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在五中将記 ~新・伊勢物語~  作者: John B.Rabitan
おとろえたる家
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第1話

 秋が深まるにつれて伴善男とものよしおの取り調べも進み、その息子の右衛門佐えもんのすけ中庸なかつねが実行犯として逮捕された。

 さらには密告者の大宅鷹取が告発に及んだのは、鷹取がかつて善男の従者の生江恒山いくえのつねやまに暴行を受け、その娘を殺害されたのを怨んでのことだということも明らかになり、生江恒山も逮捕されて鷹取の娘殺害の件も合わせて糾弾された。

 その間、右大臣良相の方は、何ら打つべき手を打っていなかった。


「今までは分際をわきまえて控えておりましたが、今日は言わせて頂きます」


 ついに西三条邸の寝殿で業平は口を開いた。良相の表情は変わらなかった。


「こちらはすべてが後手後手に回っているではありませんか」


 ところがこれだけ苦言を呈しても、良相は怒るどころか大きくうなずいたりしていた。


「たしかにそれはそうなのだが……」


「ご無礼承知で申し上げます。舅殿は、見通しが甘いのではございませんか。これはいくさでございます」


「全くそうじゃな」


 業平の祖父である平城上皇が起こした乱以来、ここ都では絶えて血なまぐさい合戦はなくなってはいる。しかしその反面、兵を使わぬどろどろとした政治上の合戦が、宮中には飛び交っていた。

 業平の父の阿保親王が関与し、先帝の立太子に際して橘逸勢たちばなのはやなり伴健岑とものこわみねを流罪にした事件などがその例である。


「これでは戦に負け申す。先手を打って、太政大臣殿の策を封ぜねば」


「だが、多美子がおる」


 これは、太政大臣に対する右大臣の強みだ。すでに元服された帝には、良相の娘で業平の妻の直子の妹の多美子が、女御として入内している。その点、良房は後れをとっている。

 しかし多美子にはまだ帝の御子が授かっていない。多美子に男皇子おのこみこが生まれ、それが皇太子として立坊してはじめてこの戦は良相の勝ちとなる。

 だがさすがに恐れ多くて、業平はそこまでは口にできなかった。

 一方、良房は実の娘は皇太后明子一人だが、亡兄の娘を幼女にしていて、後れをとっているとはいえ持ち駒はあることになる。

 業平にとって忘れることのできない女――高子である。当然業平は、高子入内を目論んでいるはずだ。今それを阻んでいるのは右大臣としての良相の力と、帝の多美子への御寵愛だけだといえる。

 だから、多美子には早く男皇子を生んでもらわなければ困る。いくら右大臣の力でがんばっているとはいえ、高子入内は時間の問題だ。

 さらにその前に、あの太政大臣のことだから、今回の事件をさらに拡大して右大臣失脚を図ってくる可能性もある。


 業平は歯痒かった。自分の舅が太政大臣のような策士ではないことが、じれったくもあった。もし右大臣失脚などということになったら常行は、そして妻の直子はどうなるのであろう。

 そう思って業平は顔をあげた。ところがそれと同時に、良相も口を開いた。


「だからのう、婿殿があの時、高子をつぶしておいてくれたらのう」


 業平の頭の中は、一瞬真っ白になった。しばらくは言葉が出なかった。全身が動かない。頭を殴られたような衝撃を、業平は良相の言葉から受けた。

 高子のことは、あえて過去のこととして忘れようとしていた業平だ。今でも現実に存在する二十五歳になっているはずの高子は別として、十八歳だった高子は業平の思い出の中で永遠に十八歳のままで輝いていた。

 一途な恋だったと、せめてそう思いたい。その一途ゆえに、高子を盗み出すという挙にまで出たのだ。

 たしかにあの時も、良相はちらりとそのようなことを言ったような気もする。だが当時は恋以外のことは業平の頭になかったから、良相の言葉も耳に残らなかった。

 だが、今は違う。

 良相は策士ではないとたった今思ったばっかりだったが、実は十分に策士だったのだ。自分の高子略奪の陰には自分自身の動機とは別にこんな政治的意図が動き、その良相の意図の中で自分は踊らされていた……

 業平は一気に冷めた。策士でないことが歯痒く思っていたのに、ひとたび実は策士だったと知ると歯痒さが反転して空虚になった。


「数重なる無礼なる言上、平にお許しを」


 業平は両手をついて頭を下げ、そのまま退出した。


 疲れた。何もかもに疲れた。

 良相のために真剣に悩んでいた自分が、ばかばかしくもなった。そして冷めていた部分が一気に拡大し、このような政治的争いに首を突っ込むのは本来自分の性分ではないはずで、またそうするべきでもなかったとつくづく業平は思った。

 業平はそのまま自邸に帰ると、忠親を呼びつけた。


「ばかばかしい。やめたやめた」


 そして忠親相手に、業平はすべての不満をぶちまけた。


「もう、疲れた。何がどうなってもいい。どうなっても私は知らない。どうとでもなれ」


 素面しらふなのにまるで酔人のように、業平は叫んでいた。

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