3.
そして、いつしかオーディンの隣には魔法に長けた少女が側にいるようになっていた。
愛などなくても私は彼と共に、国を導くための覚悟もあったし、オーディンとなら一緒に生きていけると信じていた。けれど、オーディンは違った。
いとも簡単に幼い頃より切磋琢磨した私という婚約者を蔑ろにし、その可愛らしい令嬢に夢中になった。 見ていられなかった……なぜなら、私には言わない、しないような言動を彼がするのだ。頬を染め目元を緩ませ、優しくその子の髪を撫でる。
一度でも、そんな言動を私にした事があったか。いや、一度もなかった。
それを見た時に、私は自分が失恋したのだと気付いた。私はオーディンを男性として好きだったのだと……ショックだった。
愛はなくてもとは言いつつ、心のどこかでは彼と想いが繋がっていたかったのだが、私の初恋はあっけなく散ってしまった。
彼女と親しげにするオーディン。婚約者がいると分かっていながらそれに応えるプリシア様。
愛などなくても結婚はできる。だからオーディンが誰を側に置こうが割り切るしかなかった。それでも、自分の立場を蔑ろにされたみたいで、悲しさから次第に、嫉妬は嫌悪に変わって、その苛立ちを発散させるかのように私は2人に強く当たった。婚約者のいる男性に馴れ馴れしすぎるその態度を諭したかっただけなのだが、それは公爵令嬢の私が子爵令嬢のプリシア様に対する嫌がらせになっていた。
初めは貴族達も皆、オーディンの行動を非難したし、私に同情したのだが、それも最初だけ。
いつしか私の悪評が出回り、オーディンとそのプリシアという令嬢の関係を美化する者も出てきたのだ。
「権力を傘に着た公爵令嬢は、愛し合う2人を引き裂こうと悪行に勤しむ。それでも愛しあう彼ら2人の絆は美しい」
そんなストーリーが出来上がっていて、私には悪女のレッテルが貼られた。
公爵令嬢という立場を羨み妬む者たちの言葉は刃のように鋭く私に突き刺さった。
「お嬢様……このままではあなたの信頼も落ちますし、公爵家を馬鹿にされるのは許されません。あの無礼な女を私があなたの代わりに亡き者にしてやりましょう」
私の幼い頃からの護衛騎士であるコンラッドが怒りを顕にする。
「やめて、コンラッド。そんな事したらあなたがオーディンに斬られるわ。それは嫌よ、あなたは私の師匠でもあり兄のような存在なのだから。家族同然を失いたくないの」
「ですが、このままではお嬢様の立場が悪くなるばかりです。いいのです、主の幸せのために私が手を汚しましょう。婚約者のいる者に手を出したその罪、私が裁いてきます」
そう言って今にも剣を抜き、駆け出しそうな大柄なコンラッドを止めるのに、必死に侍女をかき集めるのは、我が公爵家での見慣れた光景。
私の代わりにコンラッドが怒ってくれて、だいぶ怒りが収まるのだ。でもコンラッドは違うらしい。
「幼い頃より一緒に剣の訓練をしていた頃から、私はあれが気に食わなかった。お嬢様に手加減させて、あれは男らしくなかった。お嬢様、関係を清算するなら今ですよ」
「そんな言い方して、あなた不敬で投獄されたいの?気をつけなさい、言葉には」
「いいのです、私の未来はあの女の首を跳ね飛ばして、そして私も跳ね飛ばされる……でも悔いはない。なぜならお嬢様が私の首を拾ってくれさえすれば私はそれで満足です」
「……それは嫌よ」
「そんな、お嬢様っ!!お待ちを!!」
私の手にコンラッドの首が落ちてくるのを想像させられてしまい、怒り半分、呆れ半分にコンラッドから離れる。
それでも私に忠誠を尽くす伯爵令息コンラッドは本当に変わり者なのだ。
大柄で過激なところはあるが、剣の腕は確かでいつでも信頼できる私の護衛だ。8つも歳上だから、彼はもう23歳で、結婚していてもおかしくない、むしろ遅いくらいなのに、いつまでも婚約もせずふらふら私の護衛に付いている。
「早く結婚しないと出遅れるわよ。いつまでも独身とはいかないんだから」
「お嬢様。私は貴方がお嫁に行くのを見届けてからでもいいのです。こんなにちっこかったお嬢様の門出を見納めるのが、私の人生の砦です」
「年老いた父親みたいな事言ってないで」
「ええ、本当に娘を嫁に出す気持ちです」
いつものようにコンラッドの冗談のような本気のような話を聞きつつ、私は重い足取りでオーディンとの毎月行っている茶会へと向かう。
しかし、そこには既にオーディンとプリシア嬢が楽しそうに過ごしていた。婚約してから恒例化していたオーディンとの茶会に、ついには彼のお気に入りの令嬢が参加しているその状況に、我慢の限界が来た。
「これは、どのような嫌がらせでしょうか?」
「エミリー、そんな事言わないでくれよ。今日はプリシアも一緒に過ごすのはどうかと思って」
「その本心とはなんでしょうか?」
私は冷たく言い放つ。プリシア嬢が怪訝そうに顔をしかめた。
「君にもプリシアを知ってほしいんだ。彼女はとても素晴らしい人なんだよ。慈善活動も積極的で治癒魔法が得意だから、よく傷病者の救済もしているんだ。その心は僕たちも見習うべき事があると思って」
「それはとても素晴らしい事ですわ。ですが、なぜ婚約者とのお茶会に呼ばねばならないのでしょうか?そもそも、プリシア様、あなたが遠慮するべきではないのです?」
私は極力気持ちを抑えて問いかけたのだが、それが返って彼女を威圧したみたいだった。だが、このプリシア様は怯むことなく言い返したのだ。
「エミリー様。ご挨拶もせずにいましたことお許し下さい。今日はオーディン様にお招き頂いたのですが……私、エミリー様とお話しできるのを楽しみにしていました。私達下の者にとって、貴方は憧れなのです」
にっこり笑うプリシア嬢はとても可愛いらしい。それが男性達を虜にするのだろう。でも私は知っている。私が下の者達に「近づかぬが幸、近づけば斬られる」そんな風に言われている事を。
プリシア様の目を見れば分かる。私への嫌味に違いない。本当に良い度胸をしている。
「憧れ、ね。でも私はあなたと話すことなんてないわ。人の婚約者に手を出す女なんてごめんよ」
「エミリー!!」
「オーディン。もうこの茶会も終わりね。結婚してからも愛人と3人で茶会なんて真っ平だわ。仲良しごっこは自分達だけでして」
私が帰ろうとした時、プリシア嬢が立ち上がりながら言った。
「エミリー様、ご気分を害した事謝ります。ですが、もう少し私やオーディン様の話に耳を傾けてもらえませんでしょうか?そのように何もかもご自身の考えだけで判断されては、視野が狭くなってしまいます」
「私に説教ですか。いい度胸です」
私はプリシア嬢を見据える。彼女は一瞬、怯むがすぐに背筋を伸ばして負けじと私を見た。
「違います。もう少しオーディン様と話をしてほしいのです。彼が何を考えているのか、それをちゃんと聞いたことはありますか?意外にも他者の考えは自分の想像つかないことだったりするのです」
「まぁ、ではオーディンとあなたの関係は恋人ではなく私が想像とつかない関係だと言うのかしら……そうね、例えばあなたが娼婦だとか?」
「な、なんてことをっ」
「エミリーっ!さすがに言い過ぎだ。そうやって君がきつく当たるから、悪い噂ばかり流れるんだろう?」
「あら、悪女になった私は都合が良いでしょう?それに、あなた達はそこには本当に何もないと神に誓えますか?」
オーディンとプリシアが見つめ合う。
そこにはお互いに対しての熱しか感じられなかった。
「いい子ちゃんぶって、横恋慕なんて呆れるわ……あなたの家も終わりね」
私は吐き捨てて踵を返した。しかし、「エミリー様っ、お待ちをっ」というプリシアの手に掴まれた。嫌悪感が湧き出てきて、私は側にいたコンラッドの腰から剣を抜き彼女に突きつけた。
「触らないで」
その場に緊張が走る。剣先がプリシアのさらりとした金髪に触れて、パラパラと金の糸が落ちていく。そのままプリシアは腰を抜かして座り込んだ。
「エミリーっ!!」
オーディンが鋭い声を上げた。見ると、オーディンも私に剣を向けていて、私が僅かに動けば彼の護衛が鞘に手を添え、いつでも私を切れる大勢になっていた。
「お嬢様」
コンラッドが私の前に身体を割り込ませ剣を持つ手を下げさせる。
「エミリー。いくらなんでも僕の大切な友人に剣を向けるのは許せない」
「友人?恋人の間違いじゃ?」
「それは、」
言葉に詰まるオーディン。
違うと否定すらできず、だけど、恋人だと言う勇気もない、中途半端な人たち。
「あなたがその子を庇って私に剣を向けているのが答えよ」
「大事な友人を守ろうとして何が悪い」
「友人?なんて都合の良い言葉でしょう。貴方達を友人だと思っている人が果たしているのかどうか」
「だとしても、僕は大切な人を傷つける者は許せない……それは、婚約者の君であっても、だ」
私は剣をコンラッドに手渡した。
「そう」
「今日を持って君とは婚約を解消させてもらう。君とは……明るい未来を築いていけるとは思えないからな」
人が集まる中、オーディンは言い切った。
それならば、私も考えがある。もう撤回するなんて言わせない。




