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癒しの手  作者: 双葉 司
それぞれの道
14/18

外交と内政と

王太子エドワーズとメエーネの王女イザベルとの縁談で、多忙だった外務卿の下に遠国タジールからバンデーグ大使からの書簡が届く。その書簡には、タジールへの食料の贈り物(・・・)という前例のない要請が書き記されていた。その贈り物(・・・)を旱魃で苦しむタジールへの食料援助(・・・・)と捉えた外務卿は、その実現のため各閣僚の説得工作に乗り出すが、各閣僚の反応は鈍かった。

そして、陸軍も近衛師団の制服改訂で,忙しくしていたが、元帥は次の将官を選び出す準備にも余念がなかった。

また、各閣僚は、王太子エドワーズの主催の「鹿狩り」に全員の参加を要請されていたが、大蔵卿は不参加を決定する。

 アンドーラ王国の外務省は現在の外務大臣に就任しているハッパード・サンバース子爵によって当時の王太子のジュルジス三世と国王ジュルジス二世に奏上され、設立することとなった部署である。当初、まさか、自分自身がその責任者に任命されるとは思ってもいなかったサンバース子爵は、建白書の中で熱く国家の外交の重要性を説いていた。それに感銘を受けたジュルジス二世が、外務大臣にサンバース子爵を取り立てたのだが、他の大臣と同じように外務卿と称されることになった。最古参の閣僚となった今まで、特に失政となるようなことも起こらず、逆に手柄になるようなことも起こらずに無事に二十年あまりをその職の席を暖めていた。そのような訳で、外務卿は今回の王太子エドワーズとメエーネの王女イザベルの婚姻を外交上の重要課題だと捉えていて、自ら何度もメエーネに足を運び、婚姻の準備を進めていた。

 メエーネの国王ロバーツ二世の姪に当たるイザベル王女は、外務卿に愛らしい表情で、自身の婚約の相手となるエドワーズ王太子の様子を尋ねたり、また、エドワーズの肖像画をねだったりして、外務卿は何やら、微笑(ほほえ)ましい気分になった。

 だが、チェンバース王家にとってやがて王妃となり、国王となる子供を産む女性が愚かでは、王家の存亡に関わって来る。外務卿は、数少ない部下に指示をしてイザベル王女の情報を求めて様々な人々の評判を集めさせた。これは、アンドーラの外務卿として、必要な任務であった。

 外務卿が、安堵したことにイザベル王女の評判は、悪くなかった。たいがいはその性格のおっとりとした気性から来る、召し使いたちに対する温和な様子だったり、貴族たちを分け隔てなく接する態度など満点ではなかったが、王女としての立ち振る舞いは悪くなかった。アンドーラの王女たちが、やや勝ち気なところがあるのに比べて、イザベル王女は、出過ぎたところがいように思えた。

 そして、外交上、重要なのが、国王ロバーツ二世とその後継者である王太子のクリストの統治能力だった。先王と王太子の病死という不測の事態で王位に就いたロバーツ二世は、弟のランガルク公爵の力を借りながらメエーネの統治を担って来たが、王位を継承した当初は、先王の弔問に訪れたアンドーラの先王ジュルジス二世の助言を受け入れ、国民の男子全員の兵役義務を課すことで、強力な国軍を持とうとしていた。しかし、一方では、ジュルジス二世の尽力で、アンドーラと友好的な国交を結ぶことになり、その延長線上にエドワーズ王太子とイザベル王女の結婚ということにつながった。

 王家同士の婚姻はジュルジス三世と先王妃のミンセイヤという先例があったが、ミンセイヤ王妃が、遠く祖国ラムダスンを離れ、半ば亡命のような形でアンドーラにやって来たの比べ、メエーネは国交もある、隣国といってもいい国だった。歴史をひも解けば、アンドーラもメエーネもかつては巨大な帝国カメルニアの領土の一部でもあった。そして、王家同士も(さかのぼ)れば婚姻の先例があり、近すぎず遠からずの血縁関係があることもこの婚姻を押し進める要因にもなっていた。

 しかし、この婚姻に一番熱心だった先国王のジュルジス二世の不在は、外務卿としても、気になる状況だった。ジュルジス二世はメエーネ訪問の帰国途中に竜巻に巻き込まれ行方不明になったというのが、アンドーラ政府の正式発表であったが、当初は、()にさらわれたという噂がたち、その噂を打ち消すためにアンドーラ政府は、躍起になっていた時期もある。温厚なジュルジス二世は、仕えやすい主君であった。一方、現国王のジュルジス三世は仕えがいのある主君であるとは、亡くなった最後の宰相ニーベル・カルチェラ伯爵の言葉である。外務卿自身も定年退職の時期を数年後に迎える今となって、その言葉が胸に沁みる昨今であった。だから、この婚姻でアンドーラのチェンバース王家にとってなるべく有利な条件で結婚契約書を結ぶのが、自分の任務だと考えていた。従って交渉を駐在大使に任せっきりにせずに何度も海を渡り、メエーネに足を運んだ。幸いなことに船酔いはせずにまた、アンドーラ海軍が用意した戦艦に乗ることは苦ではなかった。ただ、交渉相手のロバーツ二世も、その柔和な表情の下にしたたかな一面を持っていた。メエーネ側が出して来た条件の一つに”アンドーラの船”が、あった。アンドーラが誇る造船技術を買ってのことである。この条件を外務卿は、苦々しい思いでジュルジス三世に報告したが、暗に反してジュルジス三世は笑い出した。

「パップ、これで、我が国の海軍の優秀さが証明されたという訳だ。欲しいというのなら、売ってやろうではないか」

「しかし、陛下、海軍が、承知しますでしょうか」

「何、艦だけあっても仕方あるまい。肝心なのは操船技術の方だろう。その習得にはかなりの年数が必要となるだろう。無論、実際に航海に出て経験を積まないとならないだろう。一年や二年で海軍を持てるようにはなるまい。どのみち、国王の関心は、交易なんだろう」

「はい、そのようですが、用心に超したことは、ございません」

「まあ、あまり、神経を尖らすもの白髪がふえるぞ」とすでに白髪まじりとなった外務卿をからかうような口調で国王は上機嫌だった。

 しかし、外交問題はこれだけでは、ない。外務卿は咳払いをして、北西の隣国サエグリアの現状を報告した「やはり、国王は、病気のようです。大使の報告ですと、それもかなり重篤(じゅうとく)なようです。摂政をたてるべきか、教会にお伺いを立てている状態です。この調子ですとますます教会の勢力が、拡大するでしょう。これは、推測ですが、摂政になった人物が王位を継ぐことになると思われます。王宮ではすでに、王位を巡って賄賂が教会に流れているようですし、刃傷沙汰も起きているようです。大使には、身の危険を感じたら、すぐに帰国するように指示してありますが、やはり、帰国に際して護衛のものたちを遣わすのは、ことを荒立てることになると存じましたので、今年も、サエグリアの騎士団長のバラカス公爵が、馬上試合の観戦に王都まで来られますと思いますので、バラカス公爵と同行して、アンドーラへ帰国するのがいいのでは、ないかと」

「バラカス公爵が、王位を継ぐ可能性はあるのだろうか?」

「さあ、教会が反対するでしょう。あの国は何事も教会中心で政治が決まりますから」

「そうだな、チェングエンの呪いがかかっているというものもおるからな」と今度は、国王は渋い顔になった。

 隣国サエグリアを事実上支配しているのは、チェングエンを教祖とする福音教会であった。福音教会は、神秘的な力には独特の考え方をする。それは、”よい魔法”と“悪い魔法”に分けて、“よい魔法”は男が遣い,”悪い魔法”は、女すなわち魔女が使う魔法であるという教えを広めていて、最近では減ったというが”魔女狩り”も盛んに行われているという。

 アンドーラでは《治療師》を中心に据えた,”王立施療院”の設立の準備を進めている。《治療師》が用いる技《治療の技》は”魔法”ではないとアンドーラで唯一の”魔法”の使い手である王室付き魔術師のガンダスは主張するが、福音教会がどう反応するかは、ある程度予想がつく。《治療師》の存在を知れば、福音教会は、それを”魔法”と捉えるだろうし、ましては、その女性である第一王女が《治療師》の中に属していることで、十分に福音教会を警戒する必要があった。第一王女を”魔女狩り”の対象にする訳にはいかなかった。

 しかし、外務卿は、《治療師》の問題よりもサエグリアの王位の継承問題を理由にして大使の召還を国王に進言することにしたのである。やはり、第一王女の不思議な技《治療の技》を理由に挙げることは国王の前では(はばか)れた。

 この報告を奏上をした国王の執務室を辞すると外務卿は、いそいそと宮殿を後にし、外務省の入っている建物へと馬車を急がせた。外務省の建物は、他の各省特に元の宰相府である国務省の大きさに比べるとかなり小粒ではあった。しかし、外務卿は、建物の大きさよりも、仕事の内容で有能かどうか判断して欲しいと思っていた。

 しかし、費用と人数の関係で各国の大使館との意思疎通は、陸軍や海軍の伝令網がたよりなのは、いかんともしがたいのが現状であった。その他力本願の伝令網で,遠くタジールのペンガットから、バンデーグ大使の書簡が届けられたのは、その日の夕刻であった。



 この時期、アンドーラで多忙を極めていたのは、外務卿でだけではなかった。持ち前の組織力を発揮していたのは、陸軍であった。無論戦火に(まみ)えることではなく、国王が命じた近衛師団の制服改訂の用意である。陸軍の本営本部は陸軍に在籍する仕立て職や甲冑職の職人たちを総動員して、まず、見本となる制服を始め甲冑も用意が整うと、「内覧会」と称する国王の賛意を取り付ける行事ともいっていい手続きの作業を決行した。

 出席したアマルド・ハッタン海軍提督には、その「内覧会」が陸軍の自信の表れのように思えてならなかった。まず、会場は、新宮殿の普段、御前会議を開催する会議室を充て、玉座以外の椅子や机を片付けられ、要所要所に見本の制服や甲冑を着せた人形(ひとがた)を配置し、国王を始めとする王宮に暮らす王家の七歳以上の人々と出席を求められた各閣僚に一人ずつ調達局の係が、説明役に就くという手配りをみせていた。見本の制服や甲冑はそれぞれ、兵卒から、下士官、尉官、佐官と階級ごとに用意され、それだけではなく、それぞれの制服の人形(ひとがた)の横には仕立て職の職人頭が控え、甲冑の人形(ひとがた)の横には、甲冑職人の職人頭が控えるという体制を整え、その職人頭たちは、何やら自信たっぷりに提督には思えた。そして、陸軍を率いる二代目陸軍元帥のガナッシュ・ラシュールは、平素、国王が座する椅子の横に多分調達局局長であろう部下と神妙な表情で立っていた。椅子を挟んで近衛師団の師団長であるサッカバン・バンデーグ准将も、胸当てに彫り出し模様のある将官甲冑を身に着け、兜を脇に抱え、心配を押し殺して、無表情に正面を見つめて起立の姿勢を保っている。

 ハッタン提督が、会議室を説明役に案内され見回ったところ、驚いたことに陸軍は、この近衛師団の制服改訂の際して夏服と冬服をそれぞれ用意して、重騎甲冑と軽騎甲冑には、冬用に甲冑の上に羽織るケープまで用意していた。ハッタン提督は、何やら、複雑な思いであった。海軍は、設立以来、(いくさ)を経験していない。だが、陸軍はチェンバース王朝に限っても、その設立以前の騎士団時代から、数々の(いくさ)を経験して来ている。その経験の差が、陸軍の自信の根拠のように思えてならなかった。確かに圧倒的な軍事力を背景にアンドーラは平和を享受している。その平和が続くからこそ国民の王家に対する信頼となっているのではないかと漠然とハッタン提督には思えた。

「内覧会」に出席をした他の閣僚たちに見本の制服や甲冑は、評判は(おおむ)ね好意的に迎えられたが、国家の財政を司る大蔵省の最高責任者の大蔵卿のヘンダース・ラシュールは渋い顔をしていた。アンドーラの国家財政は、陸軍に莫大な歳費を計上している。財政全体のバランスを考えると少しでも陸軍には、経費を切り詰めて欲しと大蔵卿は考えていた。しかし、叔父でもある陸軍元帥は、大蔵卿の言葉には耳を貸さないといった態度で、大蔵卿の面目を潰しているような状態であった。

 一方、「内覧会」で、不機嫌な大蔵卿に反して上機嫌だったのは、王家のエレーヌ王女とリンゲート王子だった。まだ、幼いといってもこの二人の王女と王子は、説明役が就くこの「内覧会」の待遇に自分たちが重要人物扱いされるのが,うれしくてしょうがなかった。エレーヌは、無邪気にはしゃいでいたが、陸軍士官学校の入学を希望しているリンゲートは神妙な面持ちで説明を聞いていた。

 そして、この件に関しては、幾分、発言権を行使していた女官長のメレディス王女は「内覧会」の前に下見をすませてあったので、後は、兄の国王の承諾を得るだけだと考えていた。王太子のエドワーズの興味は制服より、甲冑にあったし、武官でもある国王の二人の弟の関心は、新たに制定される式部卿肝いりの武官用の礼服にあった。ヘンリエッタ王妃をはじめとする妃たちは、現在の陸軍の標準の制服よりも、制服が赤い生地を使用しているせいか、いくらか派手になったと批評をしたが、赤を基調にすることをいい出したのが、国王自身であったためか、その点に関しては表立って反対意見を述べなった。アンドーラでは、王家の権威を傷つけない限りは、言論の自由は保障されていたが、王妃たち王家に嫁いだ妃たちは、自主的に言論統制を行っていた。

 そして、肝心の最終決定権のある国王ジュルジス三世は、説明役の言葉にいちいち(うなず)きながら、制服の一着の価格を(たず)ねたり、製作日程を(たず)ねたりと細かい質問をしていた。そのような質問がある程度予想がついていた元帥は、説明役にこの制服改訂の事務的な手続きの責任者である近衛師団のジャンク少尉を充てていた。国王のお気に入りでもあるジャンク少尉は、国王の質問によどみなく答え、元帥と師団長の期待に応えていた。

 一つ一つ丁寧に見て回る国王に反して、第一王女のセシーネは、早足で見て回ると、説明役の説明もさえぎり、父親の国王に近づいた。

「お父さま、よろしいかしら」

「どうした、セシーネ」

「私に意見を述べるべきなら、私は、この制服は反対ではないわ、お父さま。甲冑に関しては、意見を述べるべきではないと思うから、いわないけど、他の方の意見は、それぞれあると思いますが、私は、他に用が、ありますので、退席のご許可をいただきたいですわ、陛下」とセシーネは軽く膝を折り、上位に対する礼をした。

「わかった、第一王女の退席を許可をする。いっていいぞ、セシーネ」

「ありがとうございます。陛下」と第一王女は、もう一度上位に対する礼をすると、急ぎ足で、会議室を退出した。

 その様子を見守っていた、この制服改訂の件に関して、部外者といっていい法務卿のアンマン・カスケード子爵は、やはり部外者であろう国務卿のイーサン・カンバール子爵に「イーサン、施療院の準備は、今はどの程度進んでいるのですか」と制服改訂よりも気になっていた事項の質問をした。

 法務卿に質問された国務卿は、法務卿よりも年上だったが、各閣僚たちは、互いを同格とみなし名前で呼び合う風習があった。例外は、大蔵卿と陸軍元帥で、この二人は、互いを役職名で呼び合うという微妙な関係にあった。

「その施療院に関しては、救貧院の院長のキルマ・パラボン侯爵夫人の尽力が大きくてな、順調に進んでいるよ。問題は《治療師》の見習いたちだな。やはり、もう少し、日数がかかりそうなんで、そこが頭の痛いところだな」

「従医長のベンダー博士は、どう云っているのですか」と年長者の国務卿には自然と言葉が丁寧になる法務卿である。

「ベンダー博士の話では、やはり、実際に診察をしたり治療をしたりは、経験がものを云うらしい。問題は、《治療師》だけでは、ないんだよ、アンマン。医学部では、学生の数が定員に足らずに卒業生も数人というひどい有様でな。陛下にもご報告を申し上げたが、やはり、国内は医者不足の傾向は憂慮すべき問題だな」

「医者不足は、医師法の関係ですかね。しかし、資格のないものが医療行為をするのは、やはり、医療事故の元でしょう。まあ、国民の大多数は、薬草売りがたよりでしょう」

「まあ、そういうことになるかな」と国務卿は、今日も、早めに退席をした第一王女の苦難を思って、思わず、ため息をはいた。

 一方、ため息ではなく、感嘆の息をはいたのは、式部卿のハルビッキ・サングエム子爵であった。さすがにアンドーラの誇る陸軍である。式部卿の目には、制服改訂の見本だけでなく、礼服も、なかなか見事なできばえであるように思えた。後は、国王の裁可を待つだけであった。式部卿には、この近衛師団の制服改訂とともに気がかりな点があったが、それも、国王の英断で、決着が就いたばかりである。

 それは、自身の妻のオルガの待遇である。女官長のメレディス王女の推挙で、「典礼長」という役職名で、初謁見を控えた貴族の娘たちに礼儀作法を教えるという職務に就くことにななったのである。この「典礼長」は、役職として省内人事ということになり、特に国王臨席の式典はなく、その職務に伴う手当も、式部卿の算段で支払うことになっていた。これは、当初は、式部卿の予定にはなかったことで、国王自ら役職名を決めると、国王にオルガにもきちんと月ごとに手当を出すように指示された。

 最近の傾向として、妻の財産管理は、昔のように夫が管理をするのではなく妻自身がする場合が増えて来た。これも、女王以来の女性の地位向上ともいえるだろう。式部卿夫人のオルガも自分の持参金の管理は自身で行っていた。心得たもので、近年その経済的影響を活発化している銀行も、婦人目当ての営業活動を考慮し始めていた。オルガは、役職手当が、金貨で支払われることを知ると、取引のあるファンタール銀行に預ける手配をした。まあ、無駄遣いをするのよりはましだったが、オルガの衣装代は相変らず夫の式部卿の財布から出すことに、式部卿は若干、違和感を覚えていた。

 それぞれの思惑で「内覧会」に出席した一同は、最高権力者の動向を見守った。

「ガナス、よくやった。この近衛の制服は気に入った。サックはどうだ。君が気に入れば、それで、決定だ」と国王は、サックこと父子二代の近衛師団師団長サッカバン・バンデーグ准将に敬意を表した。

「小官は、陛下のご意向に添えれば、それで十分であります」と緊張感を隠す無表情を崩さないサッカバン准将である。

「文句屋のガナスは、どうだ」と今度は、陸軍元帥に意見を求めた。

「親方たちの創意工夫には、頭が下がります。陛下が、陸軍で装備を自前で揃えるように指示なさった成果がここに現われておるように思えます」

「そうか、それでは、王太子も異論はなさそうだな。まあ、気に入らなかったら、王冠をかぶるようになってから、変えればいいさ」と国王は肩をすくめた。無論、国王自身は、まだ、玉座に座っているつもりである。

 そうような次第で「内覧会」も無事終了し、近衛師団の制服改訂に向けて陸軍の仕立て職と甲冑職人たちの腕の見せ所となった。しかし、陸軍元帥が、その機略を用いるべき問題は、まだ残されていた。

 それは、陸軍にも制定されている定年退役という制度の結果、将官がまた、一人退役を迎える。本人の意向はともかく、陸軍としては次の将官を任官する用意をしなくてはならない時期に来ていた。その人選を巡って、各将官たちの意見を聞かなければならなかった。その意見交換の場を陸軍元帥は、王太子主催の「鹿狩り」に求めたのである。「鹿狩り」には、陸軍の各師団の師団長が出席をする。現役将官で欠席をするのは、本営本部に詰めている副将のメングラン中将だけである。彼の意見はもうすでにガナッシュ元帥は、聞いていた。それは、ラシュール伯爵家出身のガナッシュにとって複雑な立場になる人物を副将は、推挙して来た。副将の推挙した人物とは、ルンバートン侯爵家出身のルッセルト大佐である。

 実は、ラシュール伯爵家の出自はルンバートン侯爵家である。ルンバートン侯爵家は、メレディス女王以前は、伯爵位で、代々、武勲を持って王家に仕えて来ていた。ガナッシュの祖父であるミゲルが、その弟アルキスと共にメレディス女王の即位に功があったとして、伯爵位を授けられたのだが、家名のラシュールはミゲルとアルキスの父ラシュールに由来する。ラシュールは、メレディス女王の代に騎士団長を勤めていた。その時の女王から拝領された甲冑がラシュール伯爵家に贈られ、今でも領主館に飾られている。また、ルンバートン侯爵家とは、現在でも交流があり、当主のルンバートン侯爵はルッセルトの将官への昇進を熱望していた。武勲を誇ったルンバートン家では、侯爵位を授けられ礼来、武運には見離された感があり、将官制度の下で将官に任じられたものは、まだいなかった。それだけにルンバートン侯爵のルッセルトへの期待は大きかった。

 そんな事情を知っている以上、ガナッシュ元帥の心境は複雑なものがあった。元帥自身は、ルッセルト以外の人物の登用を考えていた。ルッセルト自身の経歴や技量には、問題はなかったが、年齢的に若い将官を内心では望んでいた元帥としては、ルッセルトの年齢は、少し高齢過ぎた。陸軍は年功序列ではない。実力のあるしかも運にも恵まれたものが昇進していく。しかし、思いきって若手の登用を考えても、元帥にはこれという思い当たる人物がいなかった。

 無論、先代の陸軍元帥の時代と違って、ガナッシュ元帥の独断で、将官は選任できない。最終的には、国王が将官の人事権の最終決定権を持っていた。結局、この新たに任官する将官には、何人かの候補者を推挙することしか陸軍元帥として打つ手はなかった。それが、ガナッシュ元帥は、歯がゆかった。それに他の将官の意見を無視するほどガナッシュ元帥は、傲慢ではなかった。まだ、期限はたっぷりとある。王太子の主催の「鹿狩り」に他の将官の意見を聞くことで、ガナッシュ元帥は、何らかの結論が出るだろうと推察していた。



 式部卿のハルビッキ・サングエム子爵も多忙だった。式部省の大臣執務室で妻のオルガに「典礼長」の辞令を渡す簡単な任命式を執り行うと、今度は、大蔵省に出向き、大蔵卿への面談を求めた。この面談はエドワーズ王太子の主催の「鹿狩り」に大蔵卿が、出席を断ったと聞いてその本意を確かめ、欠席を表明したなら、説得をして何とか出席の方向に持っていくために大蔵省まで足を運んだのである。

 式部卿は、この王太子が初めて主催をする行事に閣僚は全員こぞって顔を揃えるのが閣僚としての責務と考えていた。大蔵卿の欠席の翻意を促そうと式部卿は、いささか意気込んでいた。

 エドワーズ王太子に初めての行事を主催をするのである、やはり、王政制度がある以上、各閣僚は、国王の臣下である。将来その国王の座を受け継ぐ王太子に敬意を表して「鹿狩り」に出席をするのが礼儀というものだろうと式部卿は考えていた。

 式部卿は、小一時間も待たされてようやく大蔵卿の大臣執務室に通された。式部卿は少し、不愉快になったが、それを押し殺した。その点は、各式典を司る式部省の最高責任者である、日常でも礼儀作法にかなった立ち振る舞いをするのが、その地位にふさわしい言動だろう。

 そして、執務室の大蔵卿は、書類の山に囲まれていた。

「お待たせして、申し訳ない」とまずは、大蔵卿は、式部卿を待たせたことをまず謝った。各省の序列からいえば、大蔵省の方が式部省より格は上だと考えられていた。しかし、大臣に任官したのは、式部卿の方が数年前だったし、年齢も式部卿の方が上だった。

 席次を争うことでの余計な悶着を避けるために国王のジュルジス三世は、合理的な手段を持ってその問題の処置を講じていた。それは、同じ大臣なら任官の早いものが上というわかりやすい解決方法だった。そういう訳で、席次からいえば式部卿の方が上ということになる。そこで、当初は、大蔵卿を式部省に呼び出すことにしたが、多忙を理由に呼び出しには応じなかった。「呼び出す」とは、いささか大臣という高位にあるもの対する言葉使いではなかったが、式部卿として、そんな気分だった。

「忙しいようだな。ダース」と式部卿は、執務室の現状を観察して、まずは、若干、皮肉を込めていった。大蔵卿は悪びれていなかった。

「ええ、このような有様で、なかなか仕事が片付かないのですよ。一つ処理すれば、二つ仕事が増えると云った風で」

「ダース、何もかも、自分で処理をするのは無理というものだよ」

「それは、自分でもわかっていますよ、ハル。しかし、ブッルクナー伯爵の時代とは違っているということを省内に行き渡らせるのには、自分で指示を出さないといけないのです」

「そうか、それは、大変だな」とここまでは、挨拶代わりの会話である。式部卿は本題に入った「ダース、王太子殿下が『鹿狩り』に閣僚の出席を求めているのは知っているだろう。君は、欠席と聞いたんだが、何とか出席できないものかね。今回の『鹿狩り』は、王太子殿下が初めて主催する行事でもあるし、やはり、顔を出すだけでも出した方がいいのじゃないか」

「ええ、おっしゃることはわかりますが、でも、今は、王都を離れるのは無理です」

「そこを何とかして、出るのが王太子殿下に対する礼儀ではないかね」

 ここで、大蔵卿はため息をついた「しかし、この大蔵大臣という職務は、国王陛下から勅命を以て任じられた責務ですから、それをおろそかには出来ません。ですから、『鹿狩り』には秘書官のケンダル・ハウザーに私の名代で行ってもらうようにしています。彼の方が、弓術は得意なので」

「君は確か軍学校を出ているのだろう」

「ええ,ですが、弓術はそれほど得意ではないんです」

「それは、文官だから、王太子殿下もそれほどのことは期待していないだろう。まさか、それが欠席の理由か」

「いえ、違いますよ。ただ、けがでもしたらというのは、多少ありますが、やはり、日程的に無理です。すいません,申し訳ないが、これから、打合せがあるので、失礼させて頂きますよ」と大蔵卿は、式部卿に早く帰れといわんばかりの表情をした。

「ダース、忙しすぎて、身体を壊すなよ」といささか無礼な大蔵卿に式部卿は、内心では不愉快な気持ちだったが、その感情を面に出すことはなく、結局、王太子の不興を買うのは大蔵卿自身だし、式部卿の自分では大蔵卿に命令する立場にはないと思い大蔵大臣の執務室を後にした。

 切れ者と噂の陸軍元帥の甥は、職務に熱心なのはわかったが、行事ごとを軽く見る傾向があるなと式部卿は思った。大蔵卿は自分たちの国王をわかっていないとも思った。式部卿という役目柄、国王が、月例の謁見を初めとする各行事を重要視するのは、痛いほどわかっていた。王太子の「鹿狩り』を主催することを認めたのもその一環の表れと式部卿は推測していた。大蔵卿の技量を認めるのなら「鹿狩り』の費用を認めたことだろうと式部卿は、自分を納得させていた。まあ、わざわざ、大蔵省に足を運んだだけだったが、これで、王太子への言い逃れは出来るというものだ。式部卿は、大蔵卿の説得をあきらめ、直前に迫っている「鹿狩り」の準備のため、今度は、宮殿にある王太子の執務室に向かった。



 珍しく、緊急閣僚会議を開く伝令を各省と陸海両本営本部に通達を出したのは、外務卿のハッパード・サンバース子爵だった。通例として月例の閣僚会議以外の緊急閣僚会議は、それを提案した省の会議室で会議を開くこととなっていた。会議を開くにあって、外務卿は大蔵卿の出席を要請を念入りにした。そのため、会議の開始時間は、午後の7時を過ぎていた。当然この異例づくしに各閣僚は、戸惑っていた。

 まず、顔ぶれが揃わないうちから、内心の疑問を口にしたのは、夜間には、夕食をともにしながら、自宅で妻のオルガの報告を聞く習慣がある式部卿だった。

「何です、ハップ。こんな時間に集まれとはあなたらしくもない」

「すまんな、アンマン。ダースの都合を聞いたら、この時間になってしまって」

「そうですか、まあ、ダースは忙しそうでしたからね。忙しくて王太子殿下の主催の『鹿狩り』は、代理のものが出席するそうですよ」と式部卿は、いささか非難めいた口調だった。それを耳にしたのが、大蔵卿ヘンダース・ラシュールの叔父に当たるガナッシュ・ラシュール陸軍元帥だった。

「まあ、前職者のパウエルだったら、一時間ですむことをあいつは、二時間も三時間もかけてやるからな」と甥を(かば)う気配も見せずに元帥は、緊急に会議を招集した外務卿に探りをいれた。

「ところで、ハップ、緊急会議とは、何やら物々しいですね」と元帥は、内心サエグリアの異変ではないかと推測をしていた。陸軍でも領土を接するサエグリアの情報はいくらか入って来た。国王の座を巡ってのあれこれは、多少の報告を受けていた。しかし、外務卿は「まあ、ダースを待ちましょう」と会議の議題を明らかにはしなかった。

 一方、海軍提督のアマルド・ハッタンは、タジールから駐在大使のバンデーグ・バンデーグ子爵の書簡を届けたという報告を受けていたことから、タジールのことではないかと推察をしていたが、遠くはなれたタジールと外交上どんな問題があるのかは、想像がつかなかった。

 そもそも、タジールとはほとんど、交易の相手と考えていた提督は、その国と外交上の問題点が発生するとは予想もつかなかった。それとも、やはりメエーネであろうか、メエーネの国王の船が欲しいという要求は、提督の耳にも入っていた。

 大蔵卿は、会議の開始時間すれすれに外務省の会議室に現われた。さすがに同僚といっても自分よりも古参の閣僚を待たせたことに大蔵卿は恐縮をしていた。

「申し訳ない。打合せが長引いて、遅くなってしまったようですね」

 会議を招集した外務卿は メエーネからの輸入品の懐中時計で、時間を確かめると「いや、ダース、時間ぴったりですよ」とさりげなく云った。

 外務省の会議室は、普段月例の閣僚会議を開く国務省の会議室に比べると部屋の広さも椅子や机も質素だった。まあ、部屋の豪華さや贅沢な家具調度が、会議の内容を充実させる訳ではなかったので、外務卿以外の閣僚はあまり気に留めていなかった。外務卿はこの会議の議題を考えると今回は、質素な会議室の方が特に賛同を得たい大蔵卿の心証がいいのではないかと思っていたが、やはり、貧弱な会議室は、気分的に他の閣僚に軽く見られるのではないかという何か引け目みたいなものを感じていた。

「ハップ、どうやら、顔ぶれは揃ったようだな」と国務卿のイーサン・カンバール子爵が、会議の開始を促した。慣習として緊急閣僚会議の場合はそれを招集した閣僚が司会進行役を務めることとなっていた。外務卿は、咳払いをし「それでは、皆さん、席にお着き下さい」と歓談にふけっていた閣僚を着席するように促した。一同の着席を待って、外務卿は「それでは、緊急閣僚会議を始めます」と開会を告げた。

 外務卿の会議の開始の言葉に一同の視線が外務卿に集まった。

「実は、今日お集り頂いたのは、タジールの駐在大使のバンデーグ子爵から、書簡が届けられました。その書簡の内容は、緊急に閣僚会議を招集するべき内容だと判断したので、皆さんにこうしてご足労いただいた訳です」

「タジールですか」とこれまで、興味津々の表情ではあったが、口をつぐんでいた工部尚書のニドルフ・レンドル子爵が、やや以外だと云うような顔つきをし「ハップ、タジールとは、どのような国なのですか」と質問をした。

「その質問は、大使の書簡を読み上げてから、お答えしましょう」と外務卿は、その質問は織り込み済みだと軽くあしらった。そして、用意してあったバンデーグ子爵の書簡を手にして「このバンデーグ大使の書簡には、直接、この会議には関わりないことも書き記されていますが、事情を把握するのに必要と思いますので、全文を読み上げますので」と断った上でタジール駐在大使の書簡を読み始めようとした。そこを提督が、さえぎった。

「ハップ、ちょっと待ってくれ。やはり、ここは、多少タジールという国について、多少説明をした方がいいのでは、ないかな。私の知る限りでも、かなり、アンドーラとは言葉はもちろんのこと風習も変わったところがあるし、大使の書簡はそれからでもいいのではないかな」

「その方が、我々にも理解しやすいと思うね。タジールなんて、交易があること位しか、知識がないんだ」と国務卿も言葉を添えた。

「わかった。少し、性急だったかな」と外務卿は、タジールについての説明をその会議に同席していた外務省の書記官に促した。書記官は、会議の記録を取るために同席をするが、発言をするのはかなりまれなことだった。

「では、今まで入って来た情報を整理して、申し上げます。実は、タジールには、何か秘密主義といいますか、他国のものにはなかなか気を許さないところがありまして、詳しいことがわからないのが実情であります。一番の問題点は、タジール語を話せるものが、少ないということもあります」

「前置きは、それ位でいいから、アンドーラとどこが違うんだということを説明してくれ」と式部卿が少し、いらだって口を挟んだ。

「はい、まず、言葉は、もちろんですが、その服装も、違います。特に、奇妙だと思うのは、女性が顔を隠すかぶりものをしていることでしょうか。何しろ、我々から見て、奇妙な風習が多いのをご理解をいただきたい」

「風習よりも、政治形態が問題になってくるのでないかな。国王はいるのかね」と陸軍元帥。

「いえ、国王はいません。しかし、タジールの人々が『ラジ・リニ』と呼ぶ、国王に匹敵するような人物が統治をしており、これは、世襲制です。このラジ・リニは、タジールでは絶対権力者で、国民は皆ひれ伏すというような有様です。わかっている範囲では、アンドーラの陸軍・海軍に当たるような近代的な軍組織はありませんが、むしろ騎士団に近い制度の武装しているものたちもおるようです。身分制度の上下関係が複雑で、わかり難いのですが、奴隷の身分のものもおり首都のペンガットには、公然と奴隷市場が開かれております。アンドーラ海軍が、寄港するアンターバには、他国の船らしきもの見え、交易は盛んなようです。以上が、外務省で把握しているタジールに関する情報です。なお、『ラジ・リニ』の氏名などは、わかっておりません。タジールでは、名前を名乗ったりまた、尋ねたりするのが、難しいというか,礼儀に反していると思われているようです」

「だいたい、わかったかな。つまり、アンドーラとは、風習がかなり違っているということ理解頂ければ、結構だと思う。では、大使の書簡を読ませてもらうよ」と外務卿は、再び大使の書簡を手に取った。

 その書簡には、大使は『リニ』の知己を得て、『ラジ・リニ』の拝謁を許されたこと。また『リニ』に様々な贈り物をもらったこと、それがタジールでは好意の表し方で、また、贈り物を断る理由も断り方もわからないので、受け取ってしまったことなどが、述べられていた。ここで、元帥が再び質問をした。

「リニとは,なんだね」

「『ラジ・リニ』の跡継ぎです」と書記官が説明をした。ここで、大蔵卿が「この贈り物というのは、法的には、(まいない)にあたるのでは、ないのですか」

「そこが、今回のこの書簡の主旨なんだよ。確かにアンドーラでは、贈収賄とも受取りかねない贈り物をもらってしまった訳なんだが、ともかく、最後まで読ませてもらうよ」と外務卿はもう一度書簡を手にした。

 書簡の続きには、かねてからの報告にもあるようにタジールでは、天候の不順による旱魃(かんばつ)が続き、飲み水にも困るような地方もあり、当然のことながら、主要作物である米作が不作で、米不足が、深刻なこと、餓死者も多数出たことなどが述べられていた。

 そして「リニ」の側近から、数々の贈り物のお礼として米などの贈り物をすべきではないかと助言というより警告をされたことなどが、大使の判断だけでは手に余る事項として、外務卿の判断を仰ぎたいとなっていた。

「つまり、贈り物には贈り物を返すという、まあ、何だかアンドーラでも当たり前のことのように思えるが」と式部卿は、幾分この緊急閣僚会議の目的に何だか、肩透かしを食らったような感じを受けていた。しかし、外務卿は「確かに、そうともいえるが、ただ、外務省としては、バンデーグ大使の個人的な贈り物というより、国王陛下からの贈り物とした方が外交上、有益な判断だと思う。問題は、アンドーラではそれほど米を作っていないことだろう。まだ、書簡には続きがある」

 大使からの書簡にその贈り物にふさわしい品物として、食料が望ましく、米が無理なら麦でもいいとはっきりと指摘していた。ここで、提督が「確かに、アンターバでも、食料は価格がつり上がっていると艦隊からの報告は、受けている。麦でもいいなら、アンドーラでも作っているしな。イーサン、どうなんです、今年の麦の作柄はどうですかね。他国へ贈り物として贈るほどの収穫があったのですか」

「麦の収穫量なら、大蔵省の方が、正確な数字が出るよ。しかし、地方を回っている民部官からは、餓死をしそうな国民はアンドーラにはいないと報告は受けているがね」と国務卿は、大蔵卿に水を向けた。

「ちょっと、待って下さい。その贈り物をする必要性について、まず、話し合うべきでしょう」と、大蔵卿は、外務卿の予想通りの反応をした。この贈り物(・・・)のどうするかの判断で、一番の障害は大蔵卿の少し狭量な性分だろうと思っていた。外務卿としては、遠くはなれた国とはいえ、餓死者も出たという窮状を見逃す訳にいかなかった。ここで、思わぬところから、援軍が現われた。

「ハップ、こうして、緊急閣僚会議を招集したということは、外務省としてどのような判断をされてのことですか」といつものお気楽振りとは、違った表情の工部尚書である。

「そうだな、ここは、贈り物と考えるから、アンドーラには、馴染まないと思う。外務省としては、食料援助の要請として判断している」

「食料援助ですか」

「そうだ。タジールに対する食料援助が、正確な判断だろう。ここは、人道的な見地から云っても,また、国益からも援助をするべきだと思う」

「国益といっても、タジールに援助をすることが、どんな国益になるというのですか」とやはり、この食料援助で、余計な出費がかさむと考えているらしい大蔵卿の質問だった。

「確かに、タジールは遠く離れた国だ。だが、まず歴史的には、メレディス女王の戴冠の時には、真っ先に祝辞を述べた国だと言うことも考慮に入れなければならないと思う。礼を失する国だと思われては、外交上問題になるだろう。現在の国王陛下の戴冠の際にも、やはり丁重な祝辞を贈ってくれた。それだけでは、ない。遠くはなれた国だからこそ、もし、万一、アンドーラに飢饉が襲ったら、近隣の国もやはり、飢饉に見舞われているかもしれない。遠い国だからこそ、国交を結ぶ必要性がある。そして、交易の相手としても、大事な相手だ」

「つまり、情けは人のためならずですか」と工部尚書は格言を持ち出した。

「まあ、そういうことになるかな」と外務卿は少し、じれったかった。確かに大使の書簡だけでは、国家財政の舵を握っている大蔵卿を説得できる材料がなかった。

「しかし、ハップ、外交上といわれても、タジールは遠すぎて判断のしようがないですよ」

「ダース、遠いからこそ、国交を結ぶ必要があるのさ。近いからと云ってサエグリアのような国と親交を結んでも、福音教会を喜ばすだけだ」

「ハップ、サエグリアの騎士団長は、なかなかの人物だがな」とここは、武官同士で馬が合うのだろう、元帥が、反論した。

「しかし、ガナス、彼は国王では、ない。今回の注目すべき点は、アンドーラでは王太子殿下にあたる『ラジ・リニ』の後継者からの要請であることが重要になって来る。こういう言い方をしたくはないが、ここで、このタジールの後継者に恩を売っておくのも悪くないと思う。外交というものは、長い目で見て将来的に国益になるかどうかで判断すべきだと思う。一年やそこらで判断するべき事柄ではない。それに交易船の入港を断られたら、貿易商は困るだろう」

「そんなことは、どうでもいいじゃないですか。貿易商の利益が、国益になるのですか」と大蔵卿は、鼻白んだ。

「いや、考えても見てくれ、貿易商が莫大な利益を上げれば、収支税で、多額の税収が見込まれる」

「どれほどの税収かな」とやはり、お気楽な工部尚書である。

「ハップ、ここは、陛下のご判断を仰ぐ前に王太子殿下の意見をきいてみたら、どうだろう」と国務卿が、提案した。

「それが、いい。殿下には、駐屯地のご視察も大事だが、外交政策のご意見も伺いたいものだ」と式部卿が賛同した。外務卿はここで、どのみち最終的には国王の裁可を仰ぐことになるのはわかっていた。こうして、閣僚会議を開いたのも、閣僚から「そんな話きいていなかった」という不満を言わせないための手続きに過ぎなかった。

 その当時、アンドーラの政治形態は、国王ジュルジス三世を中心に回り、その最終決定権は国王に帰するものとされていた。ジュルジス三世が承諾しなければ、何事も決まらなかった。閣僚といえども、国王の意向に逆らって、政治的判断をし、それを実行することは、不可能だった。すべては、国王の玉爾(ぎょくじ)が握っていた。

 王制という制度上、国王という一個人が、国政の責任を一身に担うというのは、「独裁」の(そし)りを免れないが、ジュルジス三世の治世下で、アンドーラは平和と自由を謳歌していた。何よりも、国民が酒場で多少、国王の悪口を云っても咎められないという言論の自由はあった。無論、反逆罪や国家の安定を(くつがえ)すような謀反を企てるのは罪にとわれたが、当然のことながら、各閣僚の品定めは、盛んに酒場で論じられていた。

 そのような政治的背景をよく心得ていた外務卿は、国王の最終的判断を仰ぐ前に王太子のエドワーズの意見を聞いてみるものも悪くないと思い、閣僚会議の終了を告げた。年齢的に云って王太子の戴冠式に自分が閣僚として臨席をするといことはあり得ないと思ってはいたが、やはり、アンドーラの将来を託す人間がどの程度、国家の安寧(あんねい)と国民の幸福を考えているのか聞いてみたいと外務卿は思った。

 そして、この会議の出席者で、タジールという国に興味を抱いた人物がいたことに外務卿が気がつくのは、後日のことになる。



 その時期のエドワーズ王太子は、初めて主催する「鹿狩り」の準備に明け暮れていた。準備と云っても、それは生き物が相手のことである、鹿の動きはある程度の予想はつくが、それが集団となる群れの動きともなるとその予想は的中率が低かった。そこで、エドワーズは、鹿狩りに頼りになり、必要不可欠な武術といっていい、弓術それも騎射の稽古に(いそ)しんでいた。

 父の国王に半ばねだった形の執務室も留守がちで、外務卿のハッパード・サンバース子爵が、王太子に面談を申し込んでも、その面談の場所は、王宮の武術の訓練場という有様であった。エドワーズは、外務卿の面談の主旨が自分の縁談のことだと決めにかかっていた。そんな訳で、外務卿が、タジールの現状について話し始めると自然と怪訝(けげん)な顔になった。

「タジールが、どうかしたんですか」とエドワーズは閣僚の最古参に丁寧な言葉遣いをした。

「要点を申しますと、タジールでは、近年飢饉が発生し、多数の餓死者も出ているようです。それで、タジールの君主の後継者から、非公式に食料援助の要請がありました。外務省としては外交上、この要請は、受けるべきだと存じます。無論、最終的には陛下のご裁可が、必要となって参りますが、その前に、王太子殿下のご意見も伺いたくこうして参上した次第です」

「飢饉か、その原因はわかっているのですか」

「数年、旱魃(かんばつ)が、続いているようです。飲み水にも事欠いているとか。ここは、人道的な判断が必要となってくると存じます。タジールは、遠国ですが、アンドーラの交易の相手として、盛んに交易船が行き来しているところです。海軍も寄港をする港がある国でもあります」

「交易といってもな」といってから、エドワーズは眉をひそめた。

「そうだ、絹を輸入するのは、タジールではなかったかな」

「はい、絹は、タジールから輸入をし、それを他国に転売することで貿易商は、多額の利益を得ております。この貿易商が、利益を得ることで、多額の税収の見込みを考えられます」

「税収か」といってエドワーズは笑い出した。

「それに、絹が手に入らないと叔母上が文句を云うだろうしな」とエドワーズは、近衛師団の制服改訂にもあれこれ助言という名目で口を挟んだ叔母のメレディス王女のことを思った。彼女の目下の関心事は、各行事に着用する礼服の改訂である。無論礼服には、絹が用いられていた。

 しかし、外務卿がわざわざ自分を(たず)ねてくるのは、彼が、王太子として無視できない存在として見ているのだと感じて、エドワーズの気分は悪くなかった。だが、聞き慣れない食料援助という言葉に戸惑いは隠せなかった。

「どの程度の食料援助が、必要となってくるのですか」

「やはり、最低でも、交易船一隻分は必要でしょう」

「交易船一隻か。費用として、どの程度の金額になるかな」

「それは、大蔵卿が試算をいたすでしょうが、国家財政全体に影響を及ぼすほどではないと存じます。あまり、大きな声で申し上げることではございませんが、タジールに食料援助をしたという実績が必要なのです」

「外交上、必要な訳か」

「まあ、そんなところでございます」

「まあ、援助をしてもいいのではないかな。それに人助けとは、なかなか気分がいいしな」といいながらエドワーズは、また、的に向かって弓矢を構えた。そこで、王太子の反応はなかなかよかったと感じたとった外務卿は、早々に退散した。そして、エドワーズは再び、騎射の稽古に没頭した。

 王太子殿下の御前を退出した外務卿閣下も、アンドーラの最高権力者の国王ジュルジス三世陛下の臨席を賜る御前会議の開催に向けて動き出した。外務卿は、外交的成果を上げるために内政での苦心が必要なのは心得ていた。そして、また、父親のジュルジス三世に比べて鷹揚な反応をしたエドワーズ王太子に何となく、安堵の気持ちを抱いた。

 このタジールへの食料援助というアンドーラの歴史では、かつてない施策に後世の歴史家たちは、ハッパード・サンバース子爵の功績を挙げている。無論、好意的な論評だけではなく、サンバース子爵の売名行為だったと論じているものもいる。



 外務卿の思惑とは他所に緊急閣僚会議の議題になった、タジールに関心を寄せている人物がいた。陸軍元帥のガナッシュ・ラシュール閣下である。陸続きの国ではないためか、これまで、タジールに注意を払ったことはなかったが、何やら、()のようなものが働いた。会議のあった日は、会議が夜分だったので、その翌朝に元帥は、動き始めた。調達局の局長を呼び、タジールの交易品について調査をするように命じた。しかし、耳慣れない国名に局長は、戸惑っていた。

「閣下、タジールの交易品と申しましても、どう調査をすれば、いいのか見当もつきませんが」

「タジールの大使館に行けば、教えてくれるだろう。大使館の場所はわかっているだろう」とこともなげに切れ者の元帥は、部下に指示を出した。確かに調達局は、近衛師団の制服改訂で、多忙だったが、それくらいの調査は苦ではないと元帥は考えていた。

 外務卿の招集した閣僚会議で、甥の大蔵卿のヘンダース・ラシュールは、あまり食料援助という策に乗り気では、なかった。それだけでなく、近衛師団の制服改訂でも、費用がかかると反対をした。それは、大蔵卿が狭量なせいではなく、軍事費が国家財政を圧迫して、他の施策をとることが、なかなか難しいという事情があった。それは、財政圧迫の当事者である陸軍元帥には、よくわかっていた。

 軍事費の大部分は、将兵の食料費と給与である。だが、それを減らすことは、陸軍全体の士気に関わって来る。貧しい食事では体力がつかないし、兵卒たちの給与は最低限の生活を保障する必要があった。

 それでも、多少の費用節減になるように空き地で作物を作ったり、養鶏や養豚をしたりして、それぞれの駐屯地で工夫はしている。それでも、軍事費は、焼け石に水といった状態なのは、陸海両軍と大蔵省の最高位のものたちには、頭の痛い問題であった。かといって、陸海両軍とも、人員削減を検討すらしていないのは、陸軍には隣国のサエグリアという火種があったし、海軍は、近年、跋扈(ばっこ)している海賊を退治する必要があったからである。

 そして、切れ者の陸軍元帥閣下は、とんでもないことを思いついたのである。つまり、タジールと交易をして、利を儲けるという手段を試してみようという意外性のある案を練り始めたのである。確かに陸軍が交易をして利を儲けてはいけないという法はアンドーラの国法にはないが、あまり、大掛かりな交易は、民業を圧迫するという誹りは逃れられないだろう。しかし、元帥には、ある計算が働いた。タジールが飢饉で食料が不足しているなら、食料を運べば、高く売れるはずだという、多少、相手の足元を見た行為であるが、高値をつけずとも、売れ残る心配はなかった。

 この元帥の意外性のある思いつきは、思わぬ結果をもたらすことになる。それは、まだ、若かった頃、前任者のヘンダース陸軍元帥が、つけたあだ名「ちっぽけな策謀家」と呼ばれたことを伺わせる一端でもあった。

 しかし、元帥は、部下の調達局の局長に命じてしまうと、この「交易」という思いつきを頭から振り払い、別な事案に取りかかった。新たな将官の人選の準備である。これは、陸軍に籍を置くものとしては、興味をそそられる話題でもあった。この話題に関しては、元帥は用心深く口をつぐんでいた。

 前任者の時代と違い、元帥といえども独断で物事を決定することは出来なかった。陸軍は、将官たちの一種の合議制ともいうべき体制を取らざるえなかったのである。それでも発言権の重さ軽さは、あるにはあった。重要なのは、その発言にどれだけ責任を持てるのかがであるが、二代目陸軍元帥は、なるべく多くの意見を広く深く聞くように心がけていたし、自分の意見を述べることには慎重になっていた。

 この将官の人選に関しても、元帥の思惑とは違った方向に動き始めている。最有力候補は、ルッセルト・ルンバートン大佐であるが、元帥は、他の候補者を見いだそうとしていた。だが、なかなか対抗馬が出て来なかった。そこで、元帥は、その次の将官の人事を念頭にルッセルトの昇進で、一つ空く副官の席に座る大佐の人選に着手した。元帥は、その中から、若くて優秀な人材を欲していた。しかし、今、本営本部に詰めていると、各駐屯地の生きのいい佐官にお目にかかるという機会はあまりなかった。元帥のその数少ない機会が、王太子の「鹿狩り」になるだろうと幾ばくかの期待を持っていた。「鹿狩り」には、各師団の師団長が、自慢の優秀な軽騎兵を連れてやって来る。その彼らから、何らかの情報が得られるのではないかと予想をしていたが、元帥という陸軍の最高位にある自分に若い士官たちが、気さくに話をするということは、まずないだろう。そこで、元帥はもっと気楽な地位にある人物に情報収集の肩代わりを頼む手を打つべく、まず、秘書官に宮殿にいる王太子へ伝令に口頭での伝言ではなく、文書での伝言を運ばすと伝えた。秘書官は、近頃多くなって来た王太子との密着ぶりといってもいい関係を知っていたので、特に疑問を抱くこともなく、王太子の伝令係を呼び出した。

 無論、元帥が、情報収集を頼む人物は王太子ではない。王太子の側近にうってつけの人物がいた。それは、元帥の軍学校時代からの親友で、退役大佐のポーテッド・フライサーだった。ポーテッドは、現役は大佐で終わったが、それは、年齢による壁だった。ポーテッドは陸軍士官学校の設立を待ち望んで兵役を遅らせ、ぎりぎりの年齢で入学して来た。そのため、将官への昇進が、出来なかったのである。後、数年現役でいれば、将官に昇進できてもおかしくない技量の持ち主であった。ポーテッドは、フライサー子爵家の出身だったが、フライサー子爵家では、軍学校や兵学校それの大学へ入学を希望している少年たちに学科や武術を教える学校を経営していた。そのフライサー子爵家からの情報も期待できるし、ポーテッド自身も面倒見のいい性分で、若い者たちの間に入っても自然と打ち解けることが出来る人柄で、それに何よりも、ガナッシュ元帥が信頼よせていたし、なおも、適任なのは、口が堅いという、まさにうってつけの人物であった。



 一方、就任当初と違って、閣僚たちの評価を落としている感のある大蔵卿ヘンダース・ラシュール閣下であるが、前任者のパウエル・ブルックナー伯爵の王都不在も手伝って、苦境に立たされていた。国家財政に計画性を持たすために彼は、予算(・・)という新しい方針を打ち出していたが、各省の反応は鈍かった。肝心の大蔵省自体が、予算を組む体制が整っていなかった。そこで、大蔵卿は、若い官僚をその役に充て、その責任者に腹心の秘書官ケンダル・ハウザーをその任につかせた。これも、省内人事であったので、国王の裁可は不必要だった。

 ケンダル・ハウザーは、大蔵卿の王立大学の一年後輩で、前任者のブルックナー伯の下でブルックナー伯の薫陶受けた、半ば、同志のような間柄であった。大蔵卿自身は、彼を次官に就任をさせることを考えていたが、ブルックナー伯の意向もあって次官の席には、古参のどちらかというと誠実だがやや凡庸な人物が座っていた。やはり、大蔵卿も省内人事とはいえ、独断で物事を決することは出来なかったのである。この人事は、前任者のブルックナー伯が、後任のヘンダース・ラシュールが、まだ年若く省内での人望が、今一つなので、ヘンダース・ラシュールに呑ませた人事でもあった。

 しかし、ブルックナー伯を襲った領地の「土砂崩れ」という不幸は、大蔵卿には、幸いに動こうとしている。ブルックナー伯の王都不在の間に新たな組織改編を試み、その成果が現われようとしていた。そして、次官の席も「定年退官」という既成の制度が、大蔵卿の意向をかなえやがて空きが出るのはわかっていた。

 陸軍元帥が、若く優秀な人材を求めたのと同様に大蔵卿も若手の抜擢を考えていた。それは、ブルックナー伯の影響力を排除するという、表立っては口に出来ない方針であった。確かにブルックナー伯は、大蔵卿として確かな実績を残したが、その残像にいつまでもすがっているは、考えものであるが、この時期のヘンダース・ラシュールは、功を焦っていたという感が拭い得ない。ヘンダース・ラシュールことダースは、今は自分が大蔵卿の任についているのだという自負が少し裏目に出て、新任の大蔵卿は狭量だという評判になったのはいかんともしがたいことであった。

 大蔵卿も、例えば、外務卿の主張するタジールへの食料援助も、予算が許せば賛同したいところであったが、国家財政の余裕が、あまりないという現実に慎重にならざる得ないのが、大蔵省を預かる自分の職責だと思っていた。

 反面、第一王女の院長就任が、決まっている「王立施療院」の設立には、大いに賛同できた。医療の充実という国民の福利厚生の面からも、大いに後押しをしたい施策であった。詳しいところはわからないが、第一王女は、《治療師》の治療行為の有料化を考えていることも、その設立準備に協力をしていたブルックナー伯から、聞いていた。アンドーラの国民生活は、メレディス女王の時代に比べて、豊かになっているというブルックナー伯の感想も、その有料化を後押ししていた。しかし、大蔵卿は、まだ《治療の技》が、どういうものか、理解をしていなかった。その不思議な技が、アンドーラの国民にどう受け取られるかは、誰も予想はつかなかった。



 思いもかけないタジール駐在大使バンデーグ子爵からの要請で、「リニ」への贈り物(・・・)の用意をするために外務卿は、奮戦していた。エドワーズ王太子の賛意の手応えを感じると、御前会議の出席者である国王の二人の弟のヘンダース王子とランセル王子を各個撃破とばかりにそれぞれ面会を申し知れて、説得工作に打って出た。

 海軍に籍を置く次弟のヘンダース大佐は、自身もタジールには何度も海軍の巡航でアンターバの港に寄港した経験もあり、タジールの惨状に興味を持って外務卿の言葉に耳を傾けた。

「餓死者が多数でたのか、あそこは、アンドーラより気候が暑い日が多いんだ。ハップは行ったことがあるかな」とヘンディ王子は外務卿の虚をつく問いかけをした。確かにタジールへは訪問をしたことがない。

「いえ、ございませんが、実は、メエーネやサエグリアは言葉も同じですし、情報は集めやすいのですが、タジールは、まったく言葉も違えば、服装や風習も、アンドーラの常識では理解できないことが多くて、情報が少ないのです。それでも、タジールの君主の後継者ともいえべき人物と知己を得ているという報告は、バンデーグ大使のお手柄といってもいいでしょう。ここで、この私は食料援助と理解しているのですが、今後の外交上の影響を考えますと、贈り物(・・・)を贈った方が、得策だと思います」

「問題は、アンドーラの国内の食料事情だろう。その辺はどうなっている」

「国務省に問い合わせてみたのですが、それは、むしろ大蔵省の管轄だといわれまして、もう少し、大蔵省が協力的だとよろしいのですが」

「まあ、ダースもパウエルが領地の事情で不在だからな。仕方あるまい。しかし、どの程度の援助が必要なんだ」

「殿下、アンドーラが、タジールの困窮者全部を救済する必要はありません。それは、あちらの君主が手を施せばいいことで、アンドーラとしては、まあ、交易船一隻分程度の贈り物(・・・)で十分だと思います。これは、食料援助をしたという実績が、今後の国交を左右する事由になる訳でして」

「実績か、ハップも、なかなかしたたかだな」

「まあ、お人好しでは、外交官は勤まりません」

「どの程度の費用になるのかが、課題だな」とヘンダース王子は態度を保留した。

 一方のランセル王子は外務卿の説明に軽口で答えた。

「なあ、鹿狩りの獲物を贈るというのはどうだろう」

「殿下、タジールは遠方ですよ。届く前に肉が腐ってしまいますよ」

「まあ、冗談だよ。しかし、餓死者まで出て、そのタジールの国王は、大変だな。サエグリアだったら、チェングエンへの信仰が足らないとか云われそうだな」

「殿下、タジールでは、国王はいないのですよ。まあ,言葉も違いますから、称号は『ラジ・リニ』です。タジールが迷信深いかは、わかりませんが、風習が違いすぎて、大使も苦労しているようです」

「その何とかの跡継ぎと仲良くなったという訳か。その結果がおねだりとはな」

「それほど、窮状なのでしょう」

「しかし、何でタジールをアンドーラが助けなければならないんだ」

「まあ、これは、人道的な見地から、考えた方がいいでしょう」

「人道的な。まあ、情けは人のためならずというからな。タジールの国の様子がよくなって来たら、何かお礼でもしてくれるのか」

「長い目でみれば、見返りはあるかもしれません」

「ないかもしれないだろう。うーん、どうだろう、チェンバーにいるタジールの大使を呼んでその辺りを聞いてみちゃどうだろう」とランセル王子の提案に外務卿も、なるほどと思ったが、肝心の大使が、タジールに帰国中とあって外務卿は、打つ手が無くなったような気がした。しかし、このタジールとの関係は、「食料援助」だけでは済まなくなって来たことを外務卿は、国王自身の口から、聞かされることになるのである。

 タジールに帰国していたはずのタジール大使のブラドが、国王に面会を求め、タジールの「リニ」からの書簡を直に手渡すという、外務卿には、寝耳に水という事態が起こっていた。驚くべきことにその書簡には、リニが、自身の見聞を広めるため、アンドーラに留学を希望していると書き記されていた。この書簡は、今までの通訳の手になる翻訳をした代筆による書簡とは違って、リニの直筆で、しかもアンドーラの言語、カメルニア語で書かれていた。

 こうした事態を国王から聞かされた外務卿は、自分を通さず国王に直接に書簡を届けるという、外務省の存在を無視したタジール大使のやり方に、内心では、腹が煮えくり返るような怒りを覚えていた。タジールへの食料援助の為に苦心している自分をないがしろにされた思いだった。

「ハップ、どう思う」と国王に聞かれた外務卿は、タジールの現状を報告して来たタジール駐在大使のバンデーグ子爵の書簡を国王に差し出した。その書簡に目を通した国王は「ハップ、こういうことなら、もう少し、早く報告して欲しかったな」と若干、機嫌を損ねていた。

「申し訳ございません。このバンデーグ大使の贈り物(・・・)の件で、閣僚たちの意見も聞きたいと存じまして」

「王太子やヘンディ・ランセルの意見も聞きたかったのだろう」と国王は外務卿の動向をすでに察していた。

「恐れ入ります。陛下、しかし、飢饉で困難な国情なのににそれを他所(よそ)に留学とはいかがなものでしょう」

「困難だからこそ,他国へ逃げ出したいのかもしれんな」

「自身の地位が、危ないということでしょうか」

「その辺りは、わからんな」

「とりあえず、その辺の事情をバンデーグ大使にもう少し詳しく報告させましょう」

「いや、この際だ、その贈り物(・・・)をハップが届けるというのは、どうだ。そのついでに、そのリニとやらに会ってみて、直接どうして、アンドーラへ留学したいのか尋ねてみるというのはどうかな」

「私がですか」

「うん、メエーネの件は、ハップが留守をしても大丈夫だろう。確か、馬上試合の前にランガルク公爵が、アンドーラに到着するという予定だったな。馬上試合が、すんだらタジールに出発できるだろう。船旅は、得意だろう」

「しかし、陛下、贈り物(・・・)は、せめて交易船一隻分位は、用意をしませんと、意味がございません。もう少し、お時間を頂きたいのですが」

「まあ。その辺は、ハップに任せる。ダースの機嫌を取らんでもいい。そのくらいの費用は何とか算段できるだろう」

「かしこまりました」と外務卿は、国王の迅速な決断に今までの苦労は何だったのだろうと何だか、力が抜けた気分だった。

 こうしてタジールへの食料援助は、実現の運びになったのだが、ここに追い風がメエーネから、吹いて来ることになる。メエーネの駐在大使から、連絡がきて、メエーネでは、アンドーラに麦を購入しないかという打診があったとのこと。渡りに船とはこのことであろうと外務卿はほくそ笑んだ。

 メエーネでは、麦が大豊作で売れ残り、価格が暴落したという。そこで、メエーネの宰相が、価格を安定させるため、アンドーラで買い取らないかと駐在大使にアンドーラの麦の収穫量などを尋ねたという。その連絡を受けた外務卿は、麦の余剰分をすべて買い取るという返答をメエーネに送った。大蔵卿には、事後承諾である。外務卿には、国王の指示という、切り札があった。

 この、メエーネで購入した麦をタジールに送るという方策は、一方ではタジールを援助し、他方ではメエーネの宰相にも()を売るという外交的に有意義な成果を上げることが出来る、まさに一石二鳥な施策であった。

 こういう訳で外務卿閣下は、王太子殿下主催の「鹿狩り」に心置きなく参加できることになった。



 一方、「鹿狩り」の不参加を決めた大蔵卿も、念願の土地税の税額の見直しを国王の承諾を得ることが出来、その準備に追われていた。アンドーラでは国王ジュルジス三世が承諾した以上それは、国策と行ってもよかった。これで、陸軍も重い腰を上げるだろうと大蔵卿は、いつの間にか不仲になってしまった叔父の陸軍元帥を思った。土地税の税額の見直しには、陸軍の協力が必要不可欠であった。土地を測量する測量技師はほとんどが陸軍に籍を置いていたし、その調査能力の高さは、アンドーラでは、群を抜いていたし、その機動力も見逃すことが出来ない能力であった。人海戦術をとる事が出来ない大蔵省には、心強い援軍であった。

 だが、国税の対象となるのは、王家領だけではない。貴族たちに封土された領地もその対象となる。そこで、大蔵省としては、土地税の課税の見直しを実施する旨を各領主に伝えなければならない。大蔵卿は、配下の主税官にその政令を持って各地に出向くように命じた。それは、領主たちに歓迎をされない役目ではあったが、必要な手続きであった。

 それと同時に大蔵省に査察官という役職を新たに設け、納税の不備が無いか確かめさせることにした。とくに査察官たちに取り組んで欲しかったのは、収支税だった。この前任の大蔵卿が「金持ちから税をとれ」という方針で制定された新税は、とかく、脱税の温床となりやすかった。

 国家の根幹ともいうべき税制度は、アンドーラでは大蔵省の管轄にあった。宰相を置かないアンドーラでは、もっとも有力な省庁ともいえた。何事も財布を握るものが、他のものを支配する力をを持つことを大蔵卿は知っていた。

 そして、大蔵卿を就任するのにあたって国王に進言した、歳費のあらかじめ予算(・・)を組むという新たな取り組みに取りかかっていたが、各省の反応は鈍かった。そこで、各省の主計官を呼び出し予算案を提出しなければ、歳費の出費を認めないと申し渡した。

 かつては、各省の歳出は、出費があるとその都度請求がなされていた。それをジュルジス三世の治世になって、各省毎に各月毎に取りまとめてから、請求をすることになっていた。それを今回、予算化することによって年度毎にその予算に請求された金額をあらかじめ、各省に渡し、その管理を各省の責任で執り行うという形式にして、半ば請求があれが言いなりに渡していた歳費を計画性を持って出費をする制度を取り入れようとしていた。

 この制度の目的は、主に年間の各省の歳出がどの程度になるのか、各省の歳費の管理の担当官である主計官たちに貴重な歳費であることを十分理解を深めるためでもある。アンドーラの国庫は無限に金貨を念出できる訳でもないことを各主計官に自覚を持って欲しかった。特に国家財政の大部分を占めている陸海両軍にかかる軍事費は、その削減の必要性を大蔵卿は感じていた。

 しかし、国内は安定しているというものも、国外の状況は油断が出来ない状況であった。この状況では軍を縮減の方向に持っていくのは無理な注文ということをその当時の大蔵卿が十分理解していたかどうかは怪しいところはあった。

 このあらかじめ予算を編成するという計画性に歳出を認めないといういわば、恫喝ともいえる大蔵省の姿勢に各省も、ようやく、ややずさんだったが、予算案を提出して来た。まあ、大蔵卿自身も初年度から、完璧な予算案を編成出来ることは期待していなかったので、その辺で妥協をしなければならないのは、わかっていた。



 軍事費の削減の必要性を感じながらも、諸国の事情がそれを許されない状況を十分わかっていた陸軍元帥は、陸軍の若手士官の情報収集の協力者にと睨んでいたポーテッド大佐に協力を要請をしていた。ポーテッド大佐は、ガナッシュ元帥の若い将官が欲しいという要望に同感を表明した。

「そうだな、お前やカルバスが昇進した時のように若い将官も必要だろうな。そうでなければ、みんな准将止まりで終わってしまう」と二人きりになれば階級を超えた付き合いが出来る中将と大佐であった。

「そうなんだ。私はルッセルトに将官の資質がないと云っているのではない。彼には、十分その資格がある。ただ、後、十歳若かったら、完璧だと云っているだけさ」と、元帥は現在の将官昇進の最有力候補の名をあげた。

「どのみち、陛下のご裁可を仰ぐことになるだろうが、ルッセルトの昇進が決まれば、ルンバートン侯爵は大喜びだろう。随分ルッセルトに期待していたみたいだからな。そうだ、ガナス、彼の娘が今セシーネ王女さまの侍女に行儀見習いで来ているのだが、それが、なかなか評判がいいんだ」

「ほう、行儀見習いか」と娘のいない元帥には、その辺の事情がよく知らなかったが、元帥の一人息子もその養育は、ほとんど兄のミゲル・ラシュール伯爵任せであった。ちなみにその息子は軍人の道を選ばず、伯父の進んだ博物学という学問の道を選んだ。

「まあ、娘をみれば、その親がわかるというものだ。それにルンバートン侯爵家も評判は悪くない。後は、将官研修をどうするかだな」と将官昇進の最後の関門をポーテッドは、推察した。

「無論、私がやるさ」

「まあ、文句屋の真骨頂が、発揮できる訳だ」とポーテッドは、ガナッシュ元帥の軍学校時代のあだ名を引き合いに出した。

「そういうことだ」と《文句屋》は肩をすくめた。

 将官への昇進は、陸軍元帥の一存で決まる訳ではなく国王の裁可が必要だった。やはり、《閣下》と呼ばれる身分になり、貴族の爵位と同等の重みがある地位である、そうそう、簡単に昇進できる階級ではなかったが、ガナッシュは31歳の若さでその地位をつかんだ。その後、順調に中将まで登り詰め、二代目の陸軍元帥の椅子に座ることになったが、その椅子の座り心地は、あまりいいとは云えなかった。ガナッシュが、若い将官の誕生を考えているのは、自身の後継者を育てることを念頭においているからである。いつまでも、この席に座っている訳ではないことを十分承知しているからである。

 ポーテッドが、快く若手の有望株の情報収集を引き受けてくれたので、元帥は、他の情報収集の結果を聞くために調達局の局長を呼びだした。

「局長、タジールの方はどうなっている」

「はい、それが、なかなか面白いことがわかりました。大使は、自身で交易船を所有していて、商売熱心なんです。是非、タジールの品を買ってくれと云われまして」

「それで、どんなものがあるんだ」

「今、それを一覧表にしてお持ちするところでして、もう少しお待ち下さい」

「交易なら、アンドーラの品を売る方はどうなんだ」

「そちらは、聞いていませんが」

「それなら、買う方の一覧表が出来たら、今度は、アンドーラから売る方を聞いて来なさい」と元帥は、云われたことはやるが、それ以外のことは少し足らない部下に大いに不満だった。

 大蔵省から見れば、人材の宝庫のような陸軍だったが、元帥の間近にこれはとうならせるような逸材は、見当たらなかった。武功がなくても、年齢で昇進はする時代になっていた。それは、国王ジュルジス三世の即位から、国内の平和が続き、陸軍は、停滞していたといってもいいだろう。かつての騎士団制度から、近代的な軍制度へ変わり、個人の武勇を誇る時代ではなくなったが、それでも、組織の中で優劣を競うことはあった。その一つが、王太子の主催する「鹿狩り」である。

 しかし、ガナッシュ・ラシュール元帥は、自身の後継者の目星は皆目検討がつかないことに、不安を覚えていた。国王ジュルジス三世にはエドワーズ王太子というなかなか楽しみな跡継ぎがいるが、陸軍には、有能な人材は、見つからないのか、それとも、自分に見いだす目がないのか、陸軍の将来に不満を抱く陸軍元帥であった。

王太子エドワーズの「鹿狩り」には、陸軍元帥ガナッシュ・ラシュール中将は、「鹿狩り」を純粋に楽しむどころではでは、なかったが…


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