味を隠さないでそう尋ねた。イザベルはスラード伯爵がメエーネに帰国したのは自分を迎えに来たのだと思っていた。重大な秘密を持って帰国したとは、想像すらしていなかった。アンドーラのチェンバース王家の秘密《治療の技》はメエーネでは宰相のプルッチェル侯爵すら知らない機密事項だった。無論、スラード伯爵にロバーツ二世は口止めを忘れていなかった。

「そうでございますね」と答えを模索したスラード伯爵は、エドワーズの主催した「鹿狩り」の話をすることにした。これなら、無難な話題だった。しかし、夢見る年頃の王女には、いささか退屈であったが、それでも、イザベルは、従兄のクリソフと違う武術好きの婚約者に何やら頼もしい気がしていた。

「エドワーズは馬上試合には、出るのかしら」と、重騎兵に何やら、昔の「騎士」を連想しているイザベルは、エドワーズが「御前馬上試合」に優勝し、自分がその腕にリボンを結ぶことを夢見ていた。

「さあ、重騎甲冑を着用するような話は聞いておりますが、馬上試合は、多分ランセル王子が、出るのではないですか。昨年も参加しましたし」とここで、スラード伯爵は、重要なことを思い出した。

「海軍には国王の弟のヘンダース王子が所属しておりますし、人望もあるといわれております。陸軍ではやはり国王の末弟のランセル王子が所属しておりますが、エドワーズ王太子は両軍の若い兵士に人気があるのですよ。そのため、あちこちの駐屯地へ視察をしたり、艦隊にも視察をしたりと忙しくしておられますよ。無論、将軍たちの期待も大きいと聞いております。これは、アンドーラのチェンバース王家にとっては、心強いでしょう」

「そうなの、クリソフはあまり軍の興味はなかったと思うけど」

「ええ、でも、陛下は、軍を重要視しておられますよ」

「それより、エドワーズはダンスは出来るのかしら」とイザベルは急に話題を変えた。

「ええ、新年の舞踏会には、踊ってらっしゃいましたよ」

「まあ、どなたと」とダンスの相手が気になるイザベル。

「さあ、確か、メレディス王女だったと思いますが、そういえば、メレディス王女は、女官長に就任したのをご存知でしょうか」

「そうね、エドワーズの手紙にはそんなことも書いてあったと思うわ」

 ここで、スラード伯爵は、ちょっと危ない話題になりそうなので、しばらくメレディス王女の話で間を持たせようとした。

「おきれいな方ですよ。メレディス王女は、背もお高いですし、そういえば、エドワーズ王太子も背がお高いです。これは、チェンバース家の特徴とか」とどうにかごまかせたが、イザベル王女の好奇心が第一王女のセシーネに向かうことも明らかだったので、非常手段を使うことにした。「船酔い」である。情報収集では、いささか点数を下げたスラード伯爵であったが、この程度の偽装工作の芸当を思いつかないようでは、アンドーラ駐在大使の座も危なかった。



「御前馬上試合」の翌日、女官長のメレディス王女は、憤慨していた。優勝者の「誓願」自体は、身内同志の土地争いと判明したので、国王も国務卿に両者の聞き取り調査を命じて、メレディスには何の関わりのないことであったが、メレディスが不愉快感を露にしたのは、「行儀見習い」のシルビナの母親のカウネルズ伯爵夫人のことだった。

 エレーヌ王太后の生前は、娘を「行儀見習い」に出すと折りにふれて「ご機嫌伺い」といってお礼をかねて様子を見に来るのが風習となっていた。それは、王太后の死後も「行儀見習い」の数は減ったものの「ご機嫌伺い」に王宮に顔を出す貴族たちの姿は、変わらなくあった。

 シルビナは、メレディスが何度口を酸っぱくなるほど注意をしても、その特徴のある歩き方をやめなかった。メレディスには、その歩き方はまるで娼婦が男を誘っているように見えたのである。そこで、母親のカウネルズ伯爵夫人を呼んで、このままでは「初謁見」はおぼつかないと最後通告を突きつけるつもりだった。だが、カウネルズ伯爵夫人は、シルビナが「行儀見習い」に来てから、一度も王宮に顔を出さず、その理由は「体調不良」とのことだった。しかし、昨夜の「御前馬上試合」の優勝者を主賓に迎えた「晩餐会」には夫婦揃って出席をしていたことは、式部卿夫人で「初謁見」を迎えた娘たちの礼儀作法の指導をしている典礼長のオルガ・サングエム子爵夫人から、伝え聞いていた。そのことにメレディスの堪忍袋の緒が切れた。

 しかし、メレディスはカウネルズ伯爵家の事情を知らなかった。王家が《治療の技》を公表しなかったと同様、カウネルズ伯爵家にも秘密があった。それは、シルビナの出生に関することで、シルビナを生んだのはカウネルズ伯爵夫人のメーベリアではなく、カウネルズ伯爵が、外に囲っていた娼婦上がりの愛人に生ませた娘だったという事実である。それでも、貴族の家では体面を保つため、嫡子ではなくても家に引き取った子供は外面は嫡子同様に扱うものだが、メーベリアは、露骨に育児を放棄していた。それは、カウネルズ伯爵夫妻がすでに夫婦関係が破綻していたことにもよる。外面上、夫婦を装うのは、社交上必要な時だけだった。

 そんな家庭の事情を知らない女官長のメレディス王女は、非常手段にでることにした。護衛の近衛兵をカウネルズ伯爵家に迎えに行かせたのである。それは、異例のことだった。メレディスは典礼長のオルガと王宮でカウネルズ伯爵夫人を待ち構えていた。しかし、近衛兵が王宮に連れて来たのはカウネルズ伯爵家の家令夫人だった。

「奥様は、体調がお悪くておうかがいできません」と家令夫人は、見え透いたいい訳をした。それにしても、メーベリアの露骨な態度は、シルビナの出生の秘密を暴くようなものである。しかし、メーベリアはそれでもいいと思っていた。もしも、シルビナが品のいい娘だったら、違ったかもしれないが、シルビナは生んだ母親を連想させるような振る舞いをしていた。メーベリアはシルビナが謁見を出来ない事態になってもかまわないと思っていた。

「カウネルズ伯爵夫人が昨日の晩餐会に出席したのは、わかっているのよ。そういった行事には出席しても、女官長の私の呼び出しには応じないという訳ね。そんな調子じゃ、シルビナの「初謁見」は無理ね。そう伝えてちょうだい」とメレディスは恐縮している家令夫人に申し渡した。そこで、その場に同席していたシルビナが泣き出した。

「お母さまは、私のことが嫌いなのよ。私が、きれいだから焼きもちを焼くのよ」と薄々自分の出生の秘密に感づいたシルビナだったが、メーベリアがシルビナの容姿に嫉妬しているというのは大いなる誤解であろう。やがて、メレディスもオルガもシルビナの出生の秘密を知ることになる。それで、二人とも妙にシルビナの立ち振る舞いを納得するのである。



 第一王女の「行儀見習い」であるそれぞれの侍女たちの家族は、それぞれに王宮に「ご機嫌伺い」にやって来ていた。とくに「御前馬上試合」で第一王女の陪席を務めたナーシャ・ルンバートンは、初めて父親のルッセルト大佐が、第一王女の居室に顔を出した。ルッセルトは、将官昇進を控えて将官研修に勤しんでいた。その将官昇進はルンバートン家の悲願であった。従って、ルンバートン侯爵家の当主のビクトル・ルンバートン侯爵は上機嫌だったし、マチルダ・ルンバートン侯爵夫人もにこやかだった。ナーシャの母親のデライラを始め、ルッセルトの父親、つまりナーシャの祖父もナーシャの兄のホルスも顔を揃えてルンバートン侯爵家はにぎやかな顔ぶれだった。誰しも、昨日の「御前馬上試合」におけるナーシャの晴れの姿を見て、満悦していた。

 一方、タチアナ・プルグース子爵令嬢のほうも両親のプルグース子爵と子爵夫人が、ナーシャの婚約者のサイラスを連れてやって来ていた。サイラスは、昨日のナーシャの華やかな装いを見て、武官の娘らしく地味で堅実的な印象のあったナーシャの変わり映えに驚いていた。まあ、女性は化粧と衣装とで、いくらでも変身できるというのが、ナーシャに化粧を施したメレディス王女の考えである。

 ナーシャは、母親のデライラや本家のマチルダ・ルンバートン侯爵夫人に女官長のメレディス王女と副女官長のミルブル夫人に礼を言ういってくれと頼んだ。それは「王宮務め」に欠かせない最低限の気遣いであった。

「お二人には、馬上試合の衣装のことや身支度のことでとてもお世話になったの。他にもお裁縫を教えていただいているんです」

「わかったわ」というとマチルダとデライラは、ナーシャの案内で、女官長の居室へと向かった。確かに昨日のナーシャは見違えるほど美しかった。一族の娘が「御前馬上試合」で、第一王女の陪席を務めるという名誉は滅多のないことだった。年に一人しかその役の席はなかった。

 そして、喪中で華やかな「御前馬上試合」は遠慮をしようと思っていたブライトン侯爵家では、新当主のライネル・ブライトン侯爵を始め、ブライトン侯爵夫人となったベネット、嗣子となったアーノルド、ベネットの父親のアーノルド・カウネルズ少将夫妻も、「御前馬上試合」の観戦に王都を訪れていた。無論、アリシアの母親のアマンダ前侯爵夫人とその母であるミネビア・サリンジャー侯爵夫人も義理堅く「ご機嫌伺い」に第一王女を訪れていた。

 ブライトン侯爵家では、当初、喪中という立場上「御前馬上試合」の観戦は遠慮しようと思っていたが、そこへ新たに土地の計測をする「検地」の布告が出て、その打合せのため各領主か「代官」に準じる法定代理人は、王都に来るようにと大蔵省からの通達があった。そこで「検地」の打合せもかねて「行儀見習い」になったアリシアの様子を見に行こうということになった。

 第一王女の居室にカウネルズ少将が同行したのは、孫のアーノルドが、王女の部屋を見たいとねだったので、カウネルズ少将も、妻のカーニャが、そういえば今までそんな経験をしたことがないと興味を示したからである。

 アリシアは、久しぶりに再会した家族に何か複雑な思いを抱いていた。それは、自分には不思議な《力》、《治療の才》の持ち主であるということが判明してそれをどう家族に告げたらいいのかわからなかった。だが、そこへヘンリッタ王妃が、その厄介な役目を引き受けてくれることになった。

「お母さま、王妃さまが、お話があると仰せられていたの。王妃さまのお部屋に一緒に行って下さる?」とアリシアは、内心の動揺を隠そうとした。

 しかし、亡くなった王太后は取り巻きに囲まれるのを好んだが、国王の二番目の妃ヘンリッタ王妃は、あまり貴族たちを側に呼び寄せるということはしなかった。そのことで、アリシアの母方の祖母ミネビア・サリンジャー侯爵夫人は、いささか不審な感じがした。そこで「それなら、私もいきますよ。アリシア、何か粗相をしたのではないでしょうね」と同行を決め、「行儀見習い」に出る前の様子と違うような気がするアリシアの気配を探った。

「いえ、そうではないの。でも、驚かないでね」

 そこへ第一王女が、助け船を出した。

「医学の技術的な問題についてですわ、サリンジャー侯爵夫人」

「まあ、そうでしたの」とアリシアの祖母は、一瞬迷ったが、やはり自分も王妃の部屋へ行くことに決めた。まあ、王太后ほどではないが、アンドーラの王妃に敬意を表して挨拶をしておくぐらいは「ご機嫌伺い」の一環だろうと判断した。

 第一王女の居室に残った面々は、それぞれ第一王女が、改めて引き合わせた。紹介がすむと自然と話題はルッセルトの将官昇進の話になった。

「まあ、私の時は、殿下閣下の時代だったからな」とすでに将官研修の経験があるカウネルズ少将が、懐かしそうにいった。ちなみに殿下閣下とは、初代の陸軍元帥でメレディス女王の次男ヘンダース王子のことである。そこへサリンジャー侯爵が「たしか、今の陸軍元帥のガナッシュ・ラシュール中将の実家のラシュール伯爵家は、ルンバートン侯爵家の出身ではなかったかな」

「ええ、そうなります。我が家は元々伯爵位でしたが、女王陛下に侯爵位に叙せられましね、その時、初代が女王陛下から下賜された甲冑がラシュール伯爵家に飾ってあるのですよ。それが、何とも悔しいというか、無念ですな」とビクトル・ルンバートン侯爵。アンドーラの領主たちはジュルジス三世の定めた国法、領地武器法により、先祖伝来の甲冑をただ一つを除いて国王に召し上げられてしまっていた。武官の家柄であったルンバートン侯爵家には、ルッセルトの将官昇進が待ち遠しかった。


 一方、ヘンリッタ王妃の居間にへ伺候したアリシアの母のアマンダ・ブライトン前侯爵夫人とその母ミネビア・サリンジャー侯爵夫人だったが、子爵家の出とはいえ、王妃は王妃である。それなりに人たちが「ご機嫌伺い」にやって来ていた。王妃は刺繍台の前に座り、傍らの床の上でエレーネ王女とリディア王女が、人形遊びをしていた。その部屋は、家庭的な雰囲気をかもし出していた。部屋の入口でアリシアたちが、まず高位に対する礼をすると、部屋にいる人たちの目が集まった。三人に気がついた、エレーヌ王女付きのパティス夫人が、アリシアたちの名前を王妃に告げた。王妃は刺繍台から目を上げると、パティス夫人に人払いを命じた。

「アリシアとブライトン前侯爵夫人とサリンジャー侯爵夫人には、大事なお話があります」ときっぱりとした口調で周囲の人たちを退出させた。それにしても、アマンダとミネビアの名前を覚えている王妃は、さすがだといってよい。

 一方、人払いをした王妃にただならぬ気配を感じ取ってアマンダとミネビアは緊張と困惑と不安のまっただ中にいた。一体、アリシアはどんな不始末をしでかしたのであろうかと気が揉めていた。しかし、王妃はまずアンドーラの歴史から語り始めた「かつて、魔法にあふれたカメルニア帝国は、チェングエンの魔法によって滅ぼされ、多くの魔術師がカメルニア帝国を去りました。そして、人々は、もうアンドーラには、魔法は存在しないと思うようになりました」と歴史を語る王妃にアマンダとミネビアは面食らってしまったが、王妃の言葉を(さえぎ)るような無作法なまねはしなかった。王妃はアンドーラ王国の建国から、ヘンダース王の親征まで簡単に述べると「そして、メレディス女王の戴冠という、アンドーラの歴史上、初めての女王の誕生ということになりました。メレディス女王は、魔女と糾弾して宮殿に集まった人々に自分は魔女ではないと証明してみせ、人に害をあたえない「魔法」なら、咎めないという布告をお出しになりました。そして、相変らず、人々は「魔法」をこの世にないものだと思っていましたが、魔術師がこのアンドーラの宮廷に現われ、国王陛下に仕えることになりました。王室付魔術師ガンダス博士です」とここで、王妃はアマンダとミネビア両方の表情を探った。二人とも神妙な顔をしているが、困惑は隠せない。

「そして、ある日、国王陛下は、王太子のエドワーズと第一王女のセシーネに不思議な《力》があることにお気づきになりました。それは、切り傷を一瞬で治してしまうという《治療の技》という《力》でした」とこの王妃の打ち明けた王家の秘密にミネビアは、王妃の言葉を信じられないという顔をしたが、アマンダは何の話なのかさっぱりわからなかった。王妃は話を続けた。

「国王陛下は、王太子と第一王女にその《力》を乱用しないようにガンダスが見つけて来たやはり同じような《力》を持っていたケンナスに治療師(・・・)という称号を与え、二人の指導をさせることにしました。エドワーズはその勉強に飽きてしまいましたが、セシーネは、ケンナスの指導で《見立て》という独特な診察方法を身につけました」と王妃は、ここでまた言葉をきり話を聞いている二人の反応を(うかが)った。二人とも、どういった態度を取っていいのかわからないので、神妙な顔をしていた。だが、話の本筋はこれからだった。

「そして、亡くなった王太后さまは、セシーネの医学の知識を活かすために、また、アンドーラの国情を考え、「王立施療院」の設立とセシーネの院長の就任を遺言なさりました。そこでは、治療師(・・・)を中心に運営するために多くの《見立て》が出来る子供たちをガンダスが探してきました。そして、ガンダスは今も探して旅に出ています」とここで、王妃は二人に確認をした。

「ここまでの話は、おわかりになったかしら」

「王立施療院の話は何やら、伺ったことがあるような気がしましたけど、治療師(・・・)というのは今一つわからないのですが」とここは年の功の感があるミネビア。ミネビアは、話題が「魔法」に関わっていることだと気がついていた。

「まあ、ブルックナー伯爵はアンドーラの新しい医学技術と見なしているようです。でも、誰でも身につけることは出来ません。それは《治療の才》のある人にだけに授かった《力》なのです。ところで、アリシアは小さい時はどんなお子さんだったの」と王妃は、アリシアの幼年期に話題を変えた。その話題は子供を持つ親なら、誰でも共感できる無難な話題だった。

「そうですわね、聞き分けのいい子でした」とアマンダは、まさか、アリシアが「医学」を学びたがるとは思いがけなかったが、それ以外は、育てやすい子であったと幼い時の娘を思い出していた。

「そう、セシーネも聞き分けがよくて,何よりお勉強が好きだったの」とセシーネ王女の育ての母であるヘンリッタ王妃は、ここからが勝負だと内心思った。

「セシーネは、ただ《治療の才》があること以外、普通の子供だったわ」

「王妃さま、その《治療の才》とか《力》とか今一つわからないのですが」とミネビアは、何か不吉な予感がした。

「そうね、今度出来る法律では、治療師(・・・)は《見立て》が出来ないといけないの。そして、ここにいるアリシアもその《力》の持ち主ということが判明しました」

 王妃の言葉にアマンダもミネビアも耳を疑った。アリシアは、少しうつむいた。母や祖母と視線を合わせることが出来なかった。

「王妃さま、それは、何かの間違いではありませんか。アリシアは、普通の子ですよ」とミネビアは、否定にかかった。

「セシーネも普通の子だったわ。でも《治療の才》に恵まれているのです。これは、創造主からの贈り物と私は思っています。創造主がセシーネもアリシアも人々の治療をするためにその《力》をお与えになったのだわ」と王妃は創造主の奇蹟なのだとアマンダとミネビアを説得にかかった。

「そんなはずは、ありません」とあくまで否定にかかるミネビア。アマンダは衝撃のあまりに言葉が出なかった。

「お二人とも、信じないというなら、実際に確かめてみましょう。アリシア、お二人に《見立て》をやってみて。診断がまだ出来ないのはわかってますよ。お二人に《力》を感じていただきたいの。いいわね、アリシア」

 《見立て》を命じた王妃の言葉にアリシアは、ごくんと唾を飲み込んだ。

「お母さま、いいかしら、力を抜いてちょうだい」と顔面蒼白な母親にアリシアの心は痛んだ。それでも、この《力》が創造主の幸運な贈り物で、不吉な贈り物ではないと信じて、母親の手首をそっとつかんだ。そして《見立て》の《力》を加えた。そのなじみのない感覚にアマンダは、ただ、驚きの目で愛する娘を見た。

「何をしたの、アリシア」

「これが治療師(・・・)の《見立て》よ。お母さま」

「震えが止まらないということは、ないかしら?ブライトン前侯爵夫人」

「ええ、でも、今のは何なのですか」

「それが、アリシアが持っている《治療の才》の印なの。今度は、サリンジャー侯爵夫人の方ね」

 アリシアの祖母は、呆然としていたが、それにかまわずアリシアは《見立て》を行った。

「これが、そのなんですか、《見立て》とかいうものですか」とミネビアは、長い生涯で、初めて遭遇する不思議な《力》にどう対処すべきなのかわからなかった。

「そうです。でも、従来の診察方法と同じで、正確な診断が出来るようになるには、長い修業というのか、経験が必要となって来るのです。どのみち、アリシアは医学を学びたかったのだし、そのお勉強をしてもらいます。いいですね」と王妃は、これで結論が出たという顔をした。しかし、アリシアが医学を学びたいという希望は、母親のアマンダにも祖母のミネビアにも事後承諾である。それに加えて、この訳のわからない《治療の才》の持ち主だといわれてもどう判断すれば、いいのかわからなかった。ここで、ミネビアは、夫にこのことを相談すべきだと思った。それにしても、アリシアの父親が夭折したことが、無念だった。

 そして、アリシアは、この自分も《治療の才》があるという事実を母も祖母も歓迎している訳ではないことをよくわかっていた。その祖母は、孫娘のアリシアが自身や娘のアマンダのように良縁を得て嫁ぐ日は来ないのではないかとアリシアの将来を危惧し始めた。



「御前馬上試合」が終わり、王宮への「ご機嫌伺い」の人々が一段落すると、シルビナ・カウネルズ伯爵令嬢は「王国の華」である第一王女の侍女の席を狙って、行動を開始した。だが、肝心の第一王女は、嗅ぎ付けた居室にいなかった。一人、多分「行儀見習い」であろう侍女が所在無さげに留守番をしていた。

「何か、ご用かしら」とその、幾分シルビナから見たら貧弱な体つきをした年若い侍女は、聞いて来た。ここで、シルビナは、嘘をついた。確かにシルビナは身振りや話し方など、貞淑な貴族の娘とはいいがたい有様ではあるが、元来は正直で、貞操観念もしっかりと持っている娘である。そんな娘らしく良縁を望むことは、当時の結婚持参金を持てる年頃の娘なら、大多数が望む平凡な願いだった。むしろ、アリシアの「医学」を学びたいという志の方が、珍しかった。結婚持参金を持てない貧しい女性が、家計のために職業につく時代である。確かに見当違いの立ち振る舞いをするが、シルビナの願いは、妥当といえるものだった。シルビナの不幸はその願いを聞いて助言をしてくれる存在に恵まれなかったことである。だから、シルビナは自分で考えることしか出来なかったのである。そして、高望みをしすぎたともいえる。シルビナの不運は、父親のステファン・カウネルズ伯爵が、貴族社会では評判が悪かったこともある。当然、カウネルズ伯爵家は敬遠されシルビナに縁談を持ちかける身分のある貴族はいなかったのである。しかし、そういった事情をよく飲み込んでいないシルビナは、良縁を望む願いのために自分に(はく)をつけるためになりふり構わない行動をするのである。

「あの、ご衣装のことで、第一王女のご意向を伺ってくるようにといわれましたの」

「第一王女は、救貧院へお出かけなさっているわ、ご衣装のことは、女官長のメレディス王女さまかしら、それとも副女官長のミルブル夫人かしら」とシルビナよりも「王宮勤め」が長いタチアナ・プルグース子爵令嬢は、逆に質問して来た。アンドーラの王宮で衣装のことといえば、メレディス王女かミルブル夫人だった。ここで、シルビナは、粘った。

「いえ、お留守なら、また伺います。いつ頃お戻りでしょうか」

「お昼には戻っていらっしゃるけど」とここで、タチアナは、シルビナを不審そうに見た。のんきに見えるが、タチアナも馬鹿ではない。シルビナに挙動不審の気配を感じていた。

「あなた、お名前はなんていうの」

「いえ、また、後で来ます」と慌てて、シルビナはいつもの歩き方を忘れて、走り去った。この作戦は、大失敗だった。廊下を走る「おっぱいちゃん」の姿は、近衛兵が、しっかりと見ていた。

 そして、留守番のタチアナも第一王女にこの怪しげな侍女の訪問を報告するのを忘れることはなかった。

 しかし、タチアナの報告を受けても、第一王女セシーネは半分上の空だった。衣装に大いなる関心があるタチアナと違い、セシーネの頭の中は別なことでいっぱいだった。新たにわかった《治療の才》を見抜く方法を使って子供たちの検査を誰にさせるかという人選をどうやってけってしていいのかと迷っていた。それは、全国的に《治療の才》の「検査」をするには、多数の《見立て》が出来る者たちを動員しなければ、不可能である。確かに、「見習い」たちにも、診断まではいかずとも《見立て》の《力》を使うことは出来る。しかし、「王立施療院」の設立準備を手伝ってくれている救貧院の院長キルマ・パラボン侯爵夫人も国務省の担当官レクター・メンドーサも「見習い」たちをそのために各地に派遣するのは、反対だった。セシーネもそれは、まだ、年齢的に兵役にも満たない子供たちが、そんな「検査」を行っては、国家の威信に関わって来ると思っていた。「見習い」たちには「検査」よりも、治療師(・・・)として医学的な学習が必要だった。

 だが、幸いなことにケンナスの弟子であるルシバが兵役を終えて戻って来ることになった。彼には、多忙なケンナスを助けて「見習い」たちの指導をして欲しかったが、検討の結果、「検査」を担当してもらうことにケンナスの了解を取り付けた。そして、ルシバは、国務省の民部官と共に王家領へ出発の準備を始めた。

 ともかく、《治療の才》を見つける「検査」が、本格的になるのは「王立施療院」が設立されてからである。人々の好奇の目が《治療の技》に集まるのは、当然、セシーネも覚悟はしていた。しかし、まず、「隗より始めよ」のたとえ通り、王宮の「行儀見習い」の侍女やリンゲート王子の相手役の少年たちにまず「検査」を行うことをセイーネは父の国王ジュルジス三世の許可を取り付けた。そしてその「検査」には、セシーネではなく、アリシアが《見立て》をすることも、師であるケンナスや従医長のベンダーの同意も取り付けた。年長者を除外したのは、《治療の才》を見つけても、治療師(・・・)のなるための気の長い修練を課すのは、無理だと判断したのである。

 女官長の部屋へ集められた「行儀見習い」の侍女たちは、第一王女セシーネと喪服姿のアリシアを怪訝な目で見ていた。「検査」の説明役は、またしてもヘンリッタ王妃であった。

「皆さん、よろしいですか。これから、ある検査をします。この検査は、皆さんに《治療の才》があるかどうかを見分ける大事な検査です。検査をして震えが止まらなかったりした時は申し出て下さい」と王妃は「行儀見習い」たちに説明をしたが、大部分のものたちは《治療の才》が何なのかさえわかっていなかった。その「行儀見習い」の中にシルビナもいた。彼女は、喪服姿のアリシアを小馬鹿にしたよう表情を浮かべてに見ていた。

「じゃあ、アリシア、いいわね」と王妃はアリシアを促した。アリシアは緊張をしていた。だが、これはこれから起こる治療師(・・・)の試練の始まりだった。

 アリシアは「行儀見習い」の一人一人に《見立て》を行った。一応、その時の感じた感覚を第一王女の報告することになっていた。

「すっきりです」とアリシアは第一王女に告げた。《見立て》を初体験した「行儀見習い」は、何だか妙だなと感じていたが、それが何かはわかるはずもなかった。検査が終わった「行儀見習い」たちは互いに顔を見合わせていた。だが、王妃と女官長のメレディス王女と何よりも国王の信頼が厚いという前女官長キルマ・パラボン侯爵夫人の厳しい視線の手前、声を出してその不可解さを告げるものは、いなかった。《見立て》はシルビナの番になっていた。生真面目な表情を浮かべているアリシアをシルビナは、にらみつけていた。アリシアは、シルビナの目つきにも気がつかず、シルビナの手首を握ると《見立て》を行った。その瞬間、シルビナは息をのんだ。この妙な感覚はなんであろう。アリシアはまた「すっきりです」と第一王女に報告をしていた。

 集められた「行儀見習い」たちの「検査」が終了した。結局、以前アリシアが起こしたような発作を起こしたものは、いなかった。幾分、残念な気持ちでセシーネは「行儀見習い」たちには、新たに《治療の才》の持ち主はいなかったという結果を受け止めた。王妃が、不可解な表情で顔を見合わせている「行儀見習い」たちに「検査」の真意を伝えた。

「この検査は、皆さんに《治療の才》があるかどうかを見分けるためのものです。どうやら、皆さんには《治療の才》はなかったことがわかりました。ご苦労様でした。また、お仕事に戻って下さい」と「検査」の終了を告げたが、皆が知りたがっている《治療の才》が何のかを王妃は説明しなかった。

 いままで、セシーネは自分の部屋付の侍女であるメリメが連れて来た王宮の人々に《見立て》をしていたが、そのほとんどが、正式な資格を持った医師の診察を受けた経験がなかった。それで《見立て》の感覚に違和感を感じるもののそれが、不思議な《力》によるものだとは気がつくものはほとんどいなかった。無論《治療の技》でケガを治すことはなかった。そのような訳で王家の秘密《治療の技》が、人々の口に上ることはなかった。これは、人々がチェングエンによって「魔法」が滅ぼされたと信じていたことも影響が大きい。まさか王家の一員が不思議な《力》を持っていようとは想像もできなかったのである。

 しかし、ここに動物的直感とでもいおうか、それとも、アリシア・ブライトン侯爵令嬢に対する敵愾心で《見立て》が、不思議な《力》によるものだと気づいたものがいた。それは、シルビナ・カウネルズ伯爵令嬢である。彼女は、アリシアに《見立て》をされた瞬間、それが尋常なことではないと感づいた。そして、王妃をはじめとする「お偉いさん」が部屋を出て行くと、シルビナはアリシアが「魔女」だといい出した。だが、それはまたアリシアを(おとし)めるためにいい出したことだと回りの人々の顰蹙(ひんしゅく)を買うような結果になったが、シルビナの直感は、ある意味で正しかったのである。

 一方、「行儀見習い」たちに《治療の才》の持ち主が見つからなかったセシーネたちは、今度は国王の次弟ヘンダース王子の長男リンゲート王子の相手役の少年たちの「調査」に着手した。リンゲート自身は、幾度となく治療師(・・・)ケンナスの《見立て》の経験があったが、自分も「調査」をしてくれといって聞かなかった。リンゲート王子付の侍従であるハロルドが、そんな必要がないといって聞かせたが、リンゲートは納得しなかった。結局、セシーネが、「まあ、いいでしょう」と許可をした。この「検査」には、リンゲートの両親ヘンダース王子とアンジェラ妃が立ち会った。リンゲートに《見立て》をしたのは、やはり、アリシアである。このことにリンゲートは、アリシアも不思議な《力》の持ち主であることに気がついていたが、あえてそれは、口にしなかった。神妙な顔で《見立て》を受けると特に何の変化も訪れなかった。

 ヘンダースもアンジェラもハロルドも、内心《治療の才》の持ち主は見つからないと思っていた。リンゲートもやはり治療師(・・・)が、希有な存在であることを知っていた。

 一方、やんちゃな少年たちもこのよく訳のわからない「検査」に戸惑っていた。しかし、ヘンダース王子たちの手前、おとなしくアリシアの《見立て》を受けていた。やはり、誰もがその妙な感覚に驚きの表情は隠せなかった。最後の、一番の年少であるリディア王女付の侍女のマージェルの息子コーディンの番になった時だった。「アッ」と声を出し、アリシアが《見立て》の手を離した。コーディンは、震えていた。

「何だが、身体が震えるのだけど」とコーディことコーディンはおびえた目で回りを見回した。意外な反応にヘンダース王子たちは、驚いたが、セシーネは表面上は冷静だった。二度目となればその対処方法もわかっている。落ち着いた声で「コーディ、リンゲートの手首を握ってごらんなさい」といい、もう片方のコーディの手を握った。コーディに手首を握られたリンゲートは、「嘘だろう」と大声を出した。それは、リンゲートにもなじみがある感覚だった。

 セシーネが、《見立て》の《力》を断ち切るとコーディの震えは治まっていた。驚いたことにコーディも《治療の才》の持ち主だった。意外な結果にヘンダース王子たちは深刻な表情をしていた。コーディは自分だけ違う反応をしたことで、自分が他の少年たちと違うのだと気がついた。しかし、大人たちは自分が何者であるかは、答えてくれなかった。

 この発見にセシーネは、コーディの母親のマージェルと話合う必要を感じていたが、やはり、ここは継母のヘンリッタ王妃にその役目を頼むことにした。コーディンに《治療の才》が、備わっているという事実にセシーネは「検査」でわかった《力》の持ち主たちの処遇をどうすべきか、自分なりの結論もあったが、やはり、父の国王の考えも聞くべきだと思った。それは、コーディンの《力》が判明した夕食の席で、話題にすることにした。その席にはリンゲートも妹のエレーヌも同席しないが、王妃や叔父のヘンダース王子も顔を揃える場所でもあった。

「そうか、コーディンは《治療の才》があるのか」と国王は、平静だった。

「お父さま、問題はコーディンのように検査で《治療の才》が判明した子たちをどうするかだと思うの」

「セシーネ、どうするかとは、どういう意味だね」

「《力》があるからといって全員を治療師(・・・)にする必要があるかしら。お兄様だって《治療の才》はあるけど治療師(・・・)の勉強は途中でやめてしまったわ。やはり、本人がやる気がないと続かないわ。それに特に《見立て》の勉強は根気がいるわ」

 ここで、やはりヘンダース王子が口を挟んだ。

「セシーネはどうしたいのか」

「叔父さま、コーディンを始め小さい子たちには選択するようにしたいの。治療師(・・・)の勉強をするか、それとも他の職業を選ぶか、その子の意志と無論両親の考えも聞いてからにしたいの」

「しかし、危険ではないかな。勝手に《治療の技》をかけたりしたら」と幼い時のエドワーズとセシーネの危険な遊びを覚えているヘンダースにはその意見は危険なように思えた。

「大丈夫よ、叔父さま。検査でするのは《見立て》だけだわ。それなら、傷の治療に《治療の技》を使ったりはしないはずよ」とセシーネは、主張した。ヘンダースは、セシーネの無理矢理に治療師(・・・)の勉強を強制しないという意外な考えにセシーネの成長を感じ取っていた。

「まあ、この件は、セシーネに任そう」と国王は結論を出した。

「そういえば、エドワーズ、メエーネのイザベル王女は、そろそろ到着するのではないかな」と話題を変えた。

「ええ、多分、もうすぐでしょう。もちろん《治療の技》のことを知って結婚を取り止めたら、アンドーラへは来ないでしょう」

「しかし、ランガルク公爵は、帰国の気配もないぞ」とヘンダース

「まあ、軍の視察も結構だが、イザベル王女が到着した時には、迎えに行きなさい」と国王は王太子に助言をした。二度の結婚は、国王に女性との付き合い方を気にかけるべきだと教えていた。



 アンドーラへの船旅に間、話し相手がいなくなってしまったメエーネのイザベル王女は、退屈を紛らわすためアンドーラの貴族の家名とその紋章を書き記した書物を見て過ごした。アンドーラの第一王女のセシーネが勉学、ことに「医学」への学習意欲は旺盛であったが、イザベルもメエーネの王女として、またアンドーラの王太子妃としての勉強は怠りなかった。

 アンドーラ海軍を付き従えてイザベルたちが乗った船が、チェンバーの港に到着するのは、もう間もなくのことだった。イザベルはアンドーラの船なら、もっと早くチェンバーに到着できるのは知っていた。それは少し残念な気がしたが、チェンバーで待っている人やこれから起きるであろう出来事の方への期待の方が大きかった。

 イザベルは、船が桟橋に着岸し下船の用意をする間、船室から出て来た母親のメリッサ・ランガルク公爵夫人やアンドーラ駐在大使のスラード伯爵と共に甲板から、桟橋にいる出迎えの人々を観察した。その中に婚約者のエドワーズ王太子がいるのかと思うとイザベルの胸の鼓動は高まった。目を凝らすと父親のランガルク公爵の姿が確認できた。その横に立っている背の高い青年が、婚約者ではないかとイサベルは期待と不安で一杯になった。慌てて髪に手をやった。海風で髪が乱れているような状態でエドワーズと再会したくなかった。幼い時には、容姿を気にするようなことはなかったが、年頃になって婚約者に美しいと思われたいと身なりを整えることにも気を配っていた。桟橋には、顔なじみになったアンドーラの外務卿ハッパード・サンバース子爵の姿も見かけられた、他に十頭以上の馬と、馬の傍らには、甲冑をつけた者たちが、物々しく槍を持って立っていた。

 上陸の準備が整うと、船長が、その旨をイザベルとメリッサに伝えた。船旅が苦手なメリッサは、ホッとした顔をしていた。だが、上陸するには、桟橋に寄せる波で上下する不安定な渡り板を歩かねばならない。イザベルたち一行が躊躇(ちゅうちょ)していると、待ちかねたように父親のランガルク公爵が、先ほど傍らに立っていた背の高い青年と外務卿を引き連れて、船に乗り込んで来た。ランガルク公爵は、満面の笑みを浮かべていた。青年の方は曖昧(あいまい)な微笑みを口元に漂わせていた。その瞬間、イザベルは「恋」に落ちた。

「船旅はどうだった、イザベル」とまず、父親の言葉にイザベルはふと我に返った。見知らぬ相手の気を惹くには、容姿も大切だが話し方も大事だと思い、声が震えないように気をつけながら「お母さまもスラード伯爵も、船酔いでお辛そうでしたけど、私は、大丈夫でしたわ」と、父親の船旅をした人に対する社交辞令的な問いかけにイザベルも、やはり曖昧(あいまい)な微笑みを浮かべた。

「そうか、今の季節はそれほどの荒波ではないと聞くが、とにかく無事に到着して、よかった」と、ランガルク公爵は、礼儀作法の見本のような会話である。だが、イザベルは早く、青年の正体を知りたかった。青年がエドワーズなら、何の(とが)を受けずにすむ。しかし、別人なら、こんなに不幸な話はない。イザベルの不安は、この青年が甲冑姿ではなかったことである。取り交わした書簡によるとエドワーズは、日常も甲冑を装着しているとか。だが、彼は、剣を下げていたが、服装はアンドーラで「文民服」と呼ばれる平服だった。イザベルの気持ちを知ってか知らずかランガルク公爵は、礼儀作法通りにことを続けた。

「五年振りほどになるかな、改めて紹介しよう。娘のイザベル王女だ、エドーワーズ」とここで、イザベルは最高の答えを得た。やはり、青年は婚約者のエドワーズだった。創造主は、イザベルに幸運な贈り物した。イザベルは、高鳴る胸の鼓動が、周囲の人々の耳に入るのではないかと思った。

「イザベル、こちらが、アンドーラの王太子エドワーズだ。ハンサムだろう、イザベル」とここは、少しくだけたランガルク公爵だったが、エドワーズは、イザベルの意表をつく行動に出た。なんと高位に対する挨拶をしようとしたイザベルの手をとると、その上にかがみ込み、唇をつけたのである。これは、メエーネでは、高位の貴婦人に対する礼儀だった。イザベルは、思わず赤くなって「まあ、エドワーズったら」と慌ててその手を引っ込めた。エドワーズが唇をつけた手の甲は、何故だか、熱を持っていた。イザベルは、ふとアンドーラの礼儀作法は、どうなっていたのか思い出そうとしていた。

「ようこそ、アンドーラへ」とエドワーズは今度は、イザベルの視線を捉えて、よく響く声で言った。

 よく、口の悪い歴史家たちはこの王太子時代のエドワーズについて「人誑(ひとたら)し」と評したが、父親のジュルジス三世と同様、エドワーズも人心掌握に長けていた。それは、陸軍の駐屯地視察での「演説」で、若い兵士だけではなく各師団長さえ、その術中にはまった。王制という君主制をとるアンドーラでは、この資質は、国王の座に即くものには、不可欠な要素ではあった。

 華やかなチェンバース王家と比べ、地味な感のするパルッツエ王家の王子でもあるランガルク公爵は、引き続き妻のメリッサを紹介していた。ランガルク公爵は、内心、チェンバース王家の秘密《治療の技》について、妻や娘の耳に入ったのではないかとその秘密を知るスラード伯爵にそれとなく目配せをした。その間、イザベルは上気した顔で、エドワーズから、視線を外すことが出来ないでいた。だから、父親の視線が、不自然なのを気に留めることはなかったが、母親のメリッサは違っていた。夫が何か、スラード伯爵と内密な話があるのを気がついていた。しかし、妻の鋭い観察も、まさか不思議な《力》のことだとは予想が出来なかった。

 船を降りる時には、まだイザベルの高揚感は続いていた。ランガルク公爵がメエーネからの一行を紹介し終わると、エドワーズは、礼儀作法にはなかったことを再び演じてみせた。イザベルの手を取ると、渡り板を渡り始めたのである。ただでさえ不安定な渡り板にエドワーズの予想外の行動にイザベルの足元もおぼつかなかったが、エドワーズは、ゆっくりとだが、力強い手でイザベルを支えた。

 桟橋におりると。今度はイザベルの護衛を務める近衛兵の隊長のカークライト准尉をエドワーズがイザベルに紹介し、それが終わると、アンドーラの王太子は、桟橋に横付けされた馬車には乗らずに馬に跨がり、「また、会おう、イザベル」というとイザベルたちを置いていってしまい、イザベルはちょっと心残りだった。文民服のエドワーズの後に王太子旗を掲げた甲冑を身に着けた近衛騎兵が、続いた。

 だが、のぼせ上がったイザベルが、王女らしい嗅覚で気持ちを冷やすのは、メエーネからイザベルの護衛のためについて来たアクセル少佐の言葉だった。彼は、初めての船旅で船酔いに悩まされていたが、陸に上がれば、頼もしい戦士だった。その戦士らしい観察眼で、イザベルの護衛のために控えているアンドーラの近衛兵の甲冑に注目していた。気をつけのの体勢で待機している彼らには、質問せずにアンドーラの事情に詳しいはずのアンドーラ駐在大使のスラード伯爵に「エドワーズ殿下の護衛の近衛兵と王女さまの護衛の近衛兵と甲冑が違うようですが」と尋ねた。

「ああ、エドワーズ王太子の方は、重騎兵ですね。王女さまの方は、軽騎兵のようですな」と軍備には幾分、素人のスラード伯爵は、何気なく答えた。その答えにイザベルの王女としての自負心に火がついた。イザベルにとってアンドーラの重騎兵は昔の騎士を連想させる存在だった。それに比べ、軽騎兵は、メエーネの騎兵と大して変わらない。イザベルは内心、自分も重騎兵の護衛を望んだが、それでもアンドーラのチェンバース王家の丁重な扱いにその時は溜飲をさげた。



 マージェルは、息子の意外な才能の発見に動転してた。すでに未亡人となったマージェルには、相談相手は、もっぱら、前女官長のキルマ・パラボン侯爵夫人だったが、もっと身近で、親身になってくれる女性がいた。コーディンを身ごもったマージェルが出産をした時に世話になったメンドーサ家の当主夫人ジェリカだった。このジェリカは、「王立施療院」の設立準備の国務省の担当官レクターの母親でもあった。マージェルは、非番の日にそのジェリカ・メンドーサに相談にいくことにした。メンドーサ家は貴族ではなかったが、噂では爵位を与えようとしたメレディス女王の意向を断って、平民の身分を選んだという、曰く付きの家柄であった。だが、メンドーサ家は、王都の市民の間では有名な家だった。現当主のファンベルは、面倒見のいい人物と知られていた。治療師(・・・)ケンナスと従医長のベンダーが王宮以外の診察場所を設けるにあたって場所を提供したのが、メンドーサ家だった。そんな訳で《治療の技》のこともわかっていて、コーディンのことも知っているジェリカに相談するのがもっともだと思われた。

 確かにコーディンの《治療の才》があることを告げられた時、同席していた第一王女のセシーネは、強制的に治療師(・・・)にするのではない、コーディン本人の希望と母親のマージェルの意向を尊重するといったが、マージェルは、何だか不安と恐怖のようなものを感じていた。コーディンには父親のことは、ただ、陸軍士官だったとしか教えていない。それが、酒乱でとんでもない男だったと息子に告げるのは、コーディンが兵役を向かえる時ぐらいでいいと思っていた。コーディンは父親と同じように軍学校こと王立陸軍士官学校への入学を望んでいた。同じように軍学校志望のリンゲート王子とは、乳飲み子のときから共に育ち、乳兄弟ではなかったが、リンゲート王子の両親のヘンダース王子やアンジェラ妃から、乳兄弟同然の扱いを受けていた。無論、コーディンの父親が、売春宿で酒に酔って暴れた挙げ句に用心棒に自分の剣で殺されるという不名誉な死に方をしたことはヘンダース王子夫妻は知っていたが、それを噂話のするような同情心のないような振る舞いは、王家の人々はしなかった。むしろ、コーディンの父親の実家の伯爵家に非難の目を向けていた。そんな事情も知っているのがメンドーサ家のジェリカだった。すでに孫もいるジェリカは、市井に暮らす賢夫人の見本のような女性だった。その当時の女性には珍しく文字の読み書きも、難しい法律書を読むことも出来るほどの見識があった。貴族でない平民の身分を守るのが法律だと知っていたからである。

 マージェルは、息子の不思議な《力》の持ち主であるという事実を重く受け止めていた。このことをジェリカに打ち明けると「そう、それで、コーディは自分が《治療の才》があることを知っているの」

「多分、王宮育ちですもの《治療の技》を知っているはずだわ」

「そう、それで、コーディは治療師(・・・)になりたいといっているの」

「あの、第一王女さまは、本人と私次第だと。治療師(・・・)になりたければ、そのような訓練というか、お勉強をすればいい、なりたくなければそれまでだと」

「だったら、そのお言葉通りにすれば、いいのじゃない。確かコーディは、軍学校に行きたがっていたでしょう。でも、今の時代は軍で手柄を立てて出世は難しいと思うわ。それより、病人やケガをした人の治療をする職業も悪くないと思うわ。人様を殺すのではなく、命を助けるのですからね。それで、いつまでに決めればいいの、その治療師(・・・)になるかどうかを」

「さあ、いつまでとは聞いていないわ」

「とりあえず、実家のお兄さんが、商談で、王都に来る時にまた、相談しましょう。あの伯爵家には,知らせても仕方がないでしょう」とジェリカは、マージェル母子を援助もせずにほったらかしの伯爵家を暗に非難した。

 マージェルは、頷いて、自分が気持ちが落ち着いたことに気がついた。ジェリカの落ち着き払った態度にいつしか不安が消えていた。こうして、マージェルは再び王宮へと戻っていった。



 アンドーラの王都をメエーネのイザベル王女たちが、アンドーラのチェンバース王家の居城、新宮殿に向かって馬車を走らせていた。馬車の中で、イザベルは母親のメリッサと話し合い、身分のある女性に付き添う侍女を連れて来なかったので、アンドーラ駐在大使夫人のスラード伯爵夫人にその役を頼むことにした。王家から王家に嫁ぐ時に摩擦となるのが、実家の王家の随員を懇意にして、嫁ぎ先の王家の臣下である貴族たちの反発を招くという、両国の友好関係を反古にするという結果になりがちだが、それを避けるため、メエーネのパルッツエ王家では、最低限以下の随員しか連れて来なかった。

 侍女を選ぶのにイザベルは、自分と同世代の話し相手になってくれるような若い女性を考えていたが、母親のメリッサは、違っていた。結婚して王太子妃となる以上、出産と育児の経験のある年長の女性の方が相応しいと考えていた。その意見の相違は、イザベルが、自身の教育係でもあったオリビア・ハーツイ伯爵夫人の二番煎じはごめんだと思ったことから起こるのであるが、説教をしそうな人物を遠ざけるのは、若いものだけの傾向ではない。だが、メリッサは自分の経験から、王制度に置ける王太子妃の重要な役目は王位に即くもの生むという、いささか女性の地位の向上を主張するものには、猛反発を受けるような思考であったが、現実は、やはり、出産を期待されていたのである。そして、この現実が、後にイザベルを悩ますのである。

 また、予想外の軋轢(あつれき)が、イザベルを待ち受けていたが、それは、イザベルが、メエーネのパルッツエ王家の宮廷にいるただ一人の王女だったというイザベル自身の自尊心から、巻き起こるちょっとした騒動であり、王宮勤めの人々の格好の噂の的になるのである。


 メエーネのイザベル王女の到着の知らせはもちろん国王ジュルジス三世にも届いていたが、立場上出迎えはせず、いつものように執務室で政務を執っていた。その代り、婚約者である王太子には、迎えにいくようにそれとなく水を向けたし、名代として外務卿のハッパード・サンバース子爵を差し向けたのだが、イザベル王女の到着に何となく安堵感を覚えていた。それは《治療の技》が原因で両家の破談という最悪の結果を招かなかったことにホッと一息ついた感がある。だが、まだ油断は出来なかった。花嫁が花婿の不思議な《力》を知って結婚式を挙げたものの名目上だけの夫婦となりかねない。この時、国王がイザベルの恋心を知ったら、エドワーズに凛々しい容姿を与えた自分自身と亡き王妃ミンセイヤに感謝の意を持ったことだろう。

 しかし、国王が、配慮すべき外交上の問題点は他にもあった。国王の後継問題で揺れているサエグリアの国情である。女性の使う「魔法」を悪の魔法と決めつけている福音教会が、実効支配しているサエグリアが、第一王女の不思議な《力》を知れば、どんな態度に出て来るか予想は簡単についた。そのため、駐在大使を召還し、国境付近の守りは警備に怠りないように陸軍元帥ガナッシュ・ラシュール中将に指示をしていた。

 ガナッシュは、「御前馬上試合」の観戦に訪れたサエグリアの騎士団長ステラエル公爵から、サエグリアの情報収集を行っていた。それによると、次期国王の有力候補は、国王の立った一人の王女の夫を福音教会の最高権力者の総司教は、推していた。その人物は凡庸を絵に描いたような人物で、何よりも福音教会の傀儡(かいらい)になることは、目に見えていた。ステラエル公爵自身も現国王の従兄にあたり王家の出身で主張をすれば、王位継承権もあるにはあったが、気骨のある性分が総司教に敬遠され、王位に即くことは不可能といってよかった。そして、福音教会の横暴は日にまして油断ならない状況を作り出していた。その上、福音教会は、堕落の極みにあった。最高権力者の総司教は前国王の庶弟であったが、それを嵩に世俗な問題である王家と国政に多大な影響力を行使し、それだけでも物足らず、冒瀆(ぼうとく)誹りはまぬがれないが聖職の身にありながら、公然と愛人に息子を産ませ、その息子をやはり、福音教会の要職に就けていた。特にサエグリアの騎士団長が危惧していたのは、教会騎士団の存在であった。サエグリアの騎士団の規定では、庶子は騎士に叙せられることは出来なかったが、教会騎士団には貴族であれば庶子でも入れることになっていて増長の一方だということだった。だが、軍事の専門家であるステラエル公爵の目からは、教会騎士団は烏合の衆に過ぎない。国王直属の騎士団に比べたら、その戦力は、かなり見劣りがするのが、否めないが、教会の騎士団がその武力を行使するのは、弱い女子供や農奴への乱暴狼藉を働くのが、せきの山であると指摘したが、それも、自分の目が黒いうちだと嘆いていた。

 サエグリアの惨状も、国王の配慮が必要だったが、もっと、助力を必要としている国があった。遠く離れたタジールである。この国は、互いに交易の相手として最低限の礼儀を尽くす程度の交流だったが、駐在大使のバンデーグ・バンデーグ子爵の旱魃(かんばつ)に見舞われ、干害で農作物の不作が続きついには餓死者も多数出たという報告と食料援助の要請に外交的な見地より援助を決定したばかりだった。その援助物資としてメエーネの農産物を充てることにしていた。そのような事情でメエーネとの国交を友好的なものにしておく必要があった。だが、イザベル王女が(へそ)を曲げるのは、チェンバース王家の秘密《治療の技》ではなく、護衛の近衛兵に関するものだとは、さすがに英知な国王ジュルジス三世も予想がつかなかった。


 宮殿に到着したイザベル王女たちを出迎えたのは、チェンバース王家の女官長であるメレディス王女とヘンリッタ王妃、アンジェラ妃、ネリア妃とその他にエレーヌ王女をはじめとする幼い王女たちだけだった。つまり、簡単にいえば、チェンバース王家の女性の内第一王女だけが、出迎えにいなかったということになる。第一王女の不在にイザベル王女は、失望を隠せなかった

「セシーネは」と互いを引き合わせた父親のランガルク公爵に尋ねた。

「さあ、どうしているのかな」と事情を知らないランガルク公爵は、女官長のメレディス王女に「セシーネ王女は、どうしているのか」と尋ねた。

「セシーネなら、今は救貧院ですよ。お昼には戻って来るから、後で、挨拶に行かせますわ」とメレディス王女に代りヘンリッタ王妃が答えた。この答えにイザベルは何だか、自分が軽視されているような気がした。それが、最初の不愉快感であった。

 そして、次のイザベル王女の自尊心を傷つけたのは、チェンバース王家の大人の女性の護衛は、すべて重騎兵がついていたことである。だが、それは、まだ、我慢できる程度の問題だった。問題なのは、久しぶりの地上での昼食を終えたイザベルたちに挨拶に来たセシーネ王女だった。久しぶりに会う婚約者の王太子の妹は、美しい少女に成長していた。それはイザベルにとって、ある意味で敗北感を感じさせるほど美しかった。確かにメレディス王女も背が高く威厳を感じさせる美貌だったが、年は離れていることもあって圧迫感を感じるだけだったが、セシーネの容貌はイザベルが願っていた容貌に近かった。黄金色の髪と碧く澄んだ瞳が印象的だった。自分の褐色の髪の色が、悔しかった。それにしても、セシーネはそれほど歓迎という態度ではなかった。最低限の礼儀をわきまえる程度の挨拶をすませるとすぐに「用がある」といって即座に退室してしまった。その時、イザベルは、セシーネの護衛が重騎兵であることに気がついたのである。

 イザベルは、どうしようもない怒りをセシーネに抱いた。この怒りを解消するには、まず、自分も昔の騎士を彷彿とされる重騎兵に護衛をされることが必要だった。イザベルはすぐに行動に出た。自分の護衛隊長であるカークライト准尉に「カークライト准尉、私の護衛の任務をあなたに決めたのは誰なの」と尋ねた。カークライト准尉は「それは、自分がこの任務を命じられたのは上官殿からですが、何かお気に召さないことがありましたか」と尋ねたが、イザベルは、王国で決定した物事を(くつがえ)す力のあるものを王女の()でカークライト准尉でもその直属の上官でもないことを知っていた。「あなたの上官で一番偉い人は誰なの」と聞き返した。カークライト准尉は、この王太子の許嫁(いいなずけ)のメエーネの王女の機嫌を損ねないように「そうですね、一番偉い上官といえば、師団長閣下ということになりますが」と、まだ、士官でも最下位の階級である准尉である自分には、口も聞いたことのない雲の上の存在である師団長が、自分にとっての最高位だと思っていた。しかし、近衛師団長のサッカバン・バンデーグ准将には、まだ、陸軍元帥という上官がいたし、陸軍元帥には、国王というこのアンドーラでの最高権力者もいたが、この時のイザベルの質問の答えは、カークライト准尉の答えで正解だったのである。

「師団長閣下は、名前はなんというの」とイザベルは再度質問した。「サッカバン・バンデーグ准将ですが」とカークライト准尉は答えた。その「准将」という階級がイザベルの探していた人物なのをイザベルは王女の嗅覚で確信した。

「そのサッカバン・バンデーグ准将はどこにいるの、案内しなさい」とイザベル王女は、カークライト准尉に命じた。この命令にカークライト准尉は、この任務に就く時に上官からの注意事項として、たとえ国王陛下に会いたいといってもそれを拒むなという事項もあったことを思い出し、諌めることもなく「では、ご案内します。ただ、アクセル少佐には、ここで待機していただきたい」とイザベルの案内はするが、メエーネからついて来た護衛のアクセル少佐の同行は拒んだ。イザベルは、カークライト准尉の言葉にしたがうようにアクセル少佐にきっぱりと「少佐はここで待っていて」と待機を命じた。そして、躊躇するアクセル少佐に「このカークライト准尉が、私に危険な目に遭わせると思う?私は安全よ」とアクセル少佐にいった。宮殿の中の近衛師団師団長の執務室のある詰め所と呼ばれる准尉の自分が出入りを許されていない場所へと導いた。無論、何カ所かある検問に「イザベル王女さまが、師団長閣下に会いたいといっておられる」というとあっさりと通してくれた。だが、最後の師団長の執務室にはイザベル王女だけが、入室の許可がでた。そこで、カークライト准尉たちはそこで待機した。

 初めて入る武官の執務室にイザベルは、緊張よりも物珍しさで、部屋の中を見回した。目当てのサッカバン・バンデーグ准将は、兜こそ被ってはいなかったが鎧を身につけた状態で執務用の机の前に座っていた。

「ご用件は何ですかな、王女さま」と近衛師団長は、このイザベルの不意打ちにも落ち着き払っていた。

「師団長閣下、私の護衛が軽騎兵なのは、どうしてですか」と単刀直入に質問をした。この質問にイザベルの不満を読み取った近衛師団長殿はさすがである。平然と「それは、規則で外国からの要人には軽騎兵の護衛をつけることになっております、王女さま。アンドーラは法律によって、国政を敷いております」

「法律なの」とここにイザベルは厚い壁を感じた。しかし、近衛師団長は行付け加えた「しかし、王太子殿下とご結婚の暁には、チェンバース王家の一員となられるのですから、護衛は重騎兵が担当ということになります」

 この朗報にイザベルの顔がほころんだ。サッカバンも何とはなしに微笑みを浮かべた。その愛らしい笑顔にサッカバンは、国王の最初の妃ミンセイヤを思い出した。彼女もその愛くるしい性格で国王ジュルジス三世を魅了していた。

「それなら、お願いがあるの、今年の馬上試合の優勝者を私の護衛に指名して欲しいの」とイザベルはおねだりを始めた。

「それは、出来かねます。規則で、彼は国王陛下付きとなっております」

「それなら、去年の優勝者は」とイザベルは再度畳み掛けた。

「そちらも、規則で国王陛下付きとなっております」

「じゃあ、その前の年は」とさらにイザベルは粘った。

「こちらも、規則で王妃さま付となっております」

「その前の年は」とイザベルはあきらめなかった。

「彼なら、配属が替わりまして、近衛にはおりません」

「そうなの」とイザベルの失望は隠せなかった。ここで、王家に近く仕えていたサッカバンは、王女の機嫌を直す方法を知っていた。

「それよりも、王女さまは近衛師団の制服や甲冑が変わることをご存知でしたか」と尋ねた。

「いえ、そういえば、エドワーズの手紙に書いてあったような気がするけど」

「そうですか、変更になるのは来年からですが、王女さまのご意見も伺いたいですな」とここで、サッカバンは立ち上がった。小柄の王女を見下ろす形になった。サッカバン准将の体格に若干の畏怖を感じながらも「意見を聞きたい」という近衛師団長の言葉にいつしか不満を忘れたイザベルであった。しかし、そのイザベル王女の不満は、王女同士の軋轢(あつれき)というか(いさか)いの序章に過ぎなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ