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第3話

 今にして思えば、真女まめは生娘ではなかった。おそらく今までも、縁談はあったのだろう。ところが通った男は一夜のみの契りだけで、三夜通うことはなかったようだ。

 さもありなんとも思うし、またその反面真女(まめ)が不憫でもあった。もっとも、この田舎でも都のように、三夜通いの風習があればの話だが……。

 ただ、都人の業平にとっては、今後のことが問題であった。三夜通うのか……もちろんそのようなことは論外だ。かわいそうではあっても……しかし、その母親が自分の住む草庵の隣人である船頭の妻の縁者で時折来るからにはのがれられそうもない。ただ、入間の郡の三芳野は遠いということだけは事実で、これは口実になりそうだった。


 土地は丘陵が減り、だんだんと平らになってきた。それでも所々に楢の林は点在している。

 大自然と壮大な大地の中にあって、都にいたのでは得られないものを得た。自分というものを取り戻して生き返った――業平はずっとそう思っていた。

 だが今は、歎息をもらしてしまう。息が詰まりそう――これが今の実感だった。真女のことではない。ここ二、三日、彼が感じていたことである。

 田舎の生活とは、都人がたまに経験するにはいいことだ。都しか知らないと、不完全な人間にしかなれない。だが田舎の生活は希人まれひととして訪れるから価値のあることで、住んでしまったら息が詰まるだけだ。

 だから業平は今後もこのままこの土地に住み続けて、この地に骨が埋められるかどうか不安になっていた。息が詰まって、身動きがとれないのだ。

 たとえば真女のような女と一夜を過ごしてしまったとしても、都には他の女がいくらでもいる。口直しに、若い美貌の侍女に一夜の相手をさせてもよい。五条あたりに行けば、遊女屋もある。しかしここには、そのようなものは一切ない。

 国司などは、四年間の任期が終われば都へ帰る。自分は今さらおめおめと都に戻れない。戻ったところで官職や仕事があるわけではないのだ。

 もちろんこのようなことは、供のものには話せない。いつぞや、夜に庭で継則がすすり泣きしているのを聞いた。彼とて、いや彼のみならず供の三人すべてが、この地に骨を埋めると言明した業平についてきたということは、都の妻子を捨ててきたことになる。

 ふがいない主人についたばかりに、望郷の念に苦しまねばならない彼らを、業平は不憫に思った。まだ、御恩と奉公などという主従関係が成立していないころに、三人はついてきてくれたのである。三人は後世でいう家臣ではなく友なのだ。

 だからここで自分が弱音を吐いて、都が恋しい、戻りたいなどということは、供たちには口が避けても言ってはいけないことだと業平は自戒していた。


 寡黙になって、そんなことを考えながら駒を進め、夕刻には隅田川にたどり着いた。

 すると、後を追かけるように、入間から使いの下男が到着し、真女からの歌を業平に届けた。後朝きぬぎぬふみを気取っているのであろうか。

 しかし、後朝の文は男の方から出すものだということを田舎人は知らないらしいと、業平はまたため息が出てしまった。

 

  夜も明けば きつにはめなで 朽鶏くたかけ

    まだきに鳴きて せなをやりつる


 いくら万葉集に直情的な歌があるとしても、これには業平も閉口した。まず「きつ」が分からない。この地方の言葉であろう。「はめなで」とはどういうことか……「はめないで」か……「くたかけ」とは……???

 業平は、思い切ってこの歌を船頭に見せた。すると「きつ」はやはりこの地方の言葉で「水桶」のこと、「はめなで」は「はめないで」ではなくやはり方言で「はめてやるぞ」、「くたかけ」は「腐れ鶏」といった感じの言葉だという。

 おそらく業平が真女の母親に、「鶏が鳴くので帰ります」と言っていたのを、真女は寝たふりをして聞いていたのだろう。この歌の大意は、なんとその鶏を水桶にぶち込んでやろうという内容だ。あの女なら詠みそうな歌だった。

 業平はもちろん、返し歌などする気はなかった。そもそも後朝の歌は男が女に出して、女がそれに返し歌をする。その女の返し歌への返し歌はしないのが普通だ。それに業平は、自分の方から後朝の歌を送ろうなど、毛頭考えていなかった。

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