裏切り
「なぜだ、セレス……っ!」
「……終わりよ、アルゴノート。あなたを許さない」
血に染まる教会の森。
あらゆる願いを叶える禁断の「黄金の果実」を巡り、激しい戦いの果てに相対する二人の姿があった。
かつて愛し合い、未来を誓い合ったはずの聖女セレスと、魔族の王子アルゴノート。
しかし、セレスの脳裏に焼き付けられているのは、最愛の彼自身に裏切られ、冷酷に襲われたという消えない記憶だった。
すべてを信じ込み、絶望と怒りに暮れるセレスの瞳から涙がこぼれ落ちる。彼女の手にした聖なる刃が、拒絶の光を放って一直線に突き進む。
「――うっ……!」
至近距離から放たれた容赦ない一撃が、アルゴノートの胸を貫いた。
鮮血が飛び散り、彼はその場に崩れ落ちる。
だが、すべてを失ったセレスの心にも救いはなかった。
彼女は目の前に転がり落ちた「黄金の果実」を自らの手で拾い上げ、震える唇でその身に宿るすべての力を込めて願った。
「どうか……この世界から、永遠に消え去って――っ!」
世界を狂わせた果実と共に、セレスもまた自らの命を散らしたのだった。
第1章:50年後の世界と、最悪の契約
「ねえ、みんな待ってってば! この教会の裏、めちゃくちゃ写真映えするって!」
「ほんとだー! カノン、そこでポーズしてよ!」
「ちょっと、私のお気に入りのカフェもこの近くのはずなんだけどな……あれ?」
夏のヨーロッパ。大学のサークル旅行ではしゃいでいた女子大生・カノンは、いつの間にか友人たちからはぐれていた。
スマホの画面を見ると、圏外を示す無慈悲なマーク。
「嘘……みんな、どこ行ったの……?」
振り返っても、あるのは鬱蒼と茂る不気味な森の入口だけ。その中央に、50年前の悲劇を物語るように、苔むした古い石碑がポツンと佇んでいた。
そこには、かつてセレスとアルゴノートが戦った教会のなれの果てが広がっている。――そう、ここは現代ではなく、あの悲劇から50年後の世界だった。
「なにこれ……気味悪っ……」
恐る恐るカノンが指先で石碑に触れた――その瞬間。
ぐにゃりと空間が歪み、世界の色が血のような赤へと変わる。足元が崩れ、カノンはめまいと共にその場に倒れ込んだ。
「――っ、嘘でしょ!? ここ、どこ……!?」
賑やかな現代の街並みは消え去り、目の前ではよだれを垂ラした禍々しい魔獣が牙を剥いている。
「ひっ……! 誰か、誰でもいいから……助けてっ!!」
――ドカンッ!
泣き叫んだカノンの前で地面が割れ、光の中から黒い服の青年が飛び出した。
銀髪を揺らす彼は、魔獣を見るなり冷たく言い放つ。「――邪魔だ」
ゴアアアッ! と、凄まじい魔法が一瞬で魔獣を消し飛ばした。
「は……? なんなの、今の……?」
呆然とするカノンの胸元が、急に熱を帯びてドクンと脈打つ。
彼女が飛ばされた時、石碑の封印が解けたことで、その中に眠っていた「黄金の果実」の残滓がカノンの体に宿ってしまっていたのだ。
「おい、人間。なぜ、この俺を呼び出した?」
「こっちが聞きたいわよ! いきなり変な化け物が出てきて、助けてって叫んだら、勝手にアンタが飛び出してきて……っ!」
ビビって一歩下がるカノンに背を向け、アルゴノートは鬱陶しそうに吐き捨てる。
「用は済んだ。勝手に喚いたお前がどうなろうと知ったことではない。さっさと失せろ」
「えっ、ちょっと待ってよ! どこ行くのよ、こんな危ないところに一人ぼっちにしないで、私から離れないでっ!!」
その瞬間。
ビューンッ!
「ぐっ……!? お前、今なんて言った?」
見えないゴムに引っ張られたみたいに、アルゴノートの体がシュバッとカノンの真横へ強制送還された。
頭の中に冷酷なルールが響く。――『主の言葉は絶対。主から離れることは許されず、主が離れるなと願えば、強制的に引き戻される』。
「ふざけるな……! 私は、こんなガキの人形になるために蘇ったわけじゃない!」
「こっちだってふざけないでよ! なんなのよアンタ!」
キレたアルゴノートが強大な魔力を溜め始めたのを見て、カノンは恐怖のあまり叫んだ。
「もうっ! 意味わかんないし、私を巻き込まないで、今すぐそこからいなくなってよ!!」
――パァン!
カノンの叫びを合図に、胸元に宿っていた「黄金の果実」の光がパキパキと音を立てて粉々に砕け散った。
それは無数の光の粒になって、世界中へパーッと飛び散っていく。
「なっ……!? 果実が……俺の悲願が……っ!」
「……私の、せい?」
「ああ、お前のおかげでな。俺の計画が、見事にパーだ」
歯噛みするアルゴノートは、自身の胸元を押さえて忌々しそうに吐き捨てる。
「……魔族の俺は、長い年月をかけて魔素を再構築し、この50年後にようやく蘇ったというのに……。完全な肉体ですらない、か弱き人間の姿にな」
「……ってことは、アンタ50年前に死んでたってこと!?」
「そうだ。あの聖女に命を絶たれてからな。だが、すべてはこの果実で野望を果たすためだったというのに……!」
凍りつくようなアルゴノートの低い声。
「こっちだって好きでこんな目にあってないわよ! 早く元の世界に返しなさいよ、そのへんてこ頭!」
「誰がへんてこ頭だ。……言っておくが、この契約のせいで俺はお前から離れられない。お前が動けば、俺も強制的に引き戻される」
アルゴノートはこめかみを押さえ、殺意と絶望が入り混じった顔でカノンを睨みつけた。
「だが、散らばった『種』を全部回収しないと、俺の野望も、お前が元の世界に帰る方法も、両方消えるんだよ」
「ステキな旅になりそうね……って、冗談じゃないわよ!」
50年という生々しい歴史の傷跡が残るこの世界で、最悪の出会いから始まった二人のバタバタ旅がこうして幕を開けたのだった。




