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第2話

 船頭の話によると、入間は結構遠いという。だから例の中年女も、そうたびたび来るわけではない。

 あれから音沙汰もないから、先方も自分の歌が解せずに失望し、忘れているのだろうと業平は思っていた。

 ところがある日、またあの女が来た。そして業平は、また船頭の家に呼ばれた。


「これを」


 また女は、歌を取り出す。

 

  なかなかに 恋ひに死なずは 桑子にぞ

    なるべかりける 玉の緒ばかり


 桑子――蚕である。このようなものを歌に詠みこむなど、どんな田舎娘かと想像できる。歌もとにかく泥臭い。

 万葉集に似たような歌があったような気もするが、確かに今様の詠みぶりではない。万葉の時代なら確かにこのように実直で素朴な歌の詠み方もあったと、業平は何とか自分に言いきかせていた。

 この土地での時間の流れは、いまだ万葉の時代のまま止まっているのかもしれない。


 業平は仕方なく、重い腰を上げた。供は忠親だけだ。実は腰を上げたのは、業平の生理的欲求もあった。どんな年増の田舎女でも、女は女だ。行ってみる価値がないこともない、そう思ったからだ。

 時は秋。武蔵野の大地は、大部分が楢の林である。それがすぐ行っては途切れ、原野が広がる。その原野もまたすぐに林にさえぎられる。土地は平らなようで実は結構起伏があるが、激しいものではない。

 こじんまりとした谷間が所々にあって、その下はたいてい水田だ。それとてわずかな広さのものが、谷あいに点在しているだけにすぎない。公地の班田なのか豪族の墾田なのかは分からないが、水田はそろそろ収穫を迎えるべく黄金に色づいていた。

 黄金といえば林もそうで、楢の広葉樹林が今一斉に黄葉している。都のような紅葉と違いあくまで黄葉で、林の木々の葉はすべて茶褐色になっていた。それが風に吹かれてどんどんと散る。

 都のような竹林や松林、杉木立はない。すべてが楢林だから冬になれば裸の木の林となり、地表だけ落ち葉が茶色く敷かれるはずだ。

 すでにそうなりつつある落ち葉の上を、業平と忠親の馬は進んだ。風が強くなり、木々の葉をますますざわめかせる。周りは黄色一色の世界だった。烏の声がやけにうるさい。時折出くわす柿の木は、実が熟して今にも落ちそうになっていた。

 林が切れて野に出た。空の面積は都よりはるかに広い。それがどこまでも高くて青く、筆で描いたような筋状の雲が出ている。

 野には、土の香りが充満していた。都では接したことのない香りだが、業平はもうすっかり慣れていた。今では、その中で生活している。土は黒い火山灰土で、これでは水田も増えないだろうと思われる。そう思っているうちに、林がまた近づいてきた。

 そのうち、林に覆われた土地の起伏が激しくなってきた。所々に丘陵として林は盛り上がっており、その下に固まって集落があったりした。


 朝、隅田川のほとりの草庵を出たのに、三芳野に着いたのは夕暮れだった。

 この土地のこの季節は、夕暮れが一番美しい。

 都のような優雅さはないが、その素朴で荒々しい自然が黄金色に統一され、落ち葉を踏む音、風のざわめき、烏の声、木の実の落ちる音、それらと夕日の赤が相俟って独特の風趣をかもし出す。やがて周囲を染める紅の色が濃くなり、空は濃紺となってあたりを闇で包み始める。

 都にいた頃、業平が武蔵野に対して持っていた印象は紫草だった。しかし、実際に武蔵野に来ても、そのような固定観念を裏付けるようなものに出会っていない。

 それでも十分に情緒はあった。だが都の優美と違うということは、業平の中でかなり大きなものがあった。


 中年女の家に着いた。庭で柿を干していた女は、すぐに業平に気がついた。


「まあ、ようこそ。お待ちしてましただ。どうぞこちらへ」


 案内された家はただの民家よりは少し大きいし、木の板の床もあった。往来との間に垣根はないが、ぐるりと林に囲まれて自然と庭をなしている。その庭には、数羽の鶏が歩いていた。

 その一室に通された業平と忠親に、中年女は愛想よく食事を供した。玄米飯に山菜と木の実で、鶏肉もあった、都の食事と違うことはすでに味がついており、自分で塩などをかけなくてもよいことであった。女の家に通い、その家で食事の接待を受けるなど、都では絶対に考えられない。


「それにしても、暗ぐなんねえうちに着きなすって、いがっだべえ」


 その言葉使いを聞いていると、本当に貴種の血筋の女なのかと疑ってしまう。それほど、この土地に同化していた。

 そうなると、あとから出てくる娘というのが、ますます心配になる。


 食事が終わると、忠親だけは別室に案内された。

 いよいよ来るなと、業平は覚悟を決めた。もう外はすっかり暗く、室内は微かな灯火で照らされている。

 ややあって、庭のほうから一人の女が上がってきた。


「こんばんは。まめでございます」


 入り口で手をついているのが女だと、業平ははじめ気がつかなかった。何か丸い大きな塊がうずくまっているとしか、思えなかったのだ。


「今、何と?」


「まめですだ。私の名だべ」


「ま《《め》》……」


 それにしても奇妙な名だ。まめはゆっくりと部屋に入ってきた。でっぷりと太った体だ。灯火に照らされたその顔は、業平を見てニタッと笑う。頬は丸く赤い。それでまめという名が、少しは理解できたような気がした。豆粒を巨大にした以外の何者でもない。


「酒をお持ちしましょうかね」


 業平は、黙ってうなずいた。そして、まめが出て行ってから、今のは何だったのかといろいろ考えた。

 まさかあれがこの家の娘だろうかとも思ったが、そうは思いたくなかった。あれはただの下女で、今に端麗な長い髪の姫が来ると思いたかった。

 だが、再びやってきたのはさっきのまめだった。業平は、頭を抱え込みたい気持ちだった。来るのではなかったと、つくづく思った。


「豆とやら」


「やだあ、ま《《め》》じゃねえだ。《《ま》》めだっぺ」


 大笑いして真女まめは、業平の肩を激しく叩いた。すごい力だった。

 しばらくは黙って、業平は自分で酒をついで飲んでいた。この場から逃げ出したいという衝動が、何度もこみ上げてくる。とにかく酒を飲んで酔ってしまわねば、平常心を保てそうもなかった。そのそばで、真女まめは適当な距離をおいて座っている。


「そうじろじろ見るな」


 思わず苦笑して、業平は言った。


「もう少し、そばに寄ってもよいぞ」


 酒の勢いで、やっと言えた言葉だ。


「えー、でもー」


 一人前に、真女ははにかんでいる。髪は短いが、よく見ればなかなか愛嬌のある顔をしているのに業平は気づいた。お世辞にも美人とはいえないが、ふた目と見られない醜女しこめでもないし、思ったほど年増でもなくて一応は若い娘だ。


「そばに寄れ」


「どうしても?」


 いやなら来なくていいと言いたかったが、本来が色好みの男である。


「ああ」


 と、言ってしまった。

 するといきなり真女は、業平の胸に飛び込んできた。業平は否応なしにその巨体を抱く形となった。驚いた事に真女は、業平の股間をつかんだ。


「おい、おい」


 そう言いながらも禁欲が長かった彼だ。男は十分に変化していた。ま、いっか、来てしまったのだからと業平も何とかその気になり、灯火を消そうとした。するとその手を、真女が止めた。


「いい、つけとくだ」


 つけとくと言ったって……業平は途惑ったが、真女はもう業平の袴の紐を解き始めていた。業平も、真女のの紐を引いて上衣をはだけさせる。ぱらりと現れたものは、まさしく肉の塊だった。灯火をつけたままだからよく見える。

 乳房は巨大だが腹のあたりまでたれていた。ただ、若いだけに弾力はあった。腹は妊婦のようだが前後左右に膨張し、どこまでも柔らかい。その腹に隠れて、座っていたら恥部の草むらすら見えなかった。

 すると真女は自分から全裸になり、ごろりと仰向けに横になった。横になると余計に体の面積が広がる。なりゆきから業平も真女の大きくて柔らかい乳房を吸い、腹に顔をうずめる。やたらと暖かかった。

 業平は四十近くになって自分の腹が出てきていることが気にはなっていたが、今日ほど自分が細身だと思ったことはなかった。そして丸太のような真女の両足を持ち上げて広げ、恥部を吸う……くっさ!……これには閉口した。

 そしてどうにか、一体となった。

 業平がふと動きを止めると、真女は業平と一体となったまま業平の顔を大きな目で見上げてゲヘヘと笑ったりする。

 もうだめだ。

 業平は後退した。


「さ、寝るぞ」


 暗くなったら寝るという早寝の習慣が身についていた業平は、疲れからと酔いもまわってもう眠くなっていた。だから、さっさと横になった。

 真女は一度出ていって、しとねを持って来た。それを業平にかけると、真女も一緒に入った。体の下は畳などなく、木の床だった。


 翌朝、まだ暗いうちに業平は起きだした。真女はまだ寝ている。業平は庭に出て、咳払いをした。ところが忠親より先に、真女の母親の方が出てきてしまった。


「おや、まあ。もうお帰りで?」


 よく見るとこの母親は、容貌といい体型といい実に娘によく似ている。それがおかしかった。


「いや、鶏の声が聞こえたもので……。明るくなる前に帰るのが、都での貴人のたしなみゆえ」


 そう言っているうちに、忠親が目をこすって出てきた。彼も下女の一人をあてがわれていたのだろう。

 その後すぐにこの家を辞し、二人は馬を並べて武蔵野の丘陵の多い台地を進んだ。次第に夜も明けてきた。


「いかがでしたか、姫は」


「うん」


 そう言ったきり、業平は黙った。この話題には、今は触れたくなかった。朝日が大地を横から照らす。鳥の声のほかは、実に静かだった。

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