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5.

残酷な描写があります。

苦手な方はご注意を…

 

 「お嬢様。本当にマララインまで行かれるのですか?」

 「ええ、陛下にも父も許可は頂いたわ。婚約解消の当事者だもの。もし、殿下達が勅命を全うせず民を見捨てて逃げ出すような事があれば……その時は私が最後に裁きを下すのよ」

 「そんな事、お嬢様がせずとも……」

 「いいえ、この目で確認したいの」


 きっと何も出来ずにいて、恐怖に震え自分達の非力さを実感しているのではないだろうか。自分達だけでは何も出来なかったと後悔してほしい。

 泣いて絶望して逃げ惑って、私に屈辱を味わせた分、彼らもそうあってほしい。


 そう思いながらマララインに赴いた。

 私は聖堂に厳かに祀られている女神の像を遠くから見上げた。不思議だった。

 手に持つ剣は掲げるでもなく地に下げられ、儚げに俯くユラの女神像。もう片方の手に持つ逆三角形の筒は何だろうか……。

 風に髪がなびいて顔にかかる。


 私は何か引っかかりを覚えながらも聖堂の中へ入った。中には大勢の民達がいて、助かった喜び、家族を失った悲しみ、残酷な世界を見てしまった恐怖の顔……色んな感情が溢れていて、私の足はそこで止まってしまった。


 私を見た民達は一斉に駆け寄り話し出した。


 「お貴族様ですよね?あの、王子様達を助けて下さい!あのままでは、私達のためにあの方々が犠牲になってしまいます」

 「危険な事を顧みずに、俺たちを先に逃してくれたんだ。早く行ってくれよ!!」

 「ご令嬢の方は怪我を治しながらも戦っています。自分の身体から血を流していてもです……」

 

 私は耳を疑った。

 なぜ、罰を受けるべき彼らが皆に感謝されているのだろう。なぜ、民達から役立たずだと罵倒されていないのだろう。


 私は聖堂を出て砦に向かった。

 行く先々で、亡骸が幾つもあり吐き気を催すような人間の腐敗臭や血の匂いがした。腕で鼻と口を覆い、砦に立つ。

 砦の外は多くの魔獣やオーク達が倒れており、それでもまだ砦を突破しようとする奴らもいた。

 

 残り少ない兵士がそれを防ごうと戦っている。

 私は震える足で進む。

 

 目先に魔獣の側に見目の良い服を着た男性が倒れていて、近づけばそれはケインだった。


 死んでいた。

 腕と足をなくした彼の身体から流れ出た血は塊りとなって彼の衣服を赤く染めていた。

 その近くにはケインと一緒に戦っていたのか。どちらかが助けようとしたのかはもう分からないが、同じように、横腹を失ったロードが死んでいた。


 「お嬢様……」


 私はコンラッドが隠すようにした背中から抜け出して彼らを見る。目を逸らしてはいけない気がして彼らを目に焼き付けた。

 まさかだった……彼らは、民を守って死んでいったのだ。

 ほんの15歳の若者が。


 私は込み上げてくるものを飲み込み、歩き出す。

 

 人の亡骸を縫って歩きたどり着いたのは、先程見上げた女神像がある建物だった。


 「っ、どうして……」


 私は口を手で覆う。

 私が見たもの、それは、顔が分からないほどに血で染まり綺麗なブランドの髪も赤く染まる女性とオーディンの姿だった。

 オーディンはその女性を抱き抱えて肩を振るわせていた。きっと女性はプリシア様だろう。


 「プリシア…、プリシアっ」


 オーディンは涙を流しながら彼女の額に己の額を擦り付ける。血で自分の顔が汚れようとも気にせずに、彼女の頬を撫でる。

 その手つきがあまりにも切なげで必死で。彼が彼女を本当に愛しく、そして大切に思っているのが痛いほど伝わってきた。

 

 「守れなくてっ、ごめん……僕が弱くて、皆、死なせてしまった……」


 私が見たかった光景。

 

 けれど、どうしてこんなにも胸が締め付けられるのか。ずきんと胸が痛くなって咄嗟に胸元を握った。

 後ずさる足音で、オーディンが私がいる事に気付く。


 「……エミリー……」


 オーディンの暗い瞳に火が付いたのが分かった。


 「エミリー。これで満足かい?君の筋書き通り、僕達は何もできずに、無力だと思いながら絶望を感じて死んでいく……それが見たかったのだろう?」

 「違う、そんなっここまでなんてっ」

 「死ぬとは思ってなかった?戦も経験した事のない者を、魔獣達の中に放り込んでおいて、よく言う」

 「私は、ただ……」


 喉が詰まって言葉が出てこなかった。これは、完全に私の私情が招いた結果だ。死ぬなんてそこまでだとは思ってなかったなんて、過酷な環境に投げた当事者の私が言うのはおかしい。


 「さぞ嬉しいだろう?苦しい思いをしながら3人とも死んでいった。僕だって目の前で友が亡くなるのを目の当たりにした。そうだろう?」


 オーディンはプリシア様もぎゅっと抱きしめた。

 

 「でも残念な事がある。死んでいった彼らは、誇りを持って逝ったよ……ケインとロードは民達を優先的に逃がし多くの民を救った。プリシアは自分の怪我を顧みずに、兵士を癒しながら1人でも多くの人を救うという志を持って死んでいった。最後に彼女は言ったよ……役に立てて良かったと、僕の……腕の中で死ねて、幸せだと……。残念だね、僕達は間違いをしたかもしれない。けれど、僕達の信念は見失わずに最後まで生きる事ができたんだ」


 静かに涙を流すオーディン。

 

 「僕は特別、優秀な王子ではなかったけど、民のために弱き者のためになりたい。そう思ってやってきたんだ。それが、上手く出来なかったのは悔しいし、力不足だったと思う。そして、それのせいで友を死なせた責任は取らねばならない」


 パラパラと天井から瓦礫のかけらが舞う。

 

 「オーディン……そこは危ないわ、」

 「お嬢様、下がって下さい」


 コンラッドが私の両肩を掴み下がらせようとする。でも、私は彼らをここから出さねばならないとオーディンに近づく。


 「来ないで、エミリー。僕はもう左目が見えない。それにプリシアがいない世界は何も意味がない」


 愛おしそうにプリシア様に口付けるオーディン。


 「お嬢様っ!!お願いです、このままではここで皆死にますっ!!」

 「駄目よ、まだだって2人がっ」


 オーディンが私を涙で濡れた顔で見て言った。


 「さよなら」


 その口の動きとともに天井から瓦礫が落ちてきて、彼らに降り注ぐ。私は咄嗟に頭を覆うが横っとびに飛んだと思えば、気付けば瓦礫の外に倒れていて。


 瓦礫の山はオーディン達をあっという間に見えなくしていた。

 私は絶望にただただ呼吸をするだけ。


 なぜ、こんな事に。

 私が間違っていたんだ。


 「コンラッド……私、間違えた、みたい……」


 顔を上げながらコンラッドを探すが、彼の姿が見当たらない。

 首を振って見渡すと、瓦礫から身体を出す彼の姿が目に入った。


 「コンラッド!!!」


 私は走って駆けつける。


 「コンラッド、コンラッドっ!!」

 「ぅ、お嬢様……無事で、よかった」

 「今、助けるわ、待って」

 「お嬢様、無理です……瓦礫も、動かせないし、そもそも俺の身体、ぐちゃぐちゃです、ははっ」


 コンラッドの上に積み重なる思い石の数々。内臓全てが冷えて私は足から崩れ落ちた。


 「駄目、絶対に助ける。私のせいでっ」

 「お嬢様。私はあなたをお守りできて、それだけでいいので、すよ……」


 コンラッドが僅かに手を挙げる。私はその手を掴んで必死に握る。


 「いや、いやいやっ、お願い。コンラッド、私を1人にしないでっ、私が間違ってたの、お願い、だから、」

 「お嬢様……聞いてください、あなたが間違いだと、言うのであれば、それ、は……私たち、家臣のせ、いですから、ご自分を、責めない、で……」

 「そんな、違うわ……私が……あんな事言わなければ……」

 「……」

 「コンラッド……?」

 

 最後に振り絞るようにコンラッドは手に力を入れて、私の頬を撫でた。大きくて冷たいその手は、撫でるとすとんっと床に落ちて、コンラッドは動かなくなった。


 私は彼の手に顔を寄せて、力の限り叫んだ。


 公爵令嬢なんてもう関係ない。涙と鼻水と唾液でぐちゃぐちゃにしながら私は泣いた。

 泣くのさえ許されないんじゃないかと思うけど、泣いて、私は彼の亡骸に身を寄せて、この身なんてどうにでもなれと叫んだ。


 もう、このまま何も分からなくなればいい。ぱらぱらと顔に砂のようなものが落ちてくる中、私はそう絶望した。





 暗い意識の中で、誰かが囁いた。


 『後悔しているか?』


 私は言う、後悔だらけだと。


 『何を後悔している?』


 私は迷わず言った。「見えるものだけしか見なかった。自分の傲慢な考えが彼らを追い込んだ。もっと彼らを知るべきだった、耳を傾けるべきだった」


 『そうか……ならば、愛する者達を救いたいか?』

 

 『救いたい……もう間違えたくない』


 『では、与えよう。次は失敗するでないぞ』


 さらさらと白い砂が流れる。私は手からこぼれ落ちるそれをひたすら、眺めていた。


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