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最終話

 その後も、四年間だけ業平は生きた。いつか来る日に向かって……

 あの大原野行啓の同じ月のうちに大極殿が炎上し、帝はそのせいかご心痛なされて高子の生んだ皇太子に位を譲られた。二十七歳であった。

 これで高子は晴れて国母となり、皇大夫人と呼ばれるようになった。

 即位された新帝は、その父帝のご即位のときよろしく御年九歳の幼帝である。そこで、高子の兄の基経は、右大臣のまま摂政に任じられた。


 業平はこのとき帝の受禅の報告のため、文徳帝の田邑山陵へ山陵使として派遣された。

 ともに遣わされたのは、業平の異母兄で今は大枝家を継いでいる大枝音人おおえのおとんどであった。

 今は参議で右衛門督を兼ねている長兄と業平は文徳帝の御陵の御前に並び立った。今までは顔を見ることはあっても、全く親しく接したこともない腹違いの兄である。母が違うから全く違う屋敷で育ち、成人するまで会ったこともなかった。ましてや今は、他家を継いでいる。

 本来なら、肉親の情はなかなか生じがたい状況だ。ところが業平は帰途には自ら頼んで、兄とひとつ車に同乗した。生まれて初めて、この兄とゆっくり語らったのである。


 その三年後、帝の代も変わり世の中も一新した中で、業平は蔵人頭となった。その時もまだ中将だったから、彼は頭中将になったわけである。

 頭中将といえば、若者にとっては将来の出世が約束されたエリートコースの入り口である。しかし、業平のような老人にとっては、必ずしもその限りではない。

 彼にとっては頭中将というポストが、人生の終着点だった。


 そしてその半年後――元興四年五月二十八日に、従四位下蔵人頭右近衛権中将兼行右馬頭在原朝臣業平は五十五歳の生涯を閉じた。

 

  つひに行く 道とはかねて 聞きしかど

    昨日今日とは 思はざりしを


 在原業平の今際いまわの歌である……この世を去る日がいつか来るとは知っていたが今日、来るとは知らなかった……彼の最後の心の叫びである。

 彼の人生は、この世を去る最後の最期の瞬間まで歌詠みだった。


 時に長男棟梁(むねはり)は三十歳で正七位上左兵衛大尉と、一人前の道を歩み始めていた。それに続き次男も加冠して滋春と名乗り、内舎人うどねりを務めていた。

 長男の外祖父の紀有常はすでに二年前に故人となっていたが、業平の兄の行平は六十二歳で参議治部卿、源左大臣融は五十九歳、惟喬法親王は三十七歳、皇大夫人高子は三十九歳でそれぞれ健在、皆もう少しこの世の光の中にいるようであった。


 そしてその冬、摂政基経は史上初の関白に任ぜられ、その月のうちに左大臣を飛び越えて太政大臣となった。世にいう堀川関白である。


(在五中将記 ~新・伊勢物語~  おわり)

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