王国の華
王太子エドワーズの婚約者イザベル王女は、アンドーラの「馬上試合」に昔の騎士と同じような夢を抱いていた。しかし、そのアンドーラの「御前馬上試合」で優勝者を讃える役目を務める第一王女セシーネは、「馬上試合」での衣装よりも《治療の技》の事で頭がいっぱいだった。
医学を学ぶためセシーネの侍女になったアリシアが、《見立て》に反応したことで《治療の才》の持ち主と判明した事実に新たな可能性が、生まれて来た。
一方、兄のエドワーズもイザベル王女の父親のランガルク公爵に《治療の技》のことを打ち明ける決心をする
メーエネのイザベル王女は、アンドーラへの出発を前にしたこの一週間、機嫌良く過ごしていた。それは、イザベル王女が主役の行事が続いて、話題の中心だったせいでもある。特に宮中舞踏会では、無論主役で、王女と踊ることを希望する相手が列をなして並び、王女の自尊心は大いにくすぐられて、夜明けまで踊り続けたが、希望する相手がまだ残っていたので、急遽予定を変更して次の夜も舞踏会を開催することが決まった。
イザベル王女はその無邪気な性格から、メエーネの宮廷に集う人々から愛されたが、一見従順そうな態度からは、なかなか想像できないしたたかな一面も持っていた。そして、日頃の言動からは推し量ることのできないことに頭脳も明晰であった。しかし、それを披露できる場面でもイザベル王女は、凡庸を装った。まあ、メエーネの国風は極端な男尊女卑ではなかったが、幾分、利口な女性を煙たがる傾向があった。これは、イザベル王女の母親のメリッサ・ランガルク公爵夫人の影響も大きかった。
メリッサは、イザベルを生んだ時、内心、王子でないことに落胆したが、やがて当時のメーエネのパルッツエ王家を訪問していたアンドーラのチェンバース王家の先王ジュルジス二世の提案に王家における王女の重要な存在理由に気がつくのである。それは、政略結婚の駒としての価値である。それは確かに権謀術の範疇でもあったが、メリッサに生まれたてのイザベルへのさらなる愛情を注ぐには十分な理由でもあった。
ジュルジス二世の提案というのはは、チェンバース家の王太子エドワーズとパルッツエ家の王女との婚姻であった。無論、政略結婚の性格上、当事者の心情は、あまり考慮されない。しかもこの時の当事者は、まだ、二歳の幼子と生まれたての赤ん坊である。結婚に対する希望を尋ねても、答えを期待する方が無理というものである。
この縁組みは、当初、婿は、チェンバース家の王太子エドワーズで決定していたが、花嫁の方は、パルッツエ家の王女というだけで、イザベル王女と決定している訳ではなかった。チェンバース家の希望はなるべく、国王の血筋に近く、年齢がエドワーズの相手にふさわしい王女ということだけだった。従って、メエーネの国王ロバーツ二世に王女が誕生していたら、イザベルの出る幕はなかったのである。しかし、ロバーツ二世に王女は誕生せず、ここにエドワーズとイザベルの婚約がなされる運びとなった。
イザベルは、自分の婚約相手が、従兄のメエーネの王太子クリソフと同じ年であることもあって、何かと二人を比べて考える傾向があった。まず、容姿は、いささか平凡な顔立ちのクリソフに比べ、エドワーズは、交渉にやって来るアンドーラの外交官の話では、顔立ちは、かなり際立っていると聞いていたし、イザベル自身もエドワーズの「立太子」の式典に参加するために一度アンドーラに行き、エドワーズに会っている。チェンバース家の国王はもちろん王子や王女は、その当時存命していた王太后エレーヌの実家のエンガム公爵家から受け継いだ容貌はかなり人目を引く秀でた顔立ちと、チェンバース家の背丈の高い姿を受け継いでいた。無論、イザベルも王太子の資質として容姿が、あまり重要でないのは知ってはいたがそこは王女とはいえ、若い夢見る年頃である、花婿が、ハンサムなのは心をときめかす事項であった。そして、王太子として肝心なのは、将来、国王になったときの統治能力である。それは、まだ、二人とも未知数であったが、王国の後継者として、現国王を補佐する技量には、クリソフはなかなか非凡な所を見せ、父親の国王ロバーツ二世を喜ばせていた。一方のエドワーズは、武術の鍛錬には熱心だが、その兜を乗せているその中身については、まだイザベルが知る術は、最近になって取り交わす書簡がたよりであった。その文面から察すると、頭は悪くないようだったが、その書簡が自分もそうだが、助言者の助けを借りて書かれたものである可能性は否定できない。
イザベルの比較は王太子だけではなく、王国全体まで、範囲を広げていた。特にイザベルが気になったのが、アンドーラで催される各行事のことである。特にイザベルが心惹かれたのは、「御前馬上試合」である。馬上試合は、メエーネでは開催されない。これは、軍制度と深く結びついている。メエーネでは、騎兵は弓術を主に用いられており、槍術はあまり重要視されていなかった。
しかし、馬上試合とは、イザベルは、かつての騎士団制度を連想させるのに十分だった。イザベルはその馬上試合をメエーネでも開催してはと伯父のロバーツ二世に提案してみたが、メエーネに槍騎兵はいないと一笑されてしまった。イザベルはがっかりしたが、アンドーラに嫁げば、毎年、観られるとクリソフはからかったが、イザベルが特に気になったのはその「御前馬上試合」でエドワーズの妹のセシーネ王女がする、ある行為のことであった。
それは、優勝者を讃える役目のことであった。セシーネ王女は、優勝者のその腕にリボンを結ぶという、まるで、かつての騎士について書かれた物語にある騎士と貴婦人との崇高な行為のように思えた。それは、騎士が貴婦人の庇護者になるという騎士道の花形的な行為であった。メエーネで「御前馬上試合」が開催されれば当然、優勝者を讃える役目は王女であるイザベルが行うことになる。イザベルは、自分の騎士が欲しかった。だが、それはアンドーラへいけば手に入るのではないかと期待に胸をふくらませている毎日であった。
メエーネのイザベル王女が期待していたアンドーラの「御前馬上試合」は、現国王ジュルジス三世の発案で年一度開催される華やかな行事であった。参加者は、甲冑と馬さえあれば、平民でも出場できるある意味で開かれた行事であった。無論、陸軍の各師団で選別された若い重騎兵にとっては、階級を上げる重要な機会であった。海軍も「陸」の鼻を明かそうと騎兵を選別して参加させている。海軍にも騎兵がいるのは、奇妙だが、それは、ジュルジス三世の士官というものは全て騎乗をすべしという意向によるものであった。
その一方で、一般参加のものたちにとっては、優勝者には、国王への直接の「誓願」ができるという、国王への誓願を願い出ているものには、ぜひとも優勝して、誓願を果たしたいところである。アンドーラには、他にも誓願制度はあるのだが、大部分は国務省の役人が処理をして、なかなか国王の目に触れることはなかった。
そして、その優勝者を讃えるという、観衆の注目を集める役目を担うのが、現在は第一王女のセシーネであった。この役目の前任者第四王女のメレディスは、この役目に思い入れがあるらしく、姪のセシーネ王女を厳しく指導をした。
その役目を担う以前は、兄の国王ジュルジス三世からの国政への参加を求められている次兄のヘンダース王子や弟のランセル王子に比べ、メレディスはその役目以外取り立てて仕事らしい仕事もなく、精々、男装して武術の稽古をする程度の日常だった。メレディスは、その優勝者を讃えるという役目を担うことで自分は「王国の華」なのだと自覚した。そして、それにふさわしい容貌もメレディスは兼ね備えていた。
「御前馬上試合」が、戴冠して間もない国王ジュルジス三世の発案で、開催が決定した時、確かにその役目は、メエーネのイザベル王女が推測をした通り、かつての騎士を庇護者に任命する行為から、発想された役目であった。そのことに気がついたのは、メレディスより、その母のエレーヌ王太后であった。政治に敏感であった王太后は、その役目を重要性を娘のメレディス王女にいって聞かせた。そこで、初めて、王女らしい役目を果たすことになることに気がついたメレディスはズボンから、スカートに履き替えることになる。メレディスが、兄の国王の目論みにまんまと引っかかった気がつくのは、最初の「御前馬上試合」が、無事終了してから、父の先王ジュルジス二世の「メレディス、あのドレスはすばらしかったぞ」という言葉を聞いてからであった。王太后は娘に豪華で手の込んだ衣装を用意したのである。そして、その次の年にはまた、新しい衣装を用意したのである。
そんな経緯がある以上、後任者にも「王国の華」にふさわしい衣装を用意するのが、女官長となったメレディスの重要な任務であった。だが、当時、他の任務らしい任務もなかったメレディスと違い、後任者のセシーネは、《治療の技》の持ち主で医学を学び、しかも、王太后の遺言で「王立施療院」の院長の就任が決まっている。セシーネにとって「王国の華」よりもその「王立施療院」の方が重要だった。当然、思い入れがメレディスの時と違って来る。思い入れのある任務を姪に譲ったのは、メレディスはその役が、「若くて美しい乙女」の役だと母譲りの政治感覚からわかっていたからである。そして自分はもうその役には、年齢が高すぎると気がついたのである。それは、主催者である国王も同感だっようで、メレディスにその役を「宣誓式」を終えたセシーネに譲るように申し渡した時、セシーネに前任者として「指導」をするようにと半分命令をし、半分依頼をしたのである。その時に王太后が病に倒れていたこともその理由の一つだった。それは、メレディスの「女官長就任」への布石でもあったとメレディスが気がつくのは自身が「女官長就任」の内示を受けたときである。誠に兄の国王ジュルジス三世は卒がなかった。
「王立施療院」の設立準備に余念がないセシーネでは、あったが「御前馬上試合」での自分の役に重要性には、十分気がついていた。そのような訳で叔母の厳しい「指導」も甘んじて受けていたが、それよりも重大な新事実の発見にセシーネは、国王に「御前会議」の開催を嘆願するという、叔母のメレディスがしたことのないことをやってのけたのである。
その重大な新事実とは《治療の才》の見分け方であった。それは、偶然の出来事から判明した方法であった。セシーネは、医学を学ぶことを志願している侍女のアリシア・ブライトン侯爵令嬢に治療師の「見習い」のカディアに治療師に独特な診察方法《見立て》を命じたのであるが、その《見立て》を受けた途端、アリシアは発作のようなものを起こし、身体の震えが止まらない事態に陥った。それは、後の神秘医学術でいうところの「同調」という症状であったが、最初は、経験豊かな治療師のケンナスでさえその症状の意味がわからず、結局、従医長のカルーン・ベンダー博士が、その症状が、《見立て》の《力》を止められないでいるとために起きているということに気がついたのである。
その「同調」の効果は、それまで、魔術師ガンダスに頼っていた《治療の才》の持ち主の発見に有効だということであった。この新事実の重大性に政治的な手段の必要性を感じたのは、その発見の場に居合わせたセシーネ王女だけではなかった。宮廷の匂いに敏感なキルマ・パラボン侯爵夫人も、それを感じ取っていた。キルマは、現在は「救貧院」の院長という半ば閑職にあったが、かつてはエレーヌ王太后の下で女官長を勤め辣腕を振るったやり手であった。彼女は、行きがかり上「王立施療院」の設立準備にもその宮廷で養わせた能力を発揮していたが、治療師を中心にした「王立施療院」を考えているセシーネが、治療師の員数を当然のことながら増やしたいと考えているのは、目にも明らかであった。そこで、《治療の才》の持ち主を捜すために《見立て》を大勢の人間に施して《治療の才》があるかどうか見分けるという、いわば、国家事業である。それには、国王の裁可と閣僚の特に国務省の協力が、必要であった。そのため、キルマは「御前会議」の開催を嘆願するようにセシーネに助言をした。
「これは、陛下のご許可というより、閣僚たちの協力が必要だわ、セシーネ」とキルマは第一王女にも対等のいやそれ以上の口の聞き方をした。キルマの能力を知っていたセシーネも特に咎めることをしなかった。
「そうね、陛下にお願いして開催していただきましょう」とセシーネもことの重要性に気がついていた。セシーネにとって「御前馬上試合」に着る衣装よりもそれは大事なことであった。
昨日の騒ぎの当事者であるアリシア・ブライトン侯爵令嬢は、まだ、事態を飲み込んでいなかった。アリシアは、自分も治療師の見習いになったと聞かされたが、その肝心の治療師が何をするのかよくわからなかった。そこで、今日は救貧院へは、行かないとといっていた第一王女に許可をもらい、一人で救貧院へ行くことにした。往復は近衛兵の護衛はなかったが、馬車を使うことが出来た。
救貧院に到着すると、怪訝そうに治療師の見習いたちがよって来た。その中に昨日アリシアに《見立て》をしたカディアの姿も見られた。アリシアは、馬車を降りるとすぐさまカディアのそばに近寄った。
「おはよう、カディア、昨日は心配かけたけど、ほらこの通り、私は元気よ」
「アリシアさま、もう、お加減が悪くないのですか」
「ええ、大丈夫よ、それより、カディアに話があるの、中に入らない?」
「はい、それで、今日は、王女さまは」
「王女さまは他のご用で忙しいのよ」とアリシアは、カディアには自分の口から、自分も《治療の才》の持ち主だと伝えたかった。
いつもの部屋に入るとカディアは、従医長のベンダー博士が、どのような診断をして治療を施したか、聞きたがった。治療師の「見習い」であるカディアにとって、毎日のように救貧院の「見習い」達の指導にやって来る師匠でもあった。
「そうじゃないのよ。カディア、診察をした途端、ベンダー先生は、私が《見立て》をしようとしているとおっしゃったの。つまり、私にも《治療の才》があるらしいの。そこで、私も治療師の見習いということになったの」とありのままをアリシアは、カディアに告げた。だが、カディアは信じられないという顔をしていた「そんな、ことがあるんですか。何かの間違えではないのですか」
「いいえ、間違えないわ」
「信じられません、アリシアさまが治療師の見習いだなんて」とまだ、カディアは信じられない思いだったようだった。
「そのアリシアさまは、やめてくれる、カディア。いいかしら、あなたと同じ、ケンナス先生の弟子よ、私も。兄弟弟子になったの。おまけに入門はあなたの方が早いから、あなたが姉弟子ということになるわね。これからは、アリシアと呼んでくれる?」
「そんなことは、できません」
「あら、どうして?」
「だって、アリシアさまは、貴族で、おまけに侯爵家の姫さまです。そんなふうに呼び捨てなんて出来ません」
「そう、出来ないなら、王女さまから、命令してもらうわ」
「そんなこと、王女さまがなさるはずありません」
「なさるわよ、王女さまなら」とアリシアは、確信していた。
当時のアンドーラは、農奴制こそ廃止されたが、貴族制度という身分制度が歴然として人々の日常に浸透していた。貴族のそれも侯爵家の姫であるアリシアと平民それも小作人の娘であるカディアが、同等の口をきくなどは、常識では考えられなかった。だが、アリシアは、ともに《治療の才》の持ち主で医学を学んでいる同志としてカディアと接したかった。それに第一王女の前では侯爵家の姫という身分も、高い地位とはいえなかった。第一王女は、アリシアに《治療の才》があるとわかると、これからはアリシアも治療師ケンナスの弟子であり、カディアと互いに助けあうようにと告げただけだった。
アリシア自身も、まだ、治療師が、どういうものなのか詳しくはわからなかったが、漠然と昨日の身体に起こった変調から、これは、何か、魔法に関係があることではないかと推測していた。もし、そうなら、自分は「魔女」なのだろうかと半分恐ろしくもあった。しかし、言い伝えのように鏡に姿が映らないというようなことは、なかったし、何か動かそうと念じても、何も動くとことはなかった。アリシアの生家ブライトン侯爵家は、アンドーラの名門貴族らしく、聖徒教会の信徒であったし、アリシア自身も、福音教会の教えである、女の「魔法」は悪とは、到底思えなかった。
アリシアが救貧院に来るようになってから、日が浅いが、セシーネ王女のいう「王立施療院」の設立のために救貧院にいる「見習い」たちが、医学を学んでいるのは明らかであった。アリシアは、知らなかったが、当初、「王立施療院」の設立準備に尽力をした元大蔵卿のパウエル・ブッルクナー伯爵は、《治療の技》は従来の医学術とは別の新しい医学術と捉えていた。他にも《治療の技》を異端視することもなく、人の持っている「治癒力」を高めるだけのものと考えている従医長のカルーン・ベンダー博士のような医学者もいた。
だが、その《治療の技》の理解者が、ブッルクナー伯は領地の土砂崩れの復旧の工事にその精力を向けるはめになり、ベンダー博士も病魔に冒されているという、アリシアの聞いていない不吉な予兆が、《治療の技》に現われ始めているとは、知るものは誰もいなかった。
服装の改善が、完成した、第四王女のメレディス女官長の護衛の近衛兵たちが「おっぱいちゃん」と呼んでるシルビナ・カウネルズ伯爵令嬢は、ようやく、閉じ込められていた副女官長のミルブル夫人の部屋を出て王宮内を歩く許可が下りた。そこで、シルビナは、他の「王宮勤め」がやるように情報収集に乗り出した。そこで、判明したのは、侍女の花形は、第一王女付の侍女で、特に「御前馬上試合」で、第一王女の陪席を務める侍女は、第一王女が馬上試合の優勝者につけるリボンを第一王女に渡すという観衆の注目を集める役目をすることが、判明した。
今年のその幸運な侍女は、ナーシャ・ルンバートンという、身分からいえば、シルビナの格下の娘だった。シルビナが聞いたところ、そのナーシャは婚約をしていて、その役をするのは、今年限りということであった。
シルビナは口うるさい第四王女の侍女であるより、花形の第一王女付の侍女に配置転換を願い、いろいろ画策を始めた。それは、まず、第一王女の周辺を探ることから手を付けるという、なかなか、計画的な策略に思えた。しかし、その結果は、シルビナの甘い期待を裏切る結果となった。特にシルビナが憤慨したのは、父の従妹のベネットが嫁いでいたブライトン侯爵家のアリシアが第一王女の下で「行儀見習い」として王宮に来ていることであった。シルビナは、一つ年下のアリシアに妙な敵愾心を持っていた。それは、メレディス女王以降に叙せられた「新貴族」のカウネルズ伯爵家とちがい、「名門貴族」と呼ばれるブライトン侯爵家の姫だったからである。
「新貴族」の家では、その当主の娘を「姫」とは、呼ばない傾向があった。シルビナも家では「お嬢様」である。しかし、「名門貴族家」では、当主の娘は「姫」である。シルビナは何だかアリシアに軽く見られているような気がして、非常に不愉快だった。それは、カウネルズ家が「新貴族」であるからではなく、シルビナ自身の服装や立ち振る舞いにアリシアが戸惑っただけのことであったが、この相性の悪さは、生涯続くのである。
シルビナは、アリシアが第一王女付の侍女として「御前馬上試合」での貴族の娘の花形的な役目を割当られるのをなんとしても阻止したかった。その役目には、女性の魅力を磨くことに精力をつぎ込んで来た自分こそふさわしいと思っていた。その魅力を馬上試合の役割に発言権のある女官長のメレディス王女が、「娼婦」のようだと感じているのをシルビナは気がついていなかった。
そして、第一王女が、不思議な《力》の《治療の技》の持ち主で、身なりを整えるより「医学」に興味があることをシルビナは知らなかった。シルビナの目的は、女性の魅力を磨いていい縁談を結ぶことである。「医学」を志してている第一王女やアリシアとは、進む道が違っていた。それにシルビナの期待しているような有力な貴族の縁組みは、当人の魅力で決まることは、滅多になかった。シルビナがこの現実に気がつかなかったのは、カウネルズ伯爵夫人が、実の母親ではなく、父親のステファン・カウネルズ伯爵が、愛人に生ませた娘であったからである。地位の高い貴族の娘なら、常識だったことにシルビナは、そういう仕付けを受けて来なかったのである。本人の責任を問うのは酷というものであろう。
しかし、「おっぱいちゃん」ことシルビナ・カウネルズ伯爵令嬢が、その特徴のある歩き方で、王宮を歩き回ることで近衛兵たちに「おっぱいちゃん」の存在は、知れ渡るのである。その事実がメレディスに知られたら、シルビナは、国王の謁見も許されずに王宮を追い出されることになる。それは、貴族の娘にとって実に不名誉なことであった。
第一王女のセシーネは、新たに判明した《治療の才》の見分け方を有効に活用すべく、まず、父親の国王ジュルジス三世に「御前会議」を開催するように願い出ていた。セシーネは、《治療の技》をアンドーラ中に広めることを考えていた。それは、治療師の身分を高めるための第一歩でもあった。
「陛下、これで、ガンダスの力を借りなくても、《治療の才》を持っているかどうか判断することが出来ます。どうか、この検査を多くの国民に課して、《治療の才》の持ち主を探し出すことをご許可をお願い致します」
国王は、急に大人びて来た娘のセシーネ王女を感慨深く見つめた。前王妃ミンセイヤが、命をかけて生んだ王女は、この不思議な力、《治療の技》を魔法が絶えたといわれるアンドーラに広めようとしている。それは、国民にどう受け止まられるか慎重な判断が必要な事項であった。確かに閣僚は「王立施療院」の設立には、賛同していたが、それが、治療師を主体に運営をされることには了承していない。まず、閣僚の同意が必要であった。国王は最終決定権を握っていたが、閣僚たちの意向も無視することはなかった。常に政策は閣僚たちの賛意を得ることを心がけていた。ジュルジス三世は後世の歴史家たちの一部が主張するような独裁者ではなかった。
「わかった、御前会議を開催しよう。第一王女も、出席をするように。それにキルマともちろんベンダーにも、ケンナスにも、出席をしてもらう」と国王は、セシーネ王女以外の出席者の要請をした。その時、国王の執務室に同席していたキルマ・パラボン侯爵夫人は、治療師ケンナスの御前会議への出席は、本人には荷が重いだろうと思った。ケンナスは、その出自のせいか、表に出ることを避ける傾向があった。だが、《治療の技》の普及のためには、ケンナスの「社交性」を必要としていた。それは、《治療の技》を広く国民に受け入れさせるためには、最終的に貴族のそれも領主と呼ばれる「爵位持ち」の理解が必要となって来る。しかし、その手始めにブライトン侯爵家のアリシアに《治療の才》が見つかったことは、足がかりとして有効な事態ではあった。ガンダスの見つけて来た「見習い」は、貧しい平民の子供たちが多かった。キルマも《治療の才》の持ち主は、貴族には、いないのではないかと漠然と思っていたが、それが、「名門貴族」の出身であるアリシアも《治療の才》を持っているという事実は、貴族たちにも《治療の才》の持ち主が見つかる可能性を示唆している。貴族の反応がどう出るか、それは、キルマは、だいたい予想が出来た。それは、拒否反応と好奇心という、あまり好意的な反応でないことは察しがついた。だが、領主たちは、《治療の技》を最終的には受け入れるだろう。それは、領主たちの地位を脅かす存在ではなかったからである。
第一王女は、ある種の高揚感に包まれていた。アリシアが、自分の《治療の才》に驚きはしたもののその事実を受け入れていた態度に安堵していたし、アリシアの《治療の才》が、貴族にも《治療の才》が見つかるのではないかと期待していた。セシーネは、自分の《治療の才》を特異な《力》であるよりも、治療師が、大勢存在する社会こそ自分の考えている未来像だと漠然と考えていた。それでこそ「創造主」が人間に《治療の才》を授けた意味だと思っていた。まあ、「良縁」を望むシルビナのような娘もいれば、「医学」という学問を志すアリシアのような娘もいるが、やはり国王の娘である、考えることが、個人のことよりもアンドーラという社会全体を考慮して、壮大な感じがするのは、否めない。それは、王女という身分のなせる技かというとそうでもない。同じ王女でもメエーネのイザベル王女は、「馬上試合」を見たいとやはり、個人的な希望を抱いているに過ぎない。分析の好きな歴史家は、それは王位継承権のある王女だからというだろう。だが、セシーネ王女には、自身の才能に責任を感じていただけである。自分の《治療の才》のため、王室付魔術師ガンダスは治療師ケンナスを宮廷に連れて来、祖母の王太后は「王立施療院」の設立を遺言し、その「王立施療院」のために多くの子供たちが王都に連れて来られて、治療師の「見習い」という身分になり、人として歩く道を変えさせられた。それは、すべて王女という身分の自分の《治療の才》が、招いた事態だと感じていた。とくに「見習い」たちには、成人した時に生活が成り立つように考えてあげなくてはならない。それは、治療師が、広く国民に受けいられることが前提となって来る。それは、かつて国王を説得したガンダスのいう大勢いれば、それは不思議ではなくなるという説にセシーネも同感だからである。
そして、「王家の華」として咲き誇るよりも、治療師として「実」を結ぶことを選んだ王女に、国王は複雑な思いを抱いていた。国王はその不思議な力《治療の才》は、遠くラダムスンから嫁いで来た前王妃から授かった《力》だと思っていた。しかし、貴族のそれも「名門貴族」の前当主の娘が、その《力》を持っていたということは、「魔法」が絶えたアンドーラに不思議な力が帰って来たのであろうかと自分の権力の及ばない世界があることに自身の権力の限界を初めて感じた国王ジュルジス三世であった。
メエーネのランガルク公爵と自身の執務室で陸軍駐屯地の視察の打合せをしていたアンドーラの王太子エドワーズは、自然とメエーネの「軍」の事情に詳しくなっていた。エドワーズが軍事機密への配慮は、杞憂だったようで、ランガルク公爵は、もっぱら、メエーネの王国軍の現状を訴えるといった風で、むしろ、アンドーラの国民に行き渡った徴兵制度を盛んに羨望の目を向けていて、特にアンドーラの王国中に点在する各師団の駐屯地のあり方に深い関心を寄せていた。アンドーラの国内の平和と王権の安定は陸軍の駐屯地の存在が大きいのは、周知の事実だった。メエーネは軍制度を現国王のロバーツ二世の治世になってから、手を付けた状態で、まだ、有力貴族の抵抗は大きかった。アンドーラで軍が持てるのは国王とチェンバース公爵だけだった。エンバーにも領兵はいるが、エンバーの領主は国王自身である。アンドーラでは他の貴族は私兵を許されてなかったし、各領主の武器の数も法で制限されていた。
ランガルク公爵の話を聞きながら、エドワーズは「御前会議」を願い出た妹の第一王女の考えを推量していた。エドワーズ自身も《治療の才》の持ち主だったが、医学への関心は、あまりなかった。この不思議な《力》にメエーネの王家の反応はどうであろうかとエドワーズは、考えていた。その反応如何では、イザベル王女との縁組みも、破談になるかもしれないとエドワーズは腹をくくっていた。《治療の才》が、セシーネ王女だけならともかく、自身にも備わっている限り、それをないものとして考えることは出来なかった。そして、これまで、エドワーズはこの《力》が、亡き母からの贈り物のように思っていた。それは、同じ兄妹でも、現王妃のヘンリエッタの生んだ二人の王女には、その《力》は、なかったからである。何となくラダムスンから、伝わった《力》と思っていた。
だが、ブライトン侯爵家の前当主の娘のアリシアが、《治療の才》があることが判明した以上、アンドーラにもこの《力》は、伝わっているのであり、それは、《力》に無知な人間の反応が気になる王太子であった。
過去に聖者チェングエンの洗礼を受け、魔術師たちが、チェングエンに倒されるか、アンドーラを立ち去るかして「魔法」が絶えたという言い伝えがあるアンドーラとは違い、メエーネには、その嵐のような歴史の波は、及ばなかった。従って、「魔法」には寛容ではないかとエドワーズは、半ば期待をしていた。縁組みの相手が、福音教会が事実上支配をしているサエグリアだったら、この話はとうの昔に立ち消えになっていたであろう。福音教会の「魔法」に関する狭量な考え方にエドワーズは、賛同はしかねると思っていたし、ましては、妹のセシーネが「魔女」だとは思ってもいない。だが、メレディス女王さえ「魔女」呼ばわりをした福音教会である、セシーネの《力》を知れば、どのような誹謗中傷をするのか火を見るより明らかであった。
そして、エドワーズは、ランガルク公爵に自分たちの《力》のことを自分の口から打ち明ける決意をしたのである。それは、他人の口から聞かされてランガルク公爵が、妙な誤解をすることを避けるために最善の決断であった。時期は「御前馬上試合」が、終わってからでは遅いだろう。まずは、その前の「御前会議」の結果をみて、その時こそ打ち明けるときであろうとエドワーズは、判断した。しかし、ことは、エドワーズの一存で決まることでもないこともわかっていた。父の国王ジュルジス三世を始めとする「御前会議」の出席者の賛意を取り付けることも「御前会議」の議題にのせることを提案するつもりだった。
そのような訳で、「御前会議」に期するものが、一人増えたのである。
「御前会議」の開催の知らせを待ち望んでいた、閣僚もいた。大蔵卿のヘンダース・ラシュールである。大蔵卿は、その職務に忠実が故の国政の問題点に気がついていた。それは、膨大な軍事費である。
元々、国税の中でも土地税は、かつて「軍役料」として陸軍が管轄においていた。その経緯もあってか、国税の大部分は軍事費が占めていた。しかし、国内が安定し、国家としてなにがしかの政策を打出そうにも、費用がなかなか捻出できない。大蔵卿は、じれていた。
第一王女が、設立の準備をしている「王立施療院」も、「有料」であった。大蔵卿は、国民の福利厚生という面から、無料化を提唱したいところだったが、財政上、そう出来ずにいた。大蔵卿は、第一王女が、治療師の地位向上のために「有料」を考えていることまでは、気がつかなかった。そもそも治療師が、どのようなものなのか、閣僚の中でただ一人、知らずにいた。彼には、もちろん「魔法」とは無縁だったし、性格的に実務的な男であった。
大蔵卿は、国王から任命された職務上、必要に思われる国税の見直しを何度も国王に奏上しているが、なかなか最終決定まで及んでいない。今度の「御前会議」でその最終決定を国王からもらうために彼は、いろいろ準備をしていた。それは、公正な税を課すために必要なことであった。特に国税の基本となる「土地税」は、前任者のブルックナー伯が、ジュルジス三世の即位の時に「検地」をして以来、そのままの税率で課税して来た。だが、農法の改良により、農地から得る収益は、増えているはずであった。国庫を豊かにするために「検地」は、必要であった。
一方で、大蔵卿は、弱者の味方であった。従って、「王立施療院」の設立には大賛成であった。その設立準備のために前任者のブルックナー伯が、熱心に取り組んでいることを喜ばしいことだと思っていた。それが、領地の事情でやむなく離脱することになり、今は前女官長で、救貧院の院長を務めているキルマ・パラボン侯爵夫人が、第一王女の助力をしていることも聞いていた。その「王立施療院」が、ただ、病人やケガ人の治療を施すためだけのものではないことを大蔵卿は聞かされていなかった。大蔵卿は、治療師をアンドーラの医学事情から、医師不足を補うもの位に考えていた。大蔵卿が治療師の実態に気がつかないことは、彼の責任ではない。それは、偶然が重なっただけである。閣僚たちは、前任者のブルックナー伯から、当然聞かされていると思っていた。ブルックナー伯は、多忙を極めている後任の大蔵卿にどう切り出していいものか、迷っている内に、自身の領地での災難に見舞われ、その復旧工事に疾走するはめに陥り、結局、治療師が何たるものなのか説明をせずに今日に至っている。そして、叔父のガナッシュ陸軍元帥は、《治療の技》に関しては自分の範疇ではないと黙りを決め込んでいた。
一方、国王は、大蔵卿の主張する「検地」による土地税の見直しを裁可するつもりでいた。土地税の内、王家領以外の貴族領は、その半額を領主たちに治めている。貴族の「爵位持ち」の領主たちの主だった収入源である。土地税の収入が増えるとわかれば「爵位持ち」たちは、「検地」を歓迎するだろう。その「検地」が、アンドーラにとって大きな国家事業になることはわかっていた。この国家事業への関心は「爵位持ち」だけではない、土地を所有しているアンドーラの国民の大部分を占める農民たちにも、死活問題である以上それに目を奪われるだろう。平穏なアンドーラに《治療の技》という、未知数の多い《力》を公表するには、絶妙な機会ではないかと国王は、思っていた。まあ、悪くいえばどさくさにまぎれてという言葉があたっているのは、国王も否定はしないだろう。
ヘンリッタ王妃は、子育てに追われながらも、第一王女の「王立施療院」の設立準備に何かしら助力をしたいと考えていた。そこへ、「医学」を学びたいと「行儀見習い」になったアリシア・ブライトン侯爵令嬢が、予想外の《治療の才》の持ち主であることが判明し、王妃も驚きを隠せなかった。しかし、アリシアが「医学」へ心惹かれたのは、その《力》が、なせる技ではないかとふと王妃は思った。
それは、治療師ケンナスの弟子で、今は兵役についているルシバも、その「医学」への興味がきっかけで《治療の才》の持ち主と判明した。この《力》が、自分の生んだエレーヌ王女やリディア王女に備わっていないことに王妃は、内心、安堵の思いをいだいていたが、第一王女セシーネへの配慮も忘れていなかった。
「セシーネ、アリシアの様子はどう?」と自分の居室で刺繍をしながら、王妃は、セシーネ王女にそれとなく水を向けた。
「そうね、お母さま、以外と、落ち着いているわ。まだ、治療師がどういうことをするのかは、わかっていないみたいだけど、《治療の技》がどんなものかわかれば、多少、動揺すると思うわ」とセシーネ王女は、王妃と一線を画す王太子とは、違い、継母を慕っていた。
「いえ、セシーネ、アリシアは頭のいい子ですよ。内心気がついているけど、表立って、あなたに尋ねないだけですよ」
「そうなのかしら。ねえ、お母さま。アリシアに《治療の技》を見せた方がいいと思う?」
「それは、ケンナスが許可しないでしょう、第一、賢いやり方とは思えないわ」
「そうね、見せびらかしているみたいで、子供っぽいわ」
「大事なのは、これからですよ。この《治療の技》のことを知らない人に治療師の話をしても、何のことだかわからないでしょう。ですから、アリシアのご家族には、私から、話すわ」
「お母さまから?」
「ええ、こういった話は母親同士、話した方がうまくいくものなのよ」
「そう、それなら、お母さまにお願いするわ。「御前会議」が終って、お父さまの許可が出たら、手始めに王宮で暮らしている子供たちを調べるわ」
「それは、ガンダスが調べたのではないかしら?」
「そうでもないと思うわ。ガンダスは、王宮でより他の場所で《治療の才》のある人を捜すといっていたもの」
「そうなの」といいながら、夫の国王が、この《治療の技》の扱いに苦慮しているのを王妃は、知っていた。だが、セシーネ王女は、この不思議な《力》、《治療の技》を自然なものと受け止めている。王妃も、「魔法」の途絶えたというアンドーラにこの不思議な《力》で、別な「魔法」をもたらし始めているのではないかという考えが頭の中を横切ることがあった。
本当に「魔法」は、途絶えたのであろうか。その答えを知っているものは、唯一、《魔術師》と名乗っているガンダスだけであろうか。
《治療の技》の公表という半ば、危険な賭ともいえる決定をしようとしているアンドーラの王家チェンバース家へ嫁ぐことが決まっていたメエーネの王家パルッツエ家のイザベル王女も宴の時期は終わり、政治的配慮が必要な判断を迫られていた。パルッツエ王家では、イザベルの結婚に際し、持参金をイザベルに伯爵領を与え、その税収から捻出することになっていた。つまり、伯爵という爵位を王女に授与するという今までにない画期的な手法は、王太子のクリソフの提案であった。
当然、アンドーラへ嫁ぐイザベルがその伯爵領を治めることは不可能で、領主であるイザベルに代り領地を治める人物を任命しなければならない。その人選を国王ロバーツ二世は、イザベルに委ねようとしていた。これは、イザベルの人を見る目を養うという王家の人間には必要な資質だとロバーツ二世は考えたのである。無論、最終決断は国王ロバーツ二世がすることになるが、ロバーツ二世は、姪の判断力を推し量りたかったのである。
アンドーラへ嫁ぐに際し、イザベルは「王太子妃」に仕える侍女をメエーネから連れては行かず、アンドーラの貴族の女性たちから選ぶことになっていた。これは、イザベル王女に仕える女官オリビア・ハーツイ伯爵夫人の進言によるものだった。オリビアは才色兼備という王家に仕えるのにふさわしい女性で、イザベルの教育係だった。当初はオリビアがアンドーラへ同行する予定だったが、オリビアは夫や子供たちと離れて暮らすことを望まなかったのと、他の人物をメエーネから選ばずアンドーラに到着してから、アンドーラの貴族の女性たちの中から選ぶ予定にしていた。それは、そうすることによってアンドーラの貴族たちにイザベルを受け入れやすくするのではないこという配慮もあった。
だが、メエーネをあとにする王女に代って領地を治める「代官」の任命は、メエーネ出身者から選ぶのは、妥当なことといえた。イザベルは、母のメリッサやオリビアの助言を受けながらも、その人選の結果を伯父のロバーツ二世と従兄のクリソフ王太子に伝えた。
「イザベル、彼でいいのかい。彼は、そう若くは、ないよ」とイザベルの人選に意外な思いがしたクリソフは、内心、反対だと表明をした。クリソフは、「代官」という、苦労もあるが、実りもいい役職を経験豊かな老練な人物よりも、若い世代の登用を考えていた。だが、イザベルはすました顔で「だから、いいのよ。何年か経ったら引退してもらうわ。その時には、別な人物を任命したら、いいでしょう。あまり長く同じ人物が代官を務めると、誰の領地かわからなくなるわ」
ロバーツ二世、代官の任期が短期間であるということは、その人物が、その権力を利を貪ることに用いれば、領民にとっていいことではないとも思ったが、それは、口にはしなかった。その人物は、幸いなことに「清廉」という噂のある人物なのにも気がついた。しかし、姪の選択の基準を知りたくて、質問をした。
「イザベル、年齢の他に彼を選んだ理由は、何かな」
イザベル王女の答えは意表をつくものだった。
「船旅が出来るかどうかですわ、陛下」
「船旅とは、イザベル、船長を選ぶのでは、ないぞ。代官だぞ」とクリソフはあきれたが、イザベルは「私の領地の代官よ、年に一度はアンドーラに報告に来てもらいたいの。それには、船旅が出来なければだめでしょう」
ロバーツ二世は、イザベルの言い分にイザベルが、領地を代官任せにしないつもりだと気がついて、イザベルの人選に反対はしないことに決めた。どのみち、その代官には、国王の目が光っていることをわからせればいいと思った。ここは、イザベルの判断を尊重しようと考えた。どのみち、治世は何十年も続く訳ではないのだからとも思った。イザベルの選択が、メエーネにとって吉と出るか凶と出るかはどうかは、誰もわからないことである。即位以来、むずかしい決断をして来たロバーツ二世は、政治のむずかしさにそっと息をついた。
アンドーラは、ヘンダース王以来、名君といってもいい君主が続いていたが、父の国王と兄の王太子の突然の病死という、いわば予期しない即位ではあったが、ロバーツ二世も堅実な手腕でメエーネを統治しているといっていいだろう。アンドーラのジュルジス三世のような派手さはなかったが、その治世は「安定」の一言だった。歴史家の中には、その統治能力をジュルジス三世より高く評価するものもいる。歴史家の評価は、結果をもとにしてのものではあるが、やはり、地道な国軍の編成への努力は、特記するべきであろう。しかし、賢王ロバーツ二世でさえ《治療の技》という不思議な《力》の存在は、想像すら出来ないことであった。
「御前会議」は、新宮殿の会議室で、いつもと同じように始まった。閣僚たちは、事前に議題は「王立施療院」に関するものと聞かせられていたが、例によって国王の一言で「土地税」の「検地」を実施することを決定するという運びとなった。この唐突な議題に出席をしていた第一王女は、驚いたが、それは、懸案の事項だったらしく、閣僚たちに異論はなく、あっさりと可決された。大蔵卿は、思わず安堵の息をついたが、その後には、驚きの事態に息をのむことになる。
その日は、大蔵卿のヘンダース・ラシュールにとって、生涯忘れ得ぬ日となった。それは、今までの人生では無縁だった「不思議」の世界に始めて触れた日だったからである。大蔵卿は大多数の人々が思っていたように「魔法」は、もうアンドーラから、消えてなくなったと信じていた。だが、それは、人々の勘違いだった。「魔法」は、まだアンドーラに存在したのである。
それは、第一王女が、治療師の選別に《見立て》という、よくわからない方法を用いて、《治療の才》の有無を調べるという提案に大多数の閣僚は、《見立て》とは何だろうと疑問を持った。唯一、訳知り顔なのは、工部尚書の二ドルフ・レンドル子爵ぐらいだった。
「《見立て》とは、治療師の独特な診察方法ですよ。それが、出来るかどうかで《治療の才》があるか見分けるのです」と工部尚書は、同僚に説明をしたが、大蔵卿は素直に疑問を口にした。
「《治療の才》とは、どういうことですか。私には、よくわからないのですが」
ここに国王の次弟の同じ名付け親を持つヘンダース王子が、「そうか、大蔵卿は、あの場にいなかったのだな。そうだな、セシーネ、大蔵卿に《見立て》をしてみたら、すぐわかるのではないかな。そうすれば《治療の技》をここで披露することは必要ないだろう」
そのヘンダース王子の説明に大蔵卿は、ますます、疑問が深まった。今度は《治療の技》とは何だという疑問がわいて来た。他の閣僚たちは、神妙な顔をしている。ここで、大蔵卿はこの議題に無知なのは、自分一人なのだと気がついた。他の閣僚たちは多少の予備知識がありそうだった。この事実に大蔵卿は衝撃を受けたが、もっと衝撃なのは、第一王女が持っている不思議な《力》だった。
次弟ヘンダース王子の提案に「そうだな、第一王女、ここは、閣僚たちの健康を知るために閣僚全員に《見立て》をやってみては、どうかな」と国王は、第一王女に水を向けた。
「わかりましたわ。陛下」と第一王女は承諾をした。この時、すでに《見立て》の経験がある工部尚書をのぞく閣僚たちは、不思議な《力》を傍観するだけでなく、自らの身体で体験することになる。第一王女は閣僚たちを一人一人《見立て》をして回った。この時、王太子エドワーズは、自分も《見立て》を習っておけばよかったと多少の後悔を覚えていた。
大蔵卿は、閣僚たちを《見立て》をする第一王女を凝視するような無作法はしなかったが、自分の《見立て》の番になるとこっそりと第一王女の表情を窺った。《見立て》をする第一王女は、遠くを見るような目をしていた。それは、不思議というより、妙な感覚だった。身体をゆらすような感覚は、めまいにも似ていた。だが、その感覚は、一瞬で終わった。第一王女は《見立て》をするだけで、閣僚たちの診察結果は口にしなかった。
「これが、《見立て》でございますか」と一番の年長者の外務卿のハッパード・サンバース子爵。
「そうだ、どうだ、皆、震えが止まらないということはないか」と国王は、念のため確認をしたが、先日のアリシア・ブライトン侯爵令嬢のような症状に陥ったものは、いなかった。
「第一王女、これで、閣僚には《治療の才》があるものは、いないようだが、どうだ、閣僚たちの健康状態は、どうかな」と国王は、第一王女の医学への薫陶ぶりを閣僚たちに披露しようとしていた。第一王女は、その形のいい眉を寄せると「そうですわね、特に病気だという方はいらっしゃらないけど、多少、お疲れの方もおられます」
「そうか、疲れているのか」と国王は、閣僚たちの疲労が、どの程度なのかは、尋ねなかった。国王は、それぞれの自身の健康管理も、閣僚としての心得だと思っていた。
「陛下、その《見立て》とやらで、そのようなことまで、わかるのですか」と、外務卿は、自分の健康状態が不健康とは思ってはいなかったが、最年長者であるからには、多少の「疲労」はあるのだろうかとやや自信をなくしかけていた。そこに、やはり議題から、必要があると出席を求められていた従医長のカルーン・ベンダー博士が、国王に代って補足説明をした。
「無論、それは、熟練のものに限ってのことです。それは《見立て》を始めたばかりの治療師の見習いは、そこまで体調がわかる訳ではありません」
このやりとりを大蔵卿は、半分呆然として聞いていた。彼にとって《治療の技》も《見立て》もよく理解できないことだった。このような秘密が王家にあろうとは、新貴族出身である大蔵卿ことヘンダース・ラシュールにとっては、予想も出来ないことだった。だが、彼は、強いて不思議の世界を覗こうとは思わなかった。それは、彼には無縁の世界であった。しかし、現実は、素知らぬふりをすることが出来なかった。不思議の《力》は、政治を巻き込もうとしていた。この不思議の《力》を第一王女は、アンドーラ王国として公に認めるように閣僚たちに求めていた。そして、それは第一王女だけではなく、王太子もその動きに同調しようとしていた。
「陛下、この機会に、メエーネのパルッツエ家にも《治療の技》のことを明らかにした方がいいと思います。探せば《治療の才》のある子供たちがメエーネでも見つかるかもしれません」と王太子は、高度の政治判断が必要なことを提案した。
「そうだな、いつまでも内密にしておくには、いかないだろうな」と国王も王太子の提案を検討し始めた。当然、会議に出席者たちもそれぞれにその提案を考慮し始めたが、ただ、一人大蔵卿だけは、内心の動揺は、表情こそ出さなかったが、頭の中は、嵐のようだった。だが、国王は、幾分逃げ腰の閣僚たちに「まあ、《治療の技》は、害のある「魔法」ではないからな」
ここで、従医長のベンダーが、発言をした。
「陛下、《治療の技》は「魔法」ではございません。ガンダスが、それは誰にでも持っている『治癒力』が、多少強いだけのことで、誰にも備わっている《力》のだと申しておりましたが」
「ベンダー、私には、《治療の技》なぞ、使えないぞ」と国王は反論した。
「陛下、それは、幼い時に訓練をしなかったためかもしれません。ガンダスの見つけてくる《見習い》が、子供なのは、そのためと聞いております」とベンダーは、王室付魔術師であるガンダスこそ、この会議に出席すべきだと感じていた。だが、ガンダスは《治療の才》のある者を探す旅に出ていて王宮を留守にしていたが、王宮にいてもこのような気の張る会議には出席しないだろうととも予想できた。
ここで、外交的な問題もあると気がついた外務卿が、発言の許可を求めた。
「陛下、この一件でメエーネのパルッツエ家がどう反応するかが、問題でございましょう」
「外務卿、イザベルが僕と結婚すれば、どのみち《治療の技》のことは知られてしまいますよ。それで、破談になったらそれまでだ」
「王太子殿下、メエーネは、破談までは、考えますまい。アンドーラの助力を必要としておりますから。まあ、サエグリアなら、問題でしょうが」と外務卿は、若干、楽観視していた。
「どうだろう、ガナス、国内は、陸軍で押さえられるだろう。サエグリアはどうなんだ」と《治療の技》は、自分の管轄だと思っている国務卿が陸軍元帥に質問をした。
「まあ、万が一、我が国に戦争を仕掛けるような余裕はないだろう。王位を巡って内乱の一歩手前だからな」と陸軍元帥に代って外務卿が答えた。
「陛下、ここは一つ布告を出した方がよろしいでしょう。どのみち『検地』で、布告を出さなくてはなりませんし」とヘンダース王子が、提案をした。
「問題は、どのような布告すればいいかだろう。王太子と第一王女には不思議な《力》が、ありますと触れ回るのか」とランセル王子は、茶化した。ランセル王子は、以前からこの《治療の技》の話題になると何故だか茶化す傾向があった。
「ランセル、御前会議だぞ、少しは、まじめに出来んのか」と次兄がたしなめた。ここで、キルマ・パラボン侯爵夫人が
「陛下、いかがでしょう、ここは治療師の《見習い》を見つける事が目的ですから、男子は兵役の前の身体検査の一部として《見立て》をするということでは、いかがでしょう」
この提案にさすが、やり手の元女官長だと一同が関心したが、それには、ベンダーが異議を唱えた。
「キルマ夫人、それでは、《治療の才》はなくなってしまいますよ。もっと年齢が低くないと」
「従医長、何歳ぐらいが、いいのですか」と国務卿
「そうですね、ガンダスは5、6歳だといっていましたね」
「それは、若すぎないか」とヘンダース王子
「いえ、その時ぐらいから訓練をしないと《力》は消えてしまうのです」
「しかし、ブライトン侯爵家のご令嬢は、15、6だろう」と女性の年齢を聞くのは、失礼だと思っていたとランセル王子。
「14歳でございますよ」
「ブライトン侯爵家のアリシアの場合は特例といっていいでしょう。一人前の治療師が見つかればいいのですが、それは、今まで探しても見つからないことを考えますと、《見習い》を一人でも多く見つけることが肝要だと思われます」といいながら、その見つかった《見習い》が一人前になる時まで自分の命は持たないとベンダーはふと思った。
「そうだな、ガンダスは、多く見つければ、《治療の技》は不思議でもなんでもないといっておったからな。しかし、5、6歳とはな」と国王は、王太子と第一王女がお互いを切りつけあっては《治療の技》で治すという危険な遊びをしているのを発見したのは、もう少し二人が幼い頃だったと思い出し、思わず身震いした。
結局、会議は、6歳になった子供たちに《見立て》で《治療の才》があるかの検査をするということで決着がついた。だが、具体的な方法は、まだ、決定を見ていない。いつも、細かいところまで、指示を出すジュルジス三世も、《治療の技》に関しては,扱いに苦慮していたのが、見て取れる。それでも、セシーネは、一つ関門を突破した気分だった。そして、王太子のエドワーズは、メエーネのランガルク公爵に《治療の技》の事を自分で打ち明けると宣言し、外務卿はその席には自分が同席すると主張した。
「まあ、多少の助言も出来るとおもいますからな」
そして、女性の「魔法」を異端視する福音教会が牛耳るサエグリアに関しては誰も発言しなかった。
「御前馬上試合」を前にして女官長メレディス王女は、多忙だった。《見立て》の新たな効用の発見に「御前会議」が開かれたことは聞いていたが,《治療の技》の関することは門外漢とわかっていたので、特に出席を要請されることもなく、出席を願い出ることもなかった。メレディスの関心は、《治療の技》よりも「御前馬上大会」にあった。無論、出場することではない。メレディスの持ち分は、優勝者にリボンを結ぶ第一王女を始めとする王家の女性たちの衣装の準備であった。王家の女性たちに陪席する侍女たちの衣装もその範疇に入っていた。
馬上試合の主役は、当然、優勝者ということになるが、その優勝者を祝福し腕にリボンを結ぶ第一王女セシーネも観衆の目を集める花形であった。メレディスは、セシーネが「王立施療院」の準備にかこつけて医学の研鑽に大部分の精力を使っていることに内心不満だった。ズボン姿で、馬に乗ることも、メレディスは若い時の自分の未熟さを見ているようであまり愉快ではなかった。そこで乗馬用スカートというものを発案して着用をまず、セシーネの侍女のナーシャ・ルンバートンに売り込んだが、ナーシャは自分で仕立てたいと希望し、メレディスの「商売」はうまくいかなかった。ただ、ナーシャと共に乗馬の稽古をしているもう一人の注目の侍女アリシア・ブライトン侯爵令嬢は、メレディスが用意した乗馬用スカートを素直に購入した。無論、喪中のアリシアに配慮をして色は喪服の黒である。
アリシアは、自分に《治療の才》が備わっていることに内心と惑っていたが、元々、医学を学びたくて王宮へやって来た経緯もあって、《見立て》が、治療師の診察方法であると知って、《見立て》を習得することに熱心に取り組んでいた。しかし、王宮で他の侍女たちへの《見立て》は、セシーネ王女の許可がいると聞いて練習はもっぱら、救貧院にいるカディアが相手をしているようであった。
メレディスは、自身には《治療の才》がないことはわかっていた。だが、身だしなみを整えることに関しては、なかなかの手腕を発揮していた。普段は、簡素に装っていたが、行事になると華やかに装うのが好きだったし、女官長となったからには王宮の他の女性たちの衣装も気を配った。特に「御前馬上大会」での第一王女セシーネの衣装には、贅をこらしたものを用意していた。セシーネは、その衣装の仮縫いの段階で、特に異を唱えなかったが、服装に無頓着に見えるセシーネにも好みがあることをメレディスは気がついていた。そして、セシーネの陪席を務めるナーシャの衣装も、メレディスは、セシーネに負けず劣らず手の込んだものを用意していた。この衣装に関しては、セシーネがその費用を持つことになっていたが、セシーネは、ナーシャの好みも聞いて欲しいとメレディスに伝えていた。
セシーネ同様医学の徒であるアリシアに比べ、結婚を控えているナーシャは、気性も立ち振る舞いも、そしてその堅実な考え方には、共感を覚え、メレディスのお気に入りの侍女の一人であった。ナーシャの父親のルッセルトが、将官に昇進するということもあってか、護衛の近衛師団の将兵たちにも評判が良かった。
その一方で、評判を落としている侍女もいた。「おっぱいちゃん」ことシルビナ・カウネルズ伯爵令嬢である。その立ち振る舞いは、相変らず国王の謁見をさせるには、首を傾げる状態だった。本来なら、「行儀見習い」になった時点で、母親のカウネルズ伯爵夫人が王宮に挨拶に来るのが常識となっているのにカウネルズ伯爵家は、シルビナの雑用をする下働きを王宮によこしただけで何の挨拶もなかった。シルビナが、伯爵夫人の生んだ娘ではないというカウネルズ伯爵家の事情を知らなかったメレディスは、何だか、カウネルズ伯爵家から、軽く見られているようで、不愉快だった。それにシルビナは、縁戚であるブライトン侯爵家の経済事情を盛んに吹聴していた。
「ブライトン侯爵家には、借金があるですって、大変ですわね」
「シルビナ、大蔵卿を務めたブルックナー伯爵だって、領地の工事の為に銀行からお金を借りたと聞いているわ。遊びや賭け事で借金をつくるのとは訳が違うわ」と諭しても、シルビナは、小馬鹿にしたような表情を浮かべるだけだった。そして、例の妙な歩き方も何度、注意してもなかなか直らなかった。結局、式部卿夫人である典礼長のオルガ・サングエム子爵夫人とも話し合って、女官長メレディス王女は、シルビナの「初謁見」を延期することにした。それは、早く「初謁見」をすませて良縁を結びたいというシルビナの願いが遠ざかることでもあった。シルビナの不満のはけ口が、アリシア・ブライトン侯爵令嬢に向かうことに多少予測が出来たものも王宮には、いたことはいた。
一人娘イザベル王女の婚約者であるアンドーラの王太子エドワーズの打ち明け話にメエーネの国王ロバーツ二世の弟ランガルク公爵は、戸惑いを隠せなかった。なんと、エドワーズとその妹セシーネ王女には不思議な《力》の持ち主だというのだ。
「魔法とは違うのだろう、エドワーズ」
「ええ、ガンダスは魔法ではないといっています、ラガルク公爵」といつもの甲冑姿ではないエドワーズの傍らには、神妙な表情の外務卿のハッパード・サンバース子爵が控えていた。エドワーズの話はランガルク公爵には、理解できないことばかりだった。アンドーラの宮廷に王室付の魔術師がいることも初耳だった。一瞬、これはチェンバース家の裏切り行為ではないかと思ったが、話が、魔法に類する微妙な話なので打ち明けたエドワーズを一方的に非難する訳にもいかなかった。むしろ、アンドーラ駐在大使の情報収集能力の欠如を責めるべきだろう。
確かにチェンバース王朝の初代女王メレディス女王は、魔法に関して人に害を与えない魔法なら違法ではないとの布告を出していた。つまり。「魔法」の存在を認めたことになる。聖者チェングエンの率いた反乱軍は魔術師を打ち破り帝国カメルニアを滅ぼしたが、チェンバース家もパルッツエ家もそのカメルニア皇帝の血脈を受け継ぐ家柄でもあった。つまり、魔術師を保護していた皇帝の子孫ということになる。
「王太子殿下は、もうその《治療の技》を使うことないといっていいでしょう」と外務卿は、黙り込んだランガルク公爵に補足の言葉を添えた。
この言葉にランガルク公爵は活路を見出そうとしていた。アンドーラに到着し、エドワーズと頻繁に接するようになって、息子のいないランガルク公爵は、この青年に好意を抱き始めていた。それだけではなかった。来る王位に即く日に備えて日々研鑽を重ねていることはその言動から推測できた。ランガルク公爵は、その《治療の技》を用いるのはもっぱらセシーネ王女であり、その《治療の技》が、人を害するものではなく、人の治療をするのにちょっと変わった方法で行うだけだと自分を納得させることにした。そして、この《治療の技》の存在をメエーネにいる兄の国王ロバーツ二世に報告をし、その判断を仰ぐことにした。どのみち、自分の判断できる事柄ではないことぐらいは、わかっていた。結局、メエーネも最終決定権は国王にあった。
「御前会議」の決定を受けて国務卿イーサン・カンバール子爵は慌ただしく動いた。全国へ国王の布告をふれて回る伝達官は、国務省の内務局に所属する役職だった。無論、伝達官の護衛につく陸軍の将兵の数も陸軍と打合せをして手配をしなければならなかった。今回の布告は二つあった。一つは土地税の税額を算出する基準となる「検地」である。これは、国民の反応は予想できた。予想不可能なのは、もう一つの《治療の技》の関する6歳になった子供に関する検査である。これは、国民が《治療の技》をどう受け入れるかの試金石になるだろう。
こうした手配をしながら、国務卿は後ろめたさを感じていた。それは、大蔵卿のヘンダース・ラシュールのことである。「検地」に関してではない。《治療の技》の事である。大蔵卿は、その不思議な《力》の存在をまったく気づいていなかった。国務卿は、てっきり他の、例えば前大蔵卿のパウエル・ブッルクナー伯爵とか、叔父である陸軍元帥のガナッシュ・ラシュール中将とかからその件を耳打ちなりしているものだとばかり思っていた。国務卿自身もこの件に関してはどう対処していいのか、判断がつかなかった。だから、口をつぐんでいた。
「御前会議」で若い大蔵卿は、王家の秘密に動揺を隠せないでいた。むしろ、皮肉なことに就任当初その手腕を危惧されていた工部尚書ニドルフ・レンドル子爵の方が治療師の正体に気づき、《治療の技》に関して様々な情報を持っているのも明らかだった。それは、役目上必要だったこととはいえ、工部尚書は、予想以上の活躍ぶりを見せていた。閣僚たちには、意外な人事であったが、国王ジュルジス三世の目は確かだと改めて、国務卿は思った。
大蔵卿の動揺が気になった国務卿は「検地」の準備の打合せという口実で、大蔵卿を訪ねてみることにした。大蔵卿は、立ち直っていた。「検地」の準備はすでに手配をすませ、かねてからの懸案だった歳費の予算を組むために各省担当の主計官たちと綿密な打合せをしている最中だった。その様子をみて、国務卿は、安堵の息をはいた。まあ、「魔法」に類することは所轄の役目ではないと割り切り、仕事に打ち込むことが一番である。大蔵卿は、若さ故か少し性急な面も見られたが、これからのアンドーラを担う一人であることは、自明の事実だった。
アンドーラの国家政策上需要な決定がなされていても、アンドーラの王都チェンバーの住民の最大の楽しみの一つ、「御前馬上試合」の日がやって来た。例年のようにその日は朝から晴天で会場には、多くの見物人があふれていた。それを目当てに酒や様々な食べ物を売る屋台も出て、にぎやかな彩りを添えていた。
王太子エドワーズから思いがけない《治療の技》という不思議な《力》のことを打ち明けられて、驚きと戸惑いに包まれたメエーネのランガルク公爵は、そのことを兄の国王ロバーツ二世に書簡で知らせるかそれとも一旦、メエーネに戻り、ロバーツ二世と相談をするべきか迷ったが、結局、アンドーラに留まり、その代わりに書簡を駐在大使のスラード伯爵に持たせて帰国させることにした。自身が帰国すれば、外交上、今まで築いて来た友好関係に水を差すことになると判断したからである。これまでの信頼を裏切ったのはチェンバース王家の方といってよかったが、まだ、未成熟な王国軍しか持たないメエーネのパルッツエ王家は、強力な陸・海軍を持つアンドーラのチェンバース王家の後ろ盾が必要だった。
そんな国情もあったが、ランガルク公爵自身もこの「御前馬上大会」を楽しみに待っていた。だから、判断に苦しむ問題は、兄のロバーツ二世に委ねて「御前馬上試合」を楽しむことにした。ランガルク公爵は、アンドーラの国王ジュルジス三世の政治感覚に感服していた。「馬上試合」が、貴族の騎士だけでなく平民にも出場資格があることや優勝者に国王への直接の「誓願」が出来ることもよく考えられた行事だと思った。そして、優勝者を讃える役に王女が務めることなども、王家の存在意義を国民に十分に知らしめるのに絶大な効果があった。
そして、注目の第一王女セシーネは、普段とは、打って変わって華やかな衣装に身を包み、その顔立ちの良さから冷たい感じにもとれる表情で、父親のアンドーラの最高権力者のそばの席に座っていた。何気なく見えるようにランガルク公爵は、第一王女を観察した。不思議な《力》を持つというセシーネ王女は、内心の感情をまったく感じさせない無表情で馬上試合を見ていた。ランガルク公爵は、あれこれ気を揉んでも致し方ないとあきらめ、また、馬上試合を見るのはこれが最後かもしれないと思い、なおさら、馬上試合を心底楽しみたかった。軍を率いた経験もあるランガルク公爵は、多少の武術の心得もあったが、馬上試合の経験はなかった。アンドーラ側の配慮で、説明役に陸軍を退役した将官が、ランガルク公爵に陪席をした。その席も、なかなか会場を見渡せる上座といってよかった。しかし、その向い側にに顔なじみになった陸軍元帥と共にアンドーラの貴族ではなさそうな高齢の人物が座っていた。
「あちらは、どなたかな」とランガルク公爵は、何気なく聞いた。アンドーラの有力な貴族なら、顔なじみになっておくべきだと思ったからでもある。
「サエグリアの騎士団長のステラエル公爵です」と説明役の退役将官が、答えた。そこで、ランガルク公爵は、はたと気がついた。この馬上試合は、隣国サエグリアへの牽制といってもよかった。メエーネとはアンドーラを挟む位置関係にあるサエグリアでは、まだ、貴族間の争い事の決着に馬上試合が用いられているという、メエーネからみても、その国情は立ち後れている感がある。そして、サエグリアを事実上支配している福音教会は、チェングエンに滅ぼされたカメルニア帝国の末裔であるメエーネにとっても敵であった。ただ、アンドーラは、メレディス女王のよって信教の自由が許されている。王都チェンバーにも福音教会はある。メエーネでは、聖徒教会を国教と定めている。福音教会への帰依も布教も許されていなかった。
ランガルク公爵は、馬上試合に注意を戻した。説明役が、「公爵は、賭をなさいますか」と尋ねて来た。
「優勝者を賭けるのかね」と逆に聞き返した。生真面目な性分の兄のロバーツ二世は、あまり、賭け事にいい顔をしなかった。そんな訳で、ランガルク公爵は、賭け事をした事はほとんどない。説明役が「賭け方にもいろいろございますが、優勝者だけでなく、例えば、各師団では選抜した重騎兵を出場させておりますから、昼間までに何人勝ち残るとか、準決勝まで勝ち残るのはどの師団なのかとか優勝者の出身の師団を当てるというのが多いですね。そのなかでも、第十二師団は伝統的に重騎兵に力を入れておりますから、人気を集めておりますね」
「国王陛下は、賭け事を許しているのかね」
「ええ、こういった、馬上試合や海洋大会、競馬もございます。それには、陛下もご自分の持ち馬に賭けられると聞いております。どうなさいますか、公爵なら、賭け金は後でもよろしいですよ」
「君もやるのかね」
「ええ、まあ、師団を預かっていた時にちょうど準決勝まで進んだものが、おりまして、いい思いをさせてもらいました」
メエーネとは違う気風にランガルク公爵は、まだ、メエーネにいる娘を思った。イザベル王女は、アンドーラでうまくやっていけるだろうか。ランガルク公爵は、再び第一王女に視線を向けた。多分、イザベルなら試合の勝敗に一喜一憂して、勝者には拍手を送ったりするだろう。だが、セシーネ王女は、かすかに視線を動かすだけで、じっと椅子に腰掛けたままだった。だが、正装した第一王女は、やはり美しく「王国の華」と呼ぶにふさわしかった。
その第一王女セシーネは、馬上試合を見ているふりをしながら、頭では別なことを考えていた。無表情なのは、そのせいではなく、前任者の叔母のメレディス王女から試合中は,誰かに声援を送ったり、拍手をしないように申し渡されていた。誰が、優勝するかわからないので、優勝者を讃える役目柄、出場者に公正な態度をとるために無表情を装っていた。これは、儀式に出席をする時に、亡き王太后からも、躾けられた行儀作法だった。セシーネの頭の中は、今日の試合で出るケガ人の事だった。馬上試合では、降参を申し出ない限り相手が落馬するまで続けられる。そして、落馬した敗者は,どこかしら骨折などのケガを負うはめになる。それには、今は、王家の従医と陸軍の軍医が、治療に当たっている。だが、あの見習いたちが経験をつめば、治療師が、その治療を受け持ってはどうかと考えていた。多くの注目を集める「御前馬上試合」にこそ治療師の存在を大衆に広く知らしめる絶好の機会だと思いセシーネは、その機会がいつ訪れるのか待ち遠しかった。